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第7曲 charme ―色香―
7-3(2)
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◇
まだ夜明けの兆しもない早朝。
何となく空気が湿っぽく、今日は雨が降りそうな予感だ。
俺は体力作りのため、毎日一人でランニングをしていた。外気はまだ冷え込むが、走っていればすぐに暖まるから心配ない。
和泉市の町並みもすっかり見慣れた。同じくランニングしながら通りすがるオッサンと、〝お互い今日もやってるな〟とアイコンタクトで意思疎通できるくらいになったほどだ。
でも今日はやけにムシャクシャしていた。走ると大概のストレスは解消されるのだが、胸焼けを感じて仕方がない。
分かってる。これは他でもない俺自身のせいだ。
自分で自分を追い込むなんて、馬鹿みてぇ。
結局いつもより30分早く切り上げてシェアハウスに戻った。これでも他の二人を起こさないように、行きも帰りも音を立てない気遣いはしている。大体俺がシャワーを浴びている頃に安芸が起きて自分の朝食を作り始め、それを横目で見ながら俺が適当に買ったパンを食っていると、近江が起きてきて安芸の朝食をつまみ食いする……というテンプレが多い。
だが今日はリビングに入った瞬間、机の上にラップがかかった焼き塩鮭の定食と、添えられた一枚の紙が目に入った。
『朝食を作ってやったから、さっさと食べて早急に防音ブースに来い。来なかったら承知しない』
紙には整った文字でそう書かれていた。定食はご丁寧に2食分用意されているが、近江がこんな早くに起きてくることはまずないだろう。
……あのヤロー、サシで話をしたいわけだな?
「何が〝承知しない〟だ。ったく……、相変わらずおっかねぇ奴」
アイツの〝承知しない〟は舐めていたらマジでロクなことになりかねない。俺は深く溜め息を吐いて、とりあえず手短にシャワーを浴びると、小鉢と卵焼きまでついた完璧な朝食を取った。いい嫁になれるだろうな、あの男は。
後片付けを済ませ、チェロを持ち再びハウスを出る。日は昇ったが空も俺の気分も薄暗く、気持ちの良い朝ではない。
和泉が行きつけている防音ブースは、カルテットの練習場所として俺たちも最近よく利用している。指定された部屋番号の前に着くと、深呼吸を挟んで扉に手をかけた。開いた瞬間、分厚い壁に守られていた室内からクラリネットの響きが溢れ出す。
「……よぉ安芸、お望みどおり来てやったぞ。用件は何だ」
分かっているくせにワザと聞くところが、我ながら素直じゃない。クラリネットの音がピタリと止み、安芸は俺を睨むように鋭く見つめた。
「これを。君の腕なら余裕だろう?」
それだけ言うと安芸は無言で数枚の紙を差し出した。面倒くせぇと思いながらもそれを奪うように受け取って目を通すと、それはとある曲の楽譜だった。
まだ夜明けの兆しもない早朝。
何となく空気が湿っぽく、今日は雨が降りそうな予感だ。
俺は体力作りのため、毎日一人でランニングをしていた。外気はまだ冷え込むが、走っていればすぐに暖まるから心配ない。
和泉市の町並みもすっかり見慣れた。同じくランニングしながら通りすがるオッサンと、〝お互い今日もやってるな〟とアイコンタクトで意思疎通できるくらいになったほどだ。
でも今日はやけにムシャクシャしていた。走ると大概のストレスは解消されるのだが、胸焼けを感じて仕方がない。
分かってる。これは他でもない俺自身のせいだ。
自分で自分を追い込むなんて、馬鹿みてぇ。
結局いつもより30分早く切り上げてシェアハウスに戻った。これでも他の二人を起こさないように、行きも帰りも音を立てない気遣いはしている。大体俺がシャワーを浴びている頃に安芸が起きて自分の朝食を作り始め、それを横目で見ながら俺が適当に買ったパンを食っていると、近江が起きてきて安芸の朝食をつまみ食いする……というテンプレが多い。
だが今日はリビングに入った瞬間、机の上にラップがかかった焼き塩鮭の定食と、添えられた一枚の紙が目に入った。
『朝食を作ってやったから、さっさと食べて早急に防音ブースに来い。来なかったら承知しない』
紙には整った文字でそう書かれていた。定食はご丁寧に2食分用意されているが、近江がこんな早くに起きてくることはまずないだろう。
……あのヤロー、サシで話をしたいわけだな?
「何が〝承知しない〟だ。ったく……、相変わらずおっかねぇ奴」
アイツの〝承知しない〟は舐めていたらマジでロクなことになりかねない。俺は深く溜め息を吐いて、とりあえず手短にシャワーを浴びると、小鉢と卵焼きまでついた完璧な朝食を取った。いい嫁になれるだろうな、あの男は。
後片付けを済ませ、チェロを持ち再びハウスを出る。日は昇ったが空も俺の気分も薄暗く、気持ちの良い朝ではない。
和泉が行きつけている防音ブースは、カルテットの練習場所として俺たちも最近よく利用している。指定された部屋番号の前に着くと、深呼吸を挟んで扉に手をかけた。開いた瞬間、分厚い壁に守られていた室内からクラリネットの響きが溢れ出す。
「……よぉ安芸、お望みどおり来てやったぞ。用件は何だ」
分かっているくせにワザと聞くところが、我ながら素直じゃない。クラリネットの音がピタリと止み、安芸は俺を睨むように鋭く見つめた。
「これを。君の腕なら余裕だろう?」
それだけ言うと安芸は無言で数枚の紙を差し出した。面倒くせぇと思いながらもそれを奪うように受け取って目を通すと、それはとある曲の楽譜だった。
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