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第2話
しおりを挟む「ねえ、千歳、お見合いしてみない? あなたの学校の近くにあるオメガの学校の生徒と。あそこならいいお家のオメガが沢山いるし、外れはないわよ。きっと好きになれる子が見つかると思うんだけど……」
夕飯の席で母が言う。アルファとオメガは中高生のうちに見合いをすることを国から勧められている。アルファは能力が高いため、飛び級してしまうことがザラなことと、オメガは若ければ若いほど価値が高い風潮があるからだ。私の学校のアルファクラスの生徒たちは高校生でありながら大学や大学院の単位を取り、卒業したらすぐ医者、政治家、弁護士、研究者になる。既に生まれ持った優れた容姿とカリスマ性を生かし、芸能活動している生徒も少なくない。もう番を作って結婚している生徒も多い。
でも私はアルファであってもベータに毛が生えたような欠陥品なので、見合いが成功するとは思えない。母は私に結婚してほしいわけではない。いや、結婚もしてほしいのかもしれないが、母の本当の意図は分かっていた。
「そういう話、やめてって言ったでしょ。ご飯がまずくなるわ」
「ごめんなさい、でも……千歳はせっかくアルファに生まれてきたんだから、私みたいな惨めな思いはさせたくないの」
母は父に捨てられたことを引きずっている。番を解消されたオメガほどでなくても、やはり愛した人から捨てられるというのは凄まじいダメージを食らうのだろう。私は物心ついた頃にはもう父はいなかったし、父と出会う前の母がどうであったかは知らない。ただ、祖父母や親戚が言うには母は父に捨てられてから少しずつ可笑しくなってきているという。私にも「あなたに同じ思いさせたくない」と言いつつ、時々こんな妙なことを言い出す。その度に私は母に反抗してしまうが、「あのクソ野郎、とんでもないことしてくれた」とますます父が憎らしくなってくる。
「いいの? 千歳。このままで。このままじゃあなたはベータと変わらない人生になってしまうわ」
食事にほぼ手もつけず、母はうつむいている。
ベータと変わらない……って、何言ってるの。ベータよりずっと悲惨よ、私は。
「それでいいって前から言ってるでしょ。むしろベータに生まれたかったって」
味噌汁を啜りながら、淡々と私が言うと、母の顔はますます辛そうに歪む。
「本当にごめんなさい千歳。畑が私だったばっかりに……お父さんの種を台無しにしてしまって……」
もう限界だ。私は器と箸を置いてガっと立ち上がった。突然のことに母も驚いてはっと顔をあげる。
「……なんなの? お母さんまで。畑だの種だの、私は野菜じゃないのよ。お母さんまで私を欠陥品だと思ってるの? 」
「……ごめんなさい、千歳。そんなつもりじゃないのよ」
母は首をふりながら焦った様子を見せた。
「もういいわ」
私はため息をついて自分の部屋へ退散した。
ベッドに寝ころんで、またため息をつく。もうやだ。学校でも家でも「繁殖」だの「優秀なアルファの誕生のために」とかそんな話ばかり聞かされて。犬猫のブリーディングか何かみたい。これが人間のやることなの? 納得できないことばかり。
あれがおかしい、これがおかしいと考えることが多くて憔悴してしまう。いっそ考えることを放棄し、社会の価値観に沿って生きれば楽なのかもしれない。
けど、そんなことできない。私にとって考えることは生きることなのだ。こういうことを言うと萌香や母、その他私をアルファだと知っている人物には「考えることが好きなんてやっぱりアルファだね」と言われる。
だが、私のように考えるアルファがそういるとは思えない。生まれながらにして全て持ち合わせていて、ベータを顎で使い、オメガを子作りマシーン兼性奴隷にすることに何の抵抗もない、何の疑問も抱かない、うちの学校のアルファのクラスにいるような、アルファらしいアルファがこんなこと考えるだろうか。バース性なんて関係ない。私が私として生まれたから、こんな風に考えるのだ。
体を起こし、ベッドから降りて、机の上のパソコンを起動させる。そしていつものように海外のバース性の研究論文を読み漁る。
大抵の国ではバース性による階級があり、この国と同じようにオメガを人間扱いしない国の方が多い。しかし、一部の先進的な国では、バース性による階級社会を撤廃する動きが見られているらしい。この国のように「オメガをいじめてはいけませんよ」「アルファはベータやオメガを脅してはいけませんよ」などという建前だけの生ぬるいものではなく、バース性に関係なく平等に教育の機会が与えられ、入試でも入社試験でも国家試験でもバース性で選ぶことは禁止されている。もし差別が発覚した場合は厳しく処罰される。だから履歴書でも入学願書にもバース性を記入する欄がない。外見でバース性を見抜かれることを避けるため、写真を添付することもない。
また、アルファやオメガに結婚や繁殖を急かすこともなく、性行為同意年齢や結婚が認められる年齢もバース性関係なく高く規定されている。科学も進んでいて副作用の少ない抑制剤の開発や、番関係をオメガから解消できる方法の研究、番を解消されたオメガの苦痛の緩和ケアなども積極的に行っているらしい。
さらにオメガだけでなく、アルファも思春期になると医者から抑制剤が処方され、服用が義務付けられているというのだ。発情期のオメガに出くわしても自制できるように。
アルファの権力を制限することもあり、私の国のようにアルファが身勝手に子種を撒き散らすことは禁止されている。バース性関係なく、相手の同意なしに避妊せず、性行為に及べば、強姦として厳しく処罰される。国民の意識も他の国とは違い、たとえ優秀なアルファでも子種を撒くだけ撒いて責任を取らない者は軽蔑される。
私の父が母に言ったような、「これ以上ベータが増えても仕方ないから堕ろせ」なんぞという侮蔑的な暴言も処罰の対象になる。そういった国ではオメガの医者、弁護士、政治家、社長は当たり前にいるし、中にはオメガの首脳まで誕生した国もある。
しかし、アルファはアルファとしての特権が制限されるので「逆差別だ」と非難するアルファもいるらしい。
……鼻で笑ってしまう。何が「逆差別」だ。不公平だったものを公平にしようとしてるだけではないか。それに恵まれている者には恵まれている者の責任があるはずだ。生まれ持った才能や、たまたま生まれついた幸運な環境で培った功績をさも自分の力だけで手に入れたような顔をして生きて、恵まれない者を踏みにじることが許されるものか。
自国で差別と迫害に苦しんでいるオメガはこうした先進的な国々に亡命することが多々ある。そして国の方もそういったオメガを自国民として受け入れているのだ。私の国含めだいたいの国は、番のアルファ同伴である場合を除き、オメガにパスポートやビザは発行できない。だから亡命するしかないのだが、失敗すれば銃殺だ。
しかし、生まれた時から喋る産む機械または性奴隷としか見なされず、人権もなく、強姦されても虐待されても殺されても救われることのない存在に生まれたら、生命の危険をおかしてまで逃れたくなるだろう。私はオメガではないからこんなことを言うのはおこがましいのかもしれない。だが、私もバース性による理不尽を味わされている人間の一人だ。社会人になったらバース性差別のない国に移住したいと考えているので、こうして毎日情報を取り入れている。
「あの、オルガンの練習をしたいんですけど、聖堂も防音室も使用中ですかね? 」
次の日の放課後、私は音楽コンクールの練習のためにオルガンの練習ができるところを探していた。
「まあねー、今はどこも使用中ね」
管理員さんが予約表を見ながら呟く。
「はあ……そうですか」
「あ、でも今は使われてない、古い聖堂なら使えるわ。学園の生徒さんが行くことは滅多にないけど、修道士さんたちがごくたーまに使ってるみたいね」
その古い聖堂とは学園ができる前、まだこの敷地に修道院と教会しかなかった200年くらい前からある建物だ。20年ほど前に新しい聖堂が出来てから、あまり使われることはない。だから幽霊が出るとか、神の声が聞こえるとか異様な噂が立つところではあった。私はこの通り理屈っぽい性格なのでそんなことは信じないが何か嫌だな……とは思った。けど、わざわざここで待つのも時間の無駄なような気がしてきたので、しぶしぶ旧聖堂に向かうことにした。
旧聖堂の扉は古ぼけていて、押すとギイイイイと100年くらい閉まっていたような音がした。中の空気もさぞかしカビ臭く、埃っぽいだろうと、どこか憂鬱な気分で中に入ったのだけど……。
えっ……!? ……何なのこの匂い。
私を包んだのは、不快なカビの臭いではなく、甘いオレンジのような香りだった。その香りは単純にいい香りと感じるだけでなく、頭の芯をじんと溶かすような心地よい感覚をもたらした。
こんな香り、一体どこから?
まだ日がある時間なのに薄暗い聖堂の通路。恐る恐る進んでいくと人影が見えた。
まさか、幽霊? でもこの人からこの甘い香りがしている気がする。
勇気を出して近づいていくと、華奢な背中を丸め、頭をたれ、跪いて祈る人が見えた。性別は不明だ。私が徐々に近づいていくと、その人がピクリと反応してバッと振り返った。……その顔は息を飲むほど美しかった。くっきりとした琥珀色の瞳に濃い影を落とす睫毛、細い鼻、真っ白な肌に映える薄紅色の唇……。そして細長い首に少しかかるくらいのサラサラな、茶金色の髪。
前方のステンドグラスから、スッ……と柔らかな光が差し、その茶金色の髪を輝かせる。
なんて神々しいのだろう……天使?
その人がすっと立ち上がる。体つきはとても華奢ではあるけど、背はそこそこ高い。私と10cm差はあると見た。私も163cmと女にしては少し背が高い方なのに。その姿は海外の古い美術図鑑で見たアンドロギュノスモデルを彷彿させた。100年以上前、まだこの世にベータしか存在しなかった時代にこんな中性的、両性的、無性的な存在がいたのかと感動したっけ。
「すみません、邪魔でしたか? 」
甲高くはあるが、男の声だった。そのほっそりとした首には白いチョーカーが嵌められている。肌の色と同化しててあまり似合っていない。
……オメガだ。
オメガは見てすぐわかるようにとチョーカーをすることが法律で義務付けられている。番のいないオメガは白、色がついているのは番がいることの印だ。最初これを知った時、大昔ナチスがユダヤ人に押し付けた「ダビデの星」を連想させられ、嫌悪感を覚えた。人類は何度、同じ間違いを繰り返すのだろう。
「いいえ。私はここのオルガンを使いたいと思ってただけなの。こちらこそお祈りの邪魔だったかしら」
私がそう応えると彼は琥珀色の瞳を見開いて少し驚いたような素振りを見せた。……何? 私の顔になんかついてるの?
「どうかしました? 」
彼が妙な反応をしたので、つい出てしまった言葉。
「いえ、何でもないです。僕は構わないのでどうぞ練習して下さい」
彼はどこか憂いを帯びた微笑みを浮かべてそう言った。
なんでここにオメガが? 一体彼は何者なんだろう。ラフな服装からして修道士ではない。そもそもオメガは修道士になれないし、アルファの同伴がなければこの学園の敷地内にすら入れないはず。
まさか……。嫌な予感がした。けど、突き詰めて考えると気分が悪くなりそうなので、オルガンに集中することにした。
オルガン練習が一段落ついて、ちょっと休憩しようかと、椅子に座ったまま、体の向きをくるりと変え、そのまま降りようとした。そのとき、私をドキリとさせる光景が目に飛び込んできた。
え……ずっとそこにいたの。
なんと、さっきの彼が会衆席の1番前でずっと私の演奏を聞いてたのだ。
「ごめんなさい。あまりに綺麗な音色だったから聴き入ってしまいました」
彼も私が驚いている様子に気がついたのだ。またあの憂いを帯びた微笑みが私に向けられる。
「そんな……聴き入ってもらえるほど上手なものではないですよ」
私は素っ気なく答えた。
「あなたって、他のアルファの方とは全然違うんですね」
えっ!? 今何て言ったの!? なんか衝撃的な言葉が聞こえた。
「え?」
思わず聞き返した。彼も私の反応にたじろいでいる。
「あなた、アルファですよね?」
彼は当たり前のような口調で言う。まさか。今までベータはおろか、オメガにすらアルファだと気付かれなかった私にそんなことを言うなんて。
「なぜわかったんですか? 」
恐る恐る聞いてみた。
「だって、ラベンダーみたいないい匂いするし……それにすごく綺麗だから……」
彼は照れながら言った。少し頬を赤らめ、うつむくその様は実に妖艶だ。いい匂いだと? 綺麗だと? この私が? からかっているのか? それにあなたの方がずっとずっといい香りだし、ずっとずっと綺麗じゃないか。
「あ、ごめんなさい。変なこと言って。でもアルファの方にここまで丁寧に接してもらったのは初めてでした」
今度は少し真面目な顔をしている。その大きな琥珀色の瞳が私に向けられる。本当にどんな表情でも美しい人だ。
「……いつもここにいるんですか? 」
気になったので尋ねてみた。あまり他人に対して興味を持たない私だが、なぜか彼のことはもっと知りたい、これからも会いたい、そして彼の香りを近くでかぎたい……そんな気持ちになった。
「はい。ここなら誰の邪魔にもならないので」
彼は少し悲しげにそう言った。
「……私、千歳と言います」
私は胸に手を当てて名乗った。普段あまり社交的でない私は、自分から名前を名乗るなんてあまりないことだ。でも彼には名前を覚えて欲しかった。
「……真琴です」
はにかんだ様子でそう返す彼。
……どういう事情でここにいるかは聞かないでおいた。嫌な予感がするから。彼を変な目で見たくないから。
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