上 下
15 / 76
第1章

14

しおりを挟む
 女手一つで大河を育てている実歩には、2年前まで夫がいた。
 大河の父、大輝《だいき》だ。

 大輝はやわらかな顔立ちで、身長190センチもあるがたいがいい男。
 大河は大輝似だから、「将来はお父さんみたいに大きくなるのかな」と期待を抱いている。
 性格もおだやかで真面目な人だった。市役所に勤めていた。
 実歩とは、友達の紹介で知り合い、恋に落ちた。

 結婚から1年後。
 実歩が懐妊したことをきっかけに、大輝はマイホームを購入。

『実歩とお腹の子が何よりも最優先』

 それが彼の口癖。大輝は必死に働き、贅沢はしなかった。
 大輝は児童養護施設で育ち、親の顔も見たことがなく、名も知らない。
 だからこそ、
 
『俺は親に愛されなかった分まで、俺と実歩の子には愛を注ごう』

 と、まっすぐな信念を持っていた。
 そして。

「おぎゃー、おぎゃー」

 天使の産声。大河が生まれた。
 予定日よりも早く、大輝と実歩は心配になったが元気な赤ちゃんだった。
 大河のように大きくやさしい子に育ってほしい。期待をこめ、ふたりで大河と名づけた。
 大河はすくすくと育ち、大輝と実歩は幸せの絶頂だった。

 しかし。大河が4歳の頃。7月半ばだ。
 その日、外はごーごー雨が強く降っていた。大雨洪水警報が発令された。
 市役所勤務の大輝は、住民に情報を伝える立場だった。仕事は休めない。
 実歩は家にいてほしかった。

「大丈夫。実歩と大河が何よりも最優先だから。ゆっくり運転するし、危険な目には遭わないよ」
 
 いつもの口癖。そう言われると、実歩は、うんとうなずくことしかできない。
 ふたりを安心させるように、やわらかな笑顔と口ぶりで大輝は言ったのだ。

「わかった。ほんとに気をつけて……」

 それが、実歩が大輝とかわした最後の言葉。
 激しい雨が降り続く国道。
 操作を誤った大型トラックに正面衝突され……。
 大輝は即死した。


 大河は、今でも、たぶんいつまでも。
 あのときの、実歩の涙を忘れることはできない。
 実歩はわあわあと幼児のように、泣き続けたのだ。
 大河は、実歩にずっと抱きしめられていた。安心を求めるように。
 ぐしょぐしょになった実歩の顔は、びしょびしょに大河の肩を濡らしていった。

 大河にはまるで現実味がなく、大輝の死は信じられなかった。
 けれど。こんな弱り切った母を見てしまえば……
 
 お父さんは本当に死んだんだ……。

 これを、残酷な現実だと受け入れるしかなかった。
 大河も大泣きした。涙は枯れる気がしなかった。
 悲しみが大きすぎるから。おさまらないから。消えないから。

 だから。
 ぼくが、お父さんの代わりにお母さんを守らなきゃいけない。
 
 消えない悲しみの渦で、大河は。幼心にそう決意した。
 
 そして。
 私が、大輝くんの代わりに大河を幸せにしなきゃいけない。

 実歩も同じように。強く決意した。


 大輝の死後。
 実歩は資産価値が高いうちにマイホームを売り、少しでも蓄えを増やした方がいいと思い、引っこすことに決めた。
 南小学校のいじめ自殺事件の影響もあったから、北小学校の学区に移りたかった。
 実歩は心苦しくしながらも、マイホームと土地を売却した。

 大河を立派に育てるには、お金が必要だ。
 実歩は出産前まで勤務していた会計事務所に、正社員で復職した。

 大河はそんな実歩の苦労を知っている。
 普段は、はずかしくて言えないけれど、感謝の気持ちは無限大にあふれている。
 マイホームを手放し、平屋に移ったことも、本当はイヤだった。
 けれど、金銭面ではそれが最適だった。

 ぼくは、お母さんに笑ってもらえるように、勉強を頑張って立派に育つ。
 

 大河は過去に浸り、あらためて決心した。

 ――ああ。
 これ以上、お母さんたちの話を聞いちゃダメだ。

 布団に戻り、再び深い眠りについた。
 目尻からじんわり涙をにじませて。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

【R18】もう一度セックスに溺れて

ちゅー
恋愛
-------------------------------------- 「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」 過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。 -------------------------------------- 結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。

私と継母の極めて平凡な日常

当麻月菜
ライト文芸
ある日突然、父が再婚した。そして再婚後、たった三ヶ月で失踪した。 残されたのは私、橋坂由依(高校二年生)と、継母の琴子さん(32歳のキャリアウーマン)の二人。 「ああ、この人も出て行くんだろうな。私にどれだけ自分が不幸かをぶちまけて」 そう思って覚悟もしたけれど、彼女は出て行かなかった。 そうして始まった継母と私の二人だけの日々は、とても淡々としていながら酷く穏やかで、極めて平凡なものでした。 ※他のサイトにも重複投稿しています。

結構な性欲で

ヘロディア
恋愛
美人の二十代の人妻である会社の先輩の一晩を独占することになった主人公。 執拗に責めまくるのであった。 彼女の喘ぎ声は官能的で…

勝負に勝ったので委員長におっぱいを見せてもらった

矢木羽研
青春
優等生の委員長と「勝ったほうが言うことを聞く」という賭けをしたので、「おっぱい見せて」と頼んでみたら……青春寸止めストーリー。

処理中です...