上 下
126 / 133
第六章

馬には乗ってみよ人には添うてみよ12

しおりを挟む

「え?」とセルゥが呟く。

 青年が叫んだまさにその時、セルゥは背後に広がる崖に、後ろ向きに足を踏み外した……!

「セルゥ!」

 その身体を横から突進するように飛んで来たロォがかっさらう。
 刹那、セルゥの腕からリーベが滑り落ちて……!

 青年は飛び出していた。
 考えるよりも先に。
 ただ無我夢中でその小さな身体を追い掛けて、その子の名前を叫ぶ。
 青年の腕は、手は、確かにその小さな体にとどき、護るように抱き締める。
 だが後にも先にももうどうにもならない。
 想像以上の高さから、はるか下には川が、その濁流に向かって二人の身体が真っ逆さまに落ちていく。
 もうダメだと、さすがの青年もそう思った。
 仮に生き延びられたとして、その時赤ん坊も一緒に助かるとは思えない。

(あぁなんて事だ。こんな所で)

 青年の意思とは関係なく今日までの事が走馬灯のように去来きょらいする。
 幼い頃流行った不治の病に苦しむ人々が、行き交う民の光景が、今は亡き父と母の微笑みが、山羊の乳を粉末上に出来ないかと考えた日が、アルデラミンの怒った顔が、ソフラさんの作った美味しいシチューの味が、えんの子供たちの笑った顔が、マールの困った顔が。

 黄金色きんいろの長髪の少女が、その黄金色きんいろの瞳を濡らし涙する姿が。

(今死ねばどうなってしまう? 〝サラ〟は、あの子は瞳を痛めず泣かずに済むのか?)

 あの日、ハクイに此方へ連れて来られた日を。
 本当の意味で魔族を目の前にした日を。
 魔王と出会った日を。
 マールと再会した日を、イェンと出会った日を、悪魔の存在を知った日を。
 たった数週間の事ではあるが妙に懐かしく色鮮やかによみがえる。

 脳裏に水色の花と真っ赤な花がよぎった。

 リーベが蝶へ手をのばして、青年の言葉を真似て笑って。

『ぱっぱ』

(ダメだ! 〝わたし〟はまだ死ねない!)

 ここで死ぬ訳にはいかない! 死ぬのなら戻ってからでなければいけない!
 ここではダメだ! ここでは余計な火種を生む!

「わたしはまだ!」

 リーベの頭と体をしっかりと抱え直す。
 きっとまだ生きていると信じながら、けれど現実は無情、濁流から覗く岩がもう直ぐそこに迫っていた。

(頼む!)

 藁をも掴む思いで青空に向かって手をのばす。

「ロワ!」

 その手を、誰かの大きな手がしっかりと掴み引き寄せた。
 陽に照らされ紫光する黒髪、力強い真っ赤な瞳の持ち主が目の前に。

「っ!?」

 その瞬間、何処からか落ちてきた小石が青年のひたいを直撃した。


  ◇


「――――おい」

 何故だろう。視界が回っている。

「――っ――――おいっ!」

 もしや本当に死んだのか?
 それとも岩にぶつかることなく何処かへ流れついたのか、あるいは既に死んでいるのか……そうだあの子は……。

「しっかりしろ! おい!」

 誰ださっきから〝わたし〟に向かって。

「ロワ!」

 ロワとは誰だ。ロワって……。

(〝俺〟のことか!)

 ハッとし瞳を開くと。

「魔王さま!?」


 黒衣の魔王が、青年を両腕に抱き上げ飛んでいた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

男色医師

虎 正規
BL
ゲイの医者、黒河の毒牙から逃れられるか?

完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。

音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。 だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。 そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。 そこには匿われていた美少年が棲んでいて……

生臭坊主と不肖の息子

ルルオカ
BL
一山の敷地に、こじんまりと本堂を構える後光寺。住職を務める「御白川 我聞」とその義理の息子、庄司が寺に住み、僧侶の菊陽が通ってきている。 女遊びをし、大酒飲みの生臭坊主、我聞が、ほとんど仕事をしない代わりに、庄司と菊陽が寺の業務に当たる日々。たまに、我聞の胡散臭い商売の依頼主がきて、それを皮切りに、この世ならざるものが、庄司の目に写り・・・。 生臭で物臭な坊主と、その義理の息子と、寺に住みつく、あやかしが関わってくるBL小説。BLっぽくはないけど、こんこんのセクハラ発言多発や、後半に描写がでてくるの、ご注意。R15です。 「河童がいない人の哀れ」はべつの依頼の小話になります。

食事届いたけど配達員のほうを食べました

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
なぜ自転車に乗る人はピチピチのエロい服を着ているのか? そう思っていたところに、食事を届けにきたデリバリー配達員の男子大学生がピチピチのサイクルウェアを着ていた。イケメンな上に筋肉質でエロかったので、追加料金を払って、メシではなく彼を食べることにした。

オトナの玩具

希京
BL
12歳のカオルは塾に行く途中、自転車がパンクしてしまい、立ち往生しているとき車から女に声をかけられる。 塾まで送ると言ってカオルを車に乗せた女は人身売買組織の人間だった。 売られてしまったカオルは薬漬けにされて快楽を与えられているうちに親や教師に怒られるという強迫観念がだんだん消えて自我が無くなっていく。

気付いたら囲われていたという話

空兎
BL
文武両道、才色兼備な俺の兄は意地悪だ。小さい頃から色んな物を取られたし最近だと好きな女の子まで取られるようになった。おかげで俺はぼっちですよ、ちくしょう。だけども俺は諦めないからな!俺のこと好きになってくれる可愛い女の子見つけて絶対に幸せになってやる! ※無自覚囲い込み系兄×恋に恋する弟の話です。

処理中です...