純喫茶カッパーロ

藤 実花

文字の大きさ
上 下
84 / 120
第六章 神社巡り

⑭ユカリと水神様

しおりを挟む
秋山家の武道場は、祖父の2代前の宮司が建てたもので、本宅の離れにある。
そこは地元の小学生や中学生が剣道をするために開放されている他、時には畳を敷き、柔道や空手の道場にも使われる。
ここで、祖父は剣道を教えているんだけど……今指導されているのはきっと三左だ。
一之丞の言う通り、母のことを祖父に尋ねようとやってきた私達は、離れの武道場の前まで来ていた。
しかし、扉をあけよう、と思った瞬間、中から断末魔のような甲高い声が聞こえてきて手が止まってしまったのだ。

「どうする?」

私は一之丞を見た。
彼は三左の声を聞いて、サァーと顔色を悪くした。
でもそこは又吉の長兄のプライドがある。
ぐぐっと拳を握ると取っ手に手をかけ、

「行かねばなるまいっ!いざ、又吉一之丞、推して参るっ!!」

と、勢い良く扉を開けた。

「き、きぇゃぁーー!」

武道場の中では、竹刀を手にした三左がヘロヘロになりながら掛け声を出し、祖父はそれを正座で見ている。
その眼光鋭い視線がキッとこちらを向き、私は思わずビクッと震えた。

「ん?サユリ、どうかしたか?」

祖父は美しい所作で立ち上がり、こちらへ歩いてくる。
途中で手を挙げて、休憩の合図をすると、それを見た三左は膝から崩れ落ちた。
だらんと生きる屍のようになった三左を横目で見ながら、私は祖父に伝えた。

「稽古中にごめん。あのね、ちょっとお母さんのことで、聞きたいことがあるんだけど……」

と、黒の手帳を見せる。
すると、祖父がびっくりしたような顔をした。

「これ、どこにあったんだ?随分昔のものだが……」

「出してくれていた書物に紛れておった」

一之丞が答えた。

「……そうか」

一言呟くと、祖父は三左の方へと近付いた。
そして「稽古終わり!」と言うと、直ぐ様こちらへと向き直る。

「……ユカリの病気のことを聞きたいんだろう?なら、応接間へ戻ってからにしよう」

「うん」

祖父の横顔は少し物憂げだった。
あまり思い出したくないのかもしれない。
でも水神様に関係ある情報なら、どんな小さなことだって構わないから聞いておきたい。
私達は武道場に突っ伏した三左を置いて、応接間へと移動した。

祖父と共に応接間に戻り、座卓周りに座ったところで、私が最初に口を開いた。

「あのね、お母さんが昔大病から回復したことがあったでしょ?その当時、何か変わったことは無かった?」

「変わったこと、か?うーん、その頃はそれどころじゃなかったからな……良くは覚えてないんだが」

それもそうだ。
娘が生きるか死ぬかの時に、何かを気にしてなんかいられない。
不思議な現象があったとしても、覚えてないのは当たり前だ。

「例えば……であるが、何か水に関する不思議なことがなかったであろうか?母上殿の周りで……」

一之丞は祖父を気遣ってゆっくりと尋ねた。
その慎重に言葉を選ぶ優しさが、何故か少し愛しかった。
妖怪であっても、人間を気遣い、慈しみ、守ろうとする一之丞を最初に出会った頃よりもっと身近に感じていた。

「水に関する不思議なこと……」

祖父は斜め上を見つめながら、ぼんやりと呟いた。
私が一之丞から視線を祖父に戻すと、ちょうど、こちらを向いた祖父と目が合った。

「……そう言えばなぁ……あれは、病気から回復した1年後だ。家族で裏山へ山菜を取りに行ったことがあったんだ」

「おばあちゃんと、ヨシおじさんも?」

ヨシおじさんとは、母の弟、吉成さんのことだ。

「そうだ。その時、ヨシが足を滑らせて川に落ちてな……」

「うん……」

私も一之丞も少し前のめりになった。

「そこの川は流れが早くて、婆さんもワシも慌てて助けに行こうとしたんたが、ユカリは澄ました顔でこう言ったんだ」

「……なんて?」

「大丈夫、ミシマサマが助けてくれる、とな」

「ミシマサマ!?」

私が大きな声を出したのと、一之丞の顔色が変化したのは同時だった。
彼は隣にいた私を凝視して、しきりに何かを訴えてくる。
な、何?わからないから言葉にしてよ!?

「その後すぐ、ヨシが川から放り出されるように飛び出てきてな……多少びっくりはしたんだが。ユカリは不思議な子だったから、その程度のことは日常茶飯事だったし、然程気にすることでもなかった!」

キッパリと言い切る祖父を見て、私は少し呆れた。
いや、気にしようよ?
そんな超常現象染みたことが日常茶飯事なんて。
……ああ、そうか。
だから《変わったこと》と聞かれてもすぐに思い浮かばなかったんだわ。
本当に秋山家の皆さんって、寛容というか、図太いというか。
……なんて、カッパと暮らしてる私が言えたことじゃないけど。
隣で暫く私を凝視していた一之丞は、首を捻って視線を逸らし、今度は祖父を見た。

「そ、そうであるか。藤四郎殿、貴重な情報を頂いた!感謝致すっ」

そう言って姿勢を正し、例の元祖ジャパニーズ土下座を繰り出した。
その美しいことといったら。
カッパの時よりも洗練されたその動き。
世界中で、こんなに土下座が似合うのは又吉一之丞をおいて他にはいない、と私は断言できる!

「いやいや、こんなことで頭を下げられてもな……一之丞君、今度は別のことで頭を下げに来なさい!待っとるよ!」

祖父はワハハと笑い一之丞の肩をポンッと叩く。
すると、一之丞は恥ずかしそうにはにかみながら言った。

「なんとっ!さすが藤四郎殿!すぐに我らのことに勘づくとは!うむ。近い内にまたご挨拶に伺うことになろう!宜しくお頼み申す!」

「おう。こっちこそな。賞味期限切れだが宜しく頼むぞ!」

祖父と一之丞は、昔から見知った仲のように固く握手を交わしている。
この2人、いつの間に仲良くなったの?
それに、賞味期限切れって何よっ!?
疑問符が乱れ飛ぶ私の前で、祖父と一之丞はこれでもか!というほど、笑い続けていた。












































しおりを挟む

処理中です...