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夜明け前、私とあなたの選択
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「もう無理………何も食べられないー」
厨房の食事を全て平らげ、部屋に戻ってきたクリスタはソファーに寝転がりお腹を擦った。
ローラントはその横に座り、クリスタの頭を自分の膝にのせ優しく額を撫でている。
ゆっくり食べたせいか、時間はもう午前3時をまわっていた。
静かな闇の中で、真上で微笑む彼の鼓動だけが聞こえる。
「デザートのシフォンケーキ、おいしかったわね」
話題に困り、とりとめもないことを話す。
実際シフォンケーキはとても美味しかった。
クリスタも何度も作ってはいるが、厨房の妖精にはまだまだ追いつけないなと思っている。
「旨かったけど、オレは君が作ったやつが一番いい」
「…………私、あなたにシフォンケーキを作ったの?」
「初めて君と会った日、母がクリスタが焼いたと言って出してくれた……あ、そうか、母のことも忘れているか……」
髪を撫でる手を強め、少し悲しそうにローラントが言う。
彼に纏わる記憶、彼に纏わる人達、全てに霞がかかったようにハッキリとしない。
「お義母さまは、あなたと良く似ているんでしょうね」
何故かそう思った。
「似てないよ」
そう言いながらもその表情は柔らかい。
「また、焼いてほしい……構わないか?」
月明かりのせいだろうか……彼が泣いているように見えたのは。
確かめようと手を伸ばすと、そのまま手を取られ彼の唇に押しあてられる。
そして切れ長の目をさらに細めて、悪さをした子供みたいに、意地悪な笑顔を向けるのだ。
「今度はあなたのために焼くわ」
そう言うと、悪さをした子供はその悪さを赦されたように、安心した表情になった。
少し前までクリスタは一人でやろうとしていたことがあった。
一人でやらなければならないと思っていた。
だから思い出した記憶の詳細を、誰にも言わず心の内にしまっておいたのだ。
もう一度、あの場所へ…………
怖くはない。
でも、思い出に囚われすぎた私ではきっとミカエルには勝てない。
恋慕と憧憬が入り交じる庭園で、信頼し尊敬し、心を通わせたリルケ。
彼は今も私の心の何処かにいて、不意に素敵な笑顔で現れる………。
「ねぇ、ローラント。もし、どうしてもやらなければならないことがあって……でも、それをしたくなかったら……どうする?」
真上からクリスタを覗き込み、一瞬考えるように視線を逸らした後、真っ直ぐに向き直って言った。
「他のヤツにやらせる」
「え?」
「やらなければならないが、したくない。なら、他のヤツに頼めばいい。出来るヤツがやればいい」
「………でも、無責任じゃない?自分の役割を押し付けるのよ。それも、かなり酷い役割を……」
「無責任じゃない。むしろ、その方が成功率が高い。中途半端な覚悟ならやらない方がいい」
正論だ。
ローラントは正しい。
私はこの件で人に頼ることは間違いだと思っていた。
でも、本当はこの件こそ、誰かに頼るべきだったのかもしれない。
クリスタは静かに起き上がってローラントを見つめる。
「聞いて欲しいことがあるの」
ローラントは両手でクリスタの頬を覆い頭を引き寄せ額をコツンと押しあてた。
「やっと言う気になったか?」
「ええ」
「君は頑固だから困る、まぁそんな所も好きだけど」
「…………うん」
「君に出来ないならオレがやる。オレが何度だって君を助ける、夫婦ってそういうもんらしいぞ」
「え?そうなの?」
「………君が言ったんだがな……」
本気で落ち込むローラントが可笑しくて思わず吹き出してしまった。
一頻り笑い合った後、クリスタは立ち上り本棚の白い本を手にローラントの隣に戻った。
「ああ、それ……」
「知ってるの!?なんで?」
「君が見せてくれたよ。その時、落として壊れてしまって……確か背表紙から……」
そう言って、クリスタの手から本を取り器用に背表紙を剥がしていくと、黒紫色の鍵を取り出した。
それは、チェーンが付いていて首に掛けられるようになっている。
「これが、鍵ね」
「あの時、君はこれが何か解らないと言った。思い出した記憶に答えがあったのか?」
「ミカエルが欲しがってる鍵であることは解るわ。あと、母がこれをどうしても彼に渡したくなかったことも。何かの鍵には間違いないと思うけど……」
「行くのか?………その……」
「ええ、離宮に。………本当はね、これを壊してしまえばいいと思うのよ。そうすればミカエルに渡さずに済む。でも、ミカエルを野放しにすればまた誰かが傷つき命を落とすかもしれない。もう、嫌なのよ……。これ以上…」
「あの男に罪を重ねて欲しくないか………」
どきりとした。
傷つき命を落とす誰かのことよりも、罪を重ねてゆくミカエルを助けたいと思っている。
それを認識させられて……。
「最低よね………」
「何だって構わない。オレは君を信じてる。君の横にいて離れない。それだけだ」
「………酷いお願いをしても、離れない?」
「離れない」
直視するのを躊躇わせるほどの真摯な瞳は、なんの迷いもなくクリスタを見つめる。
記憶が無くたってわかるわ。
私があなたを愛さない筈がない。
厨房の食事を全て平らげ、部屋に戻ってきたクリスタはソファーに寝転がりお腹を擦った。
ローラントはその横に座り、クリスタの頭を自分の膝にのせ優しく額を撫でている。
ゆっくり食べたせいか、時間はもう午前3時をまわっていた。
静かな闇の中で、真上で微笑む彼の鼓動だけが聞こえる。
「デザートのシフォンケーキ、おいしかったわね」
話題に困り、とりとめもないことを話す。
実際シフォンケーキはとても美味しかった。
クリスタも何度も作ってはいるが、厨房の妖精にはまだまだ追いつけないなと思っている。
「旨かったけど、オレは君が作ったやつが一番いい」
「…………私、あなたにシフォンケーキを作ったの?」
「初めて君と会った日、母がクリスタが焼いたと言って出してくれた……あ、そうか、母のことも忘れているか……」
髪を撫でる手を強め、少し悲しそうにローラントが言う。
彼に纏わる記憶、彼に纏わる人達、全てに霞がかかったようにハッキリとしない。
「お義母さまは、あなたと良く似ているんでしょうね」
何故かそう思った。
「似てないよ」
そう言いながらもその表情は柔らかい。
「また、焼いてほしい……構わないか?」
月明かりのせいだろうか……彼が泣いているように見えたのは。
確かめようと手を伸ばすと、そのまま手を取られ彼の唇に押しあてられる。
そして切れ長の目をさらに細めて、悪さをした子供みたいに、意地悪な笑顔を向けるのだ。
「今度はあなたのために焼くわ」
そう言うと、悪さをした子供はその悪さを赦されたように、安心した表情になった。
少し前までクリスタは一人でやろうとしていたことがあった。
一人でやらなければならないと思っていた。
だから思い出した記憶の詳細を、誰にも言わず心の内にしまっておいたのだ。
もう一度、あの場所へ…………
怖くはない。
でも、思い出に囚われすぎた私ではきっとミカエルには勝てない。
恋慕と憧憬が入り交じる庭園で、信頼し尊敬し、心を通わせたリルケ。
彼は今も私の心の何処かにいて、不意に素敵な笑顔で現れる………。
「ねぇ、ローラント。もし、どうしてもやらなければならないことがあって……でも、それをしたくなかったら……どうする?」
真上からクリスタを覗き込み、一瞬考えるように視線を逸らした後、真っ直ぐに向き直って言った。
「他のヤツにやらせる」
「え?」
「やらなければならないが、したくない。なら、他のヤツに頼めばいい。出来るヤツがやればいい」
「………でも、無責任じゃない?自分の役割を押し付けるのよ。それも、かなり酷い役割を……」
「無責任じゃない。むしろ、その方が成功率が高い。中途半端な覚悟ならやらない方がいい」
正論だ。
ローラントは正しい。
私はこの件で人に頼ることは間違いだと思っていた。
でも、本当はこの件こそ、誰かに頼るべきだったのかもしれない。
クリスタは静かに起き上がってローラントを見つめる。
「聞いて欲しいことがあるの」
ローラントは両手でクリスタの頬を覆い頭を引き寄せ額をコツンと押しあてた。
「やっと言う気になったか?」
「ええ」
「君は頑固だから困る、まぁそんな所も好きだけど」
「…………うん」
「君に出来ないならオレがやる。オレが何度だって君を助ける、夫婦ってそういうもんらしいぞ」
「え?そうなの?」
「………君が言ったんだがな……」
本気で落ち込むローラントが可笑しくて思わず吹き出してしまった。
一頻り笑い合った後、クリスタは立ち上り本棚の白い本を手にローラントの隣に戻った。
「ああ、それ……」
「知ってるの!?なんで?」
「君が見せてくれたよ。その時、落として壊れてしまって……確か背表紙から……」
そう言って、クリスタの手から本を取り器用に背表紙を剥がしていくと、黒紫色の鍵を取り出した。
それは、チェーンが付いていて首に掛けられるようになっている。
「これが、鍵ね」
「あの時、君はこれが何か解らないと言った。思い出した記憶に答えがあったのか?」
「ミカエルが欲しがってる鍵であることは解るわ。あと、母がこれをどうしても彼に渡したくなかったことも。何かの鍵には間違いないと思うけど……」
「行くのか?………その……」
「ええ、離宮に。………本当はね、これを壊してしまえばいいと思うのよ。そうすればミカエルに渡さずに済む。でも、ミカエルを野放しにすればまた誰かが傷つき命を落とすかもしれない。もう、嫌なのよ……。これ以上…」
「あの男に罪を重ねて欲しくないか………」
どきりとした。
傷つき命を落とす誰かのことよりも、罪を重ねてゆくミカエルを助けたいと思っている。
それを認識させられて……。
「最低よね………」
「何だって構わない。オレは君を信じてる。君の横にいて離れない。それだけだ」
「………酷いお願いをしても、離れない?」
「離れない」
直視するのを躊躇わせるほどの真摯な瞳は、なんの迷いもなくクリスタを見つめる。
記憶が無くたってわかるわ。
私があなたを愛さない筈がない。
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◻︎◼︎◻︎◼︎◻︎
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