9 / 25
エンバーミング技師来たりて、まな板の上の鯉になる -2-
しおりを挟む「おい、大丈夫か、坊主?」
松田が、僕の様子を注意深く眺め、尋ねる。
「は、はい。なんとか生きてます……」
「何言ってんだ、死んでんだろうが」
軽いボケに全力でツッコミを入れられ、僕は凹む。
「どこか違和感とかはねえか?」
松田は口が悪い割には、気遣いのあるタイプのようで、心配げに問うた。
「そうですね……」
僕は試しに体を動かしてみる。
手も、足も、首も、体全体が処置前と比べて滑らかに動く。
「特に問題はないですけど……」
「けど?」
僕の言葉尻を捉えて、松田が言った。
「……ちょっと、吐きそうです」
僕は起き上がり、口を抑える。でも、吐き出すものなんてないから、軽くえずいた程度だ。
「おいおい、大丈夫か、坊主」
松田は慌ててトレイを口元に差し出す。
「はい、なんとか……」
僕はトレイを受け取り、頷く。
「ちょっと、精神的に来るもんがあるよな、エンバーミングの処置はさ」
松田がそう言って、背中を摩る。本当に優しい人だ。
エンバーミングの処置は、自分の血液を防腐剤の入った溶液と入れ替え、腐敗を引き起こしやすい体液などを吸引器で取り除く、というものだ。
通常はご遺体に行なう処置なので、意識のある人間のことは考えられていない。意識のある状態でこの処置をされると、リアルなスプラッター映画でしかない。特に眼球を義眼に交換する作業はきつかった。グロが苦手な人にはお勧めできない。
それは処置を行う側もそうみたいで、「俺も最初の時は、引くほど吐いたぜ」と松田が苦笑した。
「辞めようとは思わなかったんですか?」
僕の質問に、松田は一瞬、キョトンとしたが、すぐにニヤリと笑った。
「思わなかった」
キッパリと言い切る。
「お前さんに施した処置は、殺菌と防腐の処置がほとんどだが、エンバーミングってのはそれだけじゃないんだ」
「それだけじゃない?」
ああ、と松田は遠くを見るように目を細めた。
「坊主は外傷がない状態だっただろ?」
「はい。病死ですから」
「自分で病死って言うなよ」
松田は、クククッと喉を鳴らして、僕の背中を軽く叩いた。
「だが、中には結構酷い損傷を負ったご遺体もあったりする。事故なんかのご遺体がそうだ。そんなご遺体を生前の状態に戻して、ご遺族の元に返してやるのも仕事の内なんだ」
そうなんですね、と僕は頷く。
「さっき言った最初の仕事ってのがご遺体の酷い状態でな。パッと見、ご遺族にも誰なのか判別がつかないほどだったんだ」
それはきっと、こんな豪快な人が吐いてしまうほど酷い状態だったのだ。
「それをなんとかご遺族に分かるまでに整えてな。引き渡した時の家族の顔ったら……今でも忘れられねえよ」
その時から、それは松田の礎になったに違いない。だから、吐こうが精神的にキツかろうが辞めなかったのだ。
「いいですね。──僕もそんなものが出来るかな」
そんな自分の礎になるものが。
「出来るだろ。生きてさえいれば……っていうか、坊主は死んでたな」
松田が安請け合いをしかけて、ハッと気がつき、ノリツッコミをする。
「まぁ、でも、生きてても死んでても、人と関わってさえいれば、いつかは見つかるさ」と丸く収めた。
「いつかはって、いつですか? その前に僕、腐ってしまうかもしれませんよ」
そんな慰めが嬉しくて、照れ臭くて、僕はつい冗談めかしてみる。
「大丈夫だ。それまで俺が責任持って、腐らせないから」
松田は頼もしく宣言する。きっと父親という存在はこういうものなのだろうな、となんとなく思った。
「10年後でもいいんですか?」
だから、変なわがままを言ってみる。
「問題ないな。レーニンなんかは100年平気だぞ」
「レーニン?」
「ソビエト連邦の初代指導者」
へぇ、と感心する。松田は意外と博識だ。
「でも、そんなに長くは嫌です。大体、100年経ったら、松田さんだって亡くなってます」
「そん時は俺も、ゾンビになるさ。で、坊主にエンバーミングしてもらう」
「嫌ですよ」
僕は思いっきり顰めっ面を作る。
「なら、早く見つけろよ。お前の『そんなもん』をさ」
そう言って、僕の髪を掻き混ぜた。
「で、どこにも違和感はないんだな?」
松田が再度確認する。
「違和感は……ないですね」
僕は一通り体を動かしてみてから答えた。
そうか、と松田は満足そうに頷いた。
「じゃ、さっさと風呂に入ってきてくれ」
「え?」
「色々処置したからな。一度風呂に入って汚れを落としたほうがいい」
そういえば、と自分の体を見る。それでまだ大事なところをタオルで隠しているだけだったことを思い出す。
「それとも、さっきみたいに手伝ってやろうか?」
ニヤニヤと松田が揶揄うような顔で僕を見た。
「い、いえ、結構です」
僕は急に恥ずかしくなり、慌てて金属の台の上から降りる。
「あ、あの、お風呂は?」
体を屈めて問うと、あっちだ、と松田が顎をしゃくり、部屋の奥を指した。
「ありがとうございます」
僕は部屋の奥へと急ぐ。その背中に、「介助はいいのか?」と冷やかしの声がかかった。
「しつこいですっ」
僕は背中越しに一喝し、風呂へと駆け込む。
「絶っ対、入って来ないで下さいねっ」
風呂のドアの隙間から牽制し、力任せに閉めた。
「だーれが好き好んで男の裸なんざ見るか。こちとら、若いねえちゃんのほうが良いに決まってるわ」
松田は閉じたドアを眺め、ぼやいた。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
就職面接の感ドコロ!?
フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。
学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。
その業務ストレスのせいだろうか。
ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
校長先生の話が長い、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。
学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。
とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。
寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ?
なぜ女子だけが前列に集められるのか?
そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。
新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。
あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。
幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。
スタジオ.T
青春
幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。
そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。
ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。
男女比の狂った世界で愛を振りまく
キョウキョウ
恋愛
男女比が1:10という、男性の数が少ない世界に転生した主人公の七沢直人(ななさわなおと)。
その世界の男性は無気力な人が多くて、異性その恋愛にも消極的。逆に、女性たちは恋愛に飢え続けていた。どうにかして男性と仲良くなりたい。イチャイチャしたい。
直人は他の男性たちと違って、欲求を強く感じていた。女性とイチャイチャしたいし、楽しく過ごしたい。
生まれた瞬間から愛され続けてきた七沢直人は、その愛を周りの女性に返そうと思った。
デートしたり、手料理を振る舞ったり、一緒に趣味を楽しんだりする。その他にも、色々と。
本作品は、男女比の異なる世界の女性たちと積極的に触れ合っていく様子を描く物語です。
※カクヨムにも掲載中の作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる