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51.旅立ちの前に

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 いよいよ出発の夜、ガランとした部屋の中でクラウディアは優雅にお茶を飲んでいた。そこにリタが自分の荷物を持ってやってくる。

「クラウディア様。やはり、私も同行させて頂けませんか?」

「駄目よ。その話はもうお終いだと言ったはずだわ」

 リタはクラウディアを一年間演じた報奨をフロレンツから贈られている。亡くなった先代の散財による実家の借金も無くなったのだ。リタの父親の実直な領地運営の中なら、お嫁に行くために必要なお金も残っているだろう。国を出るクラウディアが連れて行くわけにはいかない。

「ですが……」

「好きな人がいるのでしょ? それなら、そばにいなきゃ駄目よ。あなたには幸せになってほしいの」

 フロレンツが嫁ぎ先の世話をすると言ったが、リタはそれを断っていた。頬を染めるリタを見れば、遠慮のための嘘でないことはクラウディアにも分かる。相手は検討もつかないが、クラウディアの会ったことのない人物なのだろう。

「クラウディア様……」

「今生の別れというわけではないわ。また会いましょう?」

 長い付き合いだ。お互いに引き際は心得ている。リタは泣いていたが、それ以上は言ってこなかった。

 そろそろ出発すると旅に同行する者に声をかけられて、クラウディアは席を立つ。

「お気をつけて」

「リタもね」

 リタとは離宮の玄関で別れた。明日の朝にはフロレンツの手配で伯爵家まで護衛たちが送ってくれるはずだ。リタが手を振ってくれているのは分かっていたが、クラウディアは泣かないように唇を噛んで前だけを見て歩いた。

 同行する者たちの中から本当に信頼できる者をこれから探さなければならない。リタの存在の大きさを改めて感じていた。


 闇に紛れて進んだ先には、小さな馬車が二台待っていた。クラウディアの留学は公にされていない。寂しい出発だ。

 馬車に近づいていくと、背の高い人影がその近くに見えた。それだけで誰であるか分かってしまう自分が悲しい。

「アルフレート……」

「計画を狂わせるつもりはない。途中まで同行するから、話をする時間をくれないか?」

「ええ。よろしくってよ」

 縋るように見つめられて、否とは言えなかった。クラウディアだって本当は一緒にいたい。最後だから、アルフレートが強引だから、そんなふうに心の中で言い訳をして馬車に乗り込んだ。

「元気にしてたか?」

「ええ。アルフレートはどうしていたのかしら?」

「俺か? どうせ、送った手紙は読んでいないんだよな」

「……」

 クラウディアは後ろの馬車に積まれた手紙を思い出して口ごもる。アルフレートは寂しそうだが、返事を送るどころか読みもしなかったクラウディアを責める雰囲気はない。クラウディアらしい行動だと認識しているのだろう。

「手紙が届いてても同じだな。俺はどうすれば良かったんだろう」

 アルフレートは独り言のように呟いた。言葉からは後悔が滲み出る。今回のことではなく、フロレンツが留学してからの半年間の事を思い出しているのだろう。

「アルのせいではないわ。わたくしが……」

 全てはクラウディアが襲撃されてこんな姿になってしまったせいだ。アルフレートが責任を感じることではない。

 あの日、すぐに離宮に帰っていたら何か変わっていただろうか。アルフレートに寂しいと素直に伝えるだけでも、その先にある未来いまは変わっていたはずだ。手紙の紛失にもっと早く気づき、もとの姿のまま公爵家で保護されていただろう。クラウディアの方が後悔はたくさんある。

「なぁ、クラウディア。俺は何年だって待ってるよ。結婚もしない無能な公爵だと言われても、クラウディアを失うよりずっと良い」

 アルフレートの瞳は真剣だ。分かっている。それがアルフレートの本心なのだろう。

「アルは残酷ね。わたくしが大人になるまでなんて、待てるはずがないのに……。わたくしは、ずっとアルからの別れの手紙に怯えて過ごすことになるのよ。それが分かっていて?」

「なんだよ。そんなことか」

 クラウディアが心の痛みに耐えながら言うと、アルフレートがフッと小さく笑った。驚いて顔を見ると強い視線に見つめ返される。先程まで小さな子犬を宥めている気持ちでいたのに、今は狼に追い詰められている気分だ。

「アル?」

「国のためとか公爵家がどうとか、俺が頼りないから離れていくなら、どうする事もできない。でも、クラウディアがそういう類の不安で逃げたいだけなら遠慮はいらないよな?」

「えっ!? どうして、そういう結論になるのかしら? わたくしは……」

 アルフレートが妖艶な微笑みを浮かべてクラウディアの唇を指でなぞる。クラウディアが見惚れて動けずにいると、ゆっくりと近づいてきた。

 アルフレートの瞳が逃げなくて良いのかと聞いている。クラウディアが思わず瞳を閉じると優しく唇を塞がれた。

 それでも逃げないと分かると、口づけが徐々に激しくなっていく。

「ちょっ……、アル」

 クラウディアが耐えられなくなってきたところで、アルフレートは名残惜しそうに身体を離した。クラウディアが見つめていると、愛おしそうに見つめ返される。

「愛してるよ、クラウディア。俺の気持ちが理解できたか?」

「こ、こんなことされても、未来のことなんて分からないじゃない!」

「そうか。それなら、もう一度……」

 アルフレートは笑顔で再び近づいてくる。クラウディアがオロオロしながら後ずさるとクスリと笑った。

「ちょっと、アル! 何考えてるのよ!」

「俺が考えているのは、クラウディアのことだけだよ」

 アルフレートはクラウディアの心情を察してか、触れてくるようなことはしなかった。優しく見守るのような視線がクラウディアを包む。クラウディアはアルフレートの優しい瞳が子供の頃から好きだった。いや、今でもやっぱり大好きだ。

「……」

「俺のことをもう少し信じてくれよ。俺はクラウディアを信じてる」

 クラウディアはアルフレートの瞳を見て、自分の敗北を認めた。離れた瞬間から不安に襲われるとしても、目の前にいるアルフレートを拒絶することはもうできない。

 クラウディアだって、アルフレートだけをずっと愛している。他の誰かの事なんて考えたこともない。

「手紙書くから、ちゃんと読めよ」

「わたくしを放置したら若い男の子と浮気するわよ。覚悟なさい」

「気をつけるよ」

 クラウディアはアルフレートを見つめながら抱きしめてくれるのを静かに待った。アルフレートが自分から来いと目で訴えていたが、すぐに諦めて抱きしめてくれる。

「しばらく会えないんだから、素直になれよ」

「わたくしは抱きしめて欲しいだなんて思ってないわ」

「そうか」

 アルフレートは離れるような仕草をみせたが、クラウディアがしがみつくと小さく笑って抱きしめ直してくれる。

 二人は別れの時間が訪れるまで、黙って寄り添って過ごした。
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