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第一話 はじまりと終わり

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 普段なら食卓の席、俺とヒロ兄は隣になるが今回は向かい合わせに腰を下ろしていた。

「んまいな、このオムライス。さすがは我が弟殿。よっ、料理上手!」

「ちょ、やめてよ。その言い方……何か古臭い」
「ふるっ⁉ えー、最高の称賛のつもりなのに」

 形が少しボロボロのオムライスを頬張りながら、ヒロ兄は無邪気に笑う。

 ……よかった。普通だ。
 別に心配とかはしていないけど、大人があんな風に涙を流しながら寝ていたら気にはなる。本当に気掛かり程度だけど!


「もしかしてさ、気遣ってくれた?」

 どきり、とした。
 覗かれるような視線をこちらに向けて問われる。何に対してかと聞かなくともわかる程度には、動揺を隠した。

「そんなつもりはないけど。ただ、そこに材料があっただけだし。それに、ヒロ兄が作るよりは料理の腕は幾分かマシ」
「ふーん」

 疑いの目。そんなこと聞きたかったわけじゃないという言い分が、心に響く気がしたが追撃はなかった。むしろ。



「――ちゆりと別れた」
「っ」

 むしろ、ストレートな物言いで来た。
 そうだ、ヒロ兄はバカ正直で優しいから誤解を受けやすい人物。そして、可哀想な。

「へ、へぇ。仲良かったのにね」
「まあ、そうだな。トモ、ちゆりに懐いていたから一応報告。……悪かったな」

「なっ」

 何で、どうして俺に謝るの。

 俺は、俺はずっと……ヒロ兄に。凄く嫉妬して、別れたらいいなとか、心の奥底で最低なことを考えていたのに。本当に、この人はっ。

 震える。
 自分の醜い感情に。ヒロ兄の顔がまともに見れなかった。

「オレさ。ちゆりと、まあめちゃくちゃ気が早いかもしれないけど結婚するって思ってた。でも、色々すれ違ったりとかして、上手くいかなくて。……恋愛って思いの外、ムズいな」


「そう、なんだ」

 精一杯だった。兄の言葉に同意するのが。

 だって、これ以上、この話題を広げられたくない。じゃないと、俺……。

「なんつーか。父さんたちが羨ましいっていうか、尊敬するよ。今日だって、二人で小旅行に行ってるだろ? 何十年も時を共有して、それを分け合って。オレは同じこと出来るか自信ないな」
「そう、だね……俺も」

 俺も、ないよ。
 ヒロ兄とちゆりさんのような笑顔が絶えない関係を作れるか、どうか。

 今日だって、不安そうな顔や愛想笑いを彼女にずっとさせてしまって。だけど次に逢うことは許可してくれた。

 俺はヒロ兄にはなれない。それでも、この世で一番、ヒロ兄に近い代わりにはなれる。

 ……血の繋がった兄弟だから。


「さて。バイトまでの一時間、レポートでも進めるかー」

 皿とコップを持ち、立ち上がる。
 行ってしまう。切り替えの早さは尊敬に値するが、なんというかあっさり過ぎて……何だか、嫌だ。

「ヒロ兄!」
「っ、おっと、どうした?」

 俺が大声を出したのが原因か、にゃこ吉の毛が逆立つ。

 ……ごめん、にゃこ吉。あとでおやつ通常の二倍出すから今は、ヒロ兄に宣戦布告を。もう、遠慮はしないって決めたから。

 息を飲む。暫くして意を決した。

「もし、もしもの話だけど。ちゆりさんに新しい恋人が出来たら……ヒロ兄は、その、いいの?」

 目線が段々と落ちる。
 心に誓ったはずの覚悟が、揺れる決意に苛立ちが募った。それでも、兄は自分の言葉で回答する。お手本の如く俺では出来ない返答で。

「複雑じゃないって言ったら嘘になる。けど、ちゆりが幸せなら。オレは喜んで祝福するよ」

 にかり、と微笑む。悪意も、貶めるのも程遠い喜色。
 兄弟だから、とか家族がゆえにわかる本心って奴に触れた気がした。


「……そっか、わかった。それを聞いて安心したよ」
「お、おう?」

 わかりやすい、疑問符を頭に浮かべて何かを言い掛ける。
 わざと、と本人にはとても明かせないが、それを拒むようにして俺も立ち上がった。

「止めてごめんね。片付けは俺がやっておくから。課題とバイト、頑張って」
「ああ、ありがとう。オムライス、マジで旨かったよ」

 短い感想のあと、ヒロ兄はリビングを去る。

 残ったにゃこ吉は空気を読むようにしてすりすりと俺の足元に寄って来ては、例のものを欲しいと強請ねだった。

「はいはい。カリカリ、用意するから」
「にゃーん」

 本当に、現金な猫様。甘え上手というか、利用するのが上手い。

「俺もお前くらい、欲望のままを貫けたらどんなに楽かな」
「にゃ、にゃんっ」
「あはは、失敬なとでも言いたげだな」

 頭を撫でる。心なしか不愛想な顔立ちが愛おしい。コロコロと変化する表情は見てて飽きないし、寂しさも紛らわせてくれる。
 ただ、悪戯が好きなのはかなり厄介で。


「……あ。ヒロ兄にトイレの件、伝えるの忘れた」

 本件を思い出し、落胆する。けど、今日くらいは。

「まあ、いいか。にゃこ吉。食器洗ったら猫じゃらし体操しよう」
「にゃーん!」

 毎日の日課を掲げ、蛇口を捻ると同時に先程の会話が浮かぶ。



【ちゆりが幸せなら、オレは喜んで祝福するよ】


 その言葉には、きっと嘘偽りはない。
 恐らく、ちゆりさんとの復縁は望んでない。そう捉えることは罪か。それともチャンス、だなんて思うのは烏滸がましいだろうか。

「あーあ、そもそも恋愛対象にすら見られてるかも怪しいのに」
「にゃー」

 ……同意かよ。
 とはいえ、のんびりしているわけにもいかない。ちゆりさんを見ず知らずの人に渡すくらいなら……いっそ、猛アタックしてやる。


 そう、改めて心に誓いを立てた。
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