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第七話、暗転と亀裂

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「僕の名前を呼びなよ?」
「誰が、呼ぶかよ……ゲス野郎」
 微弱な物にしかならないのを分かりながら、朝陽は力を込めて物部の体を押し返した。
 自らも壁を作り出し、少しでも己の体との間に距離を取らせようと厚さを増していく。また祭壇の下に降りて地面に膝と手をついた。
「ま……、さかど、キュウ、オ……ロ、せい……め……、ニ……ギハヤ、ヒ」
 飛びそうになっている意識の中で、朝陽は番達の名を呼んだ。
「まさか、ど、キュ……ウ、オロ、せいめ……い、ニギ……ハヤヒ」
 ここに居ない番の名を何度も何度も繰り返し呼ぶ事で己を鼓舞する。そうしていないと、正気さえ保てそうになかった。
「黙れ!」
 朝陽に触れようと伸ばした物部の手は五重の結界に阻まれる。
「なんでっ!」
 極限の状態になっても受け入れようとしない朝陽に苛立ちが募って、物部はとうとう叫んだ。
「朝陽!」
「は……っ、随分必死に……ッ呼んでくれんじゃねえか……どうしたよ?」
 朝陽はもう限界に達しようとしていた。
 込み上げてきた吐き気に耐えきれずに、口元を抑える。咳き込みながら出てきたのは、吐瀉物ではなく真っ赤な血液だった。
「本当に頭おかしくなって死ぬよ⁉︎」
「お前を受け入れるくらいなら、狂って死んじまった……方が、マシだ。アイツらも……それならきっと、分かってくれる」
 顔面蒼白にしながらも薄く笑んだ朝陽を見て、物部が忌々しそうに舌打ちする。
「僕だって番だろ!」
「何を……そんなに、ムキに……っなってんだよ」
 ——疲れた……。
 喋るだけで体力は削られていく。全身焼けつきそうなほど熱くて、節々が痛い。ブレる視界で物を見続けるのも、思っていた以上にしんどい。もう目を開けているのも辛くて朝陽は目を細めた。
「何でそこまで僕を否定するっ⁉︎」
「お前……こそ、何を、そんなに怖がっている?」
「っ‼︎」
 ——ああ、そうか。怖がってるんだ。拒否されるのが怖いのか?
 己で思いながら腑に落ちた。
 物部のそこが一番不可解な点だった。自ら近付いて朝陽に構い、傷を残す癖に、拒絶されると癇癪を起こす。それはまるで小さな子供が親に構って貰いたくて態と悪い事をしでかすようで……。
 物部からは繋ぎ止めようとする焦燥感しか伝わって来なかった。フッ、と表情を崩して朝陽は笑みをこぼす。
「何、笑ってんのさ」
「そんなんじゃ、誰も……繋ぎ止められねーよ」
「うるさい!」
 激昂した物部に、また鳩尾を蹴られそうになったが結界が作動した。
 咳と一緒に赤い液体が散る。本格的に目を開けていられなくなり、朝陽はとうとう目を閉じた。
「泣きたい時は、泣けば……いい、だろ。ガキは……そういうもん、だ」
 物部が幼き頃からの自分とダブって見える。不意に音が遠くなる。
 ——あ、これマジでヤバいな。
 朝陽がどこか他人事のように考えていると、呼吸がなだらかに、遅くなっていった。
「どうでもいいよ! さっさと死返玉を使え!」
 答える気力も無くて、朝陽はそのまま床に倒れ込んだ。
「聞いてんのかよ⁉︎」
 静かだった。
 空気が揺れない。死返玉を使わせるどころか、その機会さえ失った事に気がつきもせずに、物部はまた朝陽を呼んだ。
「おい、お前……」
 呼びかけにすら反応もしなくなった朝陽に近づいて、朝陽がもう息もしていない事に物部は初めて気がついた。
 結局は、朝陽の粘り勝ちだった。しかし……。
「朝陽‼︎」
 空間に切れ目が入り、そこから五人が飛び出してきた。
 祭壇の下で横向きに体を投げ出して、目を閉じている朝陽を目にして全員目を見開く。
「ねえ、朝陽? どうして寝てるの?」
 音もなくキュウが距離を詰め、朝陽の頬を撫でる。まだ温もりのある体はただ寝ているだけのようにも見えた。
 それでももう目を開ける事がないのは、全員が肌で感じとっていた。
「来るのが遅かったね。朝陽はもう居ないよ」
 喉を鳴らしながら笑った物部がニギハヤヒを見つめる。
「さっさとアマタケ生き返らせて昔の姿にでも戻ったら?」
「興味がない。断る。それに、アマタケとは隠し名、本当の呼び名ではない。あれは真名《まな》 で呼びかけなければならん。よって、どっちみちお前のやりたい事は失敗する」
「は⁉︎ そんなわけない!」
「ならやってみればいい。儂は止めん。好きにしろ」
 ニギハヤヒは物部を一瞥しただけで、ずっと朝陽を見続けていた。その他の四人も一緒で朝陽だけを見ている。それが不愉快だったのか、物部が舌打ちした。
「朝陽……」
 オロもキュウの隣に立つ。
 徐に朝陽を抱き上げて祭壇の上に横たわらせた。
 寝ているだけのようなのに、番だからこそ分かる不協和音が、全員の頭の中で鳴り響いている。それは物部とて同じだった。
 片割れが居なくなった事を告げる痛みが全身を駆け巡り、内側から骨と肉を刺す。
「ちっ、死んでまでうるさいよ……このくそビッチがっ」
 物部が忌々しそうにしながら自らの髪の毛を掻き回す。それを見て、全員分かってしまった。
 この男もまた番候補なのだと。そして、頭の中で止む事なく鳴り響く不協和音に心を乱されている。
 朝陽の頬や手にまだ乾き切らない血液がついているのを見て、オロが顔を顰める。
「キュウ……、これって……」
「死返玉」
 ニギハヤヒが呼びかけると、朝陽の中から一つの玉が浮かび上がってきた。


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