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リュクス・ウォーレン

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 市場で買い物を済ませ帰宅出来たのは、夜に差し掛かる七時過ぎだった。
 リビングにある三人掛けソファーに腰掛けると啓介が隣に腰を下ろした。
 婦人の言葉を思い出して逡巡する。
『八年から十年くらい前だったかしら。家の二階の屋根を修理していたうちの主人が足を滑らせて落ちてしまいまして……。脈拍も止まっていたうちの主人の大怪我を治してくれた人がいるんです。その後お礼にうちにお招きして何日か泊まって貰っていました。でも五日目くらいかしら、突然家にサングラスをかけた黒服の男たちが押しかけてきて、連れて行かれてしまって……。その場にいた皆で助けようとしたんですけど、その人が大丈夫だからって言ってその場を収めました。それからですね。その人がオークションに出されているという変な噂が囁かれるようになったんです。勿論単なるタチの悪い噂だと思ってたんですけど気になってました。その方にとても似ていらっしゃったので、驚いてしまって……』
『もしかして家はこの近くですか?』
『ええ。ええ。そう。市場の近くにあるの』
 婦人は朗らかに笑った。
 恐らくはその男がリュクスだ。
 一緒にこの街に来ながらも別行動をしていたのが仇となったのだろう。でもどうして別行動をしていた?
「はい、疲れてる時は甘いものが一番です!」
「ありがとう、キアム」
 甘めの飲み物を出され、一度上体を起こしてティーカップを手を取った。
 一つ確認したい事があって口を開く。
「キアム、お前さ……ここにハルジオンが来た時、体が弱かったとか珍しい病気に罹っていたとか、そういう事はなかったか?」
 急に話を振るとキョトンとした表情をされた。
「いえ、体は悪くなかったですよ。あ、でもその時通り魔に刺されて死にかけた事はありました。当時は此処もだいぶ治安悪かったんで」
 やっぱりか、と目を細める。
 ハルジオンとリュクスは二人で来て、ハルジオンは通り魔に遭ったキアムの命を再生させ礼として宿泊させて貰っていた確率が高い。
 リュクスはそのまま市場に行った。そこで婦人の家で世話になっていたのだろう。
 問題はキアムを再生した現場と、リュクスが婦人の主人を再生した現場をオークション側の主要メンバーにそれぞれ目撃されてしまっていた事だ。
 双子だったのを同一人物だと思われたのかも知れない。
 リュクスの使った再生が決定的な証拠となってリュクスは市場付近にある婦人の家で捕らえられた。
 それを知らずにキアムの家に招かれていたハルジオンは幸いにも拉致を免れている。
 しかし、リュクスがいない事に気がつき様子を見に市場へ行くと言って出て行った。その後ハルジオンがどうなったのかはまだ分からない。
 何年……いや十年近く目を覚さないと言う事は、リュクスは能力者に眠らされている。そうでなければ餓死しているからだ。
 不知火会に居たユダが関わっているのなら、狙われていたのはハルジオンだった可能性も捨てきれないが……。
 固く目を瞑った。
 今のこの世界に不知火会を引き寄せているのは、無念を宿したままの〝羽琉〟の転生体であるハルジオンなのではないか?
 悔いを残した。カイル……拓馬をこのままにして死にたくないから生かせと願った。どうしても拓馬を殺したくなかった。拓馬を助けたいと強く願った。
 それも世界さえ渡る程の悔いから来る願いだ。
 それを無意識下で今生であの時を〝再生〟して果たそうとしているのなら?
 ——俺がこの世界にいるのは近々来るかも知れないカイルの死を今度こそ自分で助ける為なんじゃないか? だからこその再生能力者だったとしたら? いや、待て。早とちりするな。いくら何でも考え過ぎだ。
 頭の中がこんからがってくる程に目紛しく逡巡していたからか、いつの間にか体を丸めて膝を叩きながら眉間に皺を寄せていたらしい。
「二階で羽琉を休ませてくる。気分が悪そうだ」
 啓介の声でハッと我に返る。
「分かりました。大丈夫ですか、アニキ?」
「顔色悪いっすよ、兄貴」
「ああ。悪い。大丈夫だ」
 二階に上がり、部屋のマットの上に転がる。今は何も考えたくなくて、頭の上までブランケットに包まった。
 二人の足音が離れていき、やがて扉の閉まる音が響く。一人残っているのが分かり、気配で啓介なのだと悟った。
「啓……介。もし、コレから先何かあっても……俺を信じて好きでいてくれるか?」
「当たり前だ」
 力なくコクリと頷く。
 隣に啓介の気配を感じていると、さっきまでの暗雲たる気持ちが落ち着いてきていて、意識は夢の中へと落ちていった。




 誰かが会話をしているような声がして目を開くと、啓介が誰かと会話していた。
 外はまだ真っ暗で、下弦の月では光が弱くて窓際までも届かない。
 開け放たれた窓縁に腰掛けた人物に向けて、啓介が口を開いた。
「何で俺にも見つからないようにしていた?」
 啓介が表情を緩め、手を伸ばすなり額をくっ付ける。
 見え難いが柔らかく表情を崩しているのだろうなというのは伝わってくる。良く目にする啓介の表情だからだ。
 この男がそんなに甘ったるく接して、また感情を露わにするのは己以外に居ない。
 相手が分かった。
 ハルジオンだ。
 実態ではない。存在感が余りにも儚く、今にも消えてしまいそうだからだ。
『仕方ないだろ。うちの国ではアルファもオメガも認識阻害魔法か同じ効果を齎す装飾品をつけられるんだよ。それに俺たちは第二皇子として生まれたけど、オメガ堕ちだろうと簡単に嫁にも出して貰えない。それに双子なのもあって外部へは隠されて生きてきたからな。双子は凶児とされ一人として扱われるんだ。俺には俺の事情がある。文句言うなら庶民とかに転生させとけや。貴族どころか王族て何だよ。レザイル国とも遠いし、行こうとしたら此処の街で拉致られたし。容易に動けないのはお前が一番よく知ってんだろ、啓介。言葉遣いやら作法やらマジ面倒だったわ』
 ——そういえば夜中来るって言ってたな。つか、やっぱ拉致られてたのか。
 啓介が腹立たしげにハルジオンを抱きすくめたのが分かって、目を背けるようにそっと瞼を閉じた。
「いつ会える?」
『オークション開催日だ。だけど長居は出来ない。リュクスの眠りを覚させなければいけないからな。その後、お前のとこの国との戦争も止めなければならない。落ち着いたらロアーピス国まで俺を攫いに来てくれるか?』
「いざこざを止めるなら俺も行く」
『お前が来たら、逆に奇襲をかけられたと勘違いされるだろが』
「顔を変えればいい」
 ハルジオンに視線を向ける。
 嬉しそうに目を細めながらも目の前の啓介を欲の孕んだ目で見つめていた。
 ——何だこれ。俺そんな顔も出来るのか。小っ恥ずかしいにも程があるんだが……。
 啓介の事が愛しくて愛しくて堪らないといった顔をしていて、見ていられない。
『お前が一番欲しいモノは俺がちゃんと持ってる』
 言われた言葉を思い出して、胸を撫で下ろす。
 ——ああ、こういう事か。なら良かった。啓介にちゃんと想いをあげられるんだな……。
 その気持ちに連動するかのようにハルジオンの目から雫が溢れ落ちた。
『あれ……気付かれてた。実際体感させてやろうと思ってたのに。おい〝羽琉〟これで分かっただろ? 泣くな。ちゃんと啓介に応えられるから安心しろ。今世のお前はもう欠陥品じゃねえよ』
「うるせえよ……んな事思ってねえし泣いてねえ」
 さすがは自分自身だ。的確に心を読まれた。気恥ずかしくて顔ごと視線を逸らす。
『ふはっ、そうかよ』
「は、る?」
 振り返った啓介を見ると、視線が絡んだ。
『拓馬には逃げられちまったかな? それにしてもやっぱりセオも絡んでたか。アイツも今世では兄弟みたいなものなんだが、まさかオークション側の奴らとも連んでたとは……。なら、リュクスを眠らせたのもセオだな。あのチンピラみたいな奴らはオークション主催者というよりセオの手下だ。ちっ、ウゼエエエ……』
 忌々しげに眉根を寄せながらハルジオンが息を吐き出した。
「セオってまさか……」
『ああ。セオは前田だ。本当にしつこいんだよアイツ。実際、俺はリュクスが連れ去られてからほぼ同時期に五年もの間アイツに眠らされてた。何もされてなきゃ良いんだけど、アイツに限ってそれはねえだろ。日本で睡眠姦に目覚めたっつってたしな。まあ、俺の自業自得なんだけどよぉ……ウゼエエエエエ。それを助けて目覚めさせてくれたのが、拓馬を連れて俺を探しにきたルドさんだった。拓馬マジで俺の居場所分かるんだよ。当時は前世の記憶なんてなかったくせに。しかもロアーピス国じゃなくてレザイル国にある山小屋の中だぜ? リュクスも探せたら良かったんだけど、厳重に認識阻害魔法がかけられていて見つからなかった』
「山小屋……?」
『お前がレヴイに呼ばれて目を覚ました場所だ。俺の気配があったから羽琉の魂もそこに呼ばれたんだろ。まあ、細かい事情なんかはお前が俺の体に統合されれば分かる。話を戻すぞ。魔法制御装置を仕掛けられるのは会場の出入り口じゃねえ。お前らが座る場所だ。だからこれを持ってきた。キアムと拓馬にも渡しておいてくれ』
 柔らかい球体を手渡される。黒色に所々アメジストのラインが入り、動かす度に模様が変わる珍しい球体だった。


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