天狗の囁き

井上 滋瑛

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第十一話 勝因

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 輝元と隆景は城の山中御殿で協議の最中だった。
 だが俊実と才寿丸が協議の間に通されるや否や、輝元は協議を中断して才寿丸に駆け寄った。
「才寿丸、話は聞いておるぞ。
 大層な活躍であったな。
 そしてよくぞ無事で戻ってきた」
 諸手で才寿丸の右手を握り、大いに悦びを表す。
 まだ幼さを残した若者であるが、輝元は才寿丸から見れば八つ歳上。
 長兄元資よりも歳は近いが立派な成人に映る。
 そんな輝元の袖を、少し険しい表情をした隆景が引く。
「若殿。
 従弟の初陣、活躍を悦ばれる気持ちはわかりますが、左様な振る舞いは毛利家の当主として軽薄に映ってしまいますぞ。
 例え親族とは言え、諸手を相手に預けるなど軽率に過ぎますぞ」
 そう窘められた輝元は少し表情に影を落とし、隆景を振り返る。
「ですが、確かに此度の才寿丸の働き振りは見事なものでした。
 才寿丸があの一揆衆から布部山間道の情報を聞き出せなかったら、今頃我々はまだ布部山に釘付けとなり、この月山富田城も落とされていたやもしれません」
 それを聞いた輝元は表情を明るくし、屈託の無い笑みを浮かべて大きく頷いた。
 そしてまるで抱きつかんばかりに両肩を強く掴んだ。
「才寿丸よ、君は元服前だというのに勇気がある。
 その上、知恵を用いる。
 今駿河守が追撃している尼子の残党もそうだが、我ら毛利家の周囲には大友や浦上など、毛利家に仇なすものもいる。
 毛利や毛利と共にある家、その領民の為、是非駿河守や少輔次郎らと共に支えてくれ」
 才寿丸は輝元の力強い手を伝って、何か熱いものが流れ込んでくるのを感じた。
 長兄元資より年下の輝元は総大将として前線には出ないかもしれない。
 姿無き声の言う通りお飾りなのかもしれない。
 しかしそれでも、若年でありながらも毛利家や毛利に従う国人領の安寧を案じている。
 そして今、こうして自分に向き合って誉め、励ましてくれている。
 布部山頂から駆け降りた時とは違う、熱い感情が込み上げてくる。
『よいのか。
 その程度の気に当てられているばかりで。
 まぁ、その従兄も毛利本家の当主であるわけだから、話を聞いて、たててやるのはよい。
 だがお主がここに来た本当の目的は、その若造ではなく叔父御ではないのか』
 いちいち癇に触る物言いをするが、声の言う事も確かだ。
 この後追撃に出ている父が戻れば自身は父らと共に新庄に、隆景は隆景の所領に帰る事になるだろう。
 今ここで隆景と話が出来るのはまたとない好機だ。
 才寿丸は努めて輝元をたてようと頭を下げる。
「もったいないお言葉でございます。
 今後も才寿丸は殿をお支えする所存でございます」
 果たして作法、口上として、これで正しいのか。
 父が不在で心からよかったと思った。
 単に武勇だけでなく、礼儀作法にまで厳しく、尊敬と共に畏れる存在だ。
「つきましては中務大輔様にお伺いいたしたい事がございます。
 此度の布部での戦において、最大の勝因とは何とお考えでありましょうか。
 私はこの初陣の日の為に、毎日剣を振り、弓を引き、武技の鍛練を重ねて参りました。
 しかしながらあの布部山ではそれを十分に発揮できたとは思えません。
 にも関わらずお二人からは大層にお誉めいただきました。
 戦において個人の武技は大きな意味をなさないのでしょうか」
 才寿丸の問いを聞き、輝元は暫し不思議そうな顔をした後、やがて柔和な笑みを取り戻して元々座していた位置に戻って座った。
「うむ、剣や弓の鍛練は私も欠かしてはおらぬ。
 才寿丸、其方は毛利の将来を担うであろう若者だ。
 此度の戦の勝因や、兵を率いる立場の者が磨く武技の意味、中務大輔のお言葉をしかと聞き、受け止めるのだぞ」
 輝元は純粋に少年の疑問と捉え、また向上心と受け止めたのだろう。
 満足気に頷いて言う。
 一方の問われた隆景は、少し目を細めて才寿丸を見つめる。
 強い眼差しのまま、隆景の口許が小刻みに動く。
 気分を害するような言であっただろうか。
 やはり筋を通す意味でも、畏ろしくとも父に聞くべきであっただろうか。
 そんな才寿丸の心中を察したのか、隆景は突然優しく笑い、尋ねた。
「父が怖いか」
 輝元は隆景の唐突且つ、一見脈絡のない問いに不思議そうな顔をしたが、才寿丸は大いに驚いて視線を落とす。
 まさか自身の問いだけで、父に対する心根を当てられるとは思ってもみなかった
 この場の後の事、叔父や従兄から父に話が言った場合を考えれば、やはり父に聞くべき事であったか。
「駿河守には言わぬ故、案じずともよいぞ。
 かく言う私も父は畏ろしい」
 隆景の言葉に才寿丸は反射的に頭を上げた。
「もちろんそれは尊敬していればこそ畏ろしく、だからこそ聞きにくい、相談しにくい事もある」
 笑顔で諭すような口振りの隆景を見つめ、才寿丸は無言のままゆっくりと頷いた。
「では、まずは此度の戦の勝因から話そうか。
 そもそも此度に限らず、戦の勝敗を決める要因の大部分は情報だ。
『彼を知り、己を知れば百戦危うからず』という言葉を知っているかな」
 才寿丸は再度俯いて微かに首を振る。
「いえ、存じ上げておりません」
「敵の事をよく知り、味方の事をよく知って戦えば百戦戦っても負ける事はない、という意味だ。
 勿論ただ情報を集めたとて、その情報を活かさなければなんの意味もない。
 今回はあの間道の存在がまさにそれだ。
 尼子勢が間道の存在を知らなかったのか、あるいは我々が知らなかった事を知って防備を疎かにしたのかはわからない。
 が、結果的には尼子勢は陣取った布部山の事を、己を知らず故に敗れた、という事になる。
 どんな戦術、戦法も正確な情報が起点となる」
 才寿丸は食い入るように隆景を見つめ、頷ずく。
「では戦の勝敗を決めるのはいかに情報を得て、それをいかに活かすか、でございますか」
 それを聞くと隆景は顎を一擦りして首を振る。
「才寿丸。
 戦に限らずだが、物事とはそう単純なものでもない。
 あくまで“大部分を占める要素の一つ”というだけで、そこだけ押さえておけば常に勝てる、という訳ではないのだよ。
 例えばそう、君が問うた個の武勇が全ての戦術を打ち崩す事も、時としてある」
 才寿丸は黙って隆景を見つめる。
「若殿同様、私とて毎日武技の鍛練は欠かした事はない。
 君の父上には程遠い力量だがね」
 そう言って隆景は自身の袖を捲って腕を見せる。
 才寿丸は目を丸くした。
 知謀の士として聞いていた隆景だったので、てっきりきれいな細腕をしているものと思っていた。
 しかしその腕は太く筋張り、無数に矢傷、刀傷が刻まれている。
 歴戦の武士の腕だ。
 その腕を見れば幾度となく剣を振り、弓を引き、死地をくぐり抜けてきたかがわかる。
 隆景は言葉を続ける。
「隊を率いる将が常に先頭に立って敵陣に突撃するのは危険で愚かなことだ。
 もしそれで将が矢や銃弾に倒れたら、その隊は指揮官を失い全滅を免れない。
 だが普段は後方に陣取る将が勝機を見出だして、危険を省みずに矢面に立って敵陣に斬り込んだらどうであろう。
 兵は将の勇気に奮い立ち、その勇敢な将を守ろうと懸命にその背中を追いかけるだろう。
 例えば今日の君や、君の兄君の様にね。
 そしてその勢いで攻め込まれる敵は、恐ろしいと感じずにはいられないだろうね。
 どんな大軍も突き詰めれば一人一人の人間の集まりだ。
 敵に恐慌した大軍は、もはや軍でなく烏合の衆でしかない。
 それに、いざ苦境にたった時、我が身を守るのは己の武技しかない。
 その為にも我々武士は、常に武技の鍛練を怠ってはならない。
 もっとも君の父君から『“武技の鍛練に関しては”非常に熱心だ』と聞いているから、それについては心配してはいないがね」
 そう言うと隆景は捲った袖を戻して言葉を終えた。
「ありがとうございます。
 中務大輔様のお言葉を胸に、今後は武技のみならず、兵法、軍略等の修学にも努めてまいります。
 また何かあれば是非ご指導賜りますよう、よろしくお願い申し上げます」
 才寿丸は深々と頭を下げて礼を言う。
『ふむ、実に模範的な解であったな。
 おそらくはお主の成長の行き先、駿河守への遠慮など様々な思惑の末の答えであろうが』
 それまで黙っていた声が響く。
 才寿丸は隆景から見られないように頭を下げたまま、『黙っていろ』との思いを込め、口を左右に強く引いて床を睨みつけた。

 布部山の戦い後、山中鹿介が自ら殿を指揮した尼子勢は辛くも追撃を振り切り末次城に入城した。
 勝敗の決め手となった間道の所在をもたらした才寿丸。
 元春不在の間、鹿介の猛攻を受け止めた元資。
 共に輝元だけでなく、元就からも功を賞賛され、時代を嘱望される事となった。
 その後鹿介ら尼子勢は元春を主力とする毛利勢と出雲各地で抗戦を繰り返す。
 しかしこの布部山の敗北から勢いは衰え、遂には翌年八月出雲での拠点を全て失った。
 鹿介は遂には元春に捕えられ、擁立されていた尼子勝久は隠岐に逃れる事となる。
 またこの戦より才寿丸は、今まで疎かにしていた“勉学”にも励むようになった。
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