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エバーナの思い(花咲ける庭での出会いの後)

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 あの時、神様の使いといわれるシエル様が現れたのかと思いました。
 シエル様は、人々へ神様の言葉を伝える方だと教典には記されています。
 美しい金の髪を風になびかせ、白い翼で空を舞う様に飛び、神様の言葉を人々へ伝えるのだと、そう神官様に教えて頂きました。

「あの方は本当にシエル様では無かったのかしら」

 殿下が王家の馬車でお帰りになるのを玄関ポーチの前でお見送りし、遠ざかっていく馬車を眺めながら、つい呟いてしまいました。
 私の様なものに優しく声を掛けて下さった、エルネクト殿下はこの国の第二王子という尊い立場でいらっしゃるにも関わらず、どなたにも分け隔てなく声を掛けて下さる優しい方なのだと侍女達が話しているのを聞いた事があります。
 エルネクト殿下は、その言葉通りいいえそれ以上に優しい方でした。

「エバーナ」
「は、はいお義母様」
「今日の勉強は終わっているのですか、学習もせずに庭に出ていたのではありませんね」
「はい。先生に頂いた課題と今日の復習明日の準備もすべて終わっています」

 いつもの勉強が終わって、ほんの少しお休みをしたくて庭に出て薔薇を眺めていたのです。ほんの少しだけ薔薇を眺めたら、部屋に戻って刺繍の練習をするつもりでした。
 それがまさか、殿下にお会いする事になるなんて思ってもみませんでした。

「ならよろしい。庭の薔薇は今が見頃、美しい庭だとただ眺めるのでは無く勉強と理解して観察なさい。体が弱いと言ってもあなたはいずれ他家へと嫁ぐ身です。嫁ぎ先で屋敷内の管理が出来ない無能だと言われない様にしっかりと学ぶのです」

「はい。お義母様」

 庭師のジェームスさんは、いつもお義母様の指示の元、庭の手入れをしています。
 ジェームスさんが「自分は植物についてそれなりに勉強してきたつもりだが、奥様には到底叶いません」と感心する程、お義母様は植物の知識が豊富で指示も的確なのだそうです。

「フォルード、エンハンブル先生がお待ちです。早く部屋に戻りなさい」
「はい。お母様」

 フォルードお兄様は私を一度見た後、勢いよく歩いて行ってしまいました。

「あなたも戻りなさい」
「はい。失礼致します」

 背筋が伸びる様、十分に注意してお義母様へ淑女の礼を行ないました。
 本来家族であれば正式な礼等不要ですが、日々練習する事で美しい礼を保てるのだと教わってから、いつもこうして正式な淑女の礼をお義母様へ行なっています。

「もう行っていいわ」
「はい。失礼致します」

 礼を叱責されなかった事にホッとして、部屋に戻ろうとした時でした。

「エバーナ、殿下にご挨拶した際のあなたの礼は美しかったわ。常に美しい礼が出来る様、努力なさい」
「ありがとうございます。お義母様。慢心する事がない様努力致します」

 再び淑女の礼を行ないました。
 お義母様に生まれて初めて褒めて頂いた事に戸惑いながら、お義母様が立ち去るまで礼をとり続けました。

「エバーナ様」
「は、はい」

 お義母様の姿が見えなくなり、私も離れにある自分の部屋に戻ろうと歩き出したその時です。お義母様の侍女ティタさんに声を掛けられました。

「奥様はお優しい方ですから叱責なさいませんでしたが、殿下に菓子を取って頂く等あってはならない事です。殿下にお声を掛けて頂ける様なお立場ではありません。醜いその髪を殿下の前で晒すなど」
「申し訳ありません。でも、この髪は醜くありません」
「純粋な金でもなければ、赤でもない。中途半端なその髪を醜くないと。どうして言えるのです。その生意気な口はお仕置きされないと理解出来ないのですか」

 ティタさんは腰のベルトに付けられた鍵束を掴み、鞭の代りにそれで私の腕を打とうとしました。

「ひっ」
「体罰は奥様から禁止されていますから、行ないません。奥様の優しさに感謝なさい」
「は、はい。ありがとうございます」
「部屋に戻りなさい」
「はい」

 打たれなくても、体は痛みへの恐怖で固くなり私は両腕で自分を抱きしめる様にしながら部屋へと戻りました。

「この髪は醜くなんかないわ。だって殿下はそう仰ってくださったもの」

 ティタさんへその話をする気にはなれませんでした。
 殿下は、この髪は醜くなんてない。自分と私の髪は同じだと教えて下さいました。
 今までは乳母のヘルや侍女のウルクが「醜いなんて事はありません」と慰めてくれていましたが、それは二人の優しさなのだと思い信じてはいませんでした。
 私の髪の色は亡くなったお母様と同じ色です。唯一持っているお母様の絵、その絵に描かれているお母様の髪を見て、お母様と私を繋ぐ大切なものだと思っていました。
 だから、ティタさんに醜いと言われる度に悲しかったのです。

「殿下はきっと神様のお使いのシエル様の生まれ変わりなんだわ。だから平気だったのよ」

 ガゼボでお茶を頂いていた時、私がお菓子を食べていないと気がついた殿下は「緊張しているのかな。遠慮せずに食べて」と自ら私のお皿にお菓子を取り分けて下さいました。
 緊張しているのではなく、私はヘルかウルクが作った物以外は食べても後から気分が悪くなって吐いてしまうのです。
 朝食と夕食はお義母様やお兄様と一緒に食堂で頂き、その度に気分が悪くなり部屋に戻った途端吐いてしまいます。
 まともな食事が出来るのは、離れにある台所でヘルとウルクが作ってくれる昼食と軽食だけだと言うのに、殿下が取り分けて下さったお菓子を食べても気分が悪くなることはありませんでした。

「殿下は優しい方。あの方と本当に婚約出来たら。ううん、そんな夢みたいな事私が望んではいけないわ」

 今日の出来事は、神様が下さった優しい夢なのだからこれ以上の幸せを望んではいけないのです。

「私の髪は醜くないとそう仰って下さった殿下の言葉を信じます。神様、今日の幸せを私に与えて下さった事に感謝致します」

 部屋へと向かう途中の廊下で立ち止まり、大きな窓から見える空に向かって両手を組み目を閉じました。

「神様。私に優しくしてくださったエルネクト殿下に幸せな夢が訪れますように」

 幸せな夢が訪れます様に。それは幼い頃からヘルが、私が眠る前に神様へ祈ってくれる言葉でした。
 勉強が出来ずに先生に叱責された時やティタさんをはじめとするお義母様の侍女達から大声で怒鳴られた時、私はきまって悪夢に魘されるのですが、ヘルがそう祈ってくれると悪夢を見る回数が減るのです。
 何も持たない私は殿下にお礼がしたくても、何も差し上げる事が出来ません。
 ですから、せめて殿下に幸せな夢が訪れる様神様にお祈りをしたのです。

 きっともう二度とお会い出来る日は来ないでしょう。
 優しい、殿下。
 今日殿下と過ごした時間を支えに、私は日々を過ごして行きます。
 
 「どうか殿下に優しい幸せな夢が訪れます様に」

 もう一度神様へお祈りして、私は部屋へと戻りました。
 
 その後、本当に私が殿下と婚約する事になるとは、この時の私は知るよしもありませんでした。
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