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番外編

それはまるで夢か幻8(ディーン視点)

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 私はずっと浮かれていた。
 浮かれて浮かれ過ぎて、すっかり忘れていたんだ。
 私は母に疎まれ蔑まれた出来損ないでしか無かったのだと。

「お前なんて産まなければ良かった。魔法師団に入るですって? そんな真似をしてピーターが可哀相だとは思わないの! おまけに成績優秀者で表彰ですって? お前の様な出来損ないが、一体どんな卑怯な手を使ったのよっ」 

 頬が熱くなって、母が持っている扇で叩かれたのだと気が付いた。
 卒業式が終わり、卒業祝いの会が終わり、皆が別れを惜しみ思い思いの場所で語らっていた。
 誰もが卒業を喜び、友との別れを惜しんでいた。
 社交を兼ね卒業式にやって来た生徒の保護者達は、そんな子供達の様子を見守っている。
 卒業し、大人になる。それを祝う日。
 祝いの場である卒業祝いの会の会場となった学校の大広間の隅で、私は母の持つ扇で打たれ惨めに頬を腫らしていた。

「可哀相、兄上がでしょうか」

 なぜ兄が可哀相なのか、私には理解出来ない。
 成績優秀者として卒業式で表彰されるのは、誉だ。
 卒業生の中で、たった三名しか表彰されないというのにその中に自分の息子が入ったのだから、普通の親であればお前は自慢の子供だと褒めてくれるのが普通だ。
 それなのに、父は忙しいと領地から出ても来なかったし、母は私の事など眼中にも無く社交の為にこの場に来て、私の誉れを卑怯な手を使ったのかと罵り始めた。
 こんなのが母かと思うと情けなくなる、だけどそれ以上に私の心を占めるのは母に認められなかったという絶望だった。
 こんな人に褒められたいと思わない、認められたいと思わない。
 この人からの愛情をずっと求めていたけれど、そんなものもういらない。
 そう思うのに、打たれた頬は痛くて熱くて、人目のある場所で罵られる行為はただただ辛かった。

「そうよ。あの子は可哀相に実力を理解されずあんな場所で働いているというのに。その兄を気遣う事もせず、当てつけの様に魔法師団ですって? 私の許しも得ずになぜそんなところに入ろうとしているのっ。お前はどうしてこんなに思いやりの欠片も無いのかしら。こんなのが私の子供なんて思いたくもない。恥知らず、出来損ないっ。お前なんて産まなければ良かった」

 キギイッギィッと鳴くゴブリンの様な顔で、母上は周囲には聞こえない程度の声で私を罵り続ける。
 こんな時に母を魔物に例える等、私の性格は相当悪いと思うがそんな風にでもしなければ私は私の心を守る自信がなかった。
 話が通じない、私の気持ちなどどうでも良いとばかりに私を罵り続ける母の姿、それは幼い頃は日常だったけれど学校に通っている間の平和な時間で、私はすっかりこの辛さを忘れていたのだ。
 幸い殆どの人達は会場を出ていたから、この場にいるのは私達を遠巻きに見ながら片づけをしている学校の下働きの者達ばかりだった。
 お陰で大きな恥をかかずにすんだ。
 卒業式で、成績優秀者としてニール様の次の成績だった私は、ニール様の隣に立ち表彰されたというのにいらぬ恥をかき汚点を残すところだった。
 いくら私を嫌っていても、家の恥を態々周囲に見せようとする母上の気持ちが理解出来ない。
 私の評判を落とすだけでなく、家の評判も落とすというのに世間体を気にする母上らしくない行いだ。
 悲しいけれど、それだけ私は母上を怒らせたのだろう。

「聞いているの、ディーン」
「はい、聞いております。ですが、家を継ぐ兄上と違い私はいずれ平民になる身です。少しでもいいところに勤めるのは籍を抜かれると分かっていても家の為になると考えました。つまり兄上の為です」

 母に罵られるのは、今でも恐ろしい。
 罵られ暴力を振るわれるのは、辛く悲しい。
 それでも反抗出来たのは、ここが家でないからだった。

「口答えをするなんて、許さないわっ」

 母はまた扇を振り上げた。
 そんなつもりは無かった、そう言ったとしても母が許してくれる筈はない。怒らせてしまった私が悪い。私は衝撃に備えぎゅっと奥歯を噛みしめて目を閉じた。
 だが、それはいつまでたっても来ることは無かった。

「母う……え?」

 何故母は手を止めたのだろう。
 疑問に思いながら瞼を開くと、母上の手を誰かが掴んでいた。

「何をするの、私がネルツ侯爵家の……」
「ネルツ侯爵家の夫人ごときが私に口答えをするのか、ならばウィンストン公爵家から厳重に抗議しようか」
「ウィンストン公爵、あ、あなたは」

 その声はニール様だった。
 ニール様の声に、私の体は力を失い崩れ落ちる。
 恐ろしくて母の顔を見るなどもう出来なくて、私は視線を床に向ける。

「息子が成績優秀者として表彰されて、その優秀な成績を鑑みて試験無しに魔法師団に迎え入れられたというのにも関わらず、それを家の誉と褒めるどころか怒鳴り散らすとはな」
「これは家の問題です。尊き公爵家の方に気にして頂く事ではありませんわ。こんな出来損ない、外に出すのも恥ずかしい。立派な魔法師団にもご迷惑が掛かりますから、息子には立場を弁えて辞退させます」

 辞退という母の非情な言葉に私は絶望を感じながら、でも母が言うのならそうしなければいけないのだと、諦めかけたその時だった。

「辞退? ふざけたことを言うものだ」
「ふざけてなどおりませんわ、これは事実なのです。この子は不真面目で努力をしない愚かな子です。兄と違い能力の無い子です。ディーンっ、自分で分かるでしょっ! 出来損ないの役立たずが高望みしたのだと、お前が入ったら迷惑になるのよ。私のピーターが恥をかくのよっ!」

 迷惑になる。
 出来損ないの役立たずが、立場を弁えずに高望みした。
 母の言葉は呪いの様に、私の心に沁み込んでいく。
 私は自分が愚かな出来損ないなのも忘れて、高望みしてしまった。
 そんな事母は望まないというのに、兄よりも人々に賞賛される等母は決して望んでいないというのに。

「辞退すると言いなさいっ! 言わないのなら屋敷に帰り次第躾をするわ。離れていてすっかり忘れてしまったようだもの。だから兄への気遣いすら出来ないのね」

 躾と聞いて体が震える。
 私は忘れていたのだ、自分が何者か。
 出来損ないの役立たず、それこそが私だった。
 誰もが憧れるニール様の側にいて、魔法師団へ入ることを許されて、そんなの私には望むことすら許されないことだったのに。

「言いなさいディーン、自分の様な出来損ないでは勤められないから辞退すると、言うのよっ」
「ディーン、おまえを認めたのは誰だ。魔法師団へ入ることを、お前の力を誰が認めたかもう忘れたのか」

 俯きながら辞退すると口を開きかけ、ニール様の声にぼんやりと顔を上げた。
 
「ニール様……」
「答えろディーン。おまえの実力を認めた者は私一人では無かった筈だ。忘れたのか」

 ニール様は、母の腕を掴んだまま私を見下ろしていた。
 その瞳は私を睨みつける様に見ていて、でもその瞳は私を怒っているのでは無いと何故か信じられた。
 ニール様は、私を信じてくれている。
 私を最初に認めて下さったのは、ニール様だ。
 私は、ニール様に見つけて貰い認めて貰った、そして他の人にも。
 そうだ、私は役立たずの落ちこぼれの出来損ないなんかじゃない、私には力があるのだと認めてくれた人が沢山いるんだ。

「ウィンストン公爵閣下です。そして魔法師団長、副団長も、魔法師団の方々全員が私と一緒に働きたいと、私の魔法陣の使い方が面白いと認めて下さいました」

 そうだ、あの日私は自分の力を認められた。
 ニール様とウィンストン公爵閣下があの部屋で私を待っていて下さったのは、魔法師団に入る為の保証人になって下さる為だった。
 王宮の士官の中でも、重要機密を扱う魔法師団に入るには保護者かそれと同等の人が保証人になる必要がある。
 私の家の事情を察していたニール様は、その保証人を公爵閣下にお願いして下さっていたのだ。

「そんな嘘、お前を認める人なんているわけがないわ」
「嘘では、嘘ではありません」

 母に口答えするのは恐ろしい、それだけで体が震えるけれど勇気を出して口を開いた。
 私は気が付きもしなかったけれど、私の能力を魔法師団の方々は、王家の森の付き添いをしながら確認して下さっていたのだとあの日、公爵閣下に保証人の手続きをしに来て下さった魔法師団長に聞いた。

 最初は現実を知らない頭でっかちな上位貴族の子供の我儘だろうと、そう思われていたらしい。
 けれど、出てくる魔物に怯える事なくあっさりと狩り、それを汚れを厭わず解体し後始末をする。
 魔法知識について話題を振れば、しっかりと勉強をしていたと分かる答えが返ってくる。
 それに何より、魔法陣の使い方が面白い。
 何度失敗しても諦めず、何が悪かったか考え改良してより良いものを作っていく。
 それが良いと言われた。

 貴族の坊っちゃんが冒険者しているのも驚いたが、その年で何日も野営して一人で特殊個体まで狩るなんて、しかもそれが冒険者ギルドの依頼だからじゃなく、魔法陣の修行の為だなんて、そんな逸材魔法師団に欲しいに決まってるだろ。

 魔法師団長はそう言って、試験は不要だ今すぐ学校を辞めて魔法師団に入れとまで言って下さったんだ。
 そうだ、これは役立たずの高望みじゃない。
 私が努力し続けた結果だ。
 それは、私の実力をしっかりと見て貰えるように、ニール様が王家の森に入る許可と一緒に魔法師団に働きかけて下さっていたお陰だった。
 だから、運が良かったというよりもニール様のお陰だけれど。
 それでも、私は自分の力を認められたからこそ、魔法師団に入ることを許されたのだ。

「母上に何を言われても、私は辞退しません」
「何を言うの。私の命令が聞けないというのっ!」
「母上が何を言おうと、私は私の人生を自分の行き先を自分で決めます。兄上を気遣い遠慮してそれを諦めるのは愚かな行いです。私は恥ずべきことなどしていない、これは努力し続けたその結果です。兄上が今自分の場所に不満だと言うなら自分で動くべきです。私は兄上をっ」

 思いがけない衝撃に、息が止まる。
 今、何が起きた?

「信じられないな、ネルツ候爵家では夫人にどんな教育をしているのか。無抵抗の人間を蹴る女性がこの世にいるとは思わなかった」

 ニール様の言葉で現実を理解した。
 私は母に蹴られたのだ。

「これは躾です。私の言うことが聞けないのなら領地に二度と帰ってこなくていいわ。私の息子はピーターただ一人よっ」

 あろうことか、母上はニール様の手を振り払い足音も高く去っていった。

「あれは厄災だな。ディーン立てるか」
「はい。ニール様にはお恥ずかしいところを見せてしまいました。申し訳ございません」

 恥ずかしさと情けなさを誤魔化すように笑う。
 人と言うものは、どうしょうもない時でも笑えるものらしい。

「助けて頂きありがとうございます」
「助けたという程では無いが。ほら顔をこちらに」

 ニール様が差し出した手に、私は腫れてしまった頬を向けるとじんわりと温かい物が私の頬を撫でた。

「相変わらずよく効く」
「ありがとうございます」

 ニール様は、守り石の魔法陣を発動し私の頬を治して下さった。
 その優しさに涙がにじむ。

「おまえは誰に恥じることもしていない」
「ニール様」
「馬鹿正直に努力し続けて得た誉れだ、胸を張れ」
「はい」

 涙を堪えて、返事を返す。
 そうだ私は自分の力で道を開いた。

「ニール様、ありがとうございます。この学校でニール様と共に過ごせた時間は私の一番の宝物です」
「おまえ、さり気なく照れることを言うのだな。ほらこれを受け取れ」

 ニール様は小さな何かを私に手渡した。
 軽くて手のひらに収まる程の大きさの箱を開けると、中には小さな額に入った絵が入っていた。

 薄桃色の可愛らしいドレスを着て笑っている少女、その顔はニール様に良く似ている。

「これは」
「卒業の祝いとこれからへの餞だ。ディーンこれはおまえが守るべき者だ。私とこれから先も守ってくれると信じている。私からの信頼に応えてくれるな」
「……はい、絶対に。ニール様が許して下さる限り」

 小さな絵を抱きしめる。
 愛らしい笑顔、この笑顔のままいられるように。
 守る、絶対に守り続けると心に誓う。

「ありがとうございます」
「礼を言われるものではない」
「あ、いたいたディーン! 卒業おめでとう! 卒業祝いに狩りに行くぞっ!」
「ディーン! 祝だっ、景気付けに竜でも狩るか。竜の肉は旨いんだぞー!」

 賑やかに大広間に入ってきたのは、魔法師団の方々だった。
 ぞろぞろと何人もやってくる様子に、こちらを見ていた使用人達がぎょっとして動きを止めた。

「ふっ。早速来たな。それでは私はここで失礼する」
「ニール様」
「連絡する。おまえも忘れるな」
「はい」

 別れがたいけれど、引き留めることは出来ない。
 普通なら家族で卒業を祝うものだ。
 ニール様には屋敷で待つ人達がいる。

「ありがとうございました」

 去っていくニール様に頭を下げて、頂いた絵を無くさないように懐にしまう。

「ディーン、行くぞ! あ、その前に寮か?」
「そうだな、ディーンの引っ越しが先だ。なあに片づけ等皆でやればすぐに終わる」

 家に戻るつもりが無かった私は、寮に荷物を置いたままににしていた。
 今日はどこか宿を取って泊まるつもりだったけれど、この分ならそれはしなくて済みそうだった。

「皆さん来てくださってありがとうございます」
「後輩が来るのが楽しみすぎて、学校まで来ちゃったよ」
「そうそう、優秀な後輩とする魔法談義も狩りも楽しみだ!」
「蜘蛛達にもディーンの祝だって言ってあるからな、あいつら張り切ってたぞ」

 しんみりする気持ちが無いとは言えない。
 だから、彼らの申し出はありがたかった。

 母からの言葉に傷付いていないと言ったら、嘘だ。
 それでも私は前を向いて進む。
 未来を自分で選んで、進み続けるんだ。


 ※※※※※※おまけ※※※※※※

「なんだディーンに振られたか」
「違います、誘う前に魔法師団の者達がやって来ただけです」

 不愉快な気持ちに苛々しながら馬車に乗り込むと、面白そうに私を見つめる父と目が合った。
 卒業祝いの晩餐にディーンを招待するつもりだったが、これからディーンの同僚となる者達がやって来たから譲ってやっただけだ。

「魔法師団が態々来たか、まあディーンを気に入っているからな仕方ないだろう」
「ディーンと会えるのを楽しみにしていましたのに、残念ですわ」

 仕方ないと納得する父と、がっかりしてため息を付く母を見ながら腰を下ろすと馬車はゆっくりと発車した。
 ディーンの家が彼の卒業祝いをするとはとても思えなかったから、今日家に招くつもりだった。
 今までディーンの危険を避ける為、意図的にダニエラとの接触をさせてこなかったが、学校を卒業した当日位は良いだろうと考えていたのに残念な結果になった。

「それで、ニールはディーンに振られて拗ねているのかしら? いつまでも子供でいては駄目よ」
「まさか違いますよ。不愉快なものを見て気分を害しただけです」

 いつまでも幼い子供扱いをする母に答えると、視線だけで尋ねられた。

「ディーンの母親です。兄よりも遥かに良いところに入るディーンを叱っていました。成績優秀者の表彰も何か卑怯な事をしたのだろうと罵って、おまけにディーンに暴力を振るっていた。あんな人目がある場所で」

 思い出すだけで怒りが込み上げて来る。
 ディーンの努力を間近で見て来た者として、あれは到底許せるものでは無かった。

「成程、ネルツ侯爵家の膿はやはり夫人なのだな」
「その様です。影からの報告以上の愚かさです」

 ディーンと知り合った後、少し調べただけでネルツ侯爵夫人の愚かさを簡単に知る事が出来た。
 同じく彼の兄も愚かで考えなしだった。
 なにせ侯爵家の嫡男だというのに、平民の孤児を恋人にしただけでなく、碌な人脈も作ろうとせず閑職という様な仕事に満足している愚かな男だ。

「愚かな女が侯爵家の女主人か、それは考えなければならないな」
「ですが、優秀な家ではダニエラの嫁ぎ先にはとても出来ません。不正をしていない、能力が低い、だが家柄だけは良い家なんて都合の良いところは他にないでしょう」

 ディーンと知り合い、その真面目で善良な心根を知り興味を持った。
 控え目な性格の割に、剣術の授業で見せる攻撃の鋭さは目を見張るものがあり、成績は常に私のすぐ下にいる。
 話してみると、博識ななだけでなく私に媚びを売る様子がないところが気に入った。
 私が王弟の息子であると分かっていて、畏まる姿勢は仕方がない。誰もがそうなのだから、でもディーンはそれだけだった。
 畏まりながらも、自分が興味を持っていることには饒舌で面白い発想をする。
 最初はただの興味を引いただけの男を、私はいつの間にか本気で友と思うようになっていた。
 ただ気になったのは、彼の自己評価の低さだった。
 私は幼い頃から特殊な教育を受けている、学校の授業など不要な程の知識は既にある。
 だから、ディーンが実質最上位の優秀者と言えなくもないというのに、彼は実力の無い者がまぐれでそうなっているかの様に居心地悪そうにしている。
 余程彼の兄が優秀なのかと調べてみると、彼の兄は凡庸な男で、これが侯爵家の跡取りかと呆れる程だった。
 悪いのは彼の母親で、兄弟に差をつけディーンを虐げていたのだと分かった。
 優秀な彼を蔑み、愚かな兄だけを可愛がる母親と無関心な父親に呆れたが、それと同時にこちらに都合の良い家だとも思った。
 だから計画を立てた、ディーンを将来ダニエラの夫とするための計画だ。
 ディーンの為人を知れば知る程、ダニエラを任せられる者だと思ったからこその計画だった。
 だが、ダニエラを彼に任せるには越えなければならない障害が多すぎた。

「噂はいつから根回ししますか」
「第一王子はダニエラとの婚約を諦めていない、今すぐにでも確定しようとしている。準備は整ったからもう進めていいかもしれない」
「分かりました。私はいつでも対応出来ます」

 従兄として慕っているだけのダニエラと違い、王子はダニエラに愛情どころか執着していて、理由無しに他の者を婚約者として彼に与えるだけでは納得しそうに無かった。
 だから考えた、血が近い者同士の結婚は問題があるのではないか。少し血を薄める必要があるのではないかという噂を流し、王子とダニエラの婚約を阻止しようと。

「第一王子とダニエラの婚約の邪魔をしている、その筆頭は王妃です。画策してダニエラを嫁がせるより彼女を排除する方が早いのではないかしら?」
「それは出来ないと分かっているだろう、今は王妃を排除する時ではない」
「でも、婚約を回避しても彼女はダニエラの命を狙い続けるのではありませんか、私はそれが怖いのです」
「確かに彼女は執拗にダニエラの命を狙っている。王子との婚約を回避してもそれは続くかもしれない。だからこそダニエラには愚かな夫が必要なんだ。王子の婚約者候補の筆頭だった者が、それを阻止されて惨めに愚かな者に嫁ぐことで、私の面目を潰す。そうする事でやっとダニエラの命は守られる」

 王家の血を継ぐ者の中でも、ウィンストン公爵家の長である父の血は異質だった。
 父も母も私もダニエラも、何故か注目を集め人の心を捕らえて離さない。
 尊敬とかそんな簡単な感情では無く、執着され心酔され酷い時は神格化されされてしまう。
 私の取り巻きがまさにそれだが、父は更にその傾向が強く、その筆頭は父の兄である国王陛下だった。
 彼は自分の弟である父に執着し、父を愛するあまり王位を父に譲ろうとすらした。
 それが国の長となり、王冠を抱く父の姿が見たいと言う理由だったから、呆れるしかない。
 賢王と名高い人なのに、父の事になると馬鹿になる人なのだ。
 その父に執着する国王陛下は、父によく似た私とダニエラを自分の息子以上に可愛がり愛している。
 息子ではなく私に王位をと計画していると聞いた時は、父と二人で必死に止めた。
 国をしっかりと守り治める姿が素晴らしい、その血を引いた王子が治める国を見たい。
 それが私の兄で甥なのが嬉しい、二人は私の誇りだ。
 そう父が言えば、国王陛下は忠犬が主人にしっぽを振る様に喜び浮かれた。
 それでいいのかと呆れたが、父の件以外には優秀な人だから黙るしかない。

「王妃として、国の女性の一番の座にいるだけで満足せず陛下の愛情を独占したい。息子が自分以外に執着するのも許せないだんて。歪んでいるわ」

 母は吐き捨てる様に言うけれど、母にもその傾向があるから何とも言えない。
 王家の血は執着の血だ。
 この人こそがと思うと、それに執着し決して離さない。
 それが相思相愛なら問題ないが、時に一方通行の思いになる。それは不幸の始まりだった。
 国王陛下の最愛は弟である父で、第一王子の最愛はダニエラだった。
 父の最愛は母で、兄である国王陛下には兄弟としての情しか父には無い。
 不幸な事にダニエラの第一王子への感情は、従兄へのそれでしか無かった。
 
 自分に気持ちが向いていない怒りを、王妃はダニエラに向けた。
 父を害したら、国王陛下の気持ちは絶対に自分に向くことはない。それを知っているからなのか、溺愛する息子がダニエラに執着している事が不快なのか理由は分からないけれど。
 ことあるごとにダニエラは命を狙われた。
 どんなにこちらが気を付けていても、相手が王妃であれば守りは弱くなる。
 王妃自ら入れたお茶に、毒見をさせて欲しいと言える者は誰もいない。
 それなりに頭がいい王妃は、遅延性の毒を使いダニエラの命を害そうとする。
 その場で反応すれば、王妃の関与を追及出来るがそうでなければ相手が相手だけに難しくなる。
 結果、何度も何度もダニエラは命を狙われて、ダニエラに付きそう母の体も害され続けた。

「父とダニエラに屈辱を与えられた様に見せる事が重要だとはいえ、あの愚かな女の愚かな息子に一時でもダニエラを預けるのは納得出来ません。最初からディーンであればいいのに」

 私は自分でも不思議な程ディーンを信用していた。
 最初からこの計画をしていたのではなく、ディーンの為人を知ったからこそダニエラの夫にディーンを望んだ。
 ダニエラの幸せを考えるなら、最初からディーンを夫にしたい。
 だけどそうするには、ディーンは優秀過ぎた。

「愚かな夫、それが必要だと分かるだろう。第一王子の妃になれず愚かな者に嫁ぐ、そうすることでダニエラに平安が訪れる」
「分かっています。でもダニエラは純粋な子です。たった数年でも不幸な日を送らせるのは」
「だが、優秀過ぎるディーンが夫では、例え侯爵家を継がない者だとしても王妃は許さないだろう。爵位などこちらにあるものをいくらでも渡せるのだから」

 侯爵家の跡継ぎでは無いディーンは、私が考える以上に優秀過ぎてダニエラの夫には出来なかった。
 
「彼の兄は愚かです。血が繋がっているのが信じられない程。ダニエラが不幸な結婚をするには丁度いい相手だと思います。不本意ですが」

 これから数年のうちにダニエラが第一王子の婚約者には向かないという噂を流し、婚約を阻止する。
 ダニエラには何の問題も無い、噂だ。
 そして二人の婚約を阻止し、他に婚約者に向くものがいない為の苦渋の決断として、ウィンストン公爵家の娘が嫁ぐには向かない相手と婚約する。
 だいぶ年上の能力が低いと言われる男、それと結婚し、後に夫の不貞を理由に離縁させる。
 夫有責の離婚だから、それを理由に男を家から放逐し優秀な弟であるディーンを跡継ぎに変更してダニエラと結婚させる。
 あまり趣味が良い話ではないが、この国では兄の妻を、何らかの理由で夫が居なくなった後で弟の妻に出来るという制度があった。
 一夫一婦しか許されず、庶子は認められないこの国では離縁も再婚も蔑みの対象だ。
 だが、あえてそうする事でダニエラの価値は下がり、そうする事で価値が下がったダニエラの命は守られる。
 公爵家の矜持とか体面より、ダニエラの命を守る事を最優先にする。
 それが私達の総意だった。

「ディーンはダニエラを愛してくれるのかしら」
「分かりません。なにせ一度もダニエラに会ってはいないのですから。でも、ディーンはダニエラを守ろうとしてくれています。その気持ちがいずれ愛になれば良いとそう願っています」

 私は、ことあるごとにディーンにダニエラの話をして聞かせた。
 私を心酔するディーンは、なぜか私と同じ様にダニエラを大切にしたい守りたいと言い始めた。
 その結果がダニエラを守る、守り石だ。
 
「王妃にダニエラの夫になるかもしれない存在を知らせるわけにはいかないから、これから先もダニエラに会わせるわけにはいかないだろう」
「そうね。ダニエラの夫になる前に彼に良い相手が出来ないと良いけれど」
「その時は仕方ありませんが、そうならない様に今は祈るしかありません」

 ディーンは母親からの仕打ちのせいなのか、女性に近寄らない様にする傾向があるから多分問題は無いと思う。
 でも万が一という事もあるのは仕方ない、ディーンは何せダニエラと会ったことすら無いのだ。

「ディーンが、ダニエラを愛する様になってくれればいいが。彼は気持ちのいい青年だ。ダニエラと一緒に幸せになってくれたらいいと思う」

 ディーンにたった一度会っただけで、彼を気に入ってしまった父が祈る様に呟く。
 他人に非情になる癖に、一度懐に入れたら最後までそれを大切にするのも、ウィンストン公爵家の者達の傾向だった。

「それは私も望んでいることですが、それよりまずは王子との婚約を回避が重要です」
「そうだな。そして機会があれば王妃を排除する」
「ええ、いつか彼女には死んだ方がマシだと思う様な報復をしたいですわ。私の可愛いダニエラを長年苦しませてきたのですから、そのお礼をしないと」

 今は状況が許さないから出来ないけれど、王妃を苦しませたいと思うのは皆同じだった。

「報復は勿論したいですがダニエラを守る。それが何より大切です」

 学校を卒業し、私も大人の仲間入りをする。
 ダニエラの側で、あの子を守り続ける。
 決意を新たに、私はその為の計画を練り始めたのだった。


※※※※※※
今回長くなってしまって申し訳ありません。
ディーンが不憫すぎますね。
本編で、なんでピーターと結婚させたのか、そう疑問に思われた方もいらっしゃったと思いますが、実はダニエラを守る為の結婚でした。
設定を考えていたものの、本編に入れられなかったエピソードです。
まあ、無くても何とかなるかと入れるのを諦めたとも言います。
ディーンを知って、彼を心底気に入ったニールが彼の自己評価の低さが気になり家を調べていく内に計画を思いつきました。
ディーンが良い子だと知って行けばいくほどダニエラの夫に丁度いいのでは、そう考える様になったのが計画の始まりです。
計画が先にあり、ディーンに近付いたのではなく、ディーンと親しくなり彼を信頼しているからこその計画でした。
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