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何も望まない、あなたの愛以外は(ディーン視点)
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望むなど、期待する等虚しいだけだと嫌という程分かっていたのに、私は愚かにももしかしたらと思い、願い、そして否定された。
『ピーターではなくお前が死ねば良かったのに』
兄の遺体を、義理の姉であるダニエラと共に領地へと運んだ。
領地には成人して以後殆ど戻っていなかった。
私は幼い頃から母に疎まれ生きてきた。
侯爵家の次男として生まれ、幼い頃は母が兄だけを大切にしているのは自分が兄に劣っているせいだと勘違いしていた。
だから勉強も剣術も魔法も必死に勉強した。
食事の時母が私に声を掛けて下さらないのは、食事の作法が完璧ではないせいだと落ち込み。
いくら家庭教師に覚えがいいと褒められても、私に興味すら持ってもらえないのは兄がもっと優秀だったからなのかと誤解した。
手のひらに出来たまめを何度も潰しながら剣を振るい、体力をつけるため早朝から屋敷の庭で走り込みを行った。
学校に通う様になり、教師達は私を褒めてくれた。
成績は常に上位を維持していた。
試験で一位を取れなかったのは、義理の姉ダニエラの兄であるニールがいたせいだ。
彼は出来ない事がないのではないかという程に優秀で、私がどうしても勝てない相手だった。
ニールは私の友人だ。
彼の貴族的な考え方は、母に愛情を求める自分の甘さを粉々に砕いてくれた。
彼の考えを知る様になって、私は母が私に愛情を向けてくれないのは勉強が出来ないからでも剣術の腕が未熟だからでもないと分かる様になった。
いいや、元々分かっていた。ただそれを理解し認めたくなかっただけだ。
私が私であるから、母は愛してくれないのだ。
母は兄だけが大切なのだと。
『ピーターではなくお前が死ねば良かったのに』
長年の片思いの相手、兄の妻ダニエラ。
皮肉なことにダニエラと初めて同じ馬車に乗っての領地に向う旅は、兄の遺体を運ぶ為のものだった。
ダニエラの侍女のメイナとメイドのタオは同乗してはいるが、狭い馬車の中ずっと思っていた人と一緒に居られるのは幸せで、兄が亡くなったというのにそんな不謹慎な気持ちでいた罰なのか、久しぶりに会った母は私に酷い言葉を投げつけたのだった。
『ピーターではなくお前が死ねば良かったのに』
ダニエラが母へ離れへの隔離を言い渡し、父とダニエラと三人での晩餐を終えた後、私は父と少しだけ話をした。
父と話をしているその間も母の言葉が頭から離れず、苦しくて仕方なかった。
その暴言を側で聞いていた筈の父は、何も言ってはくれなかった。
思えば父が口にするのは家の繁栄の事だけで、兄のことも私のことも昔から無関心だった。
私だけでなく兄にも関心が無かったから、母へ求めていた愛が父には最初から期待していなかっただけだったのかもしれないと今更ながらに気がついた。
「私は馬鹿だな」
父の部屋を出た後、自室がある別館に戻る気になれず気がつくと足はダニエラの部屋に向いていた。
一度も入ったことがないダニエラの部屋、けれど場所だけは知っている。
まだ眠るには早いとはいえ、気軽に訪れていい時間ではない。
扉の前で躊躇して、けれど一人でいるのは耐えきれず扉を叩いてしまった。
「どうか、少しだけこのままでいさせて下さい」
ダニエラは突然やってきた私の願いを叶え、人払いまでしてくれた。
だからつい甘えてしまったんだ、いいや甘えではない。
私はダニエラの優しさに縋ってしまったんだ。
拒絶される恐怖を感じながらも、苦しさに耐えきれず無言でいる私に背を向けて窓辺に向うその細い背中を、抱きしめてしまった。
「ディーン?」
「お願いだ、ほんの少しの間だけ」
拒絶されて当然の事をしていながら、嫌われたくないと心の中で叫ぶ。
母だけでなく、ダニエラにまで拒絶されたら私はどうしたらいいのだろう。
「嫌よ」
「……すまない」
「嫌なの、だから少しだけ力を緩めて」
拒絶の言葉に、あぁダニエラにも期待してはいけなかったのだと知る。
だが謝りながら離れられずにいる私に、ダニエラは嫌だと言いながら抵抗せずにそう言うから、祈る気持ちにで少しだけ腕の力を緩めると、腕の中で向きを変えダニエラの細い腕が私の背中に回された。
「ダニエラ?」
信じられない思いで、私はダニエラを見下ろした。
離れずに、抵抗せずに、それどころかダニエラの細い腕は私を抱きしめている。
「初めてあなたが私に触れてくれるのだから、この方がいいわ。顔が見えないままなのは嫌」
「許してくれるの?」
実の母にお前が死ねば良かったと言われる様な私を、ダニエラは拒絶しないでいてくれるのか。
どんな奇跡が起きたと言うのだろう。
神の存在等、信じたことは無かった。
どんなに辛く悲しい時も、神は私を助けてはくれなかった。
だが、神よ。
私の様な者にこんな奇跡を、神は与えてくれ様としているのか。
ダニエラは拒絶しないどころか、受け入れてくれた。
それがまだ信じられなくて恐る恐る尋ねると、ダニエラは幼い子供に諭す様に、私を見上げ小さく笑ってくれた。
「これ以上は駄目よ。まだ私は夫をちゃんと弔っていない未亡人で、あなたの義理の姉ですからね」
「うん」
それでもいい。
私を拒絶しないなら、受け入れてくれるなら。
「辛い? それとも苦しい?」
いい大人が泣きたいのを我慢しているなど知らないだろうに、ダニエラは私を見上げて尋ねる。
こんなに細くて小さかったんだ。
兄の妻だった彼女が、今腕の中にいて私を心配してくれている。それが嬉しすぎて、心を誤魔化せなかった。
「辛いし苦しい。自分がいい年をしていながら愚かな子供で、馬鹿で」
「ディーン」
こんな事を言ったら呆れられるかもしれない。
情けない男だと、幻滅されるかもしれない。
だけど、一人では抱え込んでいられなくて、年下の彼女に打ち明けてしまう。
「兄が亡くなったからと、母に期待した訳ではない。そんな感情はとうの昔に消え去っていた。でも、未だに母の言動に振り回されてしまう。おかしいでしょう? 母が言う様に兄ではなく私が死ねばよかったのか? そうすればあの人は満足だったと?」
母はダニエラの前ですら私を厭うのを取り繕おうとしなかったから、私が母から疎まれているのは当然知っていたし、先程の暴言も聞いていたから私が何に対して悲しんでいるのか十分に理解してくれていた。
「いいえ、違うわ。あなたが死ねば良かったなんて、そんなことある筈がないわ」
優しいダニエラは、私が欲しい言葉をくれる。
私を抱きしめて、子供をあやす様に背中を撫でてくれる。
両親にもされたことの無い、優しい抱擁。
一度も知る事は無かった、優しい温度に鼻の奥がツンと痛くなる。
「子供はいつまでたっても親の前では子供のままよ。母親から心無い言葉を言われたら、傷付いて当たり前だわ」
「ダニエラ」
「私はディーンが死ねば良かったなんて思わないわ。ピーターが亡くなったのは不幸な出来事だけれど、だからと言ってあなたが死んで、ピーターが助かれば良かったなど思わないわ。そんなこと思う筈がないわ」
「ダニエラ、でも」
「ねえ、お義母様ではなく、私があなたに生きていて欲しいと思うのは嫌かしら?」
「嫌なんて思わない。あなたに望まれるなら本望だ」
ああ、涙が溢れそうだ。
どうしてあなたはそんなに優しいのだろう。
あなたはまだ私を思ってくれていないのに、まだ兄の妻なのに、それでもこんなに私を労ってくれる。
「悲しいなら泣いていいのよ。でも私以外の女の前では駄目よ」
優しいダニエラは、心を偽りそんな事を言う。
私が心の底から望む、私への愛を持っているかの様に、まるで私を好いてくれているみたいに。
独占欲を持った恋人の様に、可愛い事を言ってくれるなんて。
「私を妻にするなら誓って」
「誓います。他の誰の前でも涙は見せない。あなただけだ」
誓ってと言う可愛い顔が自分に向けられているのが信じられなくて、夢なら覚めない様にと急いで誓うと、彼女の存在を確かめる様にそっと自分の頬を彼女の額に触れさせた。
温かい、彼女の温度に涙が零れそうになる。
「私を妻にするなら誓って」
「誓います。他の誰の前でも涙は見せない。生涯あなただけだ」
今離れてしまったら、この奇跡は消えてなくなってしまうかもしれない。
私は驚き恐れながら急いで誓うと、そっと自分の頬をダニエラの額に摺り寄せる。
少しでもダニエラの体温を肌を感じたい、これが幻ではないのだと感じたい。
「愛してます。あなたにはその感情は無いと知っていますが、どうか私があなたを愛する事を許してください。私の手を拒まないで」
本心から愛されなくてもいい。
心を向けられないのは母で慣れているから、本心からの愛なんてそんな奇跡は望まない。
でもせめて私の思いを拒絶しないで欲しい。
その思いを告げると、ダニエラは素晴らしい笑顔で私の願いを拒否した。
「許さないわ」
「え」
「そんな自信のない告白など、私に言わないで。あなたは私を愛し守ると誓って求婚してくれたのに、その愛はそんなに自信のないものなの。ねえ、あなたのあの誓いはそんなに軽く自信がないものなの?」
「違うっ、私は本気で」
「なら言いなさい。私をずっと愛し続けると、私を生涯夢中にさせ続けてみせると。だから私も同じ愛を返せと」
それは、それではまるで。
信じられない、これは本当に現実なのか。
私は失望のあまり、自分に都合のいい夢を見ているわけではないのか。
ダニエラが私の気持ちを受け入れてくれるだけでなく、私の思いを拒絶しないどころか彼女に、ダニエラに私を愛して欲しいと願ってもいいなんて。
ダニエラに私を思って欲しい等、本当に望んでいいのだろうか。
私ごときをダニエラが本当に思ってくれる? 私がダニエラを思う様に、同じ様に私に愛を返せと、そんな大それた望みを、私なんかが望んでもいいのだろうか。
「夢中になってくれますか」
恐る恐るそう聞いてしまうのは、まだ夢ではないかと疑っているからだ。
だってあまりにも私に都合が良すぎる、私を愛してくれる? ずっとずっと思っていた人が、手に入ることは無いと諦めていた人からの愛を与えられる。
そんなのは夢だ、幻だ。
私が幸せになれる筈がない。
だけど願わずにはいられなくて、浅ましい期待を口にしてしまう。
「あなたが私をそうするのよ。私が欲しいならあなたは私を愛し私から愛される努力をし続けるの」
ダニエラは私の浅ましさ等分かりきった顔で、そんな嬉しい言葉をくれたのだ。
「努力します。一生、そしたら愛してくれますか」
あなたに愛されるためなら、どんな努力だって惜しまない。
命を捧げろと言うなら、今すぐこの命を捧げる。
火の中に飛び込めと言われても、ドラゴンを退治しろと言われても、あなたがそれで愛してくれるならなんだってする。
「ディーン、覚えておいて。あなたを喜ばせるのも泣かせるのも幸せにするのも、この私よ」
「ダニエラ、あなたは私を幸せで狂わせたいのですか」
ぎゅうぎゅうとダニエラの華奢な体を抱きしめると、ダニエラはクスクスと笑い始めた。
「狂わせたいなんて思わないわ。ディーンと一緒に生きていきたいと言っているのよ」
「一緒に?」
「そうよ、そうしてあなたはずっと私を愛するのよ。あなたが愛してくれた分だけ私はあなたを愛する様になるわ」
「私が愛した分だけ、私を愛してくれる? 本当に?」
夢ではないのだろうか。
「あなたがそうするのよディーン。私を愛し私から愛される。そうするのはあなたなのよ」
そう言って笑うダニエラを、私は思いのまま抱きしめ続けたのだ。
『ピーターではなくお前が死ねば良かったのに』
兄の遺体を、義理の姉であるダニエラと共に領地へと運んだ。
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だから勉強も剣術も魔法も必死に勉強した。
食事の時母が私に声を掛けて下さらないのは、食事の作法が完璧ではないせいだと落ち込み。
いくら家庭教師に覚えがいいと褒められても、私に興味すら持ってもらえないのは兄がもっと優秀だったからなのかと誤解した。
手のひらに出来たまめを何度も潰しながら剣を振るい、体力をつけるため早朝から屋敷の庭で走り込みを行った。
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成績は常に上位を維持していた。
試験で一位を取れなかったのは、義理の姉ダニエラの兄であるニールがいたせいだ。
彼は出来ない事がないのではないかという程に優秀で、私がどうしても勝てない相手だった。
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彼の貴族的な考え方は、母に愛情を求める自分の甘さを粉々に砕いてくれた。
彼の考えを知る様になって、私は母が私に愛情を向けてくれないのは勉強が出来ないからでも剣術の腕が未熟だからでもないと分かる様になった。
いいや、元々分かっていた。ただそれを理解し認めたくなかっただけだ。
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『ピーターではなくお前が死ねば良かったのに』
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ダニエラの侍女のメイナとメイドのタオは同乗してはいるが、狭い馬車の中ずっと思っていた人と一緒に居られるのは幸せで、兄が亡くなったというのにそんな不謹慎な気持ちでいた罰なのか、久しぶりに会った母は私に酷い言葉を投げつけたのだった。
『ピーターではなくお前が死ねば良かったのに』
ダニエラが母へ離れへの隔離を言い渡し、父とダニエラと三人での晩餐を終えた後、私は父と少しだけ話をした。
父と話をしているその間も母の言葉が頭から離れず、苦しくて仕方なかった。
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思えば父が口にするのは家の繁栄の事だけで、兄のことも私のことも昔から無関心だった。
私だけでなく兄にも関心が無かったから、母へ求めていた愛が父には最初から期待していなかっただけだったのかもしれないと今更ながらに気がついた。
「私は馬鹿だな」
父の部屋を出た後、自室がある別館に戻る気になれず気がつくと足はダニエラの部屋に向いていた。
一度も入ったことがないダニエラの部屋、けれど場所だけは知っている。
まだ眠るには早いとはいえ、気軽に訪れていい時間ではない。
扉の前で躊躇して、けれど一人でいるのは耐えきれず扉を叩いてしまった。
「どうか、少しだけこのままでいさせて下さい」
ダニエラは突然やってきた私の願いを叶え、人払いまでしてくれた。
だからつい甘えてしまったんだ、いいや甘えではない。
私はダニエラの優しさに縋ってしまったんだ。
拒絶される恐怖を感じながらも、苦しさに耐えきれず無言でいる私に背を向けて窓辺に向うその細い背中を、抱きしめてしまった。
「ディーン?」
「お願いだ、ほんの少しの間だけ」
拒絶されて当然の事をしていながら、嫌われたくないと心の中で叫ぶ。
母だけでなく、ダニエラにまで拒絶されたら私はどうしたらいいのだろう。
「嫌よ」
「……すまない」
「嫌なの、だから少しだけ力を緩めて」
拒絶の言葉に、あぁダニエラにも期待してはいけなかったのだと知る。
だが謝りながら離れられずにいる私に、ダニエラは嫌だと言いながら抵抗せずにそう言うから、祈る気持ちにで少しだけ腕の力を緩めると、腕の中で向きを変えダニエラの細い腕が私の背中に回された。
「ダニエラ?」
信じられない思いで、私はダニエラを見下ろした。
離れずに、抵抗せずに、それどころかダニエラの細い腕は私を抱きしめている。
「初めてあなたが私に触れてくれるのだから、この方がいいわ。顔が見えないままなのは嫌」
「許してくれるの?」
実の母にお前が死ねば良かったと言われる様な私を、ダニエラは拒絶しないでいてくれるのか。
どんな奇跡が起きたと言うのだろう。
神の存在等、信じたことは無かった。
どんなに辛く悲しい時も、神は私を助けてはくれなかった。
だが、神よ。
私の様な者にこんな奇跡を、神は与えてくれ様としているのか。
ダニエラは拒絶しないどころか、受け入れてくれた。
それがまだ信じられなくて恐る恐る尋ねると、ダニエラは幼い子供に諭す様に、私を見上げ小さく笑ってくれた。
「これ以上は駄目よ。まだ私は夫をちゃんと弔っていない未亡人で、あなたの義理の姉ですからね」
「うん」
それでもいい。
私を拒絶しないなら、受け入れてくれるなら。
「辛い? それとも苦しい?」
いい大人が泣きたいのを我慢しているなど知らないだろうに、ダニエラは私を見上げて尋ねる。
こんなに細くて小さかったんだ。
兄の妻だった彼女が、今腕の中にいて私を心配してくれている。それが嬉しすぎて、心を誤魔化せなかった。
「辛いし苦しい。自分がいい年をしていながら愚かな子供で、馬鹿で」
「ディーン」
こんな事を言ったら呆れられるかもしれない。
情けない男だと、幻滅されるかもしれない。
だけど、一人では抱え込んでいられなくて、年下の彼女に打ち明けてしまう。
「兄が亡くなったからと、母に期待した訳ではない。そんな感情はとうの昔に消え去っていた。でも、未だに母の言動に振り回されてしまう。おかしいでしょう? 母が言う様に兄ではなく私が死ねばよかったのか? そうすればあの人は満足だったと?」
母はダニエラの前ですら私を厭うのを取り繕おうとしなかったから、私が母から疎まれているのは当然知っていたし、先程の暴言も聞いていたから私が何に対して悲しんでいるのか十分に理解してくれていた。
「いいえ、違うわ。あなたが死ねば良かったなんて、そんなことある筈がないわ」
優しいダニエラは、私が欲しい言葉をくれる。
私を抱きしめて、子供をあやす様に背中を撫でてくれる。
両親にもされたことの無い、優しい抱擁。
一度も知る事は無かった、優しい温度に鼻の奥がツンと痛くなる。
「子供はいつまでたっても親の前では子供のままよ。母親から心無い言葉を言われたら、傷付いて当たり前だわ」
「ダニエラ」
「私はディーンが死ねば良かったなんて思わないわ。ピーターが亡くなったのは不幸な出来事だけれど、だからと言ってあなたが死んで、ピーターが助かれば良かったなど思わないわ。そんなこと思う筈がないわ」
「ダニエラ、でも」
「ねえ、お義母様ではなく、私があなたに生きていて欲しいと思うのは嫌かしら?」
「嫌なんて思わない。あなたに望まれるなら本望だ」
ああ、涙が溢れそうだ。
どうしてあなたはそんなに優しいのだろう。
あなたはまだ私を思ってくれていないのに、まだ兄の妻なのに、それでもこんなに私を労ってくれる。
「悲しいなら泣いていいのよ。でも私以外の女の前では駄目よ」
優しいダニエラは、心を偽りそんな事を言う。
私が心の底から望む、私への愛を持っているかの様に、まるで私を好いてくれているみたいに。
独占欲を持った恋人の様に、可愛い事を言ってくれるなんて。
「私を妻にするなら誓って」
「誓います。他の誰の前でも涙は見せない。あなただけだ」
誓ってと言う可愛い顔が自分に向けられているのが信じられなくて、夢なら覚めない様にと急いで誓うと、彼女の存在を確かめる様にそっと自分の頬を彼女の額に触れさせた。
温かい、彼女の温度に涙が零れそうになる。
「私を妻にするなら誓って」
「誓います。他の誰の前でも涙は見せない。生涯あなただけだ」
今離れてしまったら、この奇跡は消えてなくなってしまうかもしれない。
私は驚き恐れながら急いで誓うと、そっと自分の頬をダニエラの額に摺り寄せる。
少しでもダニエラの体温を肌を感じたい、これが幻ではないのだと感じたい。
「愛してます。あなたにはその感情は無いと知っていますが、どうか私があなたを愛する事を許してください。私の手を拒まないで」
本心から愛されなくてもいい。
心を向けられないのは母で慣れているから、本心からの愛なんてそんな奇跡は望まない。
でもせめて私の思いを拒絶しないで欲しい。
その思いを告げると、ダニエラは素晴らしい笑顔で私の願いを拒否した。
「許さないわ」
「え」
「そんな自信のない告白など、私に言わないで。あなたは私を愛し守ると誓って求婚してくれたのに、その愛はそんなに自信のないものなの。ねえ、あなたのあの誓いはそんなに軽く自信がないものなの?」
「違うっ、私は本気で」
「なら言いなさい。私をずっと愛し続けると、私を生涯夢中にさせ続けてみせると。だから私も同じ愛を返せと」
それは、それではまるで。
信じられない、これは本当に現実なのか。
私は失望のあまり、自分に都合のいい夢を見ているわけではないのか。
ダニエラが私の気持ちを受け入れてくれるだけでなく、私の思いを拒絶しないどころか彼女に、ダニエラに私を愛して欲しいと願ってもいいなんて。
ダニエラに私を思って欲しい等、本当に望んでいいのだろうか。
私ごときをダニエラが本当に思ってくれる? 私がダニエラを思う様に、同じ様に私に愛を返せと、そんな大それた望みを、私なんかが望んでもいいのだろうか。
「夢中になってくれますか」
恐る恐るそう聞いてしまうのは、まだ夢ではないかと疑っているからだ。
だってあまりにも私に都合が良すぎる、私を愛してくれる? ずっとずっと思っていた人が、手に入ることは無いと諦めていた人からの愛を与えられる。
そんなのは夢だ、幻だ。
私が幸せになれる筈がない。
だけど願わずにはいられなくて、浅ましい期待を口にしてしまう。
「あなたが私をそうするのよ。私が欲しいならあなたは私を愛し私から愛される努力をし続けるの」
ダニエラは私の浅ましさ等分かりきった顔で、そんな嬉しい言葉をくれたのだ。
「努力します。一生、そしたら愛してくれますか」
あなたに愛されるためなら、どんな努力だって惜しまない。
命を捧げろと言うなら、今すぐこの命を捧げる。
火の中に飛び込めと言われても、ドラゴンを退治しろと言われても、あなたがそれで愛してくれるならなんだってする。
「ディーン、覚えておいて。あなたを喜ばせるのも泣かせるのも幸せにするのも、この私よ」
「ダニエラ、あなたは私を幸せで狂わせたいのですか」
ぎゅうぎゅうとダニエラの華奢な体を抱きしめると、ダニエラはクスクスと笑い始めた。
「狂わせたいなんて思わないわ。ディーンと一緒に生きていきたいと言っているのよ」
「一緒に?」
「そうよ、そうしてあなたはずっと私を愛するのよ。あなたが愛してくれた分だけ私はあなたを愛する様になるわ」
「私が愛した分だけ、私を愛してくれる? 本当に?」
夢ではないのだろうか。
「あなたがそうするのよディーン。私を愛し私から愛される。そうするのはあなたなのよ」
そう言って笑うダニエラを、私は思いのまま抱きしめ続けたのだ。
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