【本編完結済】夫が亡くなって、私は義母になりました

木嶋うめ香

文字の大きさ
上 下
38 / 259

何も望まない、あなたの愛以外は(ディーン視点)

しおりを挟む
 望むなど、期待する等虚しいだけだと嫌という程分かっていたのに、私は愚かにももしかしたらと思い、願い、そして否定された。

『ピーターではなくお前が死ねば良かったのに』

 兄の遺体を、義理の姉であるダニエラと共に領地へと運んだ。

 領地には成人して以後殆ど戻っていなかった。
 私は幼い頃から母に疎まれ生きてきた。
 侯爵家の次男として生まれ、幼い頃は母が兄だけを大切にしているのは自分が兄に劣っているせいだと勘違いしていた。
 だから勉強も剣術も魔法も必死に勉強した。
 食事の時母が私に声を掛けて下さらないのは、食事の作法が完璧ではないせいだと落ち込み。
 いくら家庭教師に覚えがいいと褒められても、私に興味すら持ってもらえないのは兄がもっと優秀だったからなのかと誤解した。

 手のひらに出来たまめを何度も潰しながら剣を振るい、体力をつけるため早朝から屋敷の庭で走り込みを行った。
 学校に通う様になり、教師達は私を褒めてくれた。
 成績は常に上位を維持していた。
 試験で一位を取れなかったのは、義理の姉ダニエラの兄であるニールがいたせいだ。
 彼は出来ない事がないのではないかという程に優秀で、私がどうしても勝てない相手だった。
 
 ニールは私の友人だ。
 彼の貴族的な考え方は、母に愛情を求める自分の甘さを粉々に砕いてくれた。
 彼の考えを知る様になって、私は母が私に愛情を向けてくれないのは勉強が出来ないからでも剣術の腕が未熟だからでもないと分かる様になった。
 いいや、元々分かっていた。ただそれを理解し認めたくなかっただけだ。
 
 私が私であるから、母は愛してくれないのだ。
 母は兄だけが大切なのだと。

『ピーターではなくお前が死ねば良かったのに』

 長年の片思いの相手、兄の妻ダニエラ。
 皮肉なことにダニエラと初めて同じ馬車に乗っての領地に向う旅は、兄の遺体を運ぶ為のものだった。

 ダニエラの侍女のメイナとメイドのタオは同乗してはいるが、狭い馬車の中ずっと思っていた人と一緒に居られるのは幸せで、兄が亡くなったというのにそんな不謹慎な気持ちでいた罰なのか、久しぶりに会った母は私に酷い言葉を投げつけたのだった。

『ピーターではなくお前が死ねば良かったのに』

 ダニエラが母へ離れへの隔離を言い渡し、父とダニエラと三人での晩餐を終えた後、私は父と少しだけ話をした。
 父と話をしているその間も母の言葉が頭から離れず、苦しくて仕方なかった。
 その暴言を側で聞いていた筈の父は、何も言ってはくれなかった。
 思えば父が口にするのは家の繁栄の事だけで、兄のことも私のことも昔から無関心だった。
 私だけでなく兄にも関心が無かったから、母へ求めていた愛が父には最初から期待していなかっただけだったのかもしれないと今更ながらに気がついた。

「私は馬鹿だな」

 父の部屋を出た後、自室がある別館に戻る気になれず気がつくと足はダニエラの部屋に向いていた。
 一度も入ったことがないダニエラの部屋、けれど場所だけは知っている。
 まだ眠るには早いとはいえ、気軽に訪れていい時間ではない。
 扉の前で躊躇して、けれど一人でいるのは耐えきれず扉を叩いてしまった。

「どうか、少しだけこのままでいさせて下さい」

 ダニエラは突然やってきた私の願いを叶え、人払いまでしてくれた。
 だからつい甘えてしまったんだ、いいや甘えではない。
 私はダニエラの優しさに縋ってしまったんだ。

 拒絶される恐怖を感じながらも、苦しさに耐えきれず無言でいる私に背を向けて窓辺に向うその細い背中を、抱きしめてしまった。

「ディーン?」
「お願いだ、ほんの少しの間だけ」

 拒絶されて当然の事をしていながら、嫌われたくないと心の中で叫ぶ。
 母だけでなく、ダニエラにまで拒絶されたら私はどうしたらいいのだろう。

「嫌よ」
「……すまない」
「嫌なの、だから少しだけ力を緩めて」

 拒絶の言葉に、あぁダニエラにも期待してはいけなかったのだと知る。
 だが謝りながら離れられずにいる私に、ダニエラは嫌だと言いながら抵抗せずにそう言うから、祈る気持ちにで少しだけ腕の力を緩めると、腕の中で向きを変えダニエラの細い腕が私の背中に回された。

「ダニエラ?」

 信じられない思いで、私はダニエラを見下ろした。
 離れずに、抵抗せずに、それどころかダニエラの細い腕は私を抱きしめている。

「初めてあなたが私に触れてくれるのだから、この方がいいわ。顔が見えないままなのは嫌」
「許してくれるの?」

 実の母にお前が死ねば良かったと言われる様な私を、ダニエラは拒絶しないでいてくれるのか。
 
 どんな奇跡が起きたと言うのだろう。
 神の存在等、信じたことは無かった。
 どんなに辛く悲しい時も、神は私を助けてはくれなかった。

 だが、神よ。
 私の様な者にこんな奇跡を、神は与えてくれ様としているのか。

 ダニエラは拒絶しないどころか、受け入れてくれた。
 それがまだ信じられなくて恐る恐る尋ねると、ダニエラは幼い子供に諭す様に、私を見上げ小さく笑ってくれた。

「これ以上は駄目よ。まだ私は夫をちゃんと弔っていない未亡人で、あなたの義理の姉ですからね」
「うん」

 それでもいい。
 私を拒絶しないなら、受け入れてくれるなら。

「辛い? それとも苦しい?」

 いい大人が泣きたいのを我慢しているなど知らないだろうに、ダニエラは私を見上げて尋ねる。

 こんなに細くて小さかったんだ。
 兄の妻だった彼女が、今腕の中にいて私を心配してくれている。それが嬉しすぎて、心を誤魔化せなかった。

「辛いし苦しい。自分がいい年をしていながら愚かな子供で、馬鹿で」
「ディーン」

 こんな事を言ったら呆れられるかもしれない。
 情けない男だと、幻滅されるかもしれない。
 だけど、一人では抱え込んでいられなくて、年下の彼女に打ち明けてしまう。

「兄が亡くなったからと、母に期待した訳ではない。そんな感情はとうの昔に消え去っていた。でも、未だに母の言動に振り回されてしまう。おかしいでしょう? 母が言う様に兄ではなく私が死ねばよかったのか? そうすればあの人は満足だったと?」

 母はダニエラの前ですら私を厭うのを取り繕おうとしなかったから、私が母から疎まれているのは当然知っていたし、先程の暴言も聞いていたから私が何に対して悲しんでいるのか十分に理解してくれていた。

「いいえ、違うわ。あなたが死ねば良かったなんて、そんなことある筈がないわ」

 優しいダニエラは、私が欲しい言葉をくれる。
 私を抱きしめて、子供をあやす様に背中を撫でてくれる。
 両親にもされたことの無い、優しい抱擁。
 一度も知る事は無かった、優しい温度に鼻の奥がツンと痛くなる。

「子供はいつまでたっても親の前では子供のままよ。母親から心無い言葉を言われたら、傷付いて当たり前だわ」
「ダニエラ」
「私はディーンが死ねば良かったなんて思わないわ。ピーターが亡くなったのは不幸な出来事だけれど、だからと言ってあなたが死んで、ピーターが助かれば良かったなど思わないわ。そんなこと思う筈がないわ」
「ダニエラ、でも」
「ねえ、お義母様ではなく、私があなたに生きていて欲しいと思うのは嫌かしら?」
「嫌なんて思わない。あなたに望まれるなら本望だ」

 ああ、涙が溢れそうだ。
 どうしてあなたはそんなに優しいのだろう。
 あなたはまだ私を思ってくれていないのに、まだ兄の妻なのに、それでもこんなに私を労ってくれる。

「悲しいなら泣いていいのよ。でも私以外の女の前では駄目よ」

 優しいダニエラは、心を偽りそんな事を言う。
 私が心の底から望む、私への愛を持っているかの様に、まるで私を好いてくれているみたいに。
 独占欲を持った恋人の様に、可愛い事を言ってくれるなんて。

「私を妻にするなら誓って」
「誓います。他の誰の前でも涙は見せない。あなただけだ」

 誓ってと言う可愛い顔が自分に向けられているのが信じられなくて、夢なら覚めない様にと急いで誓うと、彼女の存在を確かめる様にそっと自分の頬を彼女の額に触れさせた。
 温かい、彼女の温度に涙が零れそうになる。

「私を妻にするなら誓って」
「誓います。他の誰の前でも涙は見せない。生涯あなただけだ」

 今離れてしまったら、この奇跡は消えてなくなってしまうかもしれない。
 私は驚き恐れながら急いで誓うと、そっと自分の頬をダニエラの額に摺り寄せる。
 少しでもダニエラの体温を肌を感じたい、これが幻ではないのだと感じたい。

「愛してます。あなたにはその感情は無いと知っていますが、どうか私があなたを愛する事を許してください。私の手を拒まないで」

 本心から愛されなくてもいい。
 心を向けられないのは母で慣れているから、本心からの愛なんてそんな奇跡は望まない。
 でもせめて私の思いを拒絶しないで欲しい。
 その思いを告げると、ダニエラは素晴らしい笑顔で私の願いを拒否した。

「許さないわ」
「え」
「そんな自信のない告白など、私に言わないで。あなたは私を愛し守ると誓って求婚してくれたのに、その愛はそんなに自信のないものなの。ねえ、あなたのあの誓いはそんなに軽く自信がないものなの?」
「違うっ、私は本気で」
「なら言いなさい。私をずっと愛し続けると、私を生涯夢中にさせ続けてみせると。だから私も同じ愛を返せと」

 それは、それではまるで。

 信じられない、これは本当に現実なのか。
 私は失望のあまり、自分に都合のいい夢を見ているわけではないのか。
 ダニエラが私の気持ちを受け入れてくれるだけでなく、私の思いを拒絶しないどころか彼女に、ダニエラに私を愛して欲しいと願ってもいいなんて。
 ダニエラに私を思って欲しい等、本当に望んでいいのだろうか。
 私ごときをダニエラが本当に思ってくれる? 私がダニエラを思う様に、同じ様に私に愛を返せと、そんな大それた望みを、私なんかが望んでもいいのだろうか。

「夢中になってくれますか」

 恐る恐るそう聞いてしまうのは、まだ夢ではないかと疑っているからだ。
 だってあまりにも私に都合が良すぎる、私を愛してくれる? ずっとずっと思っていた人が、手に入ることは無いと諦めていた人からの愛を与えられる。
 そんなのは夢だ、幻だ。
 私が幸せになれる筈がない。
 だけど願わずにはいられなくて、浅ましい期待を口にしてしまう。

「あなたが私をそうするのよ。私が欲しいならあなたは私を愛し私から愛される努力をし続けるの」

 ダニエラは私の浅ましさ等分かりきった顔で、そんな嬉しい言葉をくれたのだ。

「努力します。一生、そしたら愛してくれますか」

 あなたに愛されるためなら、どんな努力だって惜しまない。
 命を捧げろと言うなら、今すぐこの命を捧げる。
 火の中に飛び込めと言われても、ドラゴンを退治しろと言われても、あなたがそれで愛してくれるならなんだってする。

「ディーン、覚えておいて。あなたを喜ばせるのも泣かせるのも幸せにするのも、この私よ」
「ダニエラ、あなたは私を幸せで狂わせたいのですか」

 ぎゅうぎゅうとダニエラの華奢な体を抱きしめると、ダニエラはクスクスと笑い始めた。

「狂わせたいなんて思わないわ。ディーンと一緒に生きていきたいと言っているのよ」
「一緒に?」
「そうよ、そうしてあなたはずっと私を愛するのよ。あなたが愛してくれた分だけ私はあなたを愛する様になるわ」
「私が愛した分だけ、私を愛してくれる? 本当に?」

 夢ではないのだろうか。

「あなたがそうするのよディーン。私を愛し私から愛される。そうするのはあなたなのよ」

 そう言って笑うダニエラを、私は思いのまま抱きしめ続けたのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

私のことはお気になさらず

みおな
恋愛
 侯爵令嬢のティアは、婚約者である公爵家の嫡男ケレスが幼馴染である伯爵令嬢と今日も仲睦まじくしているのを見て決意した。  そんなに彼女が好きなのなら、お二人が婚約すればよろしいのよ。  私のことはお気になさらず。

最後にひとつだけお願いしてもよろしいでしょうか

鳳ナナ
恋愛
第二王子カイルの婚約者、公爵令嬢スカーレットは舞踏会の最中突然婚約破棄を言い渡される。 王子が溺愛する見知らぬ男爵令嬢テレネッツァに嫌がらせをしたと言いがかりを付けられた上、 大勢の取り巻きに糾弾され、すべての罪を被れとまで言われた彼女は、ついに我慢することをやめた。 「この場を去る前に、最後に一つだけお願いしてもよろしいでしょうか」 乱れ飛ぶ罵声、弾け飛ぶイケメン── 手のひらはドリルのように回転し、舞踏会は血に染まった。

最初からここに私の居場所はなかった

kana
恋愛
死なないために媚びても駄目だった。 死なないために努力しても認められなかった。 死なないためにどんなに辛くても笑顔でいても無駄だった。 死なないために何をされても怒らなかったのに⋯⋯ だったら⋯⋯もう誰にも媚びる必要も、気を使う必要もないでしょう? だから虚しい希望は捨てて生きるための準備を始めた。 二度目は、自分らしく生きると決めた。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ いつも稚拙な小説を読んでいただきありがとうございます。 私ごとですが、この度レジーナブックス様より『後悔している言われても⋯⋯ねえ?今さらですよ?』が1月31日頃に書籍化されることになりました~ これも読んでくださった皆様のおかげです。m(_ _)m これからも皆様に楽しんでいただける作品をお届けできるように頑張ってまいりますので、よろしくお願いいたします(>人<;)

「奇遇ですね。私の婚約者と同じ名前だ」

ねむたん
恋愛
侯爵家の令嬢リリエット・クラウゼヴィッツは、伯爵家の嫡男クラウディオ・ヴェステンベルクと婚約する。しかし、クラウディオは婚約に反発し、彼女に冷淡な態度を取り続ける。 学園に入学しても、彼は周囲とはそつなく交流しながら、リリエットにだけは冷たいままだった。そんな折、クラウディオの妹セシルの誘いで茶会に参加し、そこで新たな交流を楽しむ。そして、ある子爵子息が立ち上げた商会の服をまとい、いつもとは違う姿で社交界に出席することになる。 その夜会でクラウディオは彼女を別人と勘違いし、初めて優しく接する。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

王妃の鑑

ごろごろみかん。
恋愛
王妃ネアモネは婚姻した夜に夫からお前のことは愛していないと告げられ、失意のうちに命を失った。そして気づけば時間は巻きもどる。 これはネアモネが幸せをつかもうと必死に生きる話

王子の片思いに気付いたので、悪役令嬢になって婚約破棄に協力しようとしてるのに、なぜ執着するんですか?

いりん
恋愛
婚約者の王子が好きだったが、 たまたま付き人と、 「婚約者のことが好きなわけじゃないー 王族なんて恋愛して結婚なんてできないだろう」 と話ながら切なそうに聖女を見つめている王子を見て、王子の片思いに気付いた。 私が悪役令嬢になれば、聖女と王子は結婚できるはず!と婚約破棄を目指してたのに…、 「僕と婚約破棄して、あいつと結婚するつもり?許さないよ」 なんで執着するんてすか?? 策略家王子×天然令嬢の両片思いストーリー 基本的に悪い人が出てこないほのぼのした話です。

処理中です...