上 下
10 / 254

間抜けだったと理解して

しおりを挟む
「あぁ、もう朝なのね」

 湯浴みをしベッドに入ったのは、もうすぐ朝告げ鳥が鳴こうかという頃でした。

「何もしていないのに、疲れたわ」

 まだ少し早い時間だからなのか、メイドが扉を叩く様子はありません。
 喉の乾きを感じながらも呼び鈴を鳴らす気にはなれず、重い体を起こすと大きなため息をつきました。

「あんな手を使う人だと、思いもしなかった私は平和に呆けていたのね」

 初夜のあの日、緊張する私に気を遣ったのか彼は用意していた香油をたっぷりと使い、時間を掛けて私を労りながら夜を過ごしてくれました。
 政略婚で歳の離れた夫からの優しさ等望める筈がないだろうと、半ば諦めていた私は夫が体を気遣い丁寧に接してくれる様子に感動し、言葉にはしなかったものの感謝していました。

 幼い頃は従兄弟である第一王子と婚約するものとして育てられましたが、血が近すぎるのは宜しくないのではという考え方が広まり、それが叶わなくなりました。
 陛下は私を姪としても未来の息子の妻としても愛して可愛がって下さっていたましたが、数代前まで兄妹で婚姻をしていた事もあり、血が濃すぎる婚姻は弱い子が生まれると声が上がり断念したのです。 

 陛下に何かあった場合の備えとして、王弟殿下としての地位を残しつつ公爵家を興した父は、自分が王になれなくても王妃の父親になれば良いと考えていたというのに、その立場にもなれず、その悔しさを私の孫を王家に嫁がせることで晴らそうとしました。
 私を従兄妹として愛してくれていた第一王子殿下も、自分の息子の妻に私の娘を望むと内々に約束してくれたことも父の野望に拍車をかけました。

 十歳も年が離れている夫と婚約したのは、父と侯爵の思惑が一致したからです。
 そこに私の希望は、ほんの少しもありませんでした。

 上級貴族令嬢達の中で私が一番王子の婚約者になる可能性が高く、その為命を狙われることが多くありました。
 第一王子の婚約が決まってからも、その危険は日常のアチラコチラに潜んでいて気の抜けない日々を過ごしていましたが、夫と婚約してからというもの油断して過ごせる時間が増えてきたお陰で、結婚する頃には夫が恐ろしい毒を寝室に持ち込んでいるなど、考えもしなくなっていたのです。

「見た目が人畜無害で、凡庸を絵に描いた様な人だったから油断してしまったのね」

 どうしても別れられない恋人と子供の存在を私に隠していた夫は、政略結婚の相手としてはそれなりの評価が出せる相手でした。

「閨事で、優しく時間を掛けてくれていたのは私を気遣ってくれていたのではなく、毒が吸収されるのを待っていたなんて」

 気遣ってくれていると思っていた私は、さぞ滑稽だったでしょう。
 毒性のある避妊薬を使われているとも知らずに、私はこの五年もの間月の物が来る度に、子が授からなかったと悲しんでいたのです。

「毒、私の体にどれ程影響しているかしら」

 食事に毒が混入している可能性を考えて、私は解毒作用があるお茶を常飲しています。
 公爵家で暮らしている時は、同じ効果の湯で沐浴するのも習慣の一つでしたが、侯爵家でそこまでの警戒は不要と考えてお茶だけを使っていました。

「子が授からなかっただけなのか、本当にあの毒が私に影響していたのか分からないのが悔しいわ」

 元々夫と夜を過ごす事は少なく、月にニ、三度程度あれば多い方でした。
 子を望む気がないのかと苛立つ時もありましたが、夫との閨事の後は何故か気持ちが不安定になる時が多いと気がついてからは、夫が屋敷に帰ってきてもそういう雰囲気にならない様にしていました。
 ですから避妊薬など使わなくても、子が授からなかったのは当たり前とも言えます。

「お兄様、詳しく調べて下さったかしら」

 実際私が子を産めなくなっても、結婚していて子が出来てもおかしくない環境が維持できるなら、本当の母親が誰でも構わないと父は言うでしょう。
 私が産むのが一番ですが、大事なのは私の産んだ子供として育てることで、実際に私と血が繋がっている必要はありません。
 愛人が産んだ子には厳しい国ですが、その出生を誤魔化す方法はないわけではありません。

 妻が己の矜持を捨て、生まれた子の母親として届けを出せばいいのです。
 妻の面目は潰れますし、それが公になれば恥ずかしくて社交界にも出られなくなります。
 すでに届けを出した後なら、妻に子が出来ないのを理由に養子にすればいいだけです。
 彼がそれをしなかったのは、そこまで非情になれなかったのか私の父が怖かったのか、多分後者なのでしょう。

「夫には何も出来ないだろうなんて、非情な行いに気が付かなかった私が間抜けなのね。こんな間抜けはお父様の駒としての役割も果たせない」

 遠くから朝告げ鶏の鳴き声が聞こえてきました。
 声高く鳴くそれは、私には暗い未来を告げるものに聞こえたのです。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

これから言うことは嘘だから信じないでくれという紙を見せながら、旦那様はお前を愛することはないと私を罵りました。何この茶番?

木嶋うめ香
恋愛
王太子との婚約解消の後で、王命による結婚が決まったシャルリア・エーレンは夫になった隣国の侯爵アンドリュー・ディアロとの初夜を迎える為、一人ベッドに座っていた。 結婚式ですらまともに自分を見ていなかった夫との初夜なんて逃げ出したい。 憂鬱な気持ちで夫を迎えると、夫は小さな紙を私の前に差し出したのだった。

婚約破棄直前に倒れた悪役令嬢は、愛を抱いたまま退場したい

矢口愛留
恋愛
【全11話】 学園の卒業パーティーで、公爵令嬢クロエは、第一王子スティーブに婚約破棄をされそうになっていた。 しかし、婚約破棄を宣言される前に、クロエは倒れてしまう。 クロエの余命があと一年ということがわかり、スティーブは、自身の感じていた違和感の元を探り始める。 スティーブは真実にたどり着き、クロエに一つの約束を残して、ある選択をするのだった。 ※一話あたり短めです。 ※ベリーズカフェにも投稿しております。

冤罪から逃れるために全てを捨てた。

四折 柊
恋愛
王太子の婚約者だったオリビアは冤罪をかけられ捕縛されそうになり全てを捨てて家族と逃げた。そして以前留学していた国の恩師を頼り、新しい名前と身分を手に入れ幸せに過ごす。1年が過ぎ今が幸せだからこそ思い出してしまう。捨ててきた国や自分を陥れた人達が今どうしているのかを。(視点が何度も変わります)

愛なんてどこにもないと知っている

紫楼
恋愛
 私は親の選んだ相手と政略結婚をさせられた。  相手には長年の恋人がいて婚約時から全てを諦め、貴族の娘として割り切った。  白い結婚でも社交界でどんなに噂されてもどうでも良い。  結局は追い出されて、家に帰された。  両親には叱られ、兄にはため息を吐かれる。  一年もしないうちに再婚を命じられた。  彼は兄の親友で、兄が私の初恋だと勘違いした人。  私は何も期待できないことを知っている。  彼は私を愛さない。 主人公以外が愛や恋に迷走して暴走しているので、主人公は最後の方しか、トキメキがないです。  作者の脳内の世界観なので現実世界の法律や常識とは重ねないでお読むください。  誤字脱字は多いと思われますので、先にごめんなさい。 他サイトにも載せています。

姉の所為で全てを失いそうです。だから、その前に全て終わらせようと思います。もちろん断罪ショーで。

しげむろ ゆうき
恋愛
 姉の策略により、なんでも私の所為にされてしまう。そしてみんなからどんどんと信用を失っていくが、唯一、私が得意としてるもので信じてくれなかった人達と姉を断罪する話。 全12話

この雪のように溶けていけ

豆狸
恋愛
第三王子との婚約を破棄され、冤罪で国外追放されたソーンツェは、隣国の獣人国で静かに暮らしていた。 しかし、そこにかつての許婚が── なろう様でも公開中です。

婚約破棄まで死んでいます。

豆狸
恋愛
婚約を解消したので生き返ってもいいのでしょうか?

それは報われない恋のはずだった

ララ
恋愛
異母妹に全てを奪われた。‥‥ついには命までもーー。どうせ死ぬのなら最期くらい好きにしたっていいでしょう? 私には大好きな人がいる。幼いころの初恋。決して叶うことのない無謀な恋。 それはわかっていたから恐れ多くもこの気持ちを誰にも話すことはなかった。けれど‥‥死ぬと分かった今ならばもう何も怖いものなんてないわ。 忘れてくれたってかまわない。身勝手でしょう。でも許してね。これが最初で最後だから。あなたにこれ以上迷惑をかけることはないわ。 「幼き頃からあなたのことが好きでした。私の初恋です。本当に‥‥本当に大好きでした。ありがとう。そして‥‥さよなら。」 主人公 カミラ・フォーテール 異母妹 リリア・フォーテール

処理中です...