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19.話し声、笑い声、掛け声──怒鳴り声
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青年の言葉にアウグスト様はほんの僅かに口惜しそうな、寂しそうな表情をした。けれど、直ぐにまたいつもの明るい顔に戻る。
「そっか──絵はこれからも描く?」
「はい。僕の一番好きなことなので。一生、描き続けます」
青年が頷く。本当に絵を描くことが好きなのだろう。曇りのない顔だった。
その言葉にアウグスト様は喜色満面に弾けるように立ち上がった。
「それなら、今度会った時にまた絵を見せてね!」
「はい」
二人はそう約束を交わし、青年は絵を再開し、アウグスト様と私はまた歩き始めた。
楽しそうにきょろきょろと何かを探すように辺りを見渡しているアウグスト様の横顔を見て、さっきの青年との会話で思ったことを私は口にした。
「少し、意外でした」
「何が?」
「さっきの青年です。もしかしたら、アウグスト様は彼に支援を申し出るかと思って」
アウグスト様は彼の絵を気に入っていたし、何より初対面の私にこうして付き合うくらい行動力がある。
素人目が判断材料にならないのは重々承知だが、彼の実力ならあるいは、と思った。
アウグスト様は苦笑して答える。
「そりゃあ、出来ることならしてあげたいけどね。けれど、俺だっていつまでもグラシエル家にいる訳じゃないし、無責任なことは出来ないよ」
アウグスト様は自分の立場をよくわかっていた。
貴族の子弟の中で将来が一番不安なのは、実は長男より下の次男や三男だ。
何せ、長男は家督が継ぐし、娘は他家に嫁ぐことが大半。その中で長男より下の男子は自分で生計を立てて行かなければならない。
勿論、それは大変なことで実家の支援や後ろ楯頼る人も多い。けれど、アウグスト様の言い方は既に家から出ることを決めているように感じる。
だから、今彼をグラシエル公爵家の令息として支援しても、いつかはそれが困難になるかもしれない日を見越して何も言わなかったのだ。
そこまで考えて、アウグスト様にも既に将来の夢があるのだろうかと思い至った。
やりたいことが沢山あるというアウグスト様。そんな人が決めた未来への道はどんなものなのか。
そもそも、一番のお手本になるのはアウグスト様なのではとアウグスト様が見据える将来について訊ねようとしたが、それは本人によって阻まれる。
「あ、君達ー! ちょっと俺とお話しよー!」
アウグスト様はさっき同様に蹴球をしていた三人の少年に声を掛ながら駆けていった。
──聞きそびれてしまった。まぁ、今度訊けばいいか。
アウグスト様は少年達と楽しく話し込んでいて、将来の夢について訊ねていた。
少年達はそれぞれ、
「騎士!」
「船長!」
「パン屋!」
と元気に答えている。
騎士になるには身分がいるし、船長は早いうちから技術の習得が不可欠。話に耳を傾けていると、パン屋になりたい子は実家を継ぎたいとのことなので叶えられるだろうが、前者はほぼ不可能だろう。流石に口には出さないが。
けれど、子供達の顔は明るい未来を信じて疑っていない。多分、子供もはこうあるべきなのだろう。
アウグスト様の少年達に目線を合わせて、その頭を順に撫でていい夢だと褒めている。
将来の夢。
私にとって将来は決められたものだった。
ウォレスト様との婚約が破棄にならなければ、そのまま婚姻をしてウォレスト侯爵家へ嫁いでいただろう。そこでウォレスト様を支えつつ、フィルメンティ家にいた頃と同じような毎日を過ごす。
それがつい最近まで想像していた私の未来図だ。
結局、婚約は破棄になって、私はなんとなくでやりたいことを探している。
それからアウグスト様は少年達に蹴球に誘われ、困ったようにこちらを見た。
「アウグスト様、私は暫く一人で歩いておりますので、どうぞ」
「そう? それじゃあ」
アウグスト様が少年達の中に混ざって球を追いかけている。
元気な掛け声を聞きながら、私は遊歩道に沿って歩き始めた。
歩いていると、話し声や笑い声が色んな所から聞こえている。
「次はこの穴に通して見て」
「それで今度主人がね~」
「ばあさんや、先週蕾だった花が咲いておる」
レース編みを覚えたい少女と教えてる少女、家族で小旅行を計画している婦人、毎日この公園の花を見ながら散歩している老婦人。
耳を澄ますだけで、色んな人がいることがわかる。
皆、何かやりたいことがある。多くの人が持っているそれが私にはない。その理由は何か。私には何かが欠如しているのだろうか。
立ち止まって訳もなく自分の両手の平を見下ろす。
「あら、ここは──」
考え事をしながら歩いていたせいで、気づいたら時計塔公園の西口まで来てしまっていた。ここから先は西市街へと繋がっている。
あまり離れるとアウグスト様とはぐれてしまうかもしれない。
そう思って来た道を引き返そうとした時。
公園の外から鼓膜に響く大声がした。
「貴様はこの私に逆らうというのか!?」
「や、やめてください──っ」
男性の怒声と、怯えるような女性の声。
その方向を見ると、髭を蓄えた体格のいい男が細身の女性の腕を強引に引っ張っていた。
何か揉め事のようだ。他人の諍いに口を挟んでも得はない。私は無視して戻ろうとしたが、ふと足が止まる。女性の方に見覚えがあったのだ。
あれは、誰だったかしら?
気弱そうで、儚げで、風が吹けば折れてしまいそうなか弱い花のような女性。
歳は私とそう変わらない。どこかの茶会か夜会ででも見掛けたのだろうか。
「あ」
夜会、で思い出した。あの日の夜会の外で見た、月下で行われていた逢瀬。
そうだ。間違いない。
あの人は、ウォレスト様の恋人のミラーシャさんだ。
「そっか──絵はこれからも描く?」
「はい。僕の一番好きなことなので。一生、描き続けます」
青年が頷く。本当に絵を描くことが好きなのだろう。曇りのない顔だった。
その言葉にアウグスト様は喜色満面に弾けるように立ち上がった。
「それなら、今度会った時にまた絵を見せてね!」
「はい」
二人はそう約束を交わし、青年は絵を再開し、アウグスト様と私はまた歩き始めた。
楽しそうにきょろきょろと何かを探すように辺りを見渡しているアウグスト様の横顔を見て、さっきの青年との会話で思ったことを私は口にした。
「少し、意外でした」
「何が?」
「さっきの青年です。もしかしたら、アウグスト様は彼に支援を申し出るかと思って」
アウグスト様は彼の絵を気に入っていたし、何より初対面の私にこうして付き合うくらい行動力がある。
素人目が判断材料にならないのは重々承知だが、彼の実力ならあるいは、と思った。
アウグスト様は苦笑して答える。
「そりゃあ、出来ることならしてあげたいけどね。けれど、俺だっていつまでもグラシエル家にいる訳じゃないし、無責任なことは出来ないよ」
アウグスト様は自分の立場をよくわかっていた。
貴族の子弟の中で将来が一番不安なのは、実は長男より下の次男や三男だ。
何せ、長男は家督が継ぐし、娘は他家に嫁ぐことが大半。その中で長男より下の男子は自分で生計を立てて行かなければならない。
勿論、それは大変なことで実家の支援や後ろ楯頼る人も多い。けれど、アウグスト様の言い方は既に家から出ることを決めているように感じる。
だから、今彼をグラシエル公爵家の令息として支援しても、いつかはそれが困難になるかもしれない日を見越して何も言わなかったのだ。
そこまで考えて、アウグスト様にも既に将来の夢があるのだろうかと思い至った。
やりたいことが沢山あるというアウグスト様。そんな人が決めた未来への道はどんなものなのか。
そもそも、一番のお手本になるのはアウグスト様なのではとアウグスト様が見据える将来について訊ねようとしたが、それは本人によって阻まれる。
「あ、君達ー! ちょっと俺とお話しよー!」
アウグスト様はさっき同様に蹴球をしていた三人の少年に声を掛ながら駆けていった。
──聞きそびれてしまった。まぁ、今度訊けばいいか。
アウグスト様は少年達と楽しく話し込んでいて、将来の夢について訊ねていた。
少年達はそれぞれ、
「騎士!」
「船長!」
「パン屋!」
と元気に答えている。
騎士になるには身分がいるし、船長は早いうちから技術の習得が不可欠。話に耳を傾けていると、パン屋になりたい子は実家を継ぎたいとのことなので叶えられるだろうが、前者はほぼ不可能だろう。流石に口には出さないが。
けれど、子供達の顔は明るい未来を信じて疑っていない。多分、子供もはこうあるべきなのだろう。
アウグスト様の少年達に目線を合わせて、その頭を順に撫でていい夢だと褒めている。
将来の夢。
私にとって将来は決められたものだった。
ウォレスト様との婚約が破棄にならなければ、そのまま婚姻をしてウォレスト侯爵家へ嫁いでいただろう。そこでウォレスト様を支えつつ、フィルメンティ家にいた頃と同じような毎日を過ごす。
それがつい最近まで想像していた私の未来図だ。
結局、婚約は破棄になって、私はなんとなくでやりたいことを探している。
それからアウグスト様は少年達に蹴球に誘われ、困ったようにこちらを見た。
「アウグスト様、私は暫く一人で歩いておりますので、どうぞ」
「そう? それじゃあ」
アウグスト様が少年達の中に混ざって球を追いかけている。
元気な掛け声を聞きながら、私は遊歩道に沿って歩き始めた。
歩いていると、話し声や笑い声が色んな所から聞こえている。
「次はこの穴に通して見て」
「それで今度主人がね~」
「ばあさんや、先週蕾だった花が咲いておる」
レース編みを覚えたい少女と教えてる少女、家族で小旅行を計画している婦人、毎日この公園の花を見ながら散歩している老婦人。
耳を澄ますだけで、色んな人がいることがわかる。
皆、何かやりたいことがある。多くの人が持っているそれが私にはない。その理由は何か。私には何かが欠如しているのだろうか。
立ち止まって訳もなく自分の両手の平を見下ろす。
「あら、ここは──」
考え事をしながら歩いていたせいで、気づいたら時計塔公園の西口まで来てしまっていた。ここから先は西市街へと繋がっている。
あまり離れるとアウグスト様とはぐれてしまうかもしれない。
そう思って来た道を引き返そうとした時。
公園の外から鼓膜に響く大声がした。
「貴様はこの私に逆らうというのか!?」
「や、やめてください──っ」
男性の怒声と、怯えるような女性の声。
その方向を見ると、髭を蓄えた体格のいい男が細身の女性の腕を強引に引っ張っていた。
何か揉め事のようだ。他人の諍いに口を挟んでも得はない。私は無視して戻ろうとしたが、ふと足が止まる。女性の方に見覚えがあったのだ。
あれは、誰だったかしら?
気弱そうで、儚げで、風が吹けば折れてしまいそうなか弱い花のような女性。
歳は私とそう変わらない。どこかの茶会か夜会ででも見掛けたのだろうか。
「あ」
夜会、で思い出した。あの日の夜会の外で見た、月下で行われていた逢瀬。
そうだ。間違いない。
あの人は、ウォレスト様の恋人のミラーシャさんだ。
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