15 / 25
15.黒猫とティータイム
しおりを挟む
「──というわけで、ウォレスト様との婚約は破棄することになりました」
ウォレスト様の訪問が会った次の日の午後。
私は約束通り来訪した友人と共にお茶をしていた。
友人とは会えば近況報告をする仲で、私はまず先日の件を話した。まだ正式には決まっていないが、この友人は口が固いため心配いらない。
「………………」
「どうしました?」
茶器を片手に半眼でこちらを見てくる友人は何か言いたげなのに、何も話さない。
私が待っていると、友人は呆れ半分といった声音で言葉を紡いだ。
「天気の話をするくらいの調子で婚約破棄の話をされても困惑するのだけれど」
「前から可能性として有り得るとは言っていたはずですけど」
「そうじゃないわ……」
困ったようにこめかみを押さえる友人の名前は、アイシャ・トモリエ。
初めて会った時の印象は小さな黒猫だった。
小柄で華奢な体に、猫の影絵を思わせる半分だけ二つ結びにした癖のある黒髪。そして一番猫っぽいと思う少し吊り上がった藍色の大きな瞳。
そんな彼女は国一番の商会の娘だ。
黒を好むアイシャは今日もいつも通り綿菓子を詰め込んだようなふわふわの黒い服で全身を固めている。
外見は実年齢より下に見られがちなアイシャだが、表情や内面は年相応で、時としてはそれよりも大人びている。
アイシャは楽しそうとは言えない顔を上げて、
「それで? 伯爵様はどれくらい吹っ掛けたのかしら?」
「相場よりも少し上くらいです」
何よりも先に金銭の話が気になるところが商家の娘らしい。
昨日、ウォレスト様の帰宅後に父の執務室へ呼ばれた時にどんな話が交わされたのかや、今後の段取りを説明された。最後は「異論ないな」と話を締め括られたが、あれは父の口癖なのだろうか? いつも聞いている気がする。
「あら、責任の比重的にもっと請求してもよかったんじゃない?」
「あまり値を吊り上げても面倒なことがあるんですよ」
ここは商人と貴族の感覚の違いだろう。儲けを第一に考える商人ならば、貰えるだけ貰っておけばいいが、家名や格式を重んじる貴族はそうはいかない。
相場の額でよしとすれば、その程度で許すのかと侮られ、高額の慰謝料を請求すれば金に汚いと謗られる。なんとも面倒なことだろうが、父はそこら辺の均衡感覚が優れており、絶妙な額を提示していた。
「貴族っていうのは本当に面倒なのねぇ」
ぼやくように呟いて、アイシャがテーブルに広げられた色とりどりのお菓子の中からクッキーをひとつ摘まんで食む。
このお菓子は全てアイシャが商会から持ってきたお土産だ。流石国一番の大商会なだけあって、高級なものから異国の珍しいものまで揃っている。
──それにしても。
「あら、貴女が今更それを言うのですか?」
アイシャの言葉に思ったことを言ったら、嫌な顔をされた。
「貴女ね……私は別に怒らないけど、他の相手にそんな言動してたら恨みを買うわよ?」
「大丈夫ですよ。恨みを買うほど人と話しませんから」
実際、私が日常会話をする相手なんて片手で足りるくらいしかいない。時々侍女が気を使ってか話題を振ってくることもあるけれど、一昨日アウグスト様と話さなかったら、今日が前に友人に会って以来の日常会話をした日になるくらいにはそういう会話をしない。そう考えると私とわざわざ他愛ない話をするために遊びにくるアイシャは大分変わり者だ。
「貴女はほんとに頓着しないわよね……婚約の件、本当に了承してよかったの?」
「はい。そもそもウォレスト様が婚姻までに相手との関係を解消しなければ更に面倒なことになっていたでしょうし。きっぱり区切りがついてむしろよかったです」
ウォレスト様が恋人をつくってからは私達の関係は宙ぶらりんの状態だったし、どこかで決着をつけないといけないことだった。どのみちフィルメンティ家の不利益にならない範囲で流れに身を任せるつもりだったし、結果だけ見れば一番穏便に済んだと思う。
ウォレスト様とその恋人は婚約出来るし、私達の婚約破棄でウォレスト侯爵家とフィルメンティ家も距離が生まれる分、今の険悪な関係も少しは改善されるだろう。
「そう。リスリアーノが気にしてないならそれでいいけど。不満があるならウォレスト侯爵家に文句のひとつやふたつでも言いに行ってあげようと思ったのに」
「お気持ちだけ受け取っておきます」
……アイシャなら本当にやりかねないな。
婚約破棄の報告を終え、侍女が切り分けたケーキをつつきながら話題が移す。
「アイシャの方は最近どうですか?」
「そうねぇ。今年の秋物は何の柄が流行るか皆で予想しているくらいね」
「もう秋の話をしているんですね」
「商人は先読みしなきゃ食いっぱぐれるからね」
「私もそれとなく令嬢達に訊いておきますね」
「頼むわ」
服の流行り廃りは令嬢次第。そんな風に言われるくらいには、服装の流行りは令嬢の好みに左右される。なので時々こうしてアイシャの手伝いをしている。その逆もあるので持ちつ持たれつだ。
「リスリアーノは? 婚約破棄以外で何か変わったこととかあった?」
──変わったこと。
ここ最近で記憶によく焼きついているのは、昨日のことと、一昨日のこと。この二つが印象深くて一昨々日のことがぼんやりしている。
そういえば、やりたいことを探すことをアイシャにも言っておいた方がいいだろうか。
アイシャも見識は広いし、付き合いが長い分私のことをよく知っている。アイシャから何か助言を得られるかもしれない。アウグスト様への手紙がまだ一行も書けていないこともあり、私は一昨日のことをアイシャに話すことにした。
「アイシャ、私、やりたいことを探すことにしました」
そう伝えると、アイシャは靴下を嗅いだ猫のような顔をしてぽっかりと口を開いた。
「────────は?」
ウォレスト様の訪問が会った次の日の午後。
私は約束通り来訪した友人と共にお茶をしていた。
友人とは会えば近況報告をする仲で、私はまず先日の件を話した。まだ正式には決まっていないが、この友人は口が固いため心配いらない。
「………………」
「どうしました?」
茶器を片手に半眼でこちらを見てくる友人は何か言いたげなのに、何も話さない。
私が待っていると、友人は呆れ半分といった声音で言葉を紡いだ。
「天気の話をするくらいの調子で婚約破棄の話をされても困惑するのだけれど」
「前から可能性として有り得るとは言っていたはずですけど」
「そうじゃないわ……」
困ったようにこめかみを押さえる友人の名前は、アイシャ・トモリエ。
初めて会った時の印象は小さな黒猫だった。
小柄で華奢な体に、猫の影絵を思わせる半分だけ二つ結びにした癖のある黒髪。そして一番猫っぽいと思う少し吊り上がった藍色の大きな瞳。
そんな彼女は国一番の商会の娘だ。
黒を好むアイシャは今日もいつも通り綿菓子を詰め込んだようなふわふわの黒い服で全身を固めている。
外見は実年齢より下に見られがちなアイシャだが、表情や内面は年相応で、時としてはそれよりも大人びている。
アイシャは楽しそうとは言えない顔を上げて、
「それで? 伯爵様はどれくらい吹っ掛けたのかしら?」
「相場よりも少し上くらいです」
何よりも先に金銭の話が気になるところが商家の娘らしい。
昨日、ウォレスト様の帰宅後に父の執務室へ呼ばれた時にどんな話が交わされたのかや、今後の段取りを説明された。最後は「異論ないな」と話を締め括られたが、あれは父の口癖なのだろうか? いつも聞いている気がする。
「あら、責任の比重的にもっと請求してもよかったんじゃない?」
「あまり値を吊り上げても面倒なことがあるんですよ」
ここは商人と貴族の感覚の違いだろう。儲けを第一に考える商人ならば、貰えるだけ貰っておけばいいが、家名や格式を重んじる貴族はそうはいかない。
相場の額でよしとすれば、その程度で許すのかと侮られ、高額の慰謝料を請求すれば金に汚いと謗られる。なんとも面倒なことだろうが、父はそこら辺の均衡感覚が優れており、絶妙な額を提示していた。
「貴族っていうのは本当に面倒なのねぇ」
ぼやくように呟いて、アイシャがテーブルに広げられた色とりどりのお菓子の中からクッキーをひとつ摘まんで食む。
このお菓子は全てアイシャが商会から持ってきたお土産だ。流石国一番の大商会なだけあって、高級なものから異国の珍しいものまで揃っている。
──それにしても。
「あら、貴女が今更それを言うのですか?」
アイシャの言葉に思ったことを言ったら、嫌な顔をされた。
「貴女ね……私は別に怒らないけど、他の相手にそんな言動してたら恨みを買うわよ?」
「大丈夫ですよ。恨みを買うほど人と話しませんから」
実際、私が日常会話をする相手なんて片手で足りるくらいしかいない。時々侍女が気を使ってか話題を振ってくることもあるけれど、一昨日アウグスト様と話さなかったら、今日が前に友人に会って以来の日常会話をした日になるくらいにはそういう会話をしない。そう考えると私とわざわざ他愛ない話をするために遊びにくるアイシャは大分変わり者だ。
「貴女はほんとに頓着しないわよね……婚約の件、本当に了承してよかったの?」
「はい。そもそもウォレスト様が婚姻までに相手との関係を解消しなければ更に面倒なことになっていたでしょうし。きっぱり区切りがついてむしろよかったです」
ウォレスト様が恋人をつくってからは私達の関係は宙ぶらりんの状態だったし、どこかで決着をつけないといけないことだった。どのみちフィルメンティ家の不利益にならない範囲で流れに身を任せるつもりだったし、結果だけ見れば一番穏便に済んだと思う。
ウォレスト様とその恋人は婚約出来るし、私達の婚約破棄でウォレスト侯爵家とフィルメンティ家も距離が生まれる分、今の険悪な関係も少しは改善されるだろう。
「そう。リスリアーノが気にしてないならそれでいいけど。不満があるならウォレスト侯爵家に文句のひとつやふたつでも言いに行ってあげようと思ったのに」
「お気持ちだけ受け取っておきます」
……アイシャなら本当にやりかねないな。
婚約破棄の報告を終え、侍女が切り分けたケーキをつつきながら話題が移す。
「アイシャの方は最近どうですか?」
「そうねぇ。今年の秋物は何の柄が流行るか皆で予想しているくらいね」
「もう秋の話をしているんですね」
「商人は先読みしなきゃ食いっぱぐれるからね」
「私もそれとなく令嬢達に訊いておきますね」
「頼むわ」
服の流行り廃りは令嬢次第。そんな風に言われるくらいには、服装の流行りは令嬢の好みに左右される。なので時々こうしてアイシャの手伝いをしている。その逆もあるので持ちつ持たれつだ。
「リスリアーノは? 婚約破棄以外で何か変わったこととかあった?」
──変わったこと。
ここ最近で記憶によく焼きついているのは、昨日のことと、一昨日のこと。この二つが印象深くて一昨々日のことがぼんやりしている。
そういえば、やりたいことを探すことをアイシャにも言っておいた方がいいだろうか。
アイシャも見識は広いし、付き合いが長い分私のことをよく知っている。アイシャから何か助言を得られるかもしれない。アウグスト様への手紙がまだ一行も書けていないこともあり、私は一昨日のことをアイシャに話すことにした。
「アイシャ、私、やりたいことを探すことにしました」
そう伝えると、アイシャは靴下を嗅いだ猫のような顔をしてぽっかりと口を開いた。
「────────は?」
33
お気に入りに追加
145
あなたにおすすめの小説
もう一度だけ。
しらす
恋愛
私の一番の願いは、貴方の幸せ。
最期に、うまく笑えたかな。
**タグご注意下さい。
***ギャグが上手く書けなくてシリアスを書きたくなったので書きました。
****ありきたりなお話です。
*****小説家になろう様にても掲載しています。
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」
【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
不実なあなたに感謝を
黒木メイ
恋愛
王太子妃であるベアトリーチェと踊るのは最初のダンスのみ。落ち人のアンナとは望まれるまま何度も踊るのに。王太子であるマルコが誰に好意を寄せているかははたから見れば一目瞭然だ。けれど、マルコが心から愛しているのはベアトリーチェだけだった。そのことに気づいていながらも受け入れられないベアトリーチェ。そんな時、マルコとアンナがとうとう一線を越えたことを知る。――――不実なあなたを恨んだ回数は数知れず。けれど、今では感謝すらしている。愚かなあなたのおかげで『幸せ』を取り戻すことができたのだから。
※異世界転移をしている登場人物がいますが主人公ではないためタグを外しています。
※曖昧設定。
※一旦完結。
※性描写は匂わせ程度。
※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載予定。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる