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14.別れの挨拶

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 冷淡な瞳。淡々とした口調。
 それが私が真っ先に思い出す婚約者の特徴だ。
 その特徴のまま、婚約者──ペーターは婚約を破棄したいと言った。
 悲しみはない。が、衝撃はあったため、暫し茫然としてしまったが、それも数秒のはず。
 すぐに予測できる範囲の今後のことを樹形図にして脳内に広げる。
 その上でまずはペーターが婚約破棄をしたいと言い出した理由を問うことにした。

「急な話ですね。何か心境の変化でもありました?」

「心境の変化は言うまでもないが──今日言ったのは環境が変化したからだ」

「どういうことです?」

 環境の変化、と言われてもウォレスト侯爵家でペーターが婚約破棄を決めるような出来事の心当たりがない。嫁ぎ先の家だ。何か大事があれば私の耳にも入っているはず。

「ミラーシャがレプレール先代伯爵の養女になることが決まった」

 その名前を聞いて、一瞬誰のことだろうと思ったが、この会話で出てくるのであれば例のペーターの恋人だろう。何度か見掛けたことがあるのに、どうにも顔が思い出せない。昨日の夜会でも直接顔を合わせる機会はなかった。
 そのミラーシャさんが、レプレール先代伯爵の養女に?
 レプレール先代伯爵のことなら私も知っている。今でこそ人のよさそうな好々爺に見える老紳士だが、若い頃はかなりの切れ者でフィルメンティ先代伯爵である祖父も手を焼く相手だったらしい。
 けれど、何故先代伯爵が騎士爵家の娘を養女にすることになったのだろう。

「レプレール先代伯爵は社交場からも政治からも一線を退いて久しいはずですが、何故今更養女を?」

 代替わりしている以上、後継者問題には触らないだろうが、お歳を召してからの養子縁組。特に利になるとも思えないその行為の意図がわからなかった。

「それはお前には関係ない」

 少し語気を荒げるペーターは、詳細を話す気はないと暗に言っている。この断定的で異論を許さないという言い方は何故か私の両親に似ている。
 どこまでかはわからないが、ミラーシャさんがレプレール先代伯爵の養女になる話には間違いなく噛んでいるのであろう。

「左様でございますか。養女とはいえ先代伯爵家の娘になるということはレプレール伯爵の義妹になるということですね。それでお相手の家格という婚約の障害になっていた問題が解決したので、彼女と婚約するために私と婚約の婚約破棄を、と」

 身分の低い相手と結婚するために、相手を高位の貴族の養子にするというのは、貴族の間で極稀にある裏技のようなものだ。
 まず貴族の正式な養子縁組が簡単ではないし、気の遠くなるような根回しや下準備が必要となる。
 ペーターは元々私と婚約しているから、それを破棄して新たな婚約者を迎えるとなれば相手は同格かそれ以上でないと侯爵家の人間たちは納得しない。レプレール現伯爵は秀才で、先代が切り盛りしていた頃程ではないにしても、しっかりとした地盤を築いていると聞く。
 血統主義の者でもない限りは納得させられるだろう。

「その通りだ。これからフィルメンティ伯爵にも正式な申し出に行く。だが、その前にお前に報告しておいた方がいいと思ってな」

 これは私の予想だが、恐らくペーターの申し出を父は了承するだろう。というのも、私とペーターの婚約を決める折にの母のとある取り決めによって、フィルメンティ家とウォレスト侯爵家との仲自体はかなり険悪だからだ。

「白紙ではなく、破棄なのですね」

「完全にこちらの都合だからな。両者合意で解消に出来るとは思ってないし、慰謝料も相場ではなくそちらの言い値で払う」

 なるほど。それがペーターの最低限の通すべき筋なのだろう。にしても、淡々とした合理主義者のペーターがこんな不合理な真似に出るとは。恋とは不思議なものだな、などと婚約破棄の申し出を受けた直後だというのにそんなことを考えてしまった。

 ──恋をしている人間は、こういう顔をしているのか。普段とあまり変わらないのだな。それとも、意中の相手の前ではないからだろうか。

「その話はどうぞ父と詳しく。私にはわかりかねますので」

「興味がないだけだろう」

「そんなことありませんよ」

 鏡を見なくてもよくわかる程の愛想笑いを張りつけて、私は答える。
 実際、図星だった。
 あの母がもういない以上、ペーターとの婚約には侯爵家との婚約以上の価値を見出だせなかった。それだけでも別にいいのだけれど、失くして惜しいとも思わない。その程度のものだ。

「──何かあるか?」

「はい?」

貴女きじょと次に会うのは婚約破棄の書面を交わす場になるだろう。その後はこうして会うこともない。個人的な会話をするのは今日が最後になるだろう。だから、恨み言や罵倒を浴びせるなら今のうちだぞ」

 まぁ、確かにそうなるだろう。
 相も変わらず、ペーターは淡々とした目でこちらを見ている。きっと、どんな言葉を浴びせても岩のように動じない。そもそも、そんな気も起きない。
 呆れることも、怒ることも、悲しむこともない。その感情の発露に意味を感じない。

「特にありませんね」

 真っ直ぐ、ペーターの目を見て答える。その瞳に写る私の目もまた、似たように淡々としていた。

「そうか」

 ペーターが立ち上がる。話はここまでらしい。

「父の元へ?」

「ああ」

「父は執務室におります。案内は──不要ですね」

「流石に覚えている」

 来訪が久しいとはいえ、五歳になる前から出入りしている家の構造は把握しているだろう。
 私も立ち上がってその背を見送る。最後に、その背に私は声を掛けた。

「それでは。ごきげんよう、

「──ああ」

 振り返ることなく短くそう答えて、ウォレスト様はその場を去っていった。

 また、婚約破棄の書面を交わす場で会うことになるだろうが、これが事実上の私とウォレスト様との別れだった。
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