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7.垣間見えた光(こころ)
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「アウグスト様の論でいうと、私は死体ですね」
「そうなっちゃうね。けれど、リスリアーノは綺麗な死体だよ」
まるで他にも生きた死体を見たことがあるような言い方をする。
死体であることを肯定された私は、両手を胸元まで掲げ、手のひらを見た。それから握る。そして開く。握る、開く。握る、開く。それを繰り返す。
その正常な動作を見つめ、この体は血流に滞りなく、活動していることを確認する。
体は確かに生きている。なら、アウグスト様の言う心はどうだろう?
目を閉じて胸に手を当ててみる。手触りのいい布越しに、トクン、トクンと一定速度で脈打つ心音を感じる。
──いや、これは体の「生」だ。
心──心──心は精神? 中枢神経なら、脳にあるのだろうか。
心の位置が体のどこに該当するのかわからず、自分の頭を触ってみる。それからつつーっと項に移動し、脊髄をなぞっていく。ここじゃない気もする。
「何してるの?」
「心がどこにあるのかと思いまして」
「心の位置? リスリアーノは面白いことを考えるね」
「アウグスト様はどこかご存知ですか?」
もしかしたらアウグスト様が滞在していた国では心の位置が解明されているかもしれないと、訊いてみた。
「うーん、心がどこにあるかの正確な位置は誰にもわからないんじゃないかなぁ。少なくとも、俺が今まで読んだどんな本や論文にも書かれてはいなかったよ」
「そうですか……」
──だめか。少し残念なような気がする。
別に心が生きていようが、死んでいようが、今こうして私が生きていることには関係ないのに。
「持論でいいなら真ん中にあると思うけど」
「体の中心ですか? お腹辺りとか?」
胃の辺りを擦ってみると、少し空腹を感じた。
そういえば公爵邸に来てからはウェルカムドリンクを飲んでから何も口にしていない。まぁ、いいか。
「肉体の話じゃなくて、こう──目を閉じると感じる内側に広がる空間みたいなものない?」
「? 目を瞑ったら何も見えませんよ?」
試してみるが、目蓋の裏の暗闇しか見えない。
「感覚的なものだから個人差があると思うし、説明が難しいな……俺の場合はそんな感じなんだよね。丸く広がる夜みたいに暗い空間があって、その真ん中に月みたいに輝く光があるの。それを見つめていると、何だか頭が冴える気がするんだよね」
「月──それが心、ですか?」
「俺にとっては」
「……」
もう一度、空を見上げる。
空の月は相変わらず顔を隠し、茫々とした光を放っている。
そこから垂れる糸に吊られるように、私は月を指差した。
「ああ、暗いと思ったら月に雲が懸かってたのか──月がどうかしたの?」
アウグスト様が私の指を辿って空を仰ぐ。
「…………あれ」
「うん?」
「あれ、だと思います──私の心は」
何を言っているのだろうか、私は。
あれはただの月。太陽の光を反射する丸い岩だ。
なのに、今日の月の顔が私に似ているせいだろうか。そんな気がしてしまった。
「月がリスリアーノの心ってこと? それとも月にリスリアーノの心があるってことなのかな?」
突拍子もない話をしていると思うのに、アウグスト様は指摘することなく、私の言葉に添って質問をしてくる。
私としては珍しく、何も考えずに発言してしまった。自分が理解していないものを他者に正しく伝えるのは不可能だ。だから、私は一拍考えてから答えた。
「いいえ。そうではなくて──多分、アウグスト様みたいに心が見えたら、私からはあんな風に見えるような気がして──雲懸かって、輪郭がはっきりしなくて、曖昧で──そんな感じが」
私には心の見方がわからない。けれど、例え見ることが出来ても、そんな風に見える気がした。
「雲懸かった心──それはまたわくわくする話だね!」
「……え」
この人は本当に私と感性が違うと思う。
人と会話をしてる時、相手の次の台詞はなんとなくわかるのだけれど、アウグスト様に限っては全く予想がつかない。
反応に困ってる私を置いて、アウグストがは楽しげだ。
「リスリアーノはその雲の向こうの心を見たことがないんでしょう?」
「え、ええ。そもそも、今日に至るまで考えたこともありませんし」
アウグスト様が両腕を空に伸ばす。友人を招くように開かれた両手の間に、淡い月が座している。
「素晴らしい! なんとも探求心が刺激される話じゃないか!」
「そうだよそうだよ。だって、あの雲の向こうにある月の姿はわかるけど、リスリアーノの心はまだわからないんだろう? それってつまり、新しい星を発見するくらいの驚きが潜んでるってことじゃないか!」
「そ、そんなことはないかと思いますけど──」
人一人の心の有り様が天文学的大発見と比べられる訳がない。
「ある! そうだ! だったら、それにしたらいいんじゃない?」
「何をです?」
「リスリアーノの退屈しのぎ」
「退屈しのぎ……ですか?」
「そうだよ。やりたいことがないなら、ひとまず自分の心の姿を観測するの。それさえわかれば、やりたいことも自ずと見つかると思うし」
やりたいこと……。
「けれど──私は──」
自分から何かをやろうとしたことはない。やろうとも思わない。
そうして生きてきたし、これからもそうあり続けるはず。
「やりたくないならやらなくてもいいと思うけど。けれど、退屈なら何かやらなくちゃ。じゃないと本当に死んじゃうよ」
「私は退屈なんて──」
思ってない、と言おうとしたら、アウグスト様がきょとんとした顔をした。
「え? だって、リスリアーノはさっき死体だって自分で言ったじゃない。それって退屈だと思ってるってことじゃないの?」
そう言ったアウグスト様の頭上では、ほんの僅かに月が顔を見せていた。
「そうなっちゃうね。けれど、リスリアーノは綺麗な死体だよ」
まるで他にも生きた死体を見たことがあるような言い方をする。
死体であることを肯定された私は、両手を胸元まで掲げ、手のひらを見た。それから握る。そして開く。握る、開く。握る、開く。それを繰り返す。
その正常な動作を見つめ、この体は血流に滞りなく、活動していることを確認する。
体は確かに生きている。なら、アウグスト様の言う心はどうだろう?
目を閉じて胸に手を当ててみる。手触りのいい布越しに、トクン、トクンと一定速度で脈打つ心音を感じる。
──いや、これは体の「生」だ。
心──心──心は精神? 中枢神経なら、脳にあるのだろうか。
心の位置が体のどこに該当するのかわからず、自分の頭を触ってみる。それからつつーっと項に移動し、脊髄をなぞっていく。ここじゃない気もする。
「何してるの?」
「心がどこにあるのかと思いまして」
「心の位置? リスリアーノは面白いことを考えるね」
「アウグスト様はどこかご存知ですか?」
もしかしたらアウグスト様が滞在していた国では心の位置が解明されているかもしれないと、訊いてみた。
「うーん、心がどこにあるかの正確な位置は誰にもわからないんじゃないかなぁ。少なくとも、俺が今まで読んだどんな本や論文にも書かれてはいなかったよ」
「そうですか……」
──だめか。少し残念なような気がする。
別に心が生きていようが、死んでいようが、今こうして私が生きていることには関係ないのに。
「持論でいいなら真ん中にあると思うけど」
「体の中心ですか? お腹辺りとか?」
胃の辺りを擦ってみると、少し空腹を感じた。
そういえば公爵邸に来てからはウェルカムドリンクを飲んでから何も口にしていない。まぁ、いいか。
「肉体の話じゃなくて、こう──目を閉じると感じる内側に広がる空間みたいなものない?」
「? 目を瞑ったら何も見えませんよ?」
試してみるが、目蓋の裏の暗闇しか見えない。
「感覚的なものだから個人差があると思うし、説明が難しいな……俺の場合はそんな感じなんだよね。丸く広がる夜みたいに暗い空間があって、その真ん中に月みたいに輝く光があるの。それを見つめていると、何だか頭が冴える気がするんだよね」
「月──それが心、ですか?」
「俺にとっては」
「……」
もう一度、空を見上げる。
空の月は相変わらず顔を隠し、茫々とした光を放っている。
そこから垂れる糸に吊られるように、私は月を指差した。
「ああ、暗いと思ったら月に雲が懸かってたのか──月がどうかしたの?」
アウグスト様が私の指を辿って空を仰ぐ。
「…………あれ」
「うん?」
「あれ、だと思います──私の心は」
何を言っているのだろうか、私は。
あれはただの月。太陽の光を反射する丸い岩だ。
なのに、今日の月の顔が私に似ているせいだろうか。そんな気がしてしまった。
「月がリスリアーノの心ってこと? それとも月にリスリアーノの心があるってことなのかな?」
突拍子もない話をしていると思うのに、アウグスト様は指摘することなく、私の言葉に添って質問をしてくる。
私としては珍しく、何も考えずに発言してしまった。自分が理解していないものを他者に正しく伝えるのは不可能だ。だから、私は一拍考えてから答えた。
「いいえ。そうではなくて──多分、アウグスト様みたいに心が見えたら、私からはあんな風に見えるような気がして──雲懸かって、輪郭がはっきりしなくて、曖昧で──そんな感じが」
私には心の見方がわからない。けれど、例え見ることが出来ても、そんな風に見える気がした。
「雲懸かった心──それはまたわくわくする話だね!」
「……え」
この人は本当に私と感性が違うと思う。
人と会話をしてる時、相手の次の台詞はなんとなくわかるのだけれど、アウグスト様に限っては全く予想がつかない。
反応に困ってる私を置いて、アウグストがは楽しげだ。
「リスリアーノはその雲の向こうの心を見たことがないんでしょう?」
「え、ええ。そもそも、今日に至るまで考えたこともありませんし」
アウグスト様が両腕を空に伸ばす。友人を招くように開かれた両手の間に、淡い月が座している。
「素晴らしい! なんとも探求心が刺激される話じゃないか!」
「そうだよそうだよ。だって、あの雲の向こうにある月の姿はわかるけど、リスリアーノの心はまだわからないんだろう? それってつまり、新しい星を発見するくらいの驚きが潜んでるってことじゃないか!」
「そ、そんなことはないかと思いますけど──」
人一人の心の有り様が天文学的大発見と比べられる訳がない。
「ある! そうだ! だったら、それにしたらいいんじゃない?」
「何をです?」
「リスリアーノの退屈しのぎ」
「退屈しのぎ……ですか?」
「そうだよ。やりたいことがないなら、ひとまず自分の心の姿を観測するの。それさえわかれば、やりたいことも自ずと見つかると思うし」
やりたいこと……。
「けれど──私は──」
自分から何かをやろうとしたことはない。やろうとも思わない。
そうして生きてきたし、これからもそうあり続けるはず。
「やりたくないならやらなくてもいいと思うけど。けれど、退屈なら何かやらなくちゃ。じゃないと本当に死んじゃうよ」
「私は退屈なんて──」
思ってない、と言おうとしたら、アウグスト様がきょとんとした顔をした。
「え? だって、リスリアーノはさっき死体だって自分で言ったじゃない。それって退屈だと思ってるってことじゃないの?」
そう言ったアウグスト様の頭上では、ほんの僅かに月が顔を見せていた。
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