上 下
7 / 25

7.垣間見えた光(こころ)

しおりを挟む
「アウグスト様の論でいうと、私は死体ですね」

「そうなっちゃうね。けれど、リスリアーノは綺麗な死体だよ」

 まるで他にも生きた死体を見たことがあるような言い方をする。
 死体であることを肯定された私は、両手を胸元まで掲げ、手のひらを見た。それから握る。そして開く。握る、開く。握る、開く。それを繰り返す。
 その正常な動作を見つめ、この体は血流に滞りなく、活動していることを確認する。
 体は確かに生きている。なら、アウグスト様の言う心はどうだろう?
 目を閉じて胸に手を当ててみる。手触りのいい布越しに、トクン、トクンと一定速度で脈打つ心音を感じる。
 ──いや、これは体の「生」だ。
 心──心──心は精神? 中枢神経なら、脳にあるのだろうか。
 心の位置が体のどこに該当するのかわからず、自分の頭を触ってみる。それからつつーっと項に移動し、脊髄をなぞっていく。ここじゃない気もする。

「何してるの?」

「心がどこにあるのかと思いまして」

「心の位置? リスリアーノは面白いことを考えるね」

「アウグスト様はどこかご存知ですか?」

 もしかしたらアウグスト様が滞在していた国では心の位置が解明されているかもしれないと、訊いてみた。

「うーん、心がどこにあるかの正確な位置は誰にもわからないんじゃないかなぁ。少なくとも、俺が今まで読んだどんな本や論文にも書かれてはいなかったよ」

「そうですか……」

 ──だめか。少し残念なような気がする。
 別に心が生きていようが、死んでいようが、今こうして私が生きていることには関係ないのに。

「持論でいいなら真ん中にあると思うけど」

「体の中心ですか? お腹辺りとか?」

 胃の辺りを擦ってみると、少し空腹を感じた。
 そういえば公爵邸に来てからはウェルカムドリンクを飲んでから何も口にしていない。まぁ、いいか。

「肉体の話じゃなくて、こう──目を閉じると感じる内側に広がる空間みたいなものない?」

「? 目を瞑ったら何も見えませんよ?」

 試してみるが、目蓋の裏の暗闇しか見えない。

「感覚的なものだから個人差があると思うし、説明が難しいな……俺の場合はそんな感じなんだよね。丸く広がる夜みたいに暗い空間があって、その真ん中に月みたいに輝く光があるの。それを見つめていると、何だか頭が冴える気がするんだよね」

「月──それが心、ですか?」

「俺にとっては」

「……」

 もう一度、空を見上げる。
 空の月は相変わらず顔を隠し、茫々とした光を放っている。
 そこから垂れる糸に吊られるように、私は月を指差した。

「ああ、暗いと思ったら月に雲が懸かってたのか──月がどうかしたの?」

 アウグスト様が私の指を辿って空を仰ぐ。

「…………あれ」

「うん?」

「あれ、だと思います──私の心は」

 何を言っているのだろうか、私は。
 あれはただの月。太陽の光を反射する丸い岩だ。
 なのに、今日の月の顔が私に似ているせいだろうか。そんな気がしてしまった。

「月がリスリアーノの心ってこと? それとも月にリスリアーノの心があるってことなのかな?」

 突拍子もない話をしていると思うのに、アウグスト様は指摘することなく、私の言葉に添って質問をしてくる。
 私としては珍しく、何も考えずに発言してしまった。自分が理解していないものを他者に正しく伝えるのは不可能だ。だから、私は一拍考えてから答えた。

「いいえ。そうではなくて──多分、アウグスト様みたいに心が見えたら、私からはあんな風に見えるような気がして──雲懸かって、輪郭がはっきりしなくて、曖昧で──そんな感じが」

 私には心の見方がわからない。けれど、例え見ることが出来ても、そんな風に見える気がした。

「雲懸かった心──それはまたわくわくする話だね!」

「……え」

 この人は本当に私と感性が違うと思う。
 人と会話をしてる時、相手の次の台詞はなんとなくわかるのだけれど、アウグスト様に限っては全く予想がつかない。
 反応に困ってる私を置いて、アウグストがは楽しげだ。

「リスリアーノはその雲の向こうの心を見たことがないんでしょう?」

「え、ええ。そもそも、今日こんにちに至るまで考えたこともありませんし」

 アウグスト様が両腕を空に伸ばす。友人を招くように開かれた両手の間に、淡い月が座している。

「素晴らしい! なんとも探求心が刺激される話じゃないか!」

「そうだよそうだよ。だって、あの雲の向こうにある月の姿はわかるけど、リスリアーノの心はまだわからないんだろう? それってつまり、新しい星を発見するくらいの驚きが潜んでるってことじゃないか!」

「そ、そんなことはないかと思いますけど──」

 人一人の心の有り様が天文学的大発見と比べられる訳がない。

「ある! そうだ! だったら、それにしたらいいんじゃない?」

「何をです?」

「リスリアーノの退屈しのぎ」

「退屈しのぎ……ですか?」

「そうだよ。やりたいことがないなら、ひとまず自分の心の姿を観測するの。それさえわかれば、やりたいことも自ずと見つかると思うし」

 やりたいこと……。

「けれど──私は──」

 自分から何かをやろうとしたことはない。やろうとも思わない。
 そうして生きてきたし、これからもそうあり続けるはず。

「やりたくないならやらなくてもいいと思うけど。けれど、退屈なら何かやらなくちゃ。じゃないと本当に死んじゃうよ」

「私は退屈なんて──」

 思ってない、と言おうとしたら、アウグスト様がきょとんとした顔をした。

「え? だって、リスリアーノはさっき死体だって自分で言ったじゃない。それって退屈だと思ってるってことじゃないの?」

 そう言ったアウグスト様の頭上では、ほんの僅かに月が顔を見せていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

泣き虫令嬢は自称商人(本当は公爵)に愛される

琴葉悠
恋愛
 エステル・アッシュベリーは泣き虫令嬢と一部から呼ばれていた。  そんな彼女に婚約者がいた。  彼女は婚約者が熱を出して寝込んでいると聞き、彼の屋敷に見舞いにいった時、彼と幼なじみの令嬢との不貞行為を目撃してしまう。  エステルは見舞い品を投げつけて、馬車にも乗らずに泣きながら夜道を走った。  冷静になった途端、ごろつきに囲まれるが謎の商人に助けられ──

拝啓 お顔もお名前も存じ上げない婚約者様

オケラ
恋愛
15歳のユアは上流貴族のお嬢様。自然とたわむれるのが大好きな女の子で、毎日山で植物を愛でている。しかし、こうして自由に過ごせるのもあと半年だけ。16歳になると正式に結婚することが決まっている。彼女には生まれた時から婚約者がいるが、まだ一度も会ったことがない。名前も知らないのは幼き日の彼女のわがままが原因で……。半年後に結婚を控える中、彼女は山の中でとある殿方と出会い……。

婚約者と妹の不貞を知って幼なじみに泣きついたら、何故か辺境伯領にいた。

夢草 蝶
恋愛
 伯爵令嬢・クリスティは婚約者のオーフェルとの結婚式を間近に控えていた。  しかし、その矢先にオーフェルとクリスティの妹・リスミィの不貞が発覚する。  本人たちは反省の素振りもなく、世間体重視の両親も二人を叱るどころかクリスティを責める始末。  耐えられなくなったクリスティは幼なじみであるヴィクトの部屋に突撃し、大泣きした。  結婚したくないと泣くクリスティに、ヴィクトは「分かった」と答え、何故か気づけばクリスティはヴィクトの伯父が治める辺境伯領へ連れて来られていた。

私の悪評? って、広げてるの婚約者かよ!?

夢草 蝶
恋愛
 日誌を書いていたリリカは、同じ日直のクラウスから自分の悪い噂を聞く。  怒りに駆り立てられたリリカが犯人を探しに駆け回ると、思いもよらない犯人が現れて?

私との婚約は、選択ミスだったらしい

柚木ゆず
恋愛
 ※5月23日、ケヴィン編が完結いたしました。明日よりリナス編(第2のざまぁ)が始まり、そちらが完結後、エマとルシアンのお話を投稿させていただきます。  幼馴染のリナスが誰よりも愛しくなった――。リナスと結婚したいから別れてくれ――。  ランドル侯爵家のケヴィン様と婚約をしてから、僅か1週間後の事。彼が突然やってきてそう言い出し、私は呆れ果てて即婚約を解消した。  この人は私との婚約は『選択ミス』だと言っていたし、真の愛を見つけたと言っているから黙っていたけど――。  貴方の幼馴染のリナスは、ものすごく猫を被ってるの。  だから結婚後にとても苦労することになると思うけど、頑張って。

人の話を聞かない婚約者

夢草 蝶
恋愛
 私の婚約者は人の話を聞かない。

王子様、あなたの不貞を私は知っております

岡暁舟
恋愛
第一王子アンソニーの婚約者、正妻として名高い公爵令嬢のクレアは、アンソニーが自分のことをそこまで本気に愛していないことを知っている。彼が夢中になっているのは、同じ公爵令嬢だが、自分よりも大部下品なソーニャだった。 「私は知っております。王子様の不貞を……」 場合によっては離縁……様々な危険をはらんでいたが、クレアはなぜか余裕で? 本編終了しました。明日以降、続編を新たに書いていきます。

聖女を騙って処刑されたと言われている私ですが、実は隣国で幸せに暮らしています。

木山楽斗
恋愛
聖女エルトナは、彼女を疎む王女の策略によって捕まっていた。 牢屋の前でやって来た王女は、エルトナのことを嘲笑った。王女にとって、平民の聖女はとても気に食わない者だったのだ。 しかしエルトナは、そこで牢屋から抜け出した。類稀なる魔法の才能を有していた彼女にとって、拘束など意味がないものだったのだ。 エルトナのことを怖がった王女は、気絶してしまった。 その隙にエルトナは、国を抜け出して、隣国に移ったのである。 王国は失態を隠すために、エルトナは処刑されたと喧伝していた。 だが、実際は違った。エルトナは隣国において、悠々自適に暮らしているのである。

処理中です...