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6.退屈という名の凶器

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「やりたいことがないなんて凄いよ! 可能性の塊じゃないか!」

「はい?」

 そんなことを言われたことがなくて、私は面食らう。何がどうしてそんなことに?

「そんなことはないと思いますが……」

「ううん、あるよ! やりたいことがないってことは、例えるなら今のリスリアーノは空の本棚の状態なんだ。何もないからからこそ、好きに色んな本を詰め込めるんだよ」

「仰っている意味がよくわかりません……」

 アウグスト様が拳を握って力説するけど、理解が出来ない。
 やりたいことがないというのは、単に空虚なだけだ。そしてそれはこれからも変わらないことだと思ってる。不変である以上、可能性が芽生える土壌もない。なのにどうしてアウグスト様はこんなに楽しそうな顔をしているのだろう。

「わかりにくかった? うーん、じゃあ言い方を変えると、リスリアーノは視野が広いってこと」

「視野が広い?」

「うん。俺とは正反対にね。俺って覚えてる限りでやりたいことがないって状態の時が人生で一度もなかったからさ。いつも何かに熱中しちゃう性質たちなんだ」

「そちらの方がよいことなのではないですか?」

 少なくとも私よりは生産性はあるだろう。

「勿論。楽しいし俺は満足している。けれど、同時にもったいないとも思うんだよね。やりたいことに熱中しているってことは、他が見えてないってことだから。ひとつの宝物があったとして、そればかりをじっと見つめてて、その隣にもっと大きな宝物があることに気づかない──みたいなこともあるんじゃないかなーって」

「手に入れた鶏が卵を産む雌鳥と知らずに食べてしまった、みたいな話でしょうか」

「んー、ちょっと違うかなぁ」

 目先の利益に気を取られて、もっと大きな利益を得る好機を逃すという話かと思ったがそうではないらしい。
 育ってきた環境か性別の違いのせいかはわからないが、価値観の相違を感じる。特にアウグスト様は海外の生活も長いし、私とはかなり異なる視点を持ってそうだ。

「そうですか。では、私の視野が広いと評されたのは、やりたいことや見定めるべきものがないからこそ俯瞰して物事を眺めることが出来る、ということですか?」

「うん、そっちは合ってる。空を見ても綺麗な魚は見つけられないし、海を見ても珍しい鳥は見つけられない。けれど遠くから両方を見つめれば、何かを見つけられる可能性は二倍にも三倍にもなる。もしかしたら、百倍にもなるかも! それはとても凄いことだよ」

 アウグスト様がコクコクと頷く。
 初めて言われた。アウグスト様はひとつの物事に集中してしまう性質だから、俯瞰した視点を持つ私が物珍しいらしい。

「リスリアーノみたいな視点を持つ人が、どんなやりたいことを見つけるかすっごく興味ある。見つけたら、ぜひ教えてね」

 楽しそうにアウグスト様が言うが、私としてはその期待には答えられそうにない。あまりがっかりさせないうちに、私は首を横に振った。

「申し訳ありませんが、ご期待には添えないかと」

「どうして?」

「私が自発的に何かを望むことはないからです。やりたいことを見つけるつもりも、探すつもりもないので」

 思ったことをはっきりと言うと、アウグスト様は驚いた顔をした後、初めて険しい表情を浮かべた。

「それは良くない」

 今までとは打って変わって、法廷で判決を下す裁判長のような断定的な物言い。何かアウグスト様の琴線に触れてしまったのだろうか。

「それは良くないよ」

「……」

 余程大事なことなのか、言葉を重ねるアウグスト様にどう返せばいいのかわからず、私は何も答えなかった。
 それを説明を求める無言の訴えと捉えたのか、アウグスト様は続けた。

「やりたいことがないのはいい。それはこれから先にやりたいことを見つける上では、むしろ利になることもあると思うし。けれど、見つけることをしないのはだめだ」

「何故ですか?」

「退屈だから」

「退……屈……はい?」

 予想もしない理由に私はぽかんとしてしまった。
 退屈だからだめ? いや、私の人生なんて大半の人間からしたら退屈なものだろうけれど。けれど、こんな風に悪いことのように言われることもないだろう。

「退屈なのはだめなのですか?」

「だめだね。大いにだめだ」

「そんなにだめですか……」

 ここまではっきりと言われると本当にだめな気がしてくる。
 別に退屈な人生も悪くはないと思うのだが、公爵令息に言われると改めておいた方がいいかもしれない。何が原因でフィルメンティ家に飛び火するかもわからないし。

「具体的には何がだめなのでしょうか?」

「だって、退屈は人を殺すから」

 また何とも極端な答えがきた。

「退屈でも人は死なないと思いますけど」

「そりゃ実際には死なないよ」

 アウグスト様がくすくすと笑う。勿論私だってアウグスト様が退屈が人の心臓を止めるという意味で言ったとは思っていない。

「でも、体よりも先に心が死ぬことは往々にしてあるよ」

「心身二元論ですか?」

「そんな難しい話じゃないよ。ただ、体は結局は器。その器を動かす指示を出すのは心だ。だから、心が死んでいたらそれはただの生きた死体と変わらないよ」

 ──もし、アウグスト様の言うことが正しいのなら、私は死体なのだろうか?
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