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5.雲の向こうに正体はあるか
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「これがアウグスト様の疑問に対する答えです。ご納得いただけたでしょうか?」
「うん、教えてくれてありがとう。話しにくいことだったでしょう?」
「一般的には醜聞に当たる話ですからね。私としましては他人の評価を気にしたことがないので、構いませんが──やっぱり面白くなかったでしょう」
元々、両親のあれやこれやのせいで、私自身にも半年に一回くらいの頻度で根も葉もない噂が立っていた。今は家の方も落ち着いているのと、貴族の話題は山の天気よりも変わりやすいのもあって、時々婚約者との件が話題に上がるくらいだが。
本当かどうかもわからない噂で何時間も楽しめる人達をよく見てきたおかげか、どんな噂を立てられてもすぐに話題が他に移ると学んだおかげで他人からどう見られているかを全く気にしなくなった。
あまりにも気にしないせいで、友人には「せめて事実無根の噂は否定しておきなさいよ」と呆れられる始末。それでも私が放っておくものだから、度々友人が善意で情報操作をして火消しに務めてくれている。
「人の言葉に左右されないのはいいね。あれは基本的に毒だから──話の内容は面白いとか面白くないで測るものじゃなかったけど、新たな知見というか、驚きを得ることは出来たよ。色んな人がいるんだねぇ」
しみじみと驚きを噛み締めているアウグスト様を見て私は思った。
もしや、私は公爵令息に余計な知識を植えつけてしまったのでは……。
古今東西には箱入りの令嬢を酒場に連れてって少し下世話な話を聞かせてしまったために三年に渡る裁判沙汰になった、なんて話もある。いや、アウグスト様は箱入り令嬢ではないけど。でも箱入りっぽくはあるな。公爵家の教育方針によっては、私が今話した内容は公爵の怒りを買うかもしれないのでは? 一度そう考えると内心に冷や汗が伝う心地がした。
「アウグスト様……」
「なーに?」
「当家にはまだ幼い弟がおりますゆえ……どうか私の首で手打ちに……」
「急にどうしたの!!?」
「やはりお耳汚しをしてしまったと思いまして。尊き御身にこのような話をお聞かせしてしまったこと、深く反省しております」
「いや、訊ねたの俺の方だからね? 反省する必要はひとつもないからね? それに俺は尊くも偉くもないよ」
「そんなことはないと思いますが」
いや、数代遡れば時の王の名前に行き着く公爵家の令息がそれは無理がある。けれど、この様子だとどうやら不問で済むようだ。よかった。
ほっと息を吐き出して、ふと空を見上げる。
気づけば丸い月には薄雲が懸かっている。朧月だ。ぼんやりとした輪郭を見ていると、なんだか私みたいだな、なんて感想を抱く。曖昧で、はっきりしなくて、どこまでも正体が見えない。
あの雲の向こうにあるのは凛と輝く月だということは知っているけれど、私に懸かる雲の向こうにあるものはなんなんだろう。遥か天上にある月の姿はわかるのに、自分の中にあるはずの正体がわからないというのもおかしな話だ。
──って、私は何を考えているんだろう。
どうも今日はおかしな夜だ。
見たくもないものを見るし、初めて会った人と話すし、やけに考えてしまう。
「ねぇ、リスリアーノ」
「なんでしょう?」
思考の渦に引き込まれそうになったところをアウグスト様の声で引き戻された。
「リスリアーノは、このままその婚約者と結婚したらどうするの?」
「どう、とは?」
「ごめんね、また気になっちゃって。俺はまだ婚約者とかいないから、上手く想像出来ないっていうのもあるんだろうけど、リスリアーノはそれともちょっと違うっていうか──これから先を何をして生きていくかがわからないというか──だから教えて欲しいな」
これから、先?
アウグスト様の質問の意図がわからなくて、首を傾げる。私の先行きなんて、なんでそんなものが気になるのだろうか。
それでも訊かれたのだから答えようと、想像してみる。
「特に何もありませんね」
「ないってことはないでしょう。今やっていることとか、これからやりたいこととか。ね? たくさんあるでしょう?」
「ありません。強いて言うなら、寝て起きて食べて呼吸して、時々家のことをするくらいですね」
今までの日々を思い返すとそんなことの繰り返し。寝て起きて食べて呼吸して、時々家の仕事を手伝ったり、夜会やお茶会に顔を出したり。あとは友人から誘われたら一緒に遊ぶくらいだろうか。
基本的に私は必要なことしかしない。したくないわけではなく、することに意味を見出だせないのだ。だからやることがない時はやることが出来るか、やることをする時間になるまでじっとしている。私があまりにも動かないものだから、この間私が死んだと勘違いした弟を泣かせてしまった。悪いことをしたと思ったので、最近はちゃんと側に『生存中』と書いた立て札をしている。
だから、これから先もそんな感じに同じような日々を過ごすのだろうなと漠然と考える。
明日も、明後日も、来月も、来年も。結婚しても。それが死ぬまで続くのだろう。
「やりたいこと、ないの?」
「はい」
「興味のあるものは?」
「特には」
「好きなものとかは?」
「思いつきませんね」
「将来の夢は!?」
「ありません」
ないないないない、ないない尽くし。
いくら考えても「ない」以外の答えは出てこない。
同じ答えしか返さないものだから、とうとうアウグスト様が俯いてしまった。肩がふるふると震えている。もしかして怒っているのだろうか?
「────ごい」
「はい?」
アウグスト様が小さな声で何かを呟く。
聞き取れなくて思わず聞き返すと、アウグスト様がばっと顔を上げ、今度は大きな声で言った。
「~~~~凄い!!!」
「うん、教えてくれてありがとう。話しにくいことだったでしょう?」
「一般的には醜聞に当たる話ですからね。私としましては他人の評価を気にしたことがないので、構いませんが──やっぱり面白くなかったでしょう」
元々、両親のあれやこれやのせいで、私自身にも半年に一回くらいの頻度で根も葉もない噂が立っていた。今は家の方も落ち着いているのと、貴族の話題は山の天気よりも変わりやすいのもあって、時々婚約者との件が話題に上がるくらいだが。
本当かどうかもわからない噂で何時間も楽しめる人達をよく見てきたおかげか、どんな噂を立てられてもすぐに話題が他に移ると学んだおかげで他人からどう見られているかを全く気にしなくなった。
あまりにも気にしないせいで、友人には「せめて事実無根の噂は否定しておきなさいよ」と呆れられる始末。それでも私が放っておくものだから、度々友人が善意で情報操作をして火消しに務めてくれている。
「人の言葉に左右されないのはいいね。あれは基本的に毒だから──話の内容は面白いとか面白くないで測るものじゃなかったけど、新たな知見というか、驚きを得ることは出来たよ。色んな人がいるんだねぇ」
しみじみと驚きを噛み締めているアウグスト様を見て私は思った。
もしや、私は公爵令息に余計な知識を植えつけてしまったのでは……。
古今東西には箱入りの令嬢を酒場に連れてって少し下世話な話を聞かせてしまったために三年に渡る裁判沙汰になった、なんて話もある。いや、アウグスト様は箱入り令嬢ではないけど。でも箱入りっぽくはあるな。公爵家の教育方針によっては、私が今話した内容は公爵の怒りを買うかもしれないのでは? 一度そう考えると内心に冷や汗が伝う心地がした。
「アウグスト様……」
「なーに?」
「当家にはまだ幼い弟がおりますゆえ……どうか私の首で手打ちに……」
「急にどうしたの!!?」
「やはりお耳汚しをしてしまったと思いまして。尊き御身にこのような話をお聞かせしてしまったこと、深く反省しております」
「いや、訊ねたの俺の方だからね? 反省する必要はひとつもないからね? それに俺は尊くも偉くもないよ」
「そんなことはないと思いますが」
いや、数代遡れば時の王の名前に行き着く公爵家の令息がそれは無理がある。けれど、この様子だとどうやら不問で済むようだ。よかった。
ほっと息を吐き出して、ふと空を見上げる。
気づけば丸い月には薄雲が懸かっている。朧月だ。ぼんやりとした輪郭を見ていると、なんだか私みたいだな、なんて感想を抱く。曖昧で、はっきりしなくて、どこまでも正体が見えない。
あの雲の向こうにあるのは凛と輝く月だということは知っているけれど、私に懸かる雲の向こうにあるものはなんなんだろう。遥か天上にある月の姿はわかるのに、自分の中にあるはずの正体がわからないというのもおかしな話だ。
──って、私は何を考えているんだろう。
どうも今日はおかしな夜だ。
見たくもないものを見るし、初めて会った人と話すし、やけに考えてしまう。
「ねぇ、リスリアーノ」
「なんでしょう?」
思考の渦に引き込まれそうになったところをアウグスト様の声で引き戻された。
「リスリアーノは、このままその婚約者と結婚したらどうするの?」
「どう、とは?」
「ごめんね、また気になっちゃって。俺はまだ婚約者とかいないから、上手く想像出来ないっていうのもあるんだろうけど、リスリアーノはそれともちょっと違うっていうか──これから先を何をして生きていくかがわからないというか──だから教えて欲しいな」
これから、先?
アウグスト様の質問の意図がわからなくて、首を傾げる。私の先行きなんて、なんでそんなものが気になるのだろうか。
それでも訊かれたのだから答えようと、想像してみる。
「特に何もありませんね」
「ないってことはないでしょう。今やっていることとか、これからやりたいこととか。ね? たくさんあるでしょう?」
「ありません。強いて言うなら、寝て起きて食べて呼吸して、時々家のことをするくらいですね」
今までの日々を思い返すとそんなことの繰り返し。寝て起きて食べて呼吸して、時々家の仕事を手伝ったり、夜会やお茶会に顔を出したり。あとは友人から誘われたら一緒に遊ぶくらいだろうか。
基本的に私は必要なことしかしない。したくないわけではなく、することに意味を見出だせないのだ。だからやることがない時はやることが出来るか、やることをする時間になるまでじっとしている。私があまりにも動かないものだから、この間私が死んだと勘違いした弟を泣かせてしまった。悪いことをしたと思ったので、最近はちゃんと側に『生存中』と書いた立て札をしている。
だから、これから先もそんな感じに同じような日々を過ごすのだろうなと漠然と考える。
明日も、明後日も、来月も、来年も。結婚しても。それが死ぬまで続くのだろう。
「やりたいこと、ないの?」
「はい」
「興味のあるものは?」
「特には」
「好きなものとかは?」
「思いつきませんね」
「将来の夢は!?」
「ありません」
ないないないない、ないない尽くし。
いくら考えても「ない」以外の答えは出てこない。
同じ答えしか返さないものだから、とうとうアウグスト様が俯いてしまった。肩がふるふると震えている。もしかして怒っているのだろうか?
「────ごい」
「はい?」
アウグスト様が小さな声で何かを呟く。
聞き取れなくて思わず聞き返すと、アウグスト様がばっと顔を上げ、今度は大きな声で言った。
「~~~~凄い!!!」
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