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4.お飾りの婚約者
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「……お母さん、お亡くなりになられてたんだね」
「ええ、流行り病を患ってそのまま──気にしないでください。どのみち──いえ、何でもありません」
「?」
さっきの失敗から学んで、今度は言葉にする前に口を噤んだ。おかげで更なる追求を受けずに済んだ。
──それに、どのみち病で死ななくても長生きは出来なかったでしょうから、なんて言えるわけない。
本音を言ってしまえば、あの母は天寿を全うするより先に恨みを買った誰かから刺されると思っていたから。病で亡くなったのには私も驚いた。けれど、誰かに刺されて死ぬくらいなら病で死んだ方がマシとかあの母なら言いかねない。なら、ある意味らしい死に様だったのかもしれない。
娘ながら酷いことを思っている自覚はある。
「話を戻しますね。母が亡くなって少し経ってからでしょうか? 婚約者に変化が現れたのは。まるで首輪が外れて野に帰った野犬のように自由な振る舞いが目立つようになりました。平民の子と遊んだり、夜に抜け出して町へ行ったり、女性からの招待を受けるようになったり」
母が亡くなったのは私達が十歳の時だったけれど、そのずっと前から教育が厳しかった。
品位が下がるから目下の人間とは遊ぶな、夜遊びをしたり、異性と関わったり、風評をつくる真似はするななど。正直過度な点はあったけれど、意見なんてしようものなら烈火のように怒り狂って如何に自分が正しいかを延々語り聞かされるだけなのはわかっていたから、私も婚約者も母の言葉に逆らったことはなかった。
母が亡くなってからも、私はなんとなく母の言葉に従って生きている。けれど婚約者はそれとは真逆の道を選んだらしい。抑圧された反動なのか反発なのか、今となってはすっかり素行がいいとは言えなくなってしまった。
「本来なら私が諫めるべきだったのでしょうけれど、その後、私の方の実家がかなりごたごたしてしまって。気づけば婚約者との溝はどんどん深くなっていました」
一人の暴君によって決められた婚約の当事者である私達は、互いに執着がなかった。ただ一本の釘で打ち付けられた二枚の板のように身動きが出来なかっただけ。なら、その釘がなくなってしまえばズレが生じるのもおかしなことではない。
「それで気づいたら婚約者には恋人が出来ていた……という次第でして……」
「え、恋人……あれ? えっと、婚約は──」
「継続中ですね」
「えええええっ!!?」
アウグスト様が飛び上がらんばかりに驚いて目を丸くする。
「待って、えっと、え? 婚約は継続していているんだよね? それでその婚約者には恋人がいて、それはリスリアーノではないんだよね?」
「はい」
「???」
未知との遭遇を経たように固まってしまったアウグスト様。さっきのあのキスを目撃した時の反応からしてかなり純粋な人のようだし、不貞や姦通などの話について耐性がないらしい。
「アウグスト様、大丈夫ですか?」
「あ、うん……いや、ちょっと待って。理解が追いつかない。なんで恋人がいるのに、婚約が続いているの? リスリアーノの口振りからして、リスリアーノ自身が婚約を取り止めるのに反対してるようには聞こえなかったけど」
「私としては興味ないことなので」
「興味ない?」
「はい」
「自分の婚約なのに?」
「はい」
「???」
アウグスト様がますます意味がわからないと言いたげな顔になる。そんなに驚くことだろうか? 貴族の婚約なんて大抵自分の意思関係なく決められるのだから、そんなに関心を抱くようなものでもないだろうに。
「わ、わかった。とりあえず、リスリアーノはそれでいいとして──いい、のかな? まぁ、置いといて、どうして婚約者の人は恋人がいるのに婚約をそのままにしているの? その、一番影響力のあったお母さんはもういないんだし──勿論、婚約の取り止めなんて簡単なものじゃないとは思うけど、このままじゃ恋人がいる状態で結婚することになっちゃわない?」
婚約は結婚の約束だから、いずれはそうなる。
とは言え、婚約中に他に恋人や愛人をつくる貴族も少なくはない。アウグスト様にそういう発想はなさそうだけど、一時の火遊びというのもあるし、関係を続けたまま婚約者と結婚する人だっている。
私達の場合、このまま突き進めば後者になりそうだけど。
「そうですね。このまま話が進めば、そうなりますね」
「な、なんでそんなことに……?」
「早い話、相手の身分が侯爵家に見合わないんですよ」
確か、婚約者の恋人は一代限りの騎士爵を賜った家の一人娘。男爵家か、運が良ければ子爵家に正妻として嫁げるくらいの家格だ。対して婚約者は侯爵家の跡取り。婚約者自身が望んでも、周囲が認めないだろう。
「立場上結婚しない訳にもいきませんし、私を公的な妻に据えて、恋人を事実上の妻にしたいようですよ」
「公的な妻と……事実上の妻……」
言葉の意味を頭が処理しきれないのか、アウグスト様が再び固まる。頭からぷすんぷすんと煙が登りそうな顔だ。
さて、婚約の経緯も今の婚約者の現状も説明し終えたし、そろそろ総括に入って話を切り上げてもいいだろう。
「結婚するかどうかわからないと言ったのは、今後婚約者が心変わりしないとも限らないからです。けれど、今のところはその様子はありませんし、要は私は表向きに都合がいいお飾りの婚約者ってことですよ」
「ええ、流行り病を患ってそのまま──気にしないでください。どのみち──いえ、何でもありません」
「?」
さっきの失敗から学んで、今度は言葉にする前に口を噤んだ。おかげで更なる追求を受けずに済んだ。
──それに、どのみち病で死ななくても長生きは出来なかったでしょうから、なんて言えるわけない。
本音を言ってしまえば、あの母は天寿を全うするより先に恨みを買った誰かから刺されると思っていたから。病で亡くなったのには私も驚いた。けれど、誰かに刺されて死ぬくらいなら病で死んだ方がマシとかあの母なら言いかねない。なら、ある意味らしい死に様だったのかもしれない。
娘ながら酷いことを思っている自覚はある。
「話を戻しますね。母が亡くなって少し経ってからでしょうか? 婚約者に変化が現れたのは。まるで首輪が外れて野に帰った野犬のように自由な振る舞いが目立つようになりました。平民の子と遊んだり、夜に抜け出して町へ行ったり、女性からの招待を受けるようになったり」
母が亡くなったのは私達が十歳の時だったけれど、そのずっと前から教育が厳しかった。
品位が下がるから目下の人間とは遊ぶな、夜遊びをしたり、異性と関わったり、風評をつくる真似はするななど。正直過度な点はあったけれど、意見なんてしようものなら烈火のように怒り狂って如何に自分が正しいかを延々語り聞かされるだけなのはわかっていたから、私も婚約者も母の言葉に逆らったことはなかった。
母が亡くなってからも、私はなんとなく母の言葉に従って生きている。けれど婚約者はそれとは真逆の道を選んだらしい。抑圧された反動なのか反発なのか、今となってはすっかり素行がいいとは言えなくなってしまった。
「本来なら私が諫めるべきだったのでしょうけれど、その後、私の方の実家がかなりごたごたしてしまって。気づけば婚約者との溝はどんどん深くなっていました」
一人の暴君によって決められた婚約の当事者である私達は、互いに執着がなかった。ただ一本の釘で打ち付けられた二枚の板のように身動きが出来なかっただけ。なら、その釘がなくなってしまえばズレが生じるのもおかしなことではない。
「それで気づいたら婚約者には恋人が出来ていた……という次第でして……」
「え、恋人……あれ? えっと、婚約は──」
「継続中ですね」
「えええええっ!!?」
アウグスト様が飛び上がらんばかりに驚いて目を丸くする。
「待って、えっと、え? 婚約は継続していているんだよね? それでその婚約者には恋人がいて、それはリスリアーノではないんだよね?」
「はい」
「???」
未知との遭遇を経たように固まってしまったアウグスト様。さっきのあのキスを目撃した時の反応からしてかなり純粋な人のようだし、不貞や姦通などの話について耐性がないらしい。
「アウグスト様、大丈夫ですか?」
「あ、うん……いや、ちょっと待って。理解が追いつかない。なんで恋人がいるのに、婚約が続いているの? リスリアーノの口振りからして、リスリアーノ自身が婚約を取り止めるのに反対してるようには聞こえなかったけど」
「私としては興味ないことなので」
「興味ない?」
「はい」
「自分の婚約なのに?」
「はい」
「???」
アウグスト様がますます意味がわからないと言いたげな顔になる。そんなに驚くことだろうか? 貴族の婚約なんて大抵自分の意思関係なく決められるのだから、そんなに関心を抱くようなものでもないだろうに。
「わ、わかった。とりあえず、リスリアーノはそれでいいとして──いい、のかな? まぁ、置いといて、どうして婚約者の人は恋人がいるのに婚約をそのままにしているの? その、一番影響力のあったお母さんはもういないんだし──勿論、婚約の取り止めなんて簡単なものじゃないとは思うけど、このままじゃ恋人がいる状態で結婚することになっちゃわない?」
婚約は結婚の約束だから、いずれはそうなる。
とは言え、婚約中に他に恋人や愛人をつくる貴族も少なくはない。アウグスト様にそういう発想はなさそうだけど、一時の火遊びというのもあるし、関係を続けたまま婚約者と結婚する人だっている。
私達の場合、このまま突き進めば後者になりそうだけど。
「そうですね。このまま話が進めば、そうなりますね」
「な、なんでそんなことに……?」
「早い話、相手の身分が侯爵家に見合わないんですよ」
確か、婚約者の恋人は一代限りの騎士爵を賜った家の一人娘。男爵家か、運が良ければ子爵家に正妻として嫁げるくらいの家格だ。対して婚約者は侯爵家の跡取り。婚約者自身が望んでも、周囲が認めないだろう。
「立場上結婚しない訳にもいきませんし、私を公的な妻に据えて、恋人を事実上の妻にしたいようですよ」
「公的な妻と……事実上の妻……」
言葉の意味を頭が処理しきれないのか、アウグスト様が再び固まる。頭からぷすんぷすんと煙が登りそうな顔だ。
さて、婚約の経緯も今の婚約者の現状も説明し終えたし、そろそろ総括に入って話を切り上げてもいいだろう。
「結婚するかどうかわからないと言ったのは、今後婚約者が心変わりしないとも限らないからです。けれど、今のところはその様子はありませんし、要は私は表向きに都合がいいお飾りの婚約者ってことですよ」
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