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婚約破棄して平和になった?

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「トルグ様を返してください」

 いきなり目の前に現れた少女は、涙で瞳を潤ませてそう懇願してきました。

「エート、まずはどちら様でしょう?」

 向こうは私をご存知のようですが、私にとっては完全に初対面の彼女に、私はお名前を尋ねました。

「ミグシャ・・・・・・ミグシャ・フランフォースと申します」

「そう。ミグシャ様、トルグ様を返してとはどういう意味でしょうか?」

 正直、この時点でろくなことにならないという予感がありました。
 トルグ様というのは、私の婚約者の方です。その婚約者を返してと涙ながらに訴えてくる女性──ウーン、考えられる中で一番可能性が高いのは──

「言葉通りの意味です! 私とトルグ様は愛し合っているんです! だから、トルグ様を盗らないで! 返してください!」

「ナルホド」

 まぁ、そういうことですよねぇ。
 ミグシャ様の叫びに、私は遠くを見つめてただ頷きました。
 私の婚約者様──トルグ様はどうやら、このミグシャ様と愛を育んでいたようです。婚約者がある身でありながら。

 サテ、どうしたものでしょうか?

「トルグ様はなんと仰っているのでしょうか?」

「トルグ様は、フューシャ様との婚約は公爵家からの申し出だから、自分から断ることは出来ない。それでも愛しているのは君だけだと言っていました!」

「左様ですか」

 確かに、私とトルグ様との婚約は私の実家である公爵家からトルグ様のご実家である伯爵家に申し込んだものです。
 少々事情がありまして、すぐに私に婚約者を宛がいたかった現当主であお兄様が急いで話を進めたものでした。

 だからまぁ、突然よく知らない相手が婚約者になってトルグ様も困惑されたとは思います。けど、だからと言って、ミグシャ様との件は看過出来ません。

 公爵家からの申し入れを伯爵家が断るのは難しいでしょうけど、ちゃんとお話して下さったら、私からお兄様にお願いして婚約を白紙に戻して頂くこともやぶさかではありませんでしたのに。

 ミグシャ様のお話からして、トルグ様は結婚してもミグシャ様との関係を続ける可能性は大です。
 けれど、不倫に走るような方を旦那様にするのは嫌です。
 なので、ミグシャ様のご希望に沿うことに致しました。

「ミグシャ様のお気持ちはよぉく分かりました。けれど、トルグ様との婚約は私の実家が決めたこと。私の力ではどうすることも出来ないのです」

 申し訳なさそうにして事実を伝えると、ミグシャ様は目に見えてしゅんとしてしまいました。

「そんなぁ・・・・・・どうして私たちを引き裂こうとするのですか・・・・・・」

「落ち込まないで下さい。手がないわけではありません」

「っ! 本当ですか!?」

「ええ」

 期待に瞳をキラキラ輝かせるミグシャ様に、私は頷いて見せました。
 わざわざ単身で交際相手の婚約者の元へやって来る方ですもの。相当の覚悟なのでしょう。なら、面倒なことは全て押しつけてしまってもいいですよね?

「私ではこの婚約をどうこうすることは出来ません。出来るのはお決めになられた私のお兄様だけ──ですので、ミグシャ様を我が家でご招待致します。そこで私に話した内容をそっくりそのままお兄様に申し上げてみてはどうでしょう?」

 私はミグシャ様にお兄様に対する直訴を提案致しました。
 ミグシャ様からお兄様にトルグ様の真実をお伝え頂ければ、後は勝手にお兄様が処理なさって下さるでしょう。訳アリとはいえ、婚約中に他の女性と関係を持つ方をそのまま婚約者に据えておくというのは、お兄様の性格からして有り得ないでしょうし。

「素晴らしい案ですわ! 誠心誠意お願いすれば、きっと公爵様も分かってくれますわ!」

「ええ。きっと」

 ──その前に浮気という不誠実な行いに対する制裁があるでしょうけど。

 それは口には出さず、私は思い立ったが吉日とその日のうちにミグシャ様を我が家へとご招待致しました。
 お兄様の執務室まで送り届け、後は知らん顔を通しました。
 その日の夜のお兄様は大変不機嫌で、明日トルグ様を呼び出して話を訊くと仰いました。




「違うんだ、フューシャ! ミグシャとのことは魔が差したと言うか──」

「アラ? 別に私に言い訳なんてしなくていいのですよ? ミグシャ様からお話は全て聞かせて頂きましたから」

 お兄様に我が家へ呼び出されたトルグ様は、ミグシャ様のことを伝えると瞬く間に血の気が引いた顔になり、違うとか誤解だとか言い始めました。

「それはミグシャが勝手に言ってることだ! ただの遊びのつもりだったんだよ。ほら、息抜きも必要だろう? 彼女とはすぐに別れる! だから、婚約破棄については考え直して欲しい!」

 何と言う言い草でしょうか。
 突然現れて、自身の不貞行為に触れることなくトルグ様を返してと言い出したミグシャ様もなかなかの強かさと思いましたが、それとは比較にならないほどの面の皮の厚さです。お肉に例えたら、何時間も時間を書けないと中部まで火が通らないくらいでしょう。

「そう仰られましても、当主はもう決定を下されたようですので」

 そう言って、ちらりと隣のお兄様のご様子を窺いました。
 元より仏頂面の方ですが、今日はいつにもまして怖いお顔でトルグ様を睨みつけていらっしゃいます。

「公爵様──!」

「黙れ。貴様のような輩に大事な妹を任せられるか。婚約はすぐになかったことにさせてもらう。それと、今までお前に貸していた金も慰謝料と一緒に返してもらうからな」

「お兄様、トルグ様にお金を貸していたのですか?」

 初耳のお話に、私はついついお兄様に尋ねてしまいました。

「ああ。新しく起業するために元手がいるというから、纏まった金を何回か渡した。当然借用書は書かせたが、お前の婚約者ということもあって、無利子無担保でな。それにしてはトルグが事業を始めたという話は聞かないし、貸した金がどこへ行ったか追求する必要があるな」

 我が家やいくつもの土地や鉱山を所有しており、財政は大変潤っています。
 だからか、お兄様はあまりお金に執着がなく、ある程度信頼を寄せている相手には軽い条件でそれなりの額をぽんと貸してしまうところがありました。トルグ様は未来の義弟になる予定だった方ですので、簡単にお金を貸してしまったのでしょう。ですが、トグル様のご様子を見るに、本当にお兄様にお話しされた目的でお金を借りたかは怪しいところですけれど。

「いや、それは、その──投資に失敗しまして──」

「ハッ、どうせギャンブルか何かだろう。まぁいい。調べればすぐに分かることだ。それより今は、不貞行為をどう贖ってもらうかだな。慰謝料だけで済むと思うなよ? 貴様の両親からはすでに許可をもらっている。そうだな。北の山の炭坑夫が足りなかったな。キツい仕事だから募集をかけてもあまり集まらないし。丁度若い男が欲しかったところだ。ナニ、あそこの奴らは皆、屈強で容赦ない。せいぜいその軟弱な精神を鍛えて来るんだな」

「そ、そんな──どうか、ご寛恕かんじょを! フューシャ、どうか君からも公爵様にお願いしてくれ! この通りだ!」

 プライドなどかなぐり捨てたようで、トルグ様は床に額をくっつけて私に頼み込んできます。

「エ。私がお兄様に嘆願する理由なんてありませんけど。良いではないですか。北の山の方々は仕事では滅法厳しい方々ですけれど、皆様とっても根明で気のいい人達ですよ。男は根性と申しますし、頑張って一皮剥けて来たらいいじゃないですか」

「そんなぁああああああ」

「ムッキムキになったら、ミグシャ様もきっと更に惚れ直すに違いありません♪」

 もはや完全に他人事を決め込んだ私は、北の地でのトルグ様の健闘を祈るようにハンカチを旗のようにぱたぱたと振りました。






「あのミグシャとか言う娘の実家からも慰謝料を回収出来たし、そろそろ新しい婚約者を決めないとな。今度は探偵でも雇って事前に素行調査をしておこう」

「そうですねぇ。女性関係とお金の使い方については調べておいて欲しいです。今回みたいなことらもうコリゴリですので」

 私の新しい婚約者の候補をリストアップしているお兄様の傍らで、私はお取り寄せスイーツに囲まれて至福の一時を過ごしておりました。

 婚約破棄したばかりだというのに、次の婚約者を決めるのが早すぎるとは思いますが、お兄様としてなんとしてでも私をあの方・・・から遠ざけたいみたいですので、余計な口を挟むつもりはありません。

 婚約破棄からまだ一週間も経っておりませんが、すでにトルグ様は北の地へと旅立たれました。今頃は炭坑夫の皆様にしごかれてヒーヒー言っている頃でしょうか?
 ミグシャ様はミグシャ様で、トルグ様にはっきりと遊びだと言われたようですが、それでもトルグ様への気持ちは冷めなかったようで、なんとトルグ様を追って北へと行ってしまいました。ダメな殿方に引っ掛かる典型的なタイプです。
 もう他人なので知ったことではありませんが。

 はぁ。もういっそのこと、このまま独身でも貫いてしまいましょうか?

 ──いえ、それは無理ですね。だって──

 私の脳裏にとあるお方のお顔が浮かび上がると同時に、部屋の扉が勢いよく開け放たれました。

「余のフューシャよ! 聞いたぞ。婚約破棄したのだな! ならば今度こそ我が妃となれ!」

「帰れェエエエエエエエエエエ!!!」

「アアアアア! 私のお取り寄せスイーツがァアアアアアアア!!!?」

 脳内で思い浮かべた人物が扉の向こうから突然現れて、その瞬間にお兄様は瞬間沸騰してお取り寄せスイーツごとテーブルをかの人物に投げつけました。

 まだ半分も食べていないのに!!!

「つーか何でいるんだテメェ!?」

「お忍びでフューシャに会いに来たのだ!」

「フザけんな! お前がこの国にいるだけで国際問題なんだよ! ちったぁ自分の立場を考えやがれェエエエエエエ!!!」

 公爵としての品位をどこかへ吹っ飛ばしたお兄様が、相手を絞め殺さんばかりの勢いで胸ぐらを掴み上げて思い切り揺らしています。

「ふははは! そう怒るなおにいちゃん。折角だ。先週オープンした王都のレストランにでも行こう! デザートのソルベが絶品だそうだぞ!」

「アホか! 対立国の皇帝が何抜かしてやがる!」

 お兄様は完全にブチギレです。まぁ、昔からあの方の無茶振りに振り回されて来たようですので仕方ないのかもしれません。

 突然現れたこの方は、現在私たちが暮らす王国とは冷戦状態にある帝国の現皇帝陛下であらせられます。
 そして、何故か私に求婚してくる方です。

 昔、お兄様が帝国の人間に誘拐されたことがあったようで、当時継承権争いに巻き込まれて他国への亡命を考えていた陛下が恩を売る目的でたまたまお兄様を助けたことがお二人の交流関係の始まりと窺っております。
 それから暫くお兄様は陛下と帝国内で共に潜伏していたそうですが、何やかんやで二人で影で大暴れした結果、気づいたら陛下が皇帝になっていたそうです。
 ──詳しいことは分かりませんが、二人とも凄絶な半生だったようです。

 それからというもの、陛下はお兄様に懐いたようで、こうしてたまにお忍びで遊びにきていらっしゃいます──バレたら勿論、大騒ぎどころでは済みません──そして、ある日。庭に出ていた私は陛下と初めてまみえた時、陛下は私に妃になれと言ってきました。
 いやぁ、あの時のお兄様のドロップキックは凄かったです。
 当然、相手が相手なのでお断りしましたが、陛下はことあるごとに私に求婚してくるので、お兄様が大慌てでトルグ様との婚約を取りつけたという訳です。

 どうやら、私の婚約破棄の話をどこからか聞きつけて陛下は我が家へ凸って来たようです。
 能動的過ぎやしませんかね。案外嫌いじゃありませんよ、そういうの。

「さぁ! 行こう、フューシャ!」

 お兄様と散々格闘した末に、片腕でお兄様の首元を拘束した陛下が私に手を差し伸べて来ます。
 陛下の腕の中でお兄様がじたばたしているのを見て、私は観念致しました。

「お兄様のせいでスイーツが台無しになってしまったので──その絶品ソルベで補填して頂きましょう」

「オイ!」

「うむ! 余がいくらでも奢ってやろう!」

 太陽みたいに笑う陛下の手を取って、いっそ諸々の厄介事を無視して一途に自分を想ってくれる相手に嫁ぐもの悪くないかもしれませんねぇ、と考えてみたりする。
 そんな世迷い言を片隅に追いやって、私とお兄様は陛下に引っ張られて王都へと繰り出して行きました。




 ──この数年後、我が王国と彼の帝国は皇帝と王国の公爵令嬢の婚姻によって和平を結ぶことになりました。

 え? その公爵令嬢は誰かって? さぁ、それはご想像にお任せします。

 ただ──その大々的な結婚式では、花嫁の兄が血涙を流して拍手していたとだけ言っておきましょうか。
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