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ある悪魔の契約不履行
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必要なものは、己の血で描いた魔法陣と二節の呪文のみ。
暗く冷たい牢獄で、令嬢はその儀式を行った。
「命を代価に願う、故に応じよ」
──ズズ・・・・・・ッ。
赤く輝く魔法陣は、肉塊を引き摺るような嫌な音を立てて動き始める。
血の魔法陣から、赤い液体がたぷたぷと宙へ伸びて行き、それはやがて一つの人の形を成した。
赤い髪。血色の瞳。獣のような鋭い二つの牙。
儀式は成功し、悪魔はここに呼び出された。
「俺を呼んだのはお前か?」
「ええ、そうよ。貴方が悪魔?」
「見て分からないのか? 愚鈍」
悪魔は小馬鹿にするように笑ったが、令嬢は気にしていないらしく、無表情のままだった。
「私の命をあげる。だから、私の願いを叶えて下さる?」
その悪魔は、命を代償にどんな願いでも叶える悪魔だった。
そういう悪魔だから、悪魔は令嬢の願いを聞く前に二つ返事で了承をした。
「いいだろう。して、お前の願いは何だ?」
その問い掛けに、令嬢は答える。
「今すぐ私を殺してちょうだい」
躊躇も、焦燥も、恐怖もない、平淡な声音だった。
「・・・・・・ほう」
予想外の願いだったのか、悪魔は面白そうに目を細める。
「今まで多くの願いを叶えてきたが、ただ死ぬために呼ばれたのは初めてだ。興味が湧いた。何故、死を望む?」
「私、明日処刑されるの」
今度もまた、何の感情も感じ取れない声だった。
そのまま令嬢は、何故自分が牢獄にいれられたのか。その経緯について話し始めた。
「私の婚約者──この国の王子なのだけれど、彼がもうじき王になるの。
けれど、彼には民から納められた血税を遊ぶために使っていた疑いがかけられていてね。
──実際、彼は税金を私的な目的で使っていたわ。闇賭博、女遊び、果ては違法薬物の購入。
何度もやめてと言ったけれど、彼は私の言うことに耳を貸さなかったわ。
それで先日。先王が崩御され、新しい王が必要になった。臣下たちは、黒い噂がある彼よりも、彼の弟君を王に据えたいようで、そのために動いていたわ。そのことに彼も気づいていた。
だから自分に掛かった疑いを誰かに着せて、その者を処刑して何食わぬ顔で王になろうとしているのよ。
そしてその贄に選ばれたのは私」
「なるほど。無実の罪で投獄されたと。ならば尚更解せんな。何故、死を望む? 俺の力を使えば、簡単にその王子に復讐出来るぞ」
「いいえ、これこそが私の最大の復讐なのよ」
初めて、令嬢の顔が動いた。
ゆらゆらと青い炎を瞳に宿し、恐ろしいまでよ冷笑を浮かべている。
その時、悪魔はまるで氷の手で心臓を捕まれたかのような震えと、思わず口角が吊り上がりそうな痺れを感じた。
悪魔の変化に気づかずに、令嬢は続ける。
「彼が私に冤罪を掛けて投獄する時。誰も助けてくれなかった。皆、真実を知っているはずなのに。
だから、その時思ったのよ。こんな間違った世界で生きていくくらいなら、死んでしまった方が遥かにマシだってね。
私だってね、最初は抵抗したのよ? 私は無実だって、事実無根だって。けれど、私の叫びは誰にも届かなかった。心の底からの悲鳴は黙殺されて、今度は命そのものも奪われようとしている・・・・・・冗談じゃないわ。
このままじゃ私は、国民の税を湯水のように使った悪女として明日処刑される。数々の罵倒を浴びて、石を投げられて、罪無きこの首は、罪人の血を吸ってきた刃に切り落とされて、この目から光が消えても晒しものとして死後すら辱しめられる。
だったら、自分で終わらせてやるわ。今更私の無罪が証明されても、全てが元通りになる訳じゃない。私はすでに絶望している。
血の一滴、髪の一筋、骨の一欠片だって残すものですか。私は誰にも、私を奪わせない。
──だから、悪魔。この命と引き換えに願うわ。
私を殺して。何一つ残さずに」
強い瞳だった。
己に降り掛かった理不尽を決して赦さず、命をくべて復讐のために全てを焼き滅ぼさんとする、業火の化身。
──それは酷く、悪魔の喉を渇かせる姿だった。
「いいだろう」
欲望を覆い隠し、悪魔は頷く。
「契約成立だ。その命と引き換えに、お前の願いを叶えてやろう」
悪魔の手が令嬢へと伸びる。
紗をかけるように、悪魔の大きな手のひらが令嬢の顔を覆い、やがてその意識は奈落の底のような闇へと沈んでいった。
日が登り、刑を執行するべく、看守が令嬢の牢の前へとやって来る。
冷たい鉄格子の向こうを見て、看守は目を向いて叫んだ。
「い、いないっ!? 令嬢がいなくなっている!!?」
もぬけの殻となった牢の中には、血で描かれた魔法陣が異質さを放ちながら鎮座していた。
「・・・・・・?」
頬に当たる冷たい風に、令嬢は目を開いた。
「・・・・・・悪魔は魂のあの世への運搬も仕事なの? これは地獄行き? 天国行き?」
蝙蝠のような黒い大きな羽を広げて、悪魔は青い空を我が物顔で飛んでいた。眼下には果てしない海が広がっている。
令嬢は悪魔に抱き抱えられたまま、まだ覚醒しきっていないのか、ぼんやりとした眼差しで悪魔の横顔を眺めている。
「起きたのか。残念ながら、地獄にも天国にも行けない。お前はまだ生きている。向かっているのは俺の城だ」
想定外の行き先に、令嬢はきょとんとした顔をして両手を胸の上で重ねた。
とくり、とくりと令嬢がまだ生きている証拠である脈動が手のひらに伝わってくる。
「・・・・・・どういうことかしら?」
令嬢は顔をしかめて悪魔に尋ねる。
何故、自分はまだ生きているのか。
「気が変わった」
悪魔は悪びれることなく答える。
「契約を違えると? 願いを叶える悪魔が? どんな理由があって、そんなふざけた真似を──」
「欲しくなった」
「──は?」
令嬢の言葉を遮った短い答えに、令嬢は思わず目を丸くした。
「だから、お前が欲しくなった。お前がその身の内に秘めている激しい怒りと絶望が堪らない」
「貴方ね──ッ」
令嬢の瞳の奥で、チリチリと火が爆ぜる。
それを見た悪魔はうっとりと、恍惚の表情を浮かべた。
「ああ、それそれ。それだ。やっぱり、簡単に殺してしまうのは惜しい。俺はその憤怒と憎悪を永遠に眺めていたい──って、ああ、こら! 暴れるな!」
「誰が拐えと言ったのよ!? 私は殺せと願ったはずよ。もういいわ。ここから海へ落ちれば、私の死体があいつらの手に落ちることもないでしょうし。いいからさっさと放しなさい!」
令嬢は手足をじたばたさせながら、悪魔の腕から脱出しようと暴れるが更に力強く抱え込まれてしまう。
「このっ! 契約不履行悪魔!」
悔し紛れに令嬢が叫ぶ。
すると、悪魔は不敵に笑って言った。
「そんなことはない。お前の死にたいという願いは、お前を裏切った者たちにその命を好き勝手にさせたくないというものだろう? だから、一つ残らず消えることを望んだ。なら、あの牢からお前を生きたまま連れ出しても、結果は同じだろう?」
「私は、生きていたくないと言ったのよ」
本来は感情豊かなのだろう。
令嬢はくしゃりと顔を歪めて、唇を噛み締めた。
婚約者に罪を着せられて、誰も彼もが彼女の命を見限った。
だから意趣返しとして死のうとしたけれど、そんなのはついでだ。
誰も信じられない。そんな世界で生きてはいけない。
だからもう、死んでしまいたかった。
この先に信じられるものが何一つないのなら、生きていたって意味がない。
悪魔にまですがったのに、その悪魔にまで裏切られた。
「絶対に、赦さないから」
もう、令嬢の心の中は悲しいやら悔しいやらでぐちゃぐちゃだった。
令嬢が恨み言を溢すと、頭上から高笑いが降ってくる。
「あっはっはっはっはっ! それはいい! 憎め! 恨め! それこそ本望だ。そうやって瞳に怒りの炎を燃やし続けていろ。ずっと観賞し続けてやる」
「~~~~っ! き、嫌い! 貴方、本当に大っ嫌い!!!」
どうやら、怒りも恨みも憎しみも悪魔を喜ばせるだけらしい。
そのことに気づいても、どうしようもない令嬢は、単純な罵倒の言葉を捻り出すようにして吐くことしか出来なかった。
青空に黒点。
そこからは、けたたましい程の笑い声と、生命力に満ち溢れた罵声が絶えず鳴り響いている。
ところで。
処刑するはずだった令嬢を失ったかの国の話を少しだけするとしよう。
あの後、令嬢の失踪に気づいた王子は大慌て。
どうしたものかと悩んだ王子は、牢獄の床にあった魔法陣を見て、王位継承に邪魔な弟を令嬢を生贄に悪魔を召喚したという容疑をでっち上げて陥れようとした。
しかし、元より弟の方が人望があったため、周囲は弟王子を守り、兄王子を今度こそ本気で失脚させようと彼の身辺を徹底的に調べた。
すると、出るわ出るわ。証拠の山が。
結局兄王子は令嬢に自身の罪を被せて殺そうとしたこともバレて、そのまま断頭台の露へと消えていった。
だがそのことは令嬢が投獄された時、ちゃんとした調査が行われていなかったんじゃないかという疑問を民の心へ植えつけた。
僅かに生じた民の不信感をどうするか。それは新しい王の手腕に委ねる他ないだろう。
手っ取り早い方法は、彼女の声を聞きながら助けようとしなかった者たちをとっとと切り捨てることだろうが。
かくして、最初の計画からは大分外れたが、結果的に彼女の復讐は遂げられたと言っていいだろう。
肝心の彼女と言えば。
「今日という今日こそはぶっ殺す!!!」
「あはは! 今日も元気だな。そうやって怒りをぶつけて来い。ああ、今日のお前の瞳も美しい」
因果の逆転というか、殺してくれと願った相手を殺そうと躍起になっていた。
可愛さ余って憎さ百倍ではないが、契約を破られたことが相当腹に据えかねたらしい。
死を覚悟して復讐心を燃やしていた時の静けさはどこへやら。悪魔の城で殺意全開であの手この手で悪魔を殺そうとしては、翻弄されるという賑やかな日々を送っていた。
はてさて、この先はどうなることやら。
最後にひとつ。悪魔に関する話をしよう。
彼女を連れ去った悪魔は、願いを叶える悪魔。
故に、契約を破るのは本来は赦されない。
どんな屁理屈を捏ねても、契約者の望む形で願いを叶えなくてはいけない。そう決まっているのだ。
悪魔は彼女を殺さなかった。
だから、実は悪魔は罰を受け、その力を大幅に失っている。
それは悪魔にとって致命傷と言えるだろう。
そうまでして令嬢を連れ去ったのは、ただ「欲しい」だけが理由だったのか。
令嬢は復讐のために何を引き換えにしても良かったけれど、人は復讐以外のためにも大切なものを擲つことが出来る。
そう、例えば『恋』──とか。
悪魔が力と引き換えにしても、彼女を得たかった理由が分かるのは、まだずっと先の話である。
とにもかくにも、冤罪で死ぬはずだった令嬢は、悪魔の城で今日も元気に生きている。
例えそれが悪魔によってもたらされた結果であろうとも、令嬢に──いや、最早ただの少女にとっては納得のいかないものであったとしても、それだけは間違いなく正しいことであると言えるだろう。
暗く冷たい牢獄で、令嬢はその儀式を行った。
「命を代価に願う、故に応じよ」
──ズズ・・・・・・ッ。
赤く輝く魔法陣は、肉塊を引き摺るような嫌な音を立てて動き始める。
血の魔法陣から、赤い液体がたぷたぷと宙へ伸びて行き、それはやがて一つの人の形を成した。
赤い髪。血色の瞳。獣のような鋭い二つの牙。
儀式は成功し、悪魔はここに呼び出された。
「俺を呼んだのはお前か?」
「ええ、そうよ。貴方が悪魔?」
「見て分からないのか? 愚鈍」
悪魔は小馬鹿にするように笑ったが、令嬢は気にしていないらしく、無表情のままだった。
「私の命をあげる。だから、私の願いを叶えて下さる?」
その悪魔は、命を代償にどんな願いでも叶える悪魔だった。
そういう悪魔だから、悪魔は令嬢の願いを聞く前に二つ返事で了承をした。
「いいだろう。して、お前の願いは何だ?」
その問い掛けに、令嬢は答える。
「今すぐ私を殺してちょうだい」
躊躇も、焦燥も、恐怖もない、平淡な声音だった。
「・・・・・・ほう」
予想外の願いだったのか、悪魔は面白そうに目を細める。
「今まで多くの願いを叶えてきたが、ただ死ぬために呼ばれたのは初めてだ。興味が湧いた。何故、死を望む?」
「私、明日処刑されるの」
今度もまた、何の感情も感じ取れない声だった。
そのまま令嬢は、何故自分が牢獄にいれられたのか。その経緯について話し始めた。
「私の婚約者──この国の王子なのだけれど、彼がもうじき王になるの。
けれど、彼には民から納められた血税を遊ぶために使っていた疑いがかけられていてね。
──実際、彼は税金を私的な目的で使っていたわ。闇賭博、女遊び、果ては違法薬物の購入。
何度もやめてと言ったけれど、彼は私の言うことに耳を貸さなかったわ。
それで先日。先王が崩御され、新しい王が必要になった。臣下たちは、黒い噂がある彼よりも、彼の弟君を王に据えたいようで、そのために動いていたわ。そのことに彼も気づいていた。
だから自分に掛かった疑いを誰かに着せて、その者を処刑して何食わぬ顔で王になろうとしているのよ。
そしてその贄に選ばれたのは私」
「なるほど。無実の罪で投獄されたと。ならば尚更解せんな。何故、死を望む? 俺の力を使えば、簡単にその王子に復讐出来るぞ」
「いいえ、これこそが私の最大の復讐なのよ」
初めて、令嬢の顔が動いた。
ゆらゆらと青い炎を瞳に宿し、恐ろしいまでよ冷笑を浮かべている。
その時、悪魔はまるで氷の手で心臓を捕まれたかのような震えと、思わず口角が吊り上がりそうな痺れを感じた。
悪魔の変化に気づかずに、令嬢は続ける。
「彼が私に冤罪を掛けて投獄する時。誰も助けてくれなかった。皆、真実を知っているはずなのに。
だから、その時思ったのよ。こんな間違った世界で生きていくくらいなら、死んでしまった方が遥かにマシだってね。
私だってね、最初は抵抗したのよ? 私は無実だって、事実無根だって。けれど、私の叫びは誰にも届かなかった。心の底からの悲鳴は黙殺されて、今度は命そのものも奪われようとしている・・・・・・冗談じゃないわ。
このままじゃ私は、国民の税を湯水のように使った悪女として明日処刑される。数々の罵倒を浴びて、石を投げられて、罪無きこの首は、罪人の血を吸ってきた刃に切り落とされて、この目から光が消えても晒しものとして死後すら辱しめられる。
だったら、自分で終わらせてやるわ。今更私の無罪が証明されても、全てが元通りになる訳じゃない。私はすでに絶望している。
血の一滴、髪の一筋、骨の一欠片だって残すものですか。私は誰にも、私を奪わせない。
──だから、悪魔。この命と引き換えに願うわ。
私を殺して。何一つ残さずに」
強い瞳だった。
己に降り掛かった理不尽を決して赦さず、命をくべて復讐のために全てを焼き滅ぼさんとする、業火の化身。
──それは酷く、悪魔の喉を渇かせる姿だった。
「いいだろう」
欲望を覆い隠し、悪魔は頷く。
「契約成立だ。その命と引き換えに、お前の願いを叶えてやろう」
悪魔の手が令嬢へと伸びる。
紗をかけるように、悪魔の大きな手のひらが令嬢の顔を覆い、やがてその意識は奈落の底のような闇へと沈んでいった。
日が登り、刑を執行するべく、看守が令嬢の牢の前へとやって来る。
冷たい鉄格子の向こうを見て、看守は目を向いて叫んだ。
「い、いないっ!? 令嬢がいなくなっている!!?」
もぬけの殻となった牢の中には、血で描かれた魔法陣が異質さを放ちながら鎮座していた。
「・・・・・・?」
頬に当たる冷たい風に、令嬢は目を開いた。
「・・・・・・悪魔は魂のあの世への運搬も仕事なの? これは地獄行き? 天国行き?」
蝙蝠のような黒い大きな羽を広げて、悪魔は青い空を我が物顔で飛んでいた。眼下には果てしない海が広がっている。
令嬢は悪魔に抱き抱えられたまま、まだ覚醒しきっていないのか、ぼんやりとした眼差しで悪魔の横顔を眺めている。
「起きたのか。残念ながら、地獄にも天国にも行けない。お前はまだ生きている。向かっているのは俺の城だ」
想定外の行き先に、令嬢はきょとんとした顔をして両手を胸の上で重ねた。
とくり、とくりと令嬢がまだ生きている証拠である脈動が手のひらに伝わってくる。
「・・・・・・どういうことかしら?」
令嬢は顔をしかめて悪魔に尋ねる。
何故、自分はまだ生きているのか。
「気が変わった」
悪魔は悪びれることなく答える。
「契約を違えると? 願いを叶える悪魔が? どんな理由があって、そんなふざけた真似を──」
「欲しくなった」
「──は?」
令嬢の言葉を遮った短い答えに、令嬢は思わず目を丸くした。
「だから、お前が欲しくなった。お前がその身の内に秘めている激しい怒りと絶望が堪らない」
「貴方ね──ッ」
令嬢の瞳の奥で、チリチリと火が爆ぜる。
それを見た悪魔はうっとりと、恍惚の表情を浮かべた。
「ああ、それそれ。それだ。やっぱり、簡単に殺してしまうのは惜しい。俺はその憤怒と憎悪を永遠に眺めていたい──って、ああ、こら! 暴れるな!」
「誰が拐えと言ったのよ!? 私は殺せと願ったはずよ。もういいわ。ここから海へ落ちれば、私の死体があいつらの手に落ちることもないでしょうし。いいからさっさと放しなさい!」
令嬢は手足をじたばたさせながら、悪魔の腕から脱出しようと暴れるが更に力強く抱え込まれてしまう。
「このっ! 契約不履行悪魔!」
悔し紛れに令嬢が叫ぶ。
すると、悪魔は不敵に笑って言った。
「そんなことはない。お前の死にたいという願いは、お前を裏切った者たちにその命を好き勝手にさせたくないというものだろう? だから、一つ残らず消えることを望んだ。なら、あの牢からお前を生きたまま連れ出しても、結果は同じだろう?」
「私は、生きていたくないと言ったのよ」
本来は感情豊かなのだろう。
令嬢はくしゃりと顔を歪めて、唇を噛み締めた。
婚約者に罪を着せられて、誰も彼もが彼女の命を見限った。
だから意趣返しとして死のうとしたけれど、そんなのはついでだ。
誰も信じられない。そんな世界で生きてはいけない。
だからもう、死んでしまいたかった。
この先に信じられるものが何一つないのなら、生きていたって意味がない。
悪魔にまですがったのに、その悪魔にまで裏切られた。
「絶対に、赦さないから」
もう、令嬢の心の中は悲しいやら悔しいやらでぐちゃぐちゃだった。
令嬢が恨み言を溢すと、頭上から高笑いが降ってくる。
「あっはっはっはっはっ! それはいい! 憎め! 恨め! それこそ本望だ。そうやって瞳に怒りの炎を燃やし続けていろ。ずっと観賞し続けてやる」
「~~~~っ! き、嫌い! 貴方、本当に大っ嫌い!!!」
どうやら、怒りも恨みも憎しみも悪魔を喜ばせるだけらしい。
そのことに気づいても、どうしようもない令嬢は、単純な罵倒の言葉を捻り出すようにして吐くことしか出来なかった。
青空に黒点。
そこからは、けたたましい程の笑い声と、生命力に満ち溢れた罵声が絶えず鳴り響いている。
ところで。
処刑するはずだった令嬢を失ったかの国の話を少しだけするとしよう。
あの後、令嬢の失踪に気づいた王子は大慌て。
どうしたものかと悩んだ王子は、牢獄の床にあった魔法陣を見て、王位継承に邪魔な弟を令嬢を生贄に悪魔を召喚したという容疑をでっち上げて陥れようとした。
しかし、元より弟の方が人望があったため、周囲は弟王子を守り、兄王子を今度こそ本気で失脚させようと彼の身辺を徹底的に調べた。
すると、出るわ出るわ。証拠の山が。
結局兄王子は令嬢に自身の罪を被せて殺そうとしたこともバレて、そのまま断頭台の露へと消えていった。
だがそのことは令嬢が投獄された時、ちゃんとした調査が行われていなかったんじゃないかという疑問を民の心へ植えつけた。
僅かに生じた民の不信感をどうするか。それは新しい王の手腕に委ねる他ないだろう。
手っ取り早い方法は、彼女の声を聞きながら助けようとしなかった者たちをとっとと切り捨てることだろうが。
かくして、最初の計画からは大分外れたが、結果的に彼女の復讐は遂げられたと言っていいだろう。
肝心の彼女と言えば。
「今日という今日こそはぶっ殺す!!!」
「あはは! 今日も元気だな。そうやって怒りをぶつけて来い。ああ、今日のお前の瞳も美しい」
因果の逆転というか、殺してくれと願った相手を殺そうと躍起になっていた。
可愛さ余って憎さ百倍ではないが、契約を破られたことが相当腹に据えかねたらしい。
死を覚悟して復讐心を燃やしていた時の静けさはどこへやら。悪魔の城で殺意全開であの手この手で悪魔を殺そうとしては、翻弄されるという賑やかな日々を送っていた。
はてさて、この先はどうなることやら。
最後にひとつ。悪魔に関する話をしよう。
彼女を連れ去った悪魔は、願いを叶える悪魔。
故に、契約を破るのは本来は赦されない。
どんな屁理屈を捏ねても、契約者の望む形で願いを叶えなくてはいけない。そう決まっているのだ。
悪魔は彼女を殺さなかった。
だから、実は悪魔は罰を受け、その力を大幅に失っている。
それは悪魔にとって致命傷と言えるだろう。
そうまでして令嬢を連れ去ったのは、ただ「欲しい」だけが理由だったのか。
令嬢は復讐のために何を引き換えにしても良かったけれど、人は復讐以外のためにも大切なものを擲つことが出来る。
そう、例えば『恋』──とか。
悪魔が力と引き換えにしても、彼女を得たかった理由が分かるのは、まだずっと先の話である。
とにもかくにも、冤罪で死ぬはずだった令嬢は、悪魔の城で今日も元気に生きている。
例えそれが悪魔によってもたらされた結果であろうとも、令嬢に──いや、最早ただの少女にとっては納得のいかないものであったとしても、それだけは間違いなく正しいことであると言えるだろう。
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