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第4章 「木星」

移乗

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 その直後、背中の外殻扉が開き、風が吹き込んできた。
 開いた扉の奥にはハッチと同じサイズのトンネルが延びていて、黒いスーツを着た男達がならんでいる。
「黒いライトスーツ」ではなく「黒いスーツ」だ。
「さすがは大金持ちの考えることは違うな」
 俺は驚くよりも、単純にあきれた。
 与圧したままでの移乗なんて、それこそ政府要人並みの待遇だ。

 ガキに3人つく。
 1人が先頭を歩き、1人がガキの右手をとり、1人が左脇を固める。
 この艦の規格は2.5mを基準としているようだが、ドアは標準規格の1.3m幅に高さ1.8mだ。
 そこさえ1列になれば、あとはガキを含めて3人ならならんで歩ける。
 俺はその後ろだ。
 俺にも1人ついた。
 ただし、横ではなくて後ろに回り、右腕をねじり上げて背中に回して。
 そして、ねじり上げた腕を押して、歩みを促す。
 なるほど、そういう扱いか。

 銀色の廊下というかチューブを30mほど歩いたところでやはり規格サイズのハッチをくぐり、気密室に降り立った。
 やはり与圧されている。
 黒スーツの1人が、低い声で、背中に堅い何かを押し当てて言った。
「オッサン。アンタは員数外だ。降りてくれ。
 宇宙服も着ているしヘルメットもかぶっているから、さっきの巡洋艦にでも拾ってもらえ。
 わざわざ人手を割いて、宇宙遊泳までして拾いに来るかは知らないがな」
 言われっぱなしというのも悔しい。
「それより俺の船をこのボートで引っ張ってくれ。
 俺の船なら『船長の』許可が出たら、黙って座ってやる」
 黒服達は「へっ」と鼻で笑いやがった。
 バカが。宇宙を知らないのはおまえらだ。
 俺の言葉の意味は、ちゃんと伝わっている。

 ガキがすっと歩みを進め、気密室の奥に立った。
 そうして、壁に右手を添える。
 右手の下にはアクリルのカバーと、奥には赤いボタン。
 それから自分のヘルメットのフェイスを開いた。

「おっちゃんを降ろすんなら私も降りる」
 右手の下にあるボタンは、気密室扉の緊急オープンボタンだ。

 一見すると自分の命をベットしているように見えるが、ヘルメットのフェイスはすぐに閉じることができる。
 フェアバンクス艦長が俺の見立て通りの人物なら、必ず助けてくれるだろう。
 対して、ヘルメットどころかライトスーツすら着ていない黒服達は、真空中で何分持つだろうか?
 そう。ガキは自分の命を賭けるふりをして、黒服達を人質に取ったんだ。

 黒服達にとっても、自分の命を惜しんで上司の命令……俺を捨てろっていうのは、こいつらの現場判断ではなく、上からの指示のはずだが、それを破り、ましてカージマーまで牽引するなんて約束をしたら、タダではすまない。
 だからガキはフェイスを開いた。
「お嬢様の命を守るためにやむなく」という言い訳が、相手にできるように。
 ただし、譲歩はそこまでだ。
 連中の命のボタンはこちらにある。
 さらに、ガキが「気がついて」ヘルメットのフェイスを閉めてしまえば、連中は言い訳もできなくなる。
 タイムリミットつきだ。
 連中の顔が、見てわかるほどに青ざめる。

「帰るか?」
 俺がガキに言うと、ガキも「うん」と応えて、身体をボタン側に傾けた。
 ボタンを保護するアクリル板が割れた。
 その瞬間、スピーカーから声が響いた。
「お嬢様、お待ちください!
 迎えの者達の軽口が過ぎたようで申し訳ございません。
 おまえ達も、お嬢様とお客様にお詫びして、奥へお通ししろ!」
 さすがに「上」も気がついたか。
 その声に黒服達が安堵の表情を浮かべ駆け寄ってこようとするのを、まずは制した。
 俺の後ろに立っていた男は、さも自然な振りを装ってではあるが、左手に持っていた「通信機」をポケットにしまおうとする。
 仮にも他人の軍艦に乗り込むのに、武器を隠し持ってなんてリスクを冒すはずがない。
 銃声1発で全面戦争もあり得るのだから、下っ端の個人が、まして組織や集団に属していればこそ、そんな責任は負いかねる。
 だから俺は、自分の背中に押し当てられた物が拳銃ではないと、すぐに気がつけたんだ。
 バカヤロウが! 宇宙をハッタリで生きてきた年期が違うぜ!

「このドアを開けるんなら1人でいいだろう。残り3人はそのまま動くな!
 それと、船はちゃんと引っ張ってくれよ!」
「私が船長なんやで! 勝手に捨てたら怒るよ!」
 ガキが調子を合わせる。
 こちらはこの年齢で、しっかり腹芸ができてやがる。
 どこで覚えたのやら。

 気密室から通された先は……リノリウムだとは思うが、木目調の廊下だった。
 人工重力を考慮しなくていいボートだからこそ、1つの面だけにマグネットを仕込み、「床」を決められる。
 反対側は「天井」だ。
「ボートのリムジンなんざ、初めて見たぜ」
 呟く俺にガキも「アホなんかギャグなんかわからんな」と苦笑した。

 通された先も、やはり木目の調度で統一された、奥行き2m、幅3mほどの部屋だった。
 天井の高さは標準規格の2.5m。
 給仕が紙パック入りの飲み物とストローを持ってきたが、口をつけるのは相手を見てからだ。

 ほどなく、やはり黒スーツに身を固めた男が3人入ってきた。
 俺と同年代が1人、あと2人は少し若いか。
 髪の毛はそろってブラウン。
 テーブルの向かって反対側にならび、俺たちに着座を促した。
「船をこちらに繋ぎます。衝撃で揺れるかもしれませんので、安全のためお掛けください」

 座って観察を続けるが、相手の意図どころか正体も知らないのでは、次にどう動くべきかもわからない。
 ともあれ、形だけとはいっても礼を見せられた以上、こちらも最低限の礼を返さなければならない。
 俺はヘルメットを取った。ガキも続く。

 年長の男がガキの顔……というか、視線は頭を見ていたからアッシュグレイの髪の毛に感嘆の息を吐く。
 おそらくリンドバーグの当主とやらは、同じような髪色なのだろう。

 しばらく睨みあうように無言の時間が過ぎたが、手札も何も、俺たちはゲームの種類さえ知らない。
 カードを切ればいいのか残せばいいのかの説明もなく、プレイを促されてもムリだ。
「くくくくく……」
 思わず笑いが漏れた。
 連中に緊張が走る。
 俺は年長の男の目を見て言った。
「俺たちは船乗りだ。3日くらい無言でも、苦痛とも感じない。
 何なら1ヶ月でもいいぜ」
「どこに行くんか、着いたらわかるやろ。
 その間、何の説明もなかったかて、行った先で聞いたらええやん?」
「そうだな」
 示し合わせたように、背中を伸ばして椅子に座り直す。

 数分間の時間があって、目の前の男達からではなく、男の出した通信機から声が届いた。
「申し訳ございません、お嬢様。
 迎えを出したつもりでしたが、教育が足りず、不作法が過ぎたようでお詫び致します。
 私はリンドバーグ家、アンドリュー様の執事を務めますジョンソンと申します。
 直接お迎えに上がるべきでしたが、アンドリュー様のコロニーに詰めておりまして、このような形で誠に申し訳ございません」

 うん?
 俺も詳しくは知らないが、リンドバーグ家の当主は、たしか「ウイリアム」だったと記憶している。
「アンドリューってのは誰だ? オマエの兄弟……重役か?」
 ガキに問うが、ガキは首を横に振った。
「知らん。誰なん?」
 通信機が応えた。
「お嬢様の、異母兄にあたられる方です。
 清廉実直で素晴らしい人格者。事実上リンドバーグ家の実務を取り仕切っておられます」
 なるほど。
 わざわざ部下がそういうと言うことは、かなり汚れたヤツで、ついでにリンドバーグの強引な仕事の張本人か。

「このボートに個室はないか? 考えを整理したい。
 目の前に男3人ならんで睨まれていたら、まとまるものもまとまらない」
「かしこまりました。その者達は退席させましょう。
 ただ…………」
「伝えたいことがあるなら、さっさと言え。
 宇宙の時間は、一瞬か永遠しかないんだ!」
「…………」
「ちっ。切るぞ!」
「申し訳ございません。
 それがその……ご当主のウイリアム様の健康が思わしくなく、できればお話がしたいと、アンドリュー様がおっしゃっておりましたので」
「こういう時は、持ち帰って検討するって応えるんだったか?
 アンタみたいな言葉遣いの会話は慣れてなくて、ちょっとズレてたらスマンな」
 そう言うと、通信機を切った。
 男達に返すと、ポケットに入れて深く頭を下げ、ぞろぞろと退室していく。

「「ふー」」
 同時に息をついて、俺とガキは顔を見合わせて笑った。
「オマエにアンドリューとか言う兄貴がいたのか?」
「180人もいてたら、そんなんがいててもええような気はするけど」
 言われて俺は、テーブルの下や椅子の脇を手でまさぐる。
「あははは。もっと上手に隠してるわ、たぶん」
「だな」
 ここからは、「盗聴アリ」を前提とした会話だ。
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