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引かれた一線★
しおりを挟むざわざわと人の動きや話し声が遠く感じる。
人の気配だけが大きく、それがどこか心地よい。
遮断された静かな部屋。ここはそんな場所。
横開きの扉を後ろ手で音もなく閉めた。
馴染みの職員に挨拶をしてきたままの笑顔を、大智はスッとしまう。
部屋の中央、ベッドで静かに寝息を立てて眠るその人を横目にちらりと見て。
一直線に歩み寄った、ベッド横の床頭台。
引き出しに手をかけて一息に開ける。
……カチリと音を立てた引き出しは、施錠されていて開かなかった。
大智は無意識に止めていた息を吐き出す。
落胆が半分、安堵が半分。
引き出しにかけていた手を離して、ただ眠るだけのその人を見ると。
「何してるの?」
音もなく現れた一楓は扉にもたれ、腕を組んで勝ったように笑みを浮かべていた。
「……やっぱり見つかった」
「見つからないと思った?」
「ううん。でも、視てやろうと思ってた」
「……まったく」
一楓はため息を吐いた。
「過去視なんかしてどうするつもり?」
「どうって、わかるでしょ」
「必要ないわ」
「それは姉ちゃんだけだよ」
大智は床頭台から離れ、一楓に近づく。
決して背が高い方ではない大智だが、女性と比べればそこまで低いわけではない。
真正面に立ち、見上げる一楓を真顔で見下ろした。
「鍵はどこ? 俺、いつまでも都合よく言いなりにならないよ」
「本気?」
「もちろん。なんなら、力づくでも」
とん、と一楓の顔の横に手をつく。
一楓は相変わらず腕を組んだまま、大智の瞳をまっすぐと受け止めた。
大智を見上げる瞳は少しも揺るがない。
「…………ちょっとは動じてよ」
「慣れないことしないの。大智らしくないわ」
「はぁ、もう……」
大智はその体勢のままで項垂れる。
表情を和らげた一楓が、そんな大智の頭をポンポンと撫でた。
「ありがとう、大智。心配してくれて」
「当たり前だよ。本当に力づくでやってもいいんだよ」
「でも、そうはしないでしょ? 大智は優しいから」
「……いざとなったら、姉ちゃんの言うことは本当に聞かないよ」
「それまでは聞いてくれるのね」
ふふ、と笑った一楓の手が軽くなる。
ポンポンっと最後に弾むように撫でられ、大智は顔を上げた。
ついていた手を離し、少し惜しく思いつつ一楓から離れた。
「じゃあ、早速お願いしようかしら」
「依頼?」
「うん。夏休みにぴったりの観光地」
「人がすごそうだなぁ」
「依頼は温泉旅館からだから、終わったらゆっくりしてくるといいわ」
「健とぉ? せっかくの温泉なのに」
「あら、不満? 仲良しでしょ」
「違う人とも行きたいよ」
「だったら、そういう子を見つけるのね」
からかうように笑う一楓に大智は眉を寄せる。含めた意味を軽くあしらわれた。
大智の気持ちなどとっくに知っているだろうせいで、この手の話はことごとく流されるのだ。
けれど、今回はもう少し踏み込む。
「姉ちゃんと。行きたいんだけど」
いつもなら困らせたくないと、大智は冗談混じりで話題を引く。
一楓もそう思っていただろう。
直球で投げられた大智の言葉にぽかんとした一楓は、やがて目を伏せた。
「依頼が終わったら、おつかいを頼んでいい?」
「また俺をあしらう」
「違うわ。大事なおつかい」
「……何?」
「その人が……まだ、その場所にいたら。伝言をお願い」
「なんて?」
「『もう少し、待っていて』」
「…………その相手、誰?」
「お願いね」
あしらうわけでも、誤魔化したわけでもない。
まっすぐ大智の目を見る一楓に、それが答えなのだと知る。
直接的じゃなく、ひどくまわりくどい言い回し。なのに、大智の心を一番深く抉った。
一楓は残酷に、大智に一線を引いたのだ。
「ごめんね、大智」
言葉を失う大智に、一楓は泣き出しそうな震える声でそれだけを言った。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
体中から止めどなく汗が吹き出す暑さの、お盆始め。
駅のホームは人でごった返し、それぞれに列を成して新幹線を待つ。
数日分の荷物を詰めたボストンバックを肩から下げた大智は、電光掲示板にて新幹線の到着時間を確認した。
この暑さを我慢するのはあと数分。
「お盆休みの温泉旅館って、忙しいんじゃないのか」
同じく数日分の荷物を持った健が隣に立つ。
「すげぇ忙しいだろうね。でも、向こうのご希望だから」
「繁忙期にか?」
「むしろちょうどいいんだってさ」
「へぇ」
さして興味なさげなあいづち。
心の内では何を考えているやら、この暑さの中でも健は涼しげな顔をしている。
なんとなく、それにイラッとした。
いや、ずっとイライラしていた。一楓と会ったあの日から。
健がふいにスマホを手に取る。
手早く操作し、その手が止まると涼しげな顔がわずかに綻んだ。
また手早く操作し、スマホをしまう時には表情は元に戻っていた。
あぁ、と大智は気づいた。
「乃井ちゃんだ」
そう言うと、健は驚いて大智を見た。
「なんでわかった?」
「わかるよ。顔が緩んでた」
長年の付き合いがある大智だからこそわかるわずかなもの。
健は「マジか……」と手のひらで口元を隠した。
「すげ。もうそんなに進展したんだ」
「してねぇよ。そんなんじゃない」
「いや、明らかに好きじゃん」
「違うって」
自覚してないだけだろ。
ついズケズケ言ってしまったが、本気で照れているらしい健にそれだけを呑み込んだ。
柄にもなく耳を染めた健は、ぼそりと声を小さくする。
「……大事にしたいって、思っただけ」
だから、それが好きってことだろ?
大智は、はぁ~っと大きくため息を吐いた。
あまりの鈍感さに気が抜ける。
八つ当たりをしたところで気付かれないだろう。
「いいな……」
それが、今は羨ましい。
ホームに待ち望んだ音楽が流れ始めた。
新幹線が規則的な音を立ててホームに入ってくる。
列を成した人々がざわめき立ち、荷物を持ち直す。
大智はまた大きく息を吐いた。
「……行きたくないな」
小さなつぶやきは雑踏に紛れ、余韻を残すことなく消えていく。
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