浄霊屋

猫じゃらし

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隠伏する気配 4

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 日中よりも少し気温の下がった、そよぐ風が穏やかな夜。
 雲は月の邪魔をせず、煌々と降りそそぐ光は屋上を優しく照らしていた。

 フェンス際に佇む少年が、振り返る。


「……なんでまだいんの」


 面会時間はとうに過ぎている。なんなら、消灯時間も。
 守衛のチェックを掻い潜り、屋上に身をひそめるのが容易かったのは、ここが大病院だからだろう。
 入院患者が多ければ見舞いも多く、人の出入りなど厳しく見てはいられない。

 院内がすっかりと静寂に包まれ、坂下少年とようやく顔を合わせられたのは、日をまたぐ直前のことだった。


「君と話がしたくて」


 健より一歩前に出て、大智が坂下少年に向き合った。


「今日会ったばっかりのあんたと話すことなんてないけど」

「そうだよね。初対面だもんね」


 ツンと素っ気ない坂下少年は、大智を簡単に突き放す。

 健は傍観を決め込み、警戒する坂下少年を気にすることなく、少し離れた所でフェンスに寄りかかった。
 カシャン、と音が鳴る。緩やかな風に前髪を揺られた。

 ここは静かだな、と思う。

 坂下少年に拒絶された大智は、想定内だと言わんばかりに言葉を続けた。


「だからさ、君のこと教えてよ」

「は?」

「好きなこと。好きな食べ物。友達のこと。学校でのこと。家でのこと」


 健を警戒しつつ、大智に目線を戻して眉を寄せる坂下少年。
 大智は人好きのする笑顔で、些細なことも挙げていく。


「部活はしてる? 勉強は得意? ゲームは好き? ペットは飼ってる? 初恋はいつ? 今、好きな人はいる?」

「なんなの。バカじゃないの、あんた」

「なんでもいいよ。なんでも話して」

「話さないって」

「ご両親のことでもいいよ」


 坂下少年が口を閉ざした。
 大智は申し訳なさそうに、眉を下げる。


「ごめんね。ご両親のやりとり、見ちゃったんだ」

「……見てたのかよ」

「うん。だから、ごめん。ほっとけない」

「…………」

「待つよ。話してくれるまで。明日の朝でも、明後日になっても」

「……なんで」

「泣きそうだったから。もうひとりで抱え込まなくていいよ」

「ほっとけって言ってるじゃん……」

「できないよ。俺たちは、君を助けに来たんだから」

「…………っ」


 坂下少年の顔が歪んでいく。
 噛み締めた唇に、鼻の頭を赤くして。
 睨みつけるように鋭くなる瞳には、月の光の下でひかめく涙が見えた。


「頑張ったね」


 大智のその一言で、坂下少年の堪えていたものはあっけなく崩壊した。




 ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎




「俺、別に両親のことは嫌いじゃないんだ」


 変わらず、フェンス際。
 膝を抱えて座り、ようやく気持ちを落ち着けた坂下少年は、いまだ鼻の頭を赤くしたままに言う。
 そよぐ風に頰を吹かれ、熱が少しずつ冷めていくのが見て取れた。


「厳しいのは俺のためってわかってるし、俺も勉強は嫌いじゃないし。将来のためになるなら、今やっとくべきだから」


 すん、と鼻を啜った坂下少年は、少年というにはずいぶんとませた考えの持ち主だった。

 大智が「大人だね」と感心している。


「でも、最近はそれが辛くなってきた。高校に上がって、周りはみんな楽しそうで、羨ましくなった」


 幼い頃から勉強一番、他は制限されてきたのだという。
 中学まではそれで良くとも、高校生になると周囲の華やかさは一層輝く。

 人並みの青春を。
 そう望むのは、坂下少年でなくとも当たり前のことだろう。


「成績はキープするから、制限をもっと緩くしてほしいって頼んだんだ」


 そうして、友達と遊びに出かけることを渋々ながらも許してもらった坂下少年。
 運悪く、その日に転倒し、意識不明となってしまった。


「その友達が昼間の子?」

「そう。初めてこんなに仲良くなったんだ」


 坂下少年は抱えた膝におでこをのせ、俯く。
 こもった声で、吐き出した。


「まさか、追い返すなんて……」


 母親の口ぶりから、今日が初めてじゃないことがわかる。
 何度もお見舞いにきては追い返される。坂下少年はそれを見て、その都度、心を痛めていたのだろう。

 大智が坂下少年の隣に腰を下ろした。


「やりすぎだろ。もう、耐えられない。最近はお母さんを見るとイライラしかしない」

「うん。怒って当たり前だよ」

「違う。そうなんだけど、違う。些細なことでもイライラする。顔を見るだけで……思い出すだけでも、イライラする」


 坂下少年は気持ちを落ち着けるように、ふーっと長く息を吐いた。


「今、体に戻ったら、俺はお母さんにきっときつく当たる」


 イライラとしているのに、その言葉はか細く弱々しい。
 自らの気持ちよりも母親を慮っているらしいことがわかる。


「それ、君の年頃なら普通のことだと思うけど」

「反抗期でしょ? わかってる」

「それを理解して受け入れてるのがすごいよ。君は本当に大人だね」

「俺は全然、大人じゃないよ……」


 消え入りそうな声は沈むように吐き出された。

 それ以降は黙ってしまった坂下少年の背に、大智は手を置いた。
 表情は穏やかに、口元が柔らかい。落ち込む坂下少年とは対照的に、なぜか嬉しそうだった。


「ねぇ、俺、思うんだけど。君のその気持ち、全部ご両親に伝えようよ」


 坂下少年が顔を上げた。
「何言ってんの」という顔をしている。


「きつく当たってもいいじゃん。君が思ってることを伝えるのが大事だよ」

「……やだよ。怒られるかも。悲しませるかもしれない」

「息子がこんな状態で落ち込んでる方が、ご両親は悲しむと思うよ?」

「それは、そうかもしれないけど……」

「ちゃんと伝えようよ。家族なんだから」

「でも……」

「君が君であるために。前に進んでいくために、向き合うべきだよ」

「……俺、お母さんを傷つけたくないよ」


 大智はそれを聞いて、さらに嬉しそうに口元を緩めた。
 落とした声のトーンは優しく、心に響く。


「大丈夫だよ。君の優しさは、お母さんを傷つけたりはしない」


 鼻の頭に、頰に、みるみると赤みが戻った。
 大智を見る瞳に光が宿る。月明かりをゆらゆらと反射し、溢れんばかりに溜め込んで。

 坂下少年は、ぎゅっと唇をかんだ。



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