66 / 95
隠伏する気配 4
しおりを挟む日中よりも少し気温の下がった、そよぐ風が穏やかな夜。
雲は月の邪魔をせず、煌々と降りそそぐ光は屋上を優しく照らしていた。
フェンス際に佇む少年が、振り返る。
「……なんでまだいんの」
面会時間はとうに過ぎている。なんなら、消灯時間も。
守衛のチェックを掻い潜り、屋上に身をひそめるのが容易かったのは、ここが大病院だからだろう。
入院患者が多ければ見舞いも多く、人の出入りなど厳しく見てはいられない。
院内がすっかりと静寂に包まれ、坂下少年とようやく顔を合わせられたのは、日をまたぐ直前のことだった。
「君と話がしたくて」
健より一歩前に出て、大智が坂下少年に向き合った。
「今日会ったばっかりのあんたと話すことなんてないけど」
「そうだよね。初対面だもんね」
ツンと素っ気ない坂下少年は、大智を簡単に突き放す。
健は傍観を決め込み、警戒する坂下少年を気にすることなく、少し離れた所でフェンスに寄りかかった。
カシャン、と音が鳴る。緩やかな風に前髪を揺られた。
ここは静かだな、と思う。
坂下少年に拒絶された大智は、想定内だと言わんばかりに言葉を続けた。
「だからさ、君のこと教えてよ」
「は?」
「好きなこと。好きな食べ物。友達のこと。学校でのこと。家でのこと」
健を警戒しつつ、大智に目線を戻して眉を寄せる坂下少年。
大智は人好きのする笑顔で、些細なことも挙げていく。
「部活はしてる? 勉強は得意? ゲームは好き? ペットは飼ってる? 初恋はいつ? 今、好きな人はいる?」
「なんなの。バカじゃないの、あんた」
「なんでもいいよ。なんでも話して」
「話さないって」
「ご両親のことでもいいよ」
坂下少年が口を閉ざした。
大智は申し訳なさそうに、眉を下げる。
「ごめんね。ご両親のやりとり、見ちゃったんだ」
「……見てたのかよ」
「うん。だから、ごめん。ほっとけない」
「…………」
「待つよ。話してくれるまで。明日の朝でも、明後日になっても」
「……なんで」
「泣きそうだったから。もうひとりで抱え込まなくていいよ」
「ほっとけって言ってるじゃん……」
「できないよ。俺たちは、君を助けに来たんだから」
「…………っ」
坂下少年の顔が歪んでいく。
噛み締めた唇に、鼻の頭を赤くして。
睨みつけるように鋭くなる瞳には、月の光の下でひかめく涙が見えた。
「頑張ったね」
大智のその一言で、坂下少年の堪えていたものはあっけなく崩壊した。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
「俺、別に両親のことは嫌いじゃないんだ」
変わらず、フェンス際。
膝を抱えて座り、ようやく気持ちを落ち着けた坂下少年は、いまだ鼻の頭を赤くしたままに言う。
そよぐ風に頰を吹かれ、熱が少しずつ冷めていくのが見て取れた。
「厳しいのは俺のためってわかってるし、俺も勉強は嫌いじゃないし。将来のためになるなら、今やっとくべきだから」
すん、と鼻を啜った坂下少年は、少年というにはずいぶんとませた考えの持ち主だった。
大智が「大人だね」と感心している。
「でも、最近はそれが辛くなってきた。高校に上がって、周りはみんな楽しそうで、羨ましくなった」
幼い頃から勉強一番、他は制限されてきたのだという。
中学まではそれで良くとも、高校生になると周囲の華やかさは一層輝く。
人並みの青春を。
そう望むのは、坂下少年でなくとも当たり前のことだろう。
「成績はキープするから、制限をもっと緩くしてほしいって頼んだんだ」
そうして、友達と遊びに出かけることを渋々ながらも許してもらった坂下少年。
運悪く、その日に転倒し、意識不明となってしまった。
「その友達が昼間の子?」
「そう。初めてこんなに仲良くなったんだ」
坂下少年は抱えた膝におでこをのせ、俯く。
こもった声で、吐き出した。
「まさか、追い返すなんて……」
母親の口ぶりから、今日が初めてじゃないことがわかる。
何度もお見舞いにきては追い返される。坂下少年はそれを見て、その都度、心を痛めていたのだろう。
大智が坂下少年の隣に腰を下ろした。
「やりすぎだろ。もう、耐えられない。最近はお母さんを見るとイライラしかしない」
「うん。怒って当たり前だよ」
「違う。そうなんだけど、違う。些細なことでもイライラする。顔を見るだけで……思い出すだけでも、イライラする」
坂下少年は気持ちを落ち着けるように、ふーっと長く息を吐いた。
「今、体に戻ったら、俺はお母さんにきっときつく当たる」
イライラとしているのに、その言葉はか細く弱々しい。
自らの気持ちよりも母親を慮っているらしいことがわかる。
「それ、君の年頃なら普通のことだと思うけど」
「反抗期でしょ? わかってる」
「それを理解して受け入れてるのがすごいよ。君は本当に大人だね」
「俺は全然、大人じゃないよ……」
消え入りそうな声は沈むように吐き出された。
それ以降は黙ってしまった坂下少年の背に、大智は手を置いた。
表情は穏やかに、口元が柔らかい。落ち込む坂下少年とは対照的に、なぜか嬉しそうだった。
「ねぇ、俺、思うんだけど。君のその気持ち、全部ご両親に伝えようよ」
坂下少年が顔を上げた。
「何言ってんの」という顔をしている。
「きつく当たってもいいじゃん。君が思ってることを伝えるのが大事だよ」
「……やだよ。怒られるかも。悲しませるかもしれない」
「息子がこんな状態で落ち込んでる方が、ご両親は悲しむと思うよ?」
「それは、そうかもしれないけど……」
「ちゃんと伝えようよ。家族なんだから」
「でも……」
「君が君であるために。前に進んでいくために、向き合うべきだよ」
「……俺、お母さんを傷つけたくないよ」
大智はそれを聞いて、さらに嬉しそうに口元を緩めた。
落とした声のトーンは優しく、心に響く。
「大丈夫だよ。君の優しさは、お母さんを傷つけたりはしない」
鼻の頭に、頰に、みるみると赤みが戻った。
大智を見る瞳に光が宿る。月明かりをゆらゆらと反射し、溢れんばかりに溜め込んで。
坂下少年は、ぎゅっと唇をかんだ。
0
お気に入りに追加
48
あなたにおすすめの小説
いま、いく、ね。
玉響なつめ
ホラー
とある事故物件に、何も知らない子供がハンディカムを片手に訪れる。
表で待つ両親によって「恐怖映像を撮ってこい」と言われた子供は、からかうように言われた「子供の幽霊が出るというから、お前の友達になってくれるかもしれない」という言葉を胸に、暗闇に向かって足を進めるのであった。
※小説家になろう でも投稿してます
ナオキと十の心霊部屋
木岡(もくおか)
ホラー
日本のどこかに十の幽霊が住む洋館があった……。
山中にあるその洋館には誰も立ち入ることはなく存在を知る者すらもほとんどいなかったが、大企業の代表で億万長者の男が洋館の存在を知った。
男は洋館を買い取り、娯楽目的で洋館内にいる幽霊の調査に対し100億円の謝礼を払うと宣言して挑戦者を募る……。
仕事をやめて生きる上での目標もない平凡な青年のナオキが100億円の魅力に踊らされて挑戦者に応募して……。
ゴーストバスター幽野怜Ⅱ〜霊王討伐編〜
蜂峰 文助
ホラー
※注意!
この作品は、『ゴーストバスター幽野怜』の続編です!!
『ゴーストバスター幽野怜』⤵︎ ︎
https://www.alphapolis.co.jp/novel/376506010/134920398
上記URLもしくは、上記タグ『ゴーストバスター幽野怜シリーズ』をクリックし、順番通り読んでいただくことをオススメします。
――以下、今作あらすじ――
『ボクと美永さんの二人で――霊王を一体倒します』
ゴーストバスターである幽野怜は、命の恩人である美永姫美を蘇生した条件としてそれを提示した。
条件達成の為、動き始める怜達だったが……
ゴーストバスター『六強』内の、蘇生に反発する二名がその条件達成を拒もうとする。
彼らの目的は――美永姫美の処分。
そして……遂に、『王』が動き出す――
次の敵は『十丿霊王』の一体だ。
恩人の命を賭けた――『霊王』との闘いが始まる!
果たして……美永姫美の運命は?
『霊王討伐編』――開幕!
ブアメードの血
ハイポクリエーターキャーリー
ホラー
異色のゾンビ小説
狂気の科学者の手により、とらわれの身となった小説家志望の男、佐藤一志。
と、ありきたりの冒頭のようで、なんとその様子がなぜか大学の文化祭で上映される。
その上映会を観て兄と直感した妹、静は探偵を雇い、物語は思いもよらぬ方向へ進んでいく…
ゾンビ作品ではあまり描かれることのない
ゾンビウィルスの作成方法(かなり奇抜)、
世界中が同時にゾンビ化し蔓延させる手段、
ゾンビ同士が襲い合わない理由、
そして、神を出現させる禁断の方法※とは……
※現実の世界でも実際にやろうとすれば、本当に神が出現するかも…
絶対にやってはいけません!
アララギ兄妹の現代心霊事件簿【奨励賞大感謝】
鳥谷綾斗(とやあやと)
ホラー
「令和のお化け退治って、そんな感じなの?」
2020年、春。世界中が感染症の危機に晒されていた。
日本の高校生の工藤(くどう)直歩(なほ)は、ある日、弟の歩望(あゆむ)と動画を見ていると怪異に取り憑かれてしまった。
『ぱぱぱぱぱぱ』と鳴き続ける怪異は、どうにかして直歩の家に入り込もうとする。
直歩は同級生、塔(あららぎ)桃吾(とうご)にビデオ通話で助けを求める。
彼は高校生でありながら、心霊現象を調査し、怪異と対峙・退治する〈拝み屋〉だった。
どうにか除霊をお願いするが、感染症のせいで外出できない。
そこで桃吾はなんと〈オンライン除霊〉なるものを提案するが――彼の妹、李夢(りゆ)が反対する。
もしかしてこの兄妹、仲が悪い?
黒髪眼鏡の真面目系男子の高校生兄と最強最恐な武士系ガールの小学生妹が
『現代』にアップグレードした怪異と戦う、テンション高めライトホラー!!!
✧
表紙使用イラスト……シルエットメーカーさま、シルエットメーカー2さま
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる