浄霊屋

猫じゃらし

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嫗2

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 久しぶりに家族で食卓を囲み、年末の特番を見ながら他愛もない会話を楽しんだ。

 父はアルコールが入り、顔を赤くして饒舌だった。
 母は父の話に適当に相槌を打ち、健に話しかける。
「大学はどう?」「大智君は元気?」「彼女はできたの?」
 健も母に習い、適当に相槌を打った。
 母は、もう! と不満そうに漏らしたが、父が「そっくりじゃないか」と笑う。

 その様子を部屋の隅で、老婆が微笑ましく眺めていた。


 健がお風呂に入っている間に父は居間でうたた寝し、母は片付けを済ませてすでに寝室にこもったようだ。
 老婆の姿も見えなくなっていた。
 居間にいる理由がなくなったので、健も自室で一息つく。
 濡れ髪をタオルで拭きながらスマホを片手に操っていると。

「ん?」

 あまり鳴ることのない、健のスマホが着信があったことを知らせていた。数分前だ。
 すぐに掛け直すと、ワンコール目の途中で通話が始まる。

「どうした?」

『たっ、たける!』

 声の主は昼間に別れたばかりの大智だ。

『たける、たす、たすけっ……!!』

「落ち着け、どうしたんだ?」

 大智の声はひどく怯え、涙まじりだった。
 回らない口で「助けて」と言うのが精一杯のようで、何があったのかまったくわからない。
 大智の声のさらに遠く……小さく、「お兄ちゃん!」と叫ぶ声が聞こえる。
 これは、恐らく大智の妹の声。

「家にいるんだな? すぐに行く!」

 健は通話を切るのももどかしくダウンジャケットを羽織り、自室を飛び出して居間にあるキーフックから鍵を1つ拝借した。

「父さん、車借りる!」

 寝ぼけた父がビクッと肩を震わせた。
 返事を聞くこともなく、健は靴を引っ掛けて車に乗り込んだ。
 大智の家までは車で5分ほど。

 気温は氷点下を下回り、路面は凍結している。
 運転が得意でない上、久しぶりにハンドルを握れば難易度の高いアイスバーンだ。
 スリップしないように慎重に、健はスピードを出して大智の家へと急いだ。




 ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎




「わー! 健君だ! どうしたの!?」

 出迎えてくれたのは、3つ歳下の大智の妹だった。
 数年会わないうちにずいぶんと大人びた。あどけない少女だったのが、すっかり女性に変化してしまっている。

 だが、中身は変わらずらしい。大智の母同様に、嬉々として健を迎えてくれた。

「大智は?」

「いるよー! 上がって上がって!」

 大智とは長年の付き合いなので、この家も勝手知ったるなんとやらなのだが、大智の妹は楽しげに部屋へ案内してくれた。

「もしかして、お兄ちゃんに呼び出されたの?」

「まぁ、そうだな。大智はどうしたんだ?」

「さぁ。お風呂上がりに急に騒ぎ出したと思ったら、部屋に閉じこもっちゃった。何聞いても教えてくれないの」

 1つの扉の前で止まると、大智の妹はノックもせず開け放つ。
 部屋の中の人影が飛び跳ねた。

「お兄ちゃん、健君来たよー」

 飛び跳ねたまま固まった大智は、健の顔を見るなり涙目になった。
 すがるように近づいてこようとして、落ちている物に足をとられ見事にひっくり返った。

「何してんの?」

「う、うるさい! 健に話があるから、美咲みさきは出てって!」

「なんなのよー。心配してるのに」

「いいから出てけって!」

「もー! 健君にちゃんとお礼言いなよ、髪の毛濡れてるから急いで来てくれたんだよ!」

 大智の妹、美咲がビシッと健の頭を指差した。
 大智もそれにならって健の頭を見ると、めずらしく誰かに食ってかかっていた勢いが一気にしぼんだ。

「あ。ごめん、健……」

「いや、いいよ。それより無事でよかった」

 出迎えてくれた美咲の反応から大事じゃないのは感じられていたが、本人の様子を見てやっと安堵した。
 大智も大智で、健がやって来たことで落ち着きを取り戻したようだ。

「タオルだけ持ってくるね」

 美咲は部屋を出るとすぐに戻ってきて、健にフェイスタオルを渡した。

「じゃ、ごゆっくり」

 パタンと扉が閉められたあと、足跡が遠ざかっていく。
 離れたところ、おそらくリビングの扉の開閉の音が鳴ると、大智は拳をぎゅっと握って健に向き合った。

「健、お願いがあるんだ。……浴室を視てくれない?」




 ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎




 ぴちゃん、ぴちゃん。

 水の滴り落ちる音が響く。
 大智が脱衣室のスイッチを押すと、明かりがパッとついた。
 こじんまりとした空間に、洗面台と洗濯機が置かれている。ランドリーラックには洗剤類が収納されていた。
 浴室の扉はぴっちりと閉められ、磨りガラス越しに水滴がついているのがわかった。

「これは大智か?」

 健が指すのは、バスマットだ。
 大きくよれ、水たまりがバスマットから浴室を出るように点々と続いて消えていく。

「それはたぶん俺です……」

 浴室に近づきたくない大智が健越しにバスマットを確認をして、小さくなった。
 慌てていた時の行動とはいえ、冷静になった今では恥ずかしくなったようだ。

 その間にもぴちゃん、ぴちゃん、と水音は止まらず響いている。
 洗面台ではない。浴室の中から聞こえている。
 健は浴室の扉に手をかけた。

「浴室の電気つける?」

「いい。開けるぞ」

 そっと扉を押す。

 カチャ……と抑えようのない音が小さく響いた。
 薄暗い浴室の中にはほんのり熱気がこもっており、生温かさを感じる。
 健は扉を開けきると中へ入り、音の元を確認した。
 水が滴り落ちているのは、シャワーのようだ。
 蛇口をひねると簡単に止まった。

「何かあった?」

「いや」

 浴室の外、少し離れたところから大智が見ている。
 こちらを気にしつつも、背後や脱衣室の扉をちらちらと確認してはビクッと肩を跳ねさせている。
 恐怖で感覚が敏感になってしまっているようだ。


 浴室で、人影を見たというのだから。


 大智の話を聞く限りでは、見間違いや気のせいで済むものではなかった。
 しばらくぶりの実家のお風呂、一人暮らしでは浸かることのない湯船を楽しみに入ったのだという。



 大智は丁寧に体を洗い、髪の毛を洗うために目をつぶると違和感を覚えた。
 どこからともなく感じる視線。
 急いでシャンプーを洗い流し、周囲を確認しても誰もいるはずがない。
 脱衣室に家族が入ってきたわけでもない。
 背筋に悪寒が走った大智は、湯船に入り体を小さくした。目線だけ動かして、何事もないことを確認した。
 しばらくそうしているうちに感じる視線もなくなり、のぼせるほど熱くなってきたので意を決して浴室を出た。
 しっかりと浴室の扉を閉め、隔たりを作って自分を少し落ち着けた。
 手早く体を拭き、下着を身につけたところで背中に感じた。


 ……誰かが見ている。


 刺さるような視線に、躊躇するまもなく反射で振り返った。
 浴室の扉、磨りガラス越しに立つ黒い人影。
 垂れ下がった髪は長く、その影が女性だということを示していた。
 ただ立っているだけではない。
 大智を覗き込むように屈み、大きく首を傾げていた。



 ぴちゃん、と水の跳ねる音が聞こえた。
 健は先ほど捻った蛇口を確認するが、シャワーからはもう水は滴っていない。
 くぐもって聞こえたのは、密閉された中で跳ねた音だからだろう。
 健は風呂フタに手をかけると、一気にめくり上げた。

「っ!」

 浴槽の中は、入浴剤によってほのかに色づいた湯がはられているだけだった。
 湯気とともに、優しい香りが漂う。
 健は無意識に詰めていた息を短く吐いた。

「び、びっくりした~……」

 浴室の外で、大智がランドリーラックにしがみついていた。

「ああ、悪い。何もいないぞ」

 健が浴室から出ると、大智はいそいそと脱衣室を抜け出た。
 よほどこの空間にいたくないらしい。
 大智の部屋に戻り、改めて話を始めた。

「何もいなかった。残っている気配もなかった」

「本当に?」

「本当に」

 健は言い切った。
 だが、大智の顔色が浮くことはない。

「大智に憑いているわけでもないし、心配しなくても……」

 言っている途中で、大智は勢いよく後ろを振り返った。
 当然、何もないのだが。

「大智、落ち着け」

 大智の頭を片手でガシッと掴み、こちらを向かせる。

「浮遊霊が悪戯しただけだ。気にするな」

「気にするなって言われても……」

「お前に害のあるもんじゃない。その証に、もういなくなってる」

 大智の頭から手を離す。
 掴まれていたところをさすると、大智は子犬のように訴える瞳で健を見た。

「健、今日泊まっ」

「嫌だ」

 言葉をかぶせて健は拒否した。

「お願いだよー! 怖いんだよー!」

「うるさい、ひっつくな! 俺は帰るぞ」

「なんで!? いいじゃん泊まってよ!」

「着替えも何もないし、嫌だ」

 すがりつく大智を払いのけようと抵抗するが、なかなか力が強い。

「着替えは俺の貸すから!」

「お前のは短いんだよ!」

 ぐっ、と黙った大智だが力が緩むことはなかった。
 健の服を鷲掴んだ手を外せず、引きずる形で部屋から出ようとすると、扉の前に美咲が立っていた。

「何騒いでんの? お母さん寝てるんだから、怒られるよ」

「あー美咲、ちょうどいいや。兄ちゃん健んちに泊まりに行くからさ、母さんに言っといて」

「は!?」

 主張を一転した大智はすんなりと健から離れ、いそいそと着替えや洗面用品を適当なバッグに詰め始めた。

「えーいいなー! 私も行きたーい!」

「なんで美咲も来るんだよ。母さんによろしく」

「ちょっと待て、勝手に……」

「私だって健君と話したいことたくさんあるのにー!」

「じゃ、行ってくる。行こ、健」

「おい……」

 健の主張を無視した兄妹は勝手に話を進め、大智は健を置いてさっさと玄関に向かおうとしている。
 美咲が「連れてけ!」と目で訴えているような気がしないでもないが、兄だけで手いっぱいだ。
 健はゆっくりと目をそらし、ため息をついて大智の後を追った。


「健の運転なんて新鮮だなぁ」と、先ほどとは打って変わって楽しげな大智を助手席に乗せて5分ほどのドライブをした。
 助手席に誰かを乗せるだけで、緊張感が段違いだった。
 慎重に運転しすぎたせいで「本当に免許持ってる?」とからかわれたが、それに付き合う余裕もなかった。

「おばさん達起きてる?」

「寝てる。たぶん」

 実家の前に車をとめてエンジンを切る。少し曲がっているが、まぁいいか。
 健が玄関を開けると、大智は躊躇なくあがり込んだ。
 大智もうちの勝手はよく知っている。

「健ちゃん、おかえり。大智ちゃんも一緒なのかい」

 ふと声をかけられ、顔を上げると老婆がいた。
 いつからいたのか、ごく自然にその場に現れた。
 大智がいるので返事はできないが、老婆はそれをちゃんとわかっている。

 健と目が合うと微笑んで、頷いた。

「あれ、健のおばあちゃん? こんばんは、お邪魔します」

 健と老婆の見えないやり取りに乱入するように、大智は老婆に向かってへらっと顔を崩した。
 反対に、健の顔は驚きで強張った。
 老婆もまた目を見開き、あらあら、と頰に手を添えた。
 場の空気が固まったことに大智は気づいたようだが、頭の上に「?」を並べて事の真相に気づいていない。

「……はぁ~」

 なんで視えるんだよ。

 思い当たることは1つしかなかったが、それを考えるのは気が重かった。
 大智を促して部屋に追い上げ、早々にベッドに潜ることにした。



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