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散歩5
しおりを挟むボトルシップの件、仁科さんに話を聞いてもらってからは特に大きな変化は起こることなく、数日が過ぎた。
不安に過ごしながらも、秀太は何も言ってこない。沈みがちだった翔太も、長谷というお兄さんに遊んでもらってからは、元どおりになったように元気になった。
由美はホッと心をなでおろしつつ、自分が子供達にとって一番の不安要素ではないかと反省した。
義母に仁科さんからの要件を伝えると、予想通り難色を示した。
説得をするまでにどれだけ罵詈雑言を浴びせられ、時間がかかるかと思いきや、文句をつけながらも応じてくれはするようだ。義母にも何か思うところがあるのだろうか。
日にちを決め、仁科さんに連絡を入れると2つ返事で了承を得た。
大学生だという彼らは、普通に考えて20歳そこそこのはずだ。もしかしたら、まだ未成年かもしれない。
いくら神社のプロに依頼し、彼らが代わりにやってきたからといって、簡単に信頼していいのだろうか。義母のあからさまな態度はやりすぎだと思うが、むしろ、義母があそこまでしなければ自分も彼らにはっきりと疑いの眼差しを送っていたかもしれない。
翔太と、何より人見知りの秀太が懐いたことで、彼らに対する心象はかなり良くなった。悪いことを企む子達には見えない。
そして、本人達の言うように、未熟ながらも解決する力は持っているのだと思う。拙いながら、彼らは自分達を安心させようと尽くしてくれている。
恐らく10歳も年下の彼らに、縋るように助けを求めて情けないが、彼らを信じたい。
どうか、何事もなく、解決しますように———。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
後日、約束の日に再び由美の家を訪れると、何やら不穏な空気が漂っていた。
義母と義父はすでに到着しており、義父は隣の部屋で兄弟と遊んでいた。
義母は以前会った時と相変わらずで、尊大な態度で部屋の中を見てはケチをつけていた。由美は受け流すように相槌を打っていたが、それが義母の癪に触れたようだ。
「なんなんだい、その態度は!」
「お義母さん。仁科さん達がいらしてるんですから、今は……」
「この小僧共がなんだってんだ! あたしを呼びつけて、どういうつもりだい!」
鼻息を荒くする義母に対し、由美はため息をつく。それがまた義母の神経を逆なでしたようで、怒りの矛先は由美に向く。
「お前、嫁のくせに、そうやってあたしを馬鹿にしてるんだろう!」
「いいえ、してませんよ。それよりお義母さん、お話を」
「話すことなんて何もないよ! こんな馬鹿げたことに付き合う時間はないんだ!」
『では、なぜ本日はこちらの申し出を受けて頂けたのでしょうか?』
どこからともなく聞こえた声に、一同が静まる。
大智がスマホを掲げると、声の主はさらに続ける。
『お話をお伺いする約束をしていたはずなんですが。ご協力願えませんか?』
由美にはあらかじめ伝えておいたが、義母はどうやら聞いていなかったようだ。
大智の掲げたスマホを見て、ポカンと口を開けている。
『依頼を受けました、長谷 一楓と申します。本日は都合がつかず、大変失礼ではありますが、電話から参加させて下さい』
「依頼を受けた……? 依頼を受けた本人なら、ちゃんと出向くべきだろう。怪しすぎるじゃないか! やっぱり、詐欺なんじゃないのかい!?」
義母はバンッとテーブルを叩く。
その音に、秀太はビクッと肩を震わせ義父に抱きついた。
『仰ることはもっともですし、詐欺だペテン師だともよく言われます。私達の仕事を無理に理解してもらおうとは思いません。あなたにご迷惑をかけるつもりもありません。話を聞かせていただきたいだけです』
「そんなこと言って、金をふんだくる気じゃないのか!?」
『こちらから金額を決めて請求したことはありません。善意のお気持ち分だけ頂戴してます』
「嘘だ! 絶対にあたし達を騙そうとしているんだ!」
義母の剣幕に、とうとう秀太が泣き出してしまった。
義父が秀太を抱き上げ、翔太の手を引いて立ち上がった。
「由美さん、この子達と公園で遊んでくるよ。終わったら連絡してくれるかい?」
「お願いします、お義父さん」
ヒソヒソと静かに交わされるやりとりの最中にも、義母の怒りは止まらない。
「今日ここに来たのだって、お前ら詐欺師のしっぽを掴んでやろうとしたからさ。この馬鹿嫁がどうなろうとどうでもいいが、息子に皺寄せがいくのだけは許さないからね!」
『ご家庭のことなので口を挟みたくないのですが、その発言はいかがでしょうか。お孫さんもいますし、少し落ち着きましょう』
「馬鹿嫁を馬鹿嫁と言って、何が悪いんだ!? この女が嫁に来てから息子は冷たくなるし、めちゃくちゃだ! こいつが轢かれたらよかったんだ!」
「おい、お前……」
聞くに耐えず、さすがに義父が止めに入る。由美は歯を食いしばって涙をこらえていた。すると、
グゥ…………
どこからともなく、低い唸り声のようなものが聞こえた。
すぅっと、日が落ちたように部屋の中が薄暗くなる。
グルッ……ヴヴヴ…………
唸り声はしだいに大きく、凶暴さを増したように低く轟く。
人の熱気で少し暑いくらいだった部屋が、肌寒く感じるようになった。
ググググゥッ……!
由美と義母の間に、黒い靄がかかる。
その靄はだんだんと濃くなり、由美を覆うように広がった。
そして、咆哮のような一声を上げると、空気が振動した。
空気の波動は、そこら中の家具をガタガタと震わせる。小さく軽いものは倒れ、床に落ちた。
食器が落ちて割れ、けたたましい音が響く中、シャッ……と鋭い音が聞こえた。
「やめろ!!」
健が叫ぶ。
義母を引き倒し、その上に覆い被さった。肩に氷が滑ったような、鋭利な痛みが走る。
由美が悲鳴を上げ、大智が健を呼び叫んでいる。
「……っ」
肩の痛みが広がり、健は苦痛に顔を歪めた。そのまま顔を上げると、大智が少しほっとしたように息を吐いた。
義母の上からどくと、義母は腰をさすりながら起き上がった。
「いたた、一体何……ひっ……!!」
義母の視線の先には、壁に突き刺さった包丁があった。
「健、大丈夫?」
「いってぇよ……」
大智が痛々しげに肩を見ている。
健は肩を押さえると、思っているより服が濡れていることに驚いた。パッと手のひらを見ると、真っ赤に染まっている。
その様子を見た義母は、また「ひっ」と声にならない悲鳴をあげた。
『健くん、大丈夫? 油断しないで。まだ終わりじゃないわ』
一楓の声は険しい。
靄の方、由美を見ると、覆うように広がっていた靄が細長く形を作り始めていた。
「じいさん、その子達と部屋の奥へ。ばあさんも」
健の目配せで、義父は急いで部屋の隅に兄弟を、そして自分を盾にするように立った。義母も腰を抜かしながら、わたわたと義父の後ろへ逃げ込んだ。
靄はだんだんと人の形になり、由美の前へ立ちはだかる。陰影が輪郭を、顔を成した。
「順一!!」
義母が叫ぶと、順一と呼ばれた靄は目をカッと開き再び唸りを上げた。
その瞳は、義母を忌々しげに睨みつけている。
「あ、あなたなの……?」
由美の言葉に、順一が僅かに反応した。しかし、視線は義母にずっと向いている。
「あなた、やめて、お願いだから……」
縋るように由美が順一を掴もうとするが、順一はするりと抜け、四つん這いで義母への距離を詰めた。健が間に入ろうとしたが、間に合わなかった。
順一が腕を薙ぎ払うと、義父は軽々と横へ吹っ飛ばされる。
順一は、義母を目掛けて腕を振り上げた。
『 止 ま れ ! 』
大智のスマホの画面がビシッと割れ、一楓の声が順一に放たれる。
まるで獣が爪で獲物を切り裂く直前のような格好で、順一は止まった。
「ぱぱ、こわいよぅ……っ」
秀太が、翔太にしがみついて泣き出した。翔太は目を見開いて、順一を見つめていた。
ヴヴッ……グル…………
ぱぱ、ぱぱ、と泣きじゃくる秀太の声に呼応して、順一の振り上げた腕は力が抜けたように下がった。
グゥ…………
順一は、腰を抜かして動けずにいる義母を乱雑に押しのけて、兄弟の前にしゃがんだ。
マシロ……
「え?」
翔太が強張ったまま聞き返した。
マシロ……
憎悪に満ちていた順一の瞳に、光が宿った。その光は、雫となって悲痛な面持ちの上を滑る。
怯える幼い兄弟に、まるで謝罪するかのように、順一は頭を垂れた。
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