ペトリの夢と猫の塔

雨乃さかな

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第2章『悪夢の王国と孤独な魔法使い』編

第44話『防護魔法/Anti Feeble Barrier』

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「天井に穴を開けなくても、その石に月の魔力を宿すことができる方法が一つだけあります」
「ど、どうするのね……」

 ミサの語ろうとしているアイデアにまったく検討もつかず困惑しているマーラ。そんな彼女に向かって、ミサは自信に溢れた笑顔と共にこう叫んだ。

「『月光草』を使うんです!」
「……。げっこうそう? 何なのね、それは……」

 今回、夢魔に取り憑かれた王を助け出すため、真夜中のカロポタス村から採取してきた例の草。
 この植物は魔石等の魔力を扱う分野では知っていて当然の存在なのだが、当のマーラはなぜかピンときていない様子だった。
 そんな戸惑いを見せるマーラに、ソウヤは先ほど彼女から受けた侮蔑の仕返しの意味合いも含めて、彼女に冷やかしの言葉をかけた。

「おいおい、王宮魔導師のくせして月光草も知らないのかぁ?」
「う……、うるさいのね! なら、あんたはそれがなんのなのか、分かるっていうの!?」
「あぁ、俺は知ってるぜ! 月光草っていうのは満月の夜にしか咲かない植物で、月のエネルギーを内部に溜め込んだ、課金してでも手に入れたいぐらいのレアアイテムなんだぜ。……って、この説明で合ってるか?」
「うん、まさにソウくんの言う通り!」

 何も知らないマーラを打ち負かすかのようなソウヤの清々しい表情に、マーラは「ぐぬぬ……」と悔しそうに下唇を強く噛み締めていた。

「けど、満月の夜にしか咲かないなんて、そんなものどうやって手に入れるっていうのね! 机上の空論だけじゃ、この問題は解決しないのね!」
「悪いが、もうすでに手に入れてあるんだよなぁ。そうだよな? ミサ」

 そして、ソウヤから目配せを受けた時、すでにミサの手には自身に満ちた微笑みと共に何か液体の入った瓶が握られていた。

「な、何なのね、それは……」
「これは、その月光草を煎じて私が作った液体です! ……正確には、王様にあげる用の予備のやつだけど」
「そう! 何を隠そう、俺たちはこの国の王様を救うためにはるばる辺境の地からやって来た救世主なんだぜ! なぁ、エレリア」
「えっ? あ、うん……」
 完全に蚊帳の外でマーラたちの会話を眺めていたエレリアであったが、突然ソウヤから話を振られ、慌ててエレリアは首を縦に振った。

「う、嘘に決まってるのね! あんなちんけな山の村から来た田舎者のあんたたちが、そんな高度な薬液を作れるわけないのね!」
「まぁ、その石ころを完成させたくねぇっていうのなら、別にこの話は無かったことにしてもいいんだけどな」
「うっ……」

 傍から見れば年上のソウヤが幼気な女児をいじめているような構図ではあるが、それでもマーラは思わず生唾を飲み込み、ミサが手に持つポーションに渇望の眼差しを向けていた。

「……。な、なら、その薬液でほんとにこの『月の涙』が完成するかどうか、私が確かめるてやるのね!」
「あ、あのマーラ様……。防護魔法の件は……」
「うるさいのね、マルロス! そんなの後よ! 後!」

 今すぐにでも王を救わねばと焦燥に駆られているマルロスであるが、それもすべてはマーラの機嫌次第。彼女から特殊効果を受ける立場にいる以上、ここは早く彼女の用事が完了することを願って、できるだけ余計な騒ぎは起こさないよう努めるマルロスであった。



 月の魔力を含んだポーションをミサから乱暴に奪いあげると、マーラは再び作業卓に向き合った。

「もし、これでうまくいかなかったら、その時は明日の朝日を拝めなくなることぐらいは覚悟しておくがいいのね……」
「でも、逆にこれで成功したら、今度こそ私たちに防護魔法をかけてくれますよね?」
「いいわ。約束してあげるのね」

 そして、その言葉を最後にマーラは邪魔そうにローブの袖をめくると、いよいよ本格的な作業に入った。
 不思議な文様が刻まれたテーブルの上に、法則的に並べられた4つの蒼い魔石。サイズや見た目は本当にその辺の粗末な石ころと変わらず、完成したら一体どのようなものになるのか少しも予想がつかない。
 エレリアたちが息を詰めて見守る中、マーラは慣れた様子で、石たちをそっと撫でるようかのように手をかざした。
 すると、不思議なことに魔石たちはまるで意思を宿したかのようにいきなり激しく輝き出した。それは熱く妖艶な光で、薄暗かったこの部屋を瞬く間に淡い紫紺の光で照らした。
 あまりに幻想的な輝きに思わずエレリアたちが目を奪われている一方で、ついにマーラは疑いの眼差しと共に瓶の蓋を開け、中身のポーションを自身の左手に静かに注いだ。
 そして、グッと魔力を込めた瞬間、左手の上に注がれていく液体は手から溢れることなく、自ら流動しながら宙に集約していくと、瞬く間にマーラの手の上でゆっくりと自転する液体の球体となった。

「すげぇ……」

 鮮やかに見舞われた魔導師マーラの曲芸に、ソウヤは思わず感嘆の吐息を漏らしてしまった。
 だが、意外にもマーラ自身は少しも自慢するような態度は見せず、手の上に浮かぶ液体の球をひたすら制御しているようだった。

「なるほど、これが月の魔力ね……。今まで感じたことないぐらいビリビリくるのね……」

 そう語るマーラの手は月の魔力を直に感じているせいか細かく震えており、今すぐにでも暴れ回ろうとしている液体の塊を必死に制御しているようにも見えた。また、それはエレリアたちにとって、月光草と呼ばれる植物の真なる可能性を垣間見ることができた瞬間でもあった。
 すると、初めはただの液体の球であったポーションの塊も、気づけばマーラの手の上で怒り狂う燐光となって極限まで凝縮されていた。
 物質からエネルギーに変換された魔力はついには彼女の制御をも抜け、激しい雷光となって周囲に飛び散っている。
 辺りは、マーラを中心として溢れ出したエネルギーが強力な風となって吹き荒れ、その勢いはとどまるところを知らないまま、部屋の本や家具を次々に吹き飛ばしていった。

「おい! これ大丈夫なのかよッ!!」

 ほぼ暴力に近いような暴風が部屋をかき乱していく中、作業を止めようとしないマーラに向かってソウヤが思わず叫び声をあげた。
 もはや何かにしがみついていないと立っていられないほど風は威力を増し、軍人であるマルロスすらも動揺を隠しきれず、呆然とした様子でなんとか体勢を保とうとしていた。

「いやぁあ!!」

 すると、その時、あまりの風の勢いに思わずバランスを崩してしまったミサの両足がついに地面から離れてしまった。それはまさに一瞬の出来事で、次の瞬間には紐が切れた凧が風に流されていくように、ミサの身体は軽々と遠くに吹き飛ばされ……。

「ミサッ!!」

 しかし、紙一重のタイミングで近くにいたエレリアがミサの片手を素早く掴み、暴風の猛威を一身に浴び続ける彼女の身体をなんとかその手に繋ぎ止めた。

「リアちゃん!! 何がなんでも、離さないでぇ!」
「くぅっ……!」

 手を離せば今すぐにでも吹き飛ばされてしまいそうな状態で、ミサは一心不乱にエレリアの手を力強く握る。
 しかし、ただでさえ暴風を耐え忍ぶのに必死だった上に、さらにミサの最後の命綱としての使命を自ら担ってしまったエレリア。片手ですぐ側の本棚を掴み、もう一方の手でミサの手を決して離さないように力強く握る。
 激流のような暴風に吹かれるまま、ほぼ宙に浮いている状態のミサだったが、エレリアもエレリアで不安定な体勢なため、この状況がいつまで続くか分からなかった。

「マーラ様! このままでは……!」

 兵士長としての本能で身に迫る危機感を悟ったマルロスが、思わずマーラに向かって警告の意を叫んだ。
 しかし、彼女の瞳は依然として意地と好奇心の輝きで溢れており、一向に作業の手を緩めようとはしなかった。

「あとちょっと……。あとちょっとなのね……!」

 その間にも、ミサを繋ぎ止めるエレリアの手には、少しずつ限界が近づいてきていた。
 徐々に指の感覚が薄れていく中で、自身の手の中から無情にも彼女の指が引き離されていくのが分かった。その間も、風は容赦なくエレリアたちに激しく吹きつける。

「うぅッ……!」

 今すぐにでももう片方の手で徐々に離れていくミサの手を引き止めたいが、そうすれば強風に耐えうる手段を失った自分自身も吹き飛ばされてしまう。
 エレリアが苦しそうに顔を歪め、最悪の事態を受け入れる覚悟をも決めた、その時だった。
 いきなり部屋を眩い閃光が満たしたのだ。

「……!?」

 あまりの光量に、反射的にエレリアは強く目をつぶった。
 すると突然、あれほど吹き荒れていた強風の勢力が、ふいに何事もなかったかのように徐々に衰えていった。
 暴風が止んだことによって、危機に瀕していたミサはようやく地に足をつけることができ、彼女を繋ぎ止めていたエレリアもあまりの疲労に弱々しく地面にへたり込んだ。

「ほんとにありがとう、リアちゃん! リアちゃんのおかげでなんとかなったよ!」
「はぁ、助かった……」

 あの凄まじい嵐が部屋にもたらした影響は大きく、辺りは目も当てられないほど凄惨な状態だった。吹き飛ばされた本棚は木っ端微塵に破壊され、床には足の踏み場もないほど大量の本や割れたガラスの破片などが無惨に散乱していた。
 ミサたちはと言うと、特に目立った外傷はないようだが、その代わりに強風に晒され続けたせいでみな髪がくしゃくしゃに乱れているのが少し面白かった。
 まだ、手がジンジン痺れている。しかし、ミサが無事ならエレリアはそれでよかった。
 安堵に包まれる一同。
 すると、向こうからマーラが不機嫌そうな歩調を刻みながら、こちらへ近づいてきた。

「……あんたたち、なんてものを私によこしてくれたのね! おかげでメチャクチャになったじゃない!」

 まず、マーラが発した第一声は怒りの念に満ちていた。
 思わず面食らってしまったが、よく考えると彼女が怒るのも無理はなかった。だが、月の魔力があれほど強力なものだとはエレリアたちも知らなかったのだ。決して冷やかすつもりで月光草のポーションをわたしたのではない。

「で、でも……! うまくいったでしょ?」
「大失敗なのねっ!」
「えぇ!?」

 予想外の返答に、ミサは思わず間抜けな声をあげてしまった。
 重厚な本棚を軽々と吹き飛ばしてしまうほど強力な衝撃波が溢れ出していたのだ。これで失敗したなんて微塵も信じられないが、目的の魔石はどうなってしまったのか。

「これを見るがいいのね!」

 完全にご立腹のマーラが見せつけてきたもの。それは、初めに見たものと変わらない冷たいただの蒼い石だった。

「そんな……。なんで?」
「なんで、じゃないのね!」

 月の魔力があれば魔石が完成する、というミサの憶測が見事に外れ、マーラは顔を怒りで真っ赤にしていた。

「部屋もこんなになっちゃって……。あんたたちにはそれなりの罰を受けてもらわないと、私の気が済まないのね……!」
「おいおい、罰って、そんな大袈裟な……。ていうか、ミサ! どうなってんだよ、うまくいかなかったじゃねぇか!」
「うーん、おかしいなぁ……。もしかして、月の魔力は関係なかったのかなぁ」

 月の魔力があればうまくいくと信じ切っていたからこそ、失敗と結果に終わりすっかり途方に暮れているミサ。
 一方、隣にいたエレリアはふと自身の腰に提げていた『せいけんえくすかりばあ』と『月の魔力』という言葉から、とある事を閃いていた。そして、数秒後には、少しだけ勇気を出して初めて自らマーラに声をかけていた。

「……ねぇ、それ詳しく見せてもらってもいい?」
「もう、好きにするがいいのね!」

 そして、エレリアは鞘に収められた『せいけんえくすかりばぁ』と、マーラから受け取った魔石を何気なく近づけてみた。
 すると、その時だった。

「何なのね!? その光は!」

 そう、いきなり剣と魔石が互いに共鳴し合うように輝き始めたのだ。その光はこれまでのどの輝きより激しく、それでいて温かった。
 突然の現象に、周りにいたミサたちだけでなく、当の本人であるエレリアすらも理解が追いつかず呆然としていた。
 そして、発光が止み誰もがゆっくりと目を開けた時、エレリアの手のひらの上には、月色に輝く4つの魔石が並んでいた。

「ちょっと、あんた!! そ、それ!」

 すると、誰よりも早く正気を取り戻したマーラは、呆気にとられているエレリアから急いで石を奪いあげると、信じられないような眼差しで魔石を眺めた。

「……ま、間違いない……! これこそ、私が追い求めていた、月の涙なのね!」
「えぇ!?」

 マーラが放った言葉に当のエレリアだけでなく、ずっと責任を感じていたミサも同時に驚きの声をあげてしまった。
 ほんの数秒、剣に石を近づけただけ。それだけで、いとも簡単に魔石は本来の魅力を取り戻したかのように輝き始めたのだった。

「すごい、リアちゃん……」
「おい、エレリア。おまえ、何やったんだよ!?」
「何って……。さっきの石と、ソウヤが貸してくれた剣のここのところあるじゃん。そこがなんか似てるから試しに近づけただけだよ」

 今、手にしている『せいけんえくすかりばぁ』というソウヤから授かった剣。この剣のガードのところに似たような魔石がはめ込まれているのだが、エレリアはずっと印象的に感じていた。そして、両者を比較しようと魔石と剣を近づけたところ、ふいに石が輝き出し、そして今に至る。
 理由は分からないが、とにかくマーラが望んでいた『月の涙』というアイテムはこれで完成したようだ。

「じゃあ、石が完成したってことは、マーラさん! 私たちに魔法……」
「あー、分かった、分かったのね!! 約束はちゃんと果たしてあげるのよ!」
 目を輝かしながら懇願してくるミサに向かって、相変わらずぶっきらぼうに言い放ったマーラであったが、その顔はどこか嬉しそうでもあった。



「ほらマルロス共々、さっさとそこに突っ立つがいいのね」

 ようやく、王宮魔導師から直々に防護魔法を受ける時が来た。王に憑依した夢魔の反撃に備えて、聖なる加護をマーラから付与してもらうのだ。
 緊張した表情でお互いに寄り合う、エレリア、ミサ、ソウヤ、マルロスの4人。そして、対立するような形で、片手に杖を持ったマーラ。

「じゃ、やってくのね」

 そう告げたマーラは、杖をエレリアたちに向けると、静かに目を閉じ自身の魔力を杖の先端に集中させた。
 部屋の空気がピリピリと痺れるように張り詰めていく。そんな中、エレリアの心中には期待と緊張の感情で高まっていき、今にも溢れ出してしまいそうだった。
 そして、意を決したかのように目を見開いた瞬間、マーラは勢いよくエレリアたちに向かって魔力を解き放った。

「はぁっ!!」

 すると、その瞬間、胸の内がキュッと締め付けられたかのような感覚を覚えたと同時に、膜のような淡い光が周囲を包み込んだ。それに伴い、次第に身体が熱くなってくるが分かった。
 初めての加護に、動揺を隠しきれないエレリアたち。
 そして、マーラが魔法を唱えてから数秒経った頃、気づくと辺りには何事もなかったかのようにもとの静けさが漂っていた。

「ほら、終わったのね」

 慣れた手つきでエレリアたちに防護魔法をかけ終えると、再びいつものふてくされた様子でマーラは言い放った。

「これが、防護魔法……」

 思いのほか早く儀式が終わり、エレリアは彼女から魔法で強化された自身の身体を試しに見回してみた。
 肌が硬くなるとか、光の壁に包まれるとか、そういった外見上の変化は特に無かった。ただ、その代わり、身体の底から湧き上がる妙な熱い感覚に満たされているのを感じる。今だけならどんな凶悪な病魔が取り憑いてきたとしても平気でいられるような、そんな無敵感なる気分に駆られているようだった。

「言っとくけど、魔法の効能はずっとは続かないのね。くれぐれも、勘違いしないことなのね」
「はい! 本当にありがとうございます、マーラさん!!」
「ふん! 分かったなら、さっさと私の前から消え失せるがいいのね」

 そう言うと、マーラは完成した月の涙を持って、そそくさとどこか別の部屋へ姿を消してしまった。
 少しひねくれた性格の魔導師てあったが、無事に防護魔法を受けることができた。これで、夢魔に取り憑かれた王様が眠る王室に入ることができる。

「思ったよりも、時間を浪費してしまったな……。皆のもの、早速王室に移動するぞ!」
「はい!」

 焦燥に駆られるマルロスに案内されるがまま、エレリアたちは王室へ向かった。
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