ペトリの夢と猫の塔

雨乃さかな

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第1章『始まりの村と魔法の薬』編

第21話 警告/Warning from him

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 その日は、あっという間にやって来てしまった。
 今晩、いよいよカロポタス村に「月光草」を取りに行く。
 現在の時刻は夕方。エレリアは今夜探索する時に使用するランタン用の石炭を買いに、夕陽が照らす村の小道を一人とぼとぼ歩いていた。ミサ曰く「できるだけ色が黒くて、割れにくいのをお願いね」とのことだった。
 辺りは一面の田園風景で、日の出ということもあってか、ほとんどの村人が農作業の片付けを始めており、泥だらけの農具を肩に担ぎ疲れきった表情で家路についていた。
 風に運ばれた稲の匂いが鼻の中に流れ込んでくる。エレリアは突風で乱れた白い髪を片手で整えると、神妙な顔つきのまま、石炭の売っている商店へ足を進めて行った。

「まいどありー!」
 気前のいい店主の声と共に、エレリアは買った石炭を薄汚れた布の袋に入れ、そのまま店を出た。
 石炭はこの村の洞窟で取れる最品質のもので、これをランタンに入れれば長時間灯りを灯らすことができる。おそらく月の光しか頼らにならない暗黒のカロポタス村での唯一の光源となるのだろう。
 エレリアは石炭の入った袋を胸の前で大事そうに抱えると、深呼吸を一つついて、再び先ほど来た道を引き返した。
「はぁ…」
 反対方向から歩いてくる農夫たちの間を避けながら、エレリアの視線は曇った視線と共に下を向いていた。
 今夜、自分たちが行くのはカロポタス村。それは、かつて凄惨な悲劇が巻き起こった哀しき悪夢の場所だ。
 そんな恐ろしい場所、できることなら永遠に行きたくなかった。
 もしかしたら、かつて殺されたおぞましい村人の幽霊がいるかもしれない。否、何より魔物が現れることのほうが一番恐ろしい。それは実際にこの身体をもって経験したからよく分かる。無慈悲に襲いかかってくる彼らと友好的な意思疎通を図ることは恐らく不可能だ。
 これから先のことを考えれば考えるほど、エレリアの胸は鉛のように重く苦しくなっていく。ため息を吐くことで溜まった重圧の心情を除外することはできるが、しばらくするとまた胸のうちはもくもくと曇っていく。
 そこまで行きたくなければ、行かなければいい。今エレリアの悩みを聞いた人がいるとしたならばきっとそんなことを口にするかもしれないが、そういうわけにもいかないのだ。
 なぜなら、今回カロポタス村に行くのは決して肝試しに行くのではなく、ポーションの材料を採りに行くためだからだ。しかも、この件には隣の王国スカースレット王国の命運がかかっている。
 こんな国家の存亡をかけた重役を担わされて、呑気に家で怯えているわけには当然いかない。それも、任されているのは自分一人だけではないのだ。
 ふとエレリアは空を見上げた。夕焼け色に塗られた上空を、漆黒のカラスの群れがバラバラに旋回している。
「あいつらはいいなぁ。自由に空を飛べて」
 エレリアは自由自在に空を飛び回っているカラスの群れに、思わず羨望の眼差しを向けてしまった。
 広大な空で意思の赴くままに自由に生きていく。
 悩み事なんて何もないんだろうなぁ。遠い空の彼方を飛ぶ黒い鳥を、エレリアはしばらく放心状態のまま見上げていた。

 そしてふと我に返った時、エレリアは道の奥からやって来る人影を目にし、驚きの意を小声で口にした。
「あっ、あの人は…」
 村の小道、エレリアの眺める少し向こうからこちらに向かってくる一人の男の影。屈強な肉体に、キズだらけの顔。そして、どんなものも射抜いてしまうような鋭い眼光。
 そう、そこにはダンテという名の男の姿があった。
 彼はエレリアが初めて村にやって来た際の寄合において、「俺は認めない」と断固な意思をエレリアに突きつけた村人の一人だった。
 幸いなことに、あれ以来エレリアは彼と何の接点も持つことはなかったが、あまりの強烈な印象と共にその存在はずっと覚えていた。
 その男が今、仏頂面を構えこちらに向かって歩いて来ている。
「ど、ど、ど、どうしよう…」
 エレリアは石炭の入った袋を守るように強く抱えて、思わず後ずさりしてしまった。
 こうなってしまったらいっそのこと今来た道を返して、彼との遭遇を避けるか。ただそれだと、あまりにこちらが嫌味を表明しているようでいい気分はしない。恐らく彼はこちらの存在をすでに認知しているだろう。ここで逃げるのは、エレリアのプライドが許さなかった。
 彼は少しもこちらを一瞥することなく、眉間にシワを寄せたままこちらに歩き続けている。目は合っていないが、お互い存在は認識しているはずだ。
「…はぁ、もう最悪なんだけど…」
 エレリアは同じ場所であたふたしたまま、自らの運命を激しく呪った。よりによって、なぜ小さな一本道で彼と出くわしてしまったのか。他の村人がいれば、どさくさにまぎれて通り過ぎることもできるが、最悪なことに今この道を歩いているのは彼と自分だけだ。その間も、彼は近づいてくる。
 正直、エレリアは彼のことが嫌いだった。理由は簡単、彼があの寄合でエレリアに入村拒否をはっきりと表明したからだ。あの時快く向かい入れてくれていれば、今の気持ちは変わっていたかもしれないが、最悪なことに彼に対して良いイメージはない。
 何よりエレリアは彼の見た目そのものも苦手だった。鋭く細められた眼差しに、幾人も寄せ付けないような強面の表情。そして、地の底から発せられたような低音の地声。その何もかもが、エレリアはとてもじゃないが好きになれなかった。
「ミサか、ソウヤがいてくれたらなぁ…」
 彼との距離が近づいてくる中、エレリアは弱気な発想をしてしまった。どこか横道に逃げ込めることができたらそうしたいが、都合よくそんな逃げ道が存在するわけもない。あるのは一面に広がる田んぼだけだ。
「うぅ、こうなったら…」
 エレリアは下唇を強く噛み締め、意を決すると、そのまま平静を装う表情へ切り替え、震える足を前に踏み出した。
 どこかへ逃げることはできない。もうこうなってしまたったら、彼の横を素知らぬふりで通り過ぎて行くことしか、この状況から切り抜ける方法はない。
 エレリアはできるだけ彼と目を合わさないように、そして、できるだけ気づかれないように縮こまるようにして歩いた。
「話しかけられませんように…」
 彼との距離が近づいてくる。だが依然として、彼は口を固く閉ざしたまま、ただ進行方向のある一点を見つめて歩いている。それも、こちらの存在を意図的に視界から排除しているようにも見えた。
 まさか、彼はエレリアに気づいていないのか。先ほどエレリアが慌てふためいていたのは、ただの一人芝居だったのか。
 どちらにせよ、エレリアは息を殺すようにして歩を進めた。
 気づけば、彼との距離ももう目と鼻の先。心臓が激しくうねり始める。
 まさか、私のことが嫌いで、すれ違いざまに襲いかかってきたりなどしないだろうな、とエレリアの心には動揺と不安の念が嵐のように渦巻いていた。
 冷や汗が止まらない。足はなぜか細かく震えている。
 しかしこんな時に限って、時間が長く感じる。今夜は恐怖のカロポタス村に行かなければならないのに、こんなところで怖気づいていては先が思いやられてしまう。早く、立ち去ってくれ!
 そして、ついに彼の横を通り過ぎようとした瞬間、
「…っ!?」
 エレリアは思わぬ寒気と共にはっと息を飲んだ。
 すれ違いざま、なんと彼と目が合ったのだ。
 彼はひと回り背の低いエレリアを乾いた眼光で鋭く見下していた。それは、憎しみの感情をこめた敵意の眼差しのようにも感じられた。
 やはり、彼はエレリアのことが嫌いなのだ。今の彼の目を見て、すぐに分かった。
 だが、だからといってエレリアは何も感じない。もともとエレリアも彼が大嫌いだったから、向こうから憎まれようが大して気に触るようなものではなかった。
 彼を背に、次第に距離が離れていく。
 とにかく、何事もなく彼の横をすり抜け、無事に危機的状況から脱することができた。
「はぁ、良かったぁ…」
 エレリアは彼が通り過ぎて行ったのを確認すると、安堵のあまり胸を撫でおろし、胸に溜まっていた緊張の意をため息と共に吐き出した。これで、なんとか家に戻ることができる。
 こんなことは村に来て初めてだが、やはりいい気持ちはしない。だが、やりきれたならそれでいい。エレリアは自分に説得させるようそう呟き、再び明るい気持ちで歩き出そうとした。
 すると、安心したのもつかの間、状況はある人物の一言によって振り出しに戻った。

「おい、おまえ…」

 突如、獲物を射止めるように背後から男の声が放たれ、エレリアは思わずその足を止めてしまった。背筋は凍てついてしまったかの如く震え、胸のうちに恐怖と不安の感情が貼り詰める。
 まさか、今の発言は自分に対して発せられたものなのだろうか。しかし、ここには自分と彼以外は誰もいない。
 身体に謎の寒気が染み渡る。肩が震え、呼吸が荒くなる。
 どうすればいい。
 エレリアは抱えている石炭の袋を再び強く抱きしめた。
 今、自分は運命に試されている。
 だがここでエレリアは逃げ出したくなかった。当然この場から駆け出して、何事もなかったことにはできるが、それだと状況は何も変わらない。
 何より、実はエレリアは心の隅では彼と仲良くなりたいという気持ちがあった。同じ村で住む者同士、お互い不仲の関係のままだとあまりにも窮屈だ。それが今、初めて実感できた。できるなら、何にも怯えず堂々と生きていきたい。
「よ、よし…」
 エレリアは心のなかで覚悟を決め、恐る恐る背後へ振り返った。
 視線が彼のほうへ向けられる。
「ぁ…」
 怯えるエレリアの目の先、そこには夕陽を背にまとい逆光を浴びたダンテが固く腕を組んで、こちらをまじまじと見つめていた。
 顔は険しい表情で塗りたくられ、何やらエレリアに何か言いたいことがあるような様子だった。
 だが、そんな彼の風格に決して圧倒されてはならないと少女の小さなプライドが彼女自身の意識を奮い立たせ、エレリアは震える声を絞り出すように彼に問いかけた。
「な、何…?」
「…おまえ、それは何だ」
 ダンテが持ち前の低い声で、大事そうにエレリアが抱えている石炭の袋を指摘した。
「こ、これは…!」
 エレリアは石炭の袋を急いで隠すように背を向け、曖昧に言葉を濁らせた。
 決して口を滑らせてはならない。なぜなら今夜は、立ち入り禁区のカロポタス村に足を踏み入れるのだから。そもそもポーション制作自体も、他の村人には極秘にしているのだ。ここで真実を口にしてしまっては、すべての計画が水の泡となってしまう。それだけは絶対に避けなければならない。
「おまえ、どうやら今晩、カロポタス村に行くらしいなぁ」
「えっ!?」
 静かに語り出された彼の発言に、エレリアは思わず耳を疑ってしまった。
「なんであなたがそれを…!?」
「そうか、やはりそうだったか」
「しまっ…!!」
 彼の怪しい微笑と共に放たれた一言を前にエレリアは慌てて口を塞いだが、時すでに遅しだった。
 どうやらエレリアはまんまと彼の策略に引っかかってしまったらしい。その証拠に、ダンテはまるでこちらを蔑むように呆れた笑みをこぼしている。
「うぅ…」
 あれだけ強く自分に言い聞かしていたのにも関わらず、易易と自分の口から情報を漏らしてしまったエレリアは自分で自分を殴ってやりたい気分だった。
 何より、なぜ彼が今夜自分たちがカロポタス村に行くという情報を知っているのか。
「ふっ、俺がなんでおまえの思ってることが分かったのか驚いてんだろ」
「あなた…、何が目的なの?」
 エレリアは怪訝そうに鋭い視線で彼を見つめた。
 すると、彼はいつもの無愛想な表情に戻り、少しずつ歩み寄りながら静かに口を開いた。
「先に一つ断っておくが、別に俺はおまえをからかうつもりは一切ない。ただ、今回こうしておまえとここで巡りあえたのも何かの縁だと思ってな。だから、特別におまえに忠告してやるよ」
「…忠告?」
 エレリアは彼の発言の真意が理解できず、困惑の意を口から漏らした。
 忠告してやる、と彼は言ったが、彼からわざわざ忠告を受ける筋合いは一切ない。逆に忠告を言われたところで、カロポタス村に材料を取りに行くという事実は変わらないのだから、まず聞く価値すら無い。
「カロポタス村に何をしに行くか知らねぇが、寝ぼけたことをぬかすのはここまでにしとけ」
 ダンテの瞳が鋭く細められ、警戒気味に立ち尽くしているエレリアをじっと見据える。

「…あそこだけには絶対に行くな。行ったら、死ぬほど後悔することになるぞ…」

「え…?」
 エレリアは彼の口から吐かれた発言を聞き、思わず呆然と立ち尽くしてしまった。そして、その言葉たちがエレリアの頭の中で何度も何度も反芻するように繰り返し響いていた。
 行ったら死ぬほど後悔することになる。
 今の彼の言葉から先程までの敵意の感情は伝わってこなかった。むしろ、親身になって本気で寄り添ってくれたからこその優しさのような温もりを感じ取ることができた。
 だとしたら、彼は本当は私のことを嫌ってなどいないのか。そう、エレリアは感じることができた。
「俺は確かに忠告したからな。行くか、行かないか。後はおまえたちで決めろ」
「ちょ、ちょっと、待ってよ!ねぇ!」
 帰ろうとする彼をエレリアは引き止めようと大声を張ったが、ダンテはそんな彼女の制止を振り切り、そのまま道の向こうへ黙ったまま消え去ろうとしていた。そして、エレリアは急いで彼の後を追いかけようとしたが、家で待っているミサの姿を思い出し、その足を止めた。
「なんなの? もう…」
 エレリアは発言の真意を問いかける機会を逃してしまい、一人道の真ん中で途方に暮れていた。
 彼は一体何が言いたかったのか。
 そして、何を伝えたかったのか。悔しいが、真実はエレリアには分からなかった。
 ただ、カロポタス村には言っては行けない。あそこには容易く触れてはいけない何かがいる。
 この時からエレリアの心には、不吉な予感と耐え難い恐怖の感情がどろどろと大きく渦を巻いていた。
 エレリアは不穏にざわめく胸を苦しそうに抑え、そして家に帰るため足を一歩前に踏み出した。
 空では漆黒のカラスが相も変わらず、まるで上空からエレリアに何かを語りかけているように鳴きわめいている。
 それでもエレリアは石炭の入った袋を抱え直し、黄昏の家路をひたらす歩いて行った。


【次回予告】
ミサとソウヤを引き連れたエレリアは、いよいよ廃村カロポタス村へ足を踏み入れる。しかし、そこにはカノジたちの思いもよらない真の恐怖が待ち受けていた。明かされる村の悲劇の真相と、謎の白装束の集団…。果たしてエレリアたちはこの絶望の地から生きて帰ることがてきるのか!?
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