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第四章
13 ファーストコンタクト
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真正面に立ったそれは、全身が神々しい金色に光り輝きすぎて、かろうじて人間に鳥のような翼が生えている、としか判別できない。
「短い距離とはいえ、この人数を一瞬で転移……やはり貴方は〝規格外〟ですね」
顔も、どんな造形をしているのかわからないのに、笑みを浮かべる気配はわかった。
その笑みに、一抹の不安がよぎる。
皆に、僕の背後に回るよう目と手振りで合図して、それに向き直った。
「どちら様ですか」
「わたくしの声に聞き覚えはありませんか?」
はじめの一声から、絶対にどこかで何度も聞いたことがあると確信していた。
それがどこだったか……。
人や場所、シチュエーションの記憶を辿り、突然、パズルのピースが嵌ったように思い出した。
「レベルアップの時の!」
「はい。あなた方の言う『神の声』です。わたくしは調律者の一人、マグと申します」
マグは優雅なカーテシーをしてみせた。所作は、王城で見たことのある貴族の女性より高貴で優雅だ。
正体の輪郭が分かると同時に、マグの光が落ち着き、その姿がしっかり見えた。
さらさらのプラチナブロンドを背中に流し、瞳はオパールみたいな虹色に輝いている。
顔の造形は、この世のものとは思えない程綺麗に整っている。
身体の殆どを白いローブで覆っているが、顔と、ちらりと見える指先はアルビノのモモに負けないくらい白い。
しかし体つきも声も中性的で、先程のカーテシーのことを除いたら男女の区別はつかない。
「男性の方はわたくしを女性と見做すことが多いのですが、珍しいですね」
マグは口元に手をやって、優雅に微笑んだ。
「しょっちゅう聞いてた声が調律者だったのか……」
「ええ。こうして人前に姿を見せるのは初めてですから、ご存じないのも無理はありません。それと、貴方ほどわたくし達の声を聞いた人間は、他にいません。……と、失礼しますね」
マグが挙手するように手を掲げると、僕の後ろにいた皆の気配が消えた。
「!? 何をした!」
「落ち着いてください。屋敷にお帰りいただきました」
殺気立ったのを押さえて[気配察知]を広範囲に広げると、確かに皆、家の中にいた。
「ついでにわたくしのことを記憶から消しました」
「何のために?」
「わたくしは、貴方にお話があってきたのです」
地面に降り立ったマグは、僕を正面から見つめた。
「この世界に魔物がいるせいで、貴方のような者が召喚されることになりました。故に我々は、魔物を殲滅し、この世界に安定と安寧をもたらそうと計画しているのです」
***
マグは僕の疑問に全て答えてくれた。
マグは調律者のひとりで、この世界と直に干渉できる権利を持った唯一の存在であること。
調律者に事を命じたのは、この世界そのもの、言い換えれば『神』と呼べる存在であること。
神が元々命じたのは、異物の排除または調和だったが、現実的にできることは魔物の排除しかないこと。
魔物排除の協力者として、人類最強の存在である僕に、白羽の矢を立てたこと。
「最強、なんですか」
「ええ。自覚はありませんか?」
「魔力量や単純な力の強さなら、思い当たるフシはあります。でも戦略とか作戦とか、頭を使われたら……」
「貴方ならば、全てを捻じ伏せられましょう」
「はあ……」
「それに頭脳労働はわたくし達の得意分野です。貴方はわたくしの命令に従えばよいのです」
「……」
「あら、不服そうですね」
当然だ。この世界は魔物の存在なくては成り立たない。
魔物は生活用品の素材になり、食料になり、様々な利用価値を見いだされて人の生活に溶け込んでいる。いくら僕が自分の手を汚すのを疎んでも、ここはそういう世界だと納得しつつあったからこそ、冒険者を続けられた。
「承知の上です。ですから、時間をかけて魔物を徐々に減らし、人には魔物なしで生活できる術を編み出してもらい、最終的に全ての魔物を滅ぼします。おそらく数百年はかかるでしょう。ですから……」
次の台詞で、僕はこの話を拒むことを決めた。
「貴方にも、我々と同じだけの寿命を与えます」
マグの手から放たれた閃光を、全力で防ぎ、弾いた。
「何故です?」
再び閃光。今度は真正面から邪属性の魔法で対象を消滅させる。練習しておいてよかった、邪属性。
「僕は、僕の大事な人と、共に人生を歩みたい。人外になるなんて願い下げだ」
「[上位魔人]の貴方が今更ですね」
次々に迫ってくる閃光を、全て消滅させる。
おかしい。
神の使いの調律者が、この程度のはずがない。
「ヒイロ、モモ」
意思疎通を試みる。聖獣たちは揃って「はい」と返事をくれた。
「ご無事ですか?」
「僕は大丈夫。さっきまでの記憶は、どこまである?」
「皆様とお話をしている最中に地震が起き、主様の転移魔法で一旦外へ出たはずが、屋敷に戻ってきたことを覚えております。主様のお姿だけ見えず、気配もわからなくて……。今どちらに?」
「話している暇はないんだ。僕の心配はいらないから、皆を頼む」
「主様!?」
「ヨイチ!」
もう数十回は閃光を消し続けている。マグの顔が苛立ちに歪んだ。
「わかりました。貴方にはしばらく教育が必要ですね」
「絶対にお前らの言うことなんて聞かない。皆に手を出すなら、こちらにも考えがある」
気は進まないが、対抗手段に心当たりがある。
「貴方が反省し、許しを請うまで、わたくしの空間に閉じ込めますね」
僕が最後にやったことは、ヒイロとモモに「頼んだ」と重ねて命令したことだった。
***
以前エルドに連れ込まれた、時空を遮断した場所というのに似ているが、こんな不快感はなかった。
生ぬるいトゲトゲしたものが全身をくまなく包み、体中に絶え間なく毒物を流し込んでくる。
実際の視界にそんなものはないが、空気がそう感じさせるのだ。
そして毒物は僕の痛覚を刺激し、常に全身を激痛が覆う。
魔物との戦いであまり怪我を負わない僕は、痛みに対する耐性が殆どない。
少しのかすり傷でも、すぐに自分で治癒魔法を使ってしまう。
今は魔法が使えない。魔力も出せない。
声は出せず、身体は指一本動かない。
意識を手放そうにも、痛みが邪魔をする。
出来ることは、思考することだけ。
抗う術を封じられ、只々与え続けられる、苦痛。
「どうですか、言うことを聞く気になりませんか?」
きらきらと神々しく光り、笑顔を見せるマグが、腹立たしい。
「まだのようですね。まあ、初日ですから」
初日、と言ったが、多分一時間も経っていないだろう。
「一日置きに様子を見に来ます。他の手立てを考える必要ができてしまいましたので、わたくしも忙しいのです」
マグは言いたいことだけ言うと、僕にわざと背を向けてから消えた。僕に孤独感を与えるためだ。
僕のことを人類最強だとか言っていたくせに、あいつは僕を舐め過ぎだ。
痛いものは痛いが、我慢できる。
魔法も魔力も使えない空間でも、僕には[魔眼]がある。
発動させて、自分を包む不快な何かを[魔眼]で見つめると、微かに罅が入った。
そのまま見つめ続ける。数時間かけて、片腕が動かせる程度には拘束を外すことが出来た。
しかし消耗も激しい。圧迫から解放された勢いが強すぎて、胃の中のものを全て吐いた。
眼と頭が痛い。眦から赤い涙がぽたぽたと落ちる。[魔眼]を使いすぎるとこうなるのか。
拘束から全身の脱出に成功したものの、かろうじて存在する地面に倒れ込み、呼吸を整えて体力を回復させなければならなかった。
ここまでに半日以上かけてしまっている。更にこの空間からの脱出ともなれば、どれほど時間がかかるかわからない。
立ち上がれるようになった頃、空間に金属音が鳴り響いた。
鼓膜が破れそうな程の音量に思わず耳を塞ぐと、僕の目の前にエルドが現れた。
「遅くなった。よくここまで耐えたな」
差し伸べられた手を取ろうとして、やめた。
「誰だ」
呼んだ覚えはない。そもそも呼べない。
調律者が、元人間であるエルドに、この空間の位置を外部から特定されて、しかも侵入を許すなんてありえない。
それにエルドは僕の味方でいるように見えて、実のところ絶対にそうとは言い切れない。
利害関係が一致したから僕を助けてくれていたのだ。
調律者を恐れて、警告までくれたエルドが、ここへ来ることは、あり得ない。
「引っかかりませんか」
次の瞬間、目の前にはエルドではなくマグが立っていた。
脱出を感づかれたか。
エルドのフリをしたのは、一度助けておいてまた拘束し、僕に絶望感を与えるつもりだったのだろう。悪趣味だ。
「手強いですね。では次は本気で……えっ?」
空間に、外側から亀裂が入った。
その向こうの気配は、よく知っているいつもの世界の気配。
「これは……!? なんてこと……」
闇でも邪属性でもない、僕が持たない属性。おそらくマグにとってすら未知の属性。
「ヨイチ!!」
手を差し伸ばしているのはアオミだ。後ろでジストとモモがアオミに魔力を送り込み、亀裂から身を乗り出すアオミをザクロが精一杯体を伸ばして支えている。
最後の力を振り絞って地を蹴り、その手を掴んだ。
***
「一体、どうやって?」
異空間から引きずり出されたヨイチは満身創痍だった。
残りの魔力で治癒魔法を試みたが、あまり治らない。
なのに身体を起こそうとするのを、ザクロが無理やりベッドに倒した。
「無理をするな。しばらく休め。ここは安全だ」
港町の家で寛ぐ俺たちの前に、モモと名乗る女性が訪ねてきた。ヨイチの聖獣だという。
聖獣の説明を聞きたかったが、緊急事態でそれどころではないと断られた。
モモは、ヨイチが別空間に囚われたと話し、俺のもつ暗黒属性ならそれを突破し、ヨイチを隠蔽できるのではないかと伝えてきた。
「異空間の位置は?」
「多分それ影の世界のことだよね。ボクが探すよ、ちょっと待って」
ジストは目を閉じ、何かを探るような仕草をする。すぐに目を開けた。
「見つけた。だけど、ボクの魔法じゃ破れない。アオミ、手伝ってくれ」
ジストの言うとおりに暗黒属性の魔力を送り込むと、家の中のなにもない空間に亀裂が生じた。
この属性、こんなことができたのか。
「いた! ……ぐっ」
魔力が足りない。こんなことなら俺もジストたちと共に冒険者となってレベルを上げておくべきだった。
「ボクのを渡す」
「私のもお使いください!」
二人の魔力が身体に流れ込んでくる。少し息苦しいが、ヨイチに手が届いた。
亀裂の向こうに身体を伸ばしてヨイチの手を掴むと、ザクロが俺ごとこちら側へ引きあげた。
「暗黒属性で結界をお願いします!」
モモの指示に従い、結界魔法を展開する。光属性以外でやったことはなかったが、なんとか上手くいった。
そして今。あのヨイチが、苦しそうな寝顔でベッドに横たわっている。
「短い距離とはいえ、この人数を一瞬で転移……やはり貴方は〝規格外〟ですね」
顔も、どんな造形をしているのかわからないのに、笑みを浮かべる気配はわかった。
その笑みに、一抹の不安がよぎる。
皆に、僕の背後に回るよう目と手振りで合図して、それに向き直った。
「どちら様ですか」
「わたくしの声に聞き覚えはありませんか?」
はじめの一声から、絶対にどこかで何度も聞いたことがあると確信していた。
それがどこだったか……。
人や場所、シチュエーションの記憶を辿り、突然、パズルのピースが嵌ったように思い出した。
「レベルアップの時の!」
「はい。あなた方の言う『神の声』です。わたくしは調律者の一人、マグと申します」
マグは優雅なカーテシーをしてみせた。所作は、王城で見たことのある貴族の女性より高貴で優雅だ。
正体の輪郭が分かると同時に、マグの光が落ち着き、その姿がしっかり見えた。
さらさらのプラチナブロンドを背中に流し、瞳はオパールみたいな虹色に輝いている。
顔の造形は、この世のものとは思えない程綺麗に整っている。
身体の殆どを白いローブで覆っているが、顔と、ちらりと見える指先はアルビノのモモに負けないくらい白い。
しかし体つきも声も中性的で、先程のカーテシーのことを除いたら男女の区別はつかない。
「男性の方はわたくしを女性と見做すことが多いのですが、珍しいですね」
マグは口元に手をやって、優雅に微笑んだ。
「しょっちゅう聞いてた声が調律者だったのか……」
「ええ。こうして人前に姿を見せるのは初めてですから、ご存じないのも無理はありません。それと、貴方ほどわたくし達の声を聞いた人間は、他にいません。……と、失礼しますね」
マグが挙手するように手を掲げると、僕の後ろにいた皆の気配が消えた。
「!? 何をした!」
「落ち着いてください。屋敷にお帰りいただきました」
殺気立ったのを押さえて[気配察知]を広範囲に広げると、確かに皆、家の中にいた。
「ついでにわたくしのことを記憶から消しました」
「何のために?」
「わたくしは、貴方にお話があってきたのです」
地面に降り立ったマグは、僕を正面から見つめた。
「この世界に魔物がいるせいで、貴方のような者が召喚されることになりました。故に我々は、魔物を殲滅し、この世界に安定と安寧をもたらそうと計画しているのです」
***
マグは僕の疑問に全て答えてくれた。
マグは調律者のひとりで、この世界と直に干渉できる権利を持った唯一の存在であること。
調律者に事を命じたのは、この世界そのもの、言い換えれば『神』と呼べる存在であること。
神が元々命じたのは、異物の排除または調和だったが、現実的にできることは魔物の排除しかないこと。
魔物排除の協力者として、人類最強の存在である僕に、白羽の矢を立てたこと。
「最強、なんですか」
「ええ。自覚はありませんか?」
「魔力量や単純な力の強さなら、思い当たるフシはあります。でも戦略とか作戦とか、頭を使われたら……」
「貴方ならば、全てを捻じ伏せられましょう」
「はあ……」
「それに頭脳労働はわたくし達の得意分野です。貴方はわたくしの命令に従えばよいのです」
「……」
「あら、不服そうですね」
当然だ。この世界は魔物の存在なくては成り立たない。
魔物は生活用品の素材になり、食料になり、様々な利用価値を見いだされて人の生活に溶け込んでいる。いくら僕が自分の手を汚すのを疎んでも、ここはそういう世界だと納得しつつあったからこそ、冒険者を続けられた。
「承知の上です。ですから、時間をかけて魔物を徐々に減らし、人には魔物なしで生活できる術を編み出してもらい、最終的に全ての魔物を滅ぼします。おそらく数百年はかかるでしょう。ですから……」
次の台詞で、僕はこの話を拒むことを決めた。
「貴方にも、我々と同じだけの寿命を与えます」
マグの手から放たれた閃光を、全力で防ぎ、弾いた。
「何故です?」
再び閃光。今度は真正面から邪属性の魔法で対象を消滅させる。練習しておいてよかった、邪属性。
「僕は、僕の大事な人と、共に人生を歩みたい。人外になるなんて願い下げだ」
「[上位魔人]の貴方が今更ですね」
次々に迫ってくる閃光を、全て消滅させる。
おかしい。
神の使いの調律者が、この程度のはずがない。
「ヒイロ、モモ」
意思疎通を試みる。聖獣たちは揃って「はい」と返事をくれた。
「ご無事ですか?」
「僕は大丈夫。さっきまでの記憶は、どこまである?」
「皆様とお話をしている最中に地震が起き、主様の転移魔法で一旦外へ出たはずが、屋敷に戻ってきたことを覚えております。主様のお姿だけ見えず、気配もわからなくて……。今どちらに?」
「話している暇はないんだ。僕の心配はいらないから、皆を頼む」
「主様!?」
「ヨイチ!」
もう数十回は閃光を消し続けている。マグの顔が苛立ちに歪んだ。
「わかりました。貴方にはしばらく教育が必要ですね」
「絶対にお前らの言うことなんて聞かない。皆に手を出すなら、こちらにも考えがある」
気は進まないが、対抗手段に心当たりがある。
「貴方が反省し、許しを請うまで、わたくしの空間に閉じ込めますね」
僕が最後にやったことは、ヒイロとモモに「頼んだ」と重ねて命令したことだった。
***
以前エルドに連れ込まれた、時空を遮断した場所というのに似ているが、こんな不快感はなかった。
生ぬるいトゲトゲしたものが全身をくまなく包み、体中に絶え間なく毒物を流し込んでくる。
実際の視界にそんなものはないが、空気がそう感じさせるのだ。
そして毒物は僕の痛覚を刺激し、常に全身を激痛が覆う。
魔物との戦いであまり怪我を負わない僕は、痛みに対する耐性が殆どない。
少しのかすり傷でも、すぐに自分で治癒魔法を使ってしまう。
今は魔法が使えない。魔力も出せない。
声は出せず、身体は指一本動かない。
意識を手放そうにも、痛みが邪魔をする。
出来ることは、思考することだけ。
抗う術を封じられ、只々与え続けられる、苦痛。
「どうですか、言うことを聞く気になりませんか?」
きらきらと神々しく光り、笑顔を見せるマグが、腹立たしい。
「まだのようですね。まあ、初日ですから」
初日、と言ったが、多分一時間も経っていないだろう。
「一日置きに様子を見に来ます。他の手立てを考える必要ができてしまいましたので、わたくしも忙しいのです」
マグは言いたいことだけ言うと、僕にわざと背を向けてから消えた。僕に孤独感を与えるためだ。
僕のことを人類最強だとか言っていたくせに、あいつは僕を舐め過ぎだ。
痛いものは痛いが、我慢できる。
魔法も魔力も使えない空間でも、僕には[魔眼]がある。
発動させて、自分を包む不快な何かを[魔眼]で見つめると、微かに罅が入った。
そのまま見つめ続ける。数時間かけて、片腕が動かせる程度には拘束を外すことが出来た。
しかし消耗も激しい。圧迫から解放された勢いが強すぎて、胃の中のものを全て吐いた。
眼と頭が痛い。眦から赤い涙がぽたぽたと落ちる。[魔眼]を使いすぎるとこうなるのか。
拘束から全身の脱出に成功したものの、かろうじて存在する地面に倒れ込み、呼吸を整えて体力を回復させなければならなかった。
ここまでに半日以上かけてしまっている。更にこの空間からの脱出ともなれば、どれほど時間がかかるかわからない。
立ち上がれるようになった頃、空間に金属音が鳴り響いた。
鼓膜が破れそうな程の音量に思わず耳を塞ぐと、僕の目の前にエルドが現れた。
「遅くなった。よくここまで耐えたな」
差し伸べられた手を取ろうとして、やめた。
「誰だ」
呼んだ覚えはない。そもそも呼べない。
調律者が、元人間であるエルドに、この空間の位置を外部から特定されて、しかも侵入を許すなんてありえない。
それにエルドは僕の味方でいるように見えて、実のところ絶対にそうとは言い切れない。
利害関係が一致したから僕を助けてくれていたのだ。
調律者を恐れて、警告までくれたエルドが、ここへ来ることは、あり得ない。
「引っかかりませんか」
次の瞬間、目の前にはエルドではなくマグが立っていた。
脱出を感づかれたか。
エルドのフリをしたのは、一度助けておいてまた拘束し、僕に絶望感を与えるつもりだったのだろう。悪趣味だ。
「手強いですね。では次は本気で……えっ?」
空間に、外側から亀裂が入った。
その向こうの気配は、よく知っているいつもの世界の気配。
「これは……!? なんてこと……」
闇でも邪属性でもない、僕が持たない属性。おそらくマグにとってすら未知の属性。
「ヨイチ!!」
手を差し伸ばしているのはアオミだ。後ろでジストとモモがアオミに魔力を送り込み、亀裂から身を乗り出すアオミをザクロが精一杯体を伸ばして支えている。
最後の力を振り絞って地を蹴り、その手を掴んだ。
***
「一体、どうやって?」
異空間から引きずり出されたヨイチは満身創痍だった。
残りの魔力で治癒魔法を試みたが、あまり治らない。
なのに身体を起こそうとするのを、ザクロが無理やりベッドに倒した。
「無理をするな。しばらく休め。ここは安全だ」
港町の家で寛ぐ俺たちの前に、モモと名乗る女性が訪ねてきた。ヨイチの聖獣だという。
聖獣の説明を聞きたかったが、緊急事態でそれどころではないと断られた。
モモは、ヨイチが別空間に囚われたと話し、俺のもつ暗黒属性ならそれを突破し、ヨイチを隠蔽できるのではないかと伝えてきた。
「異空間の位置は?」
「多分それ影の世界のことだよね。ボクが探すよ、ちょっと待って」
ジストは目を閉じ、何かを探るような仕草をする。すぐに目を開けた。
「見つけた。だけど、ボクの魔法じゃ破れない。アオミ、手伝ってくれ」
ジストの言うとおりに暗黒属性の魔力を送り込むと、家の中のなにもない空間に亀裂が生じた。
この属性、こんなことができたのか。
「いた! ……ぐっ」
魔力が足りない。こんなことなら俺もジストたちと共に冒険者となってレベルを上げておくべきだった。
「ボクのを渡す」
「私のもお使いください!」
二人の魔力が身体に流れ込んでくる。少し息苦しいが、ヨイチに手が届いた。
亀裂の向こうに身体を伸ばしてヨイチの手を掴むと、ザクロが俺ごとこちら側へ引きあげた。
「暗黒属性で結界をお願いします!」
モモの指示に従い、結界魔法を展開する。光属性以外でやったことはなかったが、なんとか上手くいった。
そして今。あのヨイチが、苦しそうな寝顔でベッドに横たわっている。
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