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第二章

26 はじめての

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「ディールさん? ディールさんっ」
 ディールが休暇を取って二日目の朝、なかなか起きる気配のしないディールの部屋へフェリチが入り、ディールを揺すったが、ディールは起きなかった。
 普段は誰よりも早く起きて早朝鍛錬をし、どれだけ熟睡していても何かあればすぐにぱっと目覚めるディールが、フェリチの呼びかけに応えないのは異常事態であった。
 フェリチは慌てて自室で寝ていたセレを叩き起こし、騒ぎを聞きつけたリオ、ルルム、そして所用で来ていたナチと共にディールのもとへ集まった。

「ごめんっ!」
 セレはディールを見るなり、体を折り曲げてフェリチに頭を下げた。
「セレさん?」
「とりあえず、確認したいからなんとか起こそう」
 それからセレとフェリチの二人がかりで体を揺すったり声をかけたりして、ようやくディールを一瞬だけ覚醒させることに成功した。

 目を開けたディールはどこかぼんやりとした表情で、動かず、声も出さない。

「ディール、調子はどう? ……って、聞くまでもないよね。ごめん、ここまでとは思わなくて」
 セレがここしばらくディールにかけていた言葉とともに謝罪をしても、ディールはセレを追い払うように手を振り、再び目を閉じてしまった。

「セレさん、これは一体?」
 フェリチとセレとディールはお互いに友人同士だと思っているが、フェリチの優先順位はディールが一番で、セレはその次だ。
 フェリチの台詞に非難の響きが乗っていることを、セレは当然であると受け止め、再び頭を下げた。
「ディールは体内に取り込んだドラゴンの魔力を日々の運動や戦いで少しずつ消費あるいは循環してるんじゃないかって仮説を立てた。だから休息を勧めて、観察したの。魔力が滞るだけで、こんなことに……ううん、何を言っても言い訳にしかならないね。フェリちゃん、ディールを助けられるのはフェリちゃんしかいないと思う。ディールをこんな状態にしておいて申し訳ない上に勝手なお願いだけど……」
「何でもします! どうすればいいですか?」
 いつもの間延びした口調を止めたセレの提案を、フェリチは前のめりに承諾した。
 セレは一旦喋るのを止めて、他の者達を見回した。
「えっと……皆さん。部屋の外へご退出願えますか。たぶんその、フェリちゃんの邪魔になっちゃうので」
 セレの言葉に、皆無言で頷いて従った。

「じゃあ、フェリちゃん。方法を伝えるから、耳を貸して」
 一体何をさせられるのかという緊張で全身をこわばらせたフェリチだったが、セレが耳元で何事かささやくにつれ、顔はみるみる紅潮し、拳はエプロンを固く握りしめ、肩を震わせ、ついには涙ぐんだ。
「……できる? それとも、ルルムさんあたりにやってもらう?」
「っ! わ、私がっ、や、やりますっ! る、ルルムさんは魔力あんまりない方ですしっ」
「それもそっか。私も出ておくね。ディールが目を覚ますか、変化がなかったら呼んでね」
「は、はいっ」

 セレが部屋から退出した後、フェリチはたっぷり十五分ほど立ち尽くした。
 それから覚悟を決めて、ディールの顔に自分の顔を近づけた。







 僕はあまり夢を見ないものだから、今回もまたこれが夢ではないということに気づくまで、やや時間がかかった。

「厄介なことをさせてくれたものだ」

 重々しい声の主は、金色のドラゴンだ。

「何のことだ?」
 僕は体を横たえていた。ドラゴンの頭は、はるか頭上にあり、こちらを見下ろしている。
 全身が気怠くて喋るのも億劫だが、ドラゴンに問いかけることはできた。
 問いかけたとして、僕とまともな会話をしてくれるわけじゃないのだが。
「あの〝じむさぎょう〟というのも頂けない。頭を使うのは悪くないが、そなたには簡単すぎて、効率がよくない」
「だから、何の話だ」
 前もそうだったが、どうしてこう、核心を避けるような話し方をするのだろう。
 ひとに何かを伝えたかったら、結論から先に言うべきだ。
「治し方は、よく思いついたと褒めておいてやろう。だが、先ずはこうならないようにすることが重要だ。どのみち返して貰わねばならぬゆえ、二度手間であるしな」
 金色のドラゴンはこころなしか楽しそうだが、僕の方は話の筋が見えなくて苛々してきた。
「だから……」
「そろそろ退散しておこう。また会おうぞ」
 僕が問い詰める前に、金色のドラゴンは消えてしまった。
「一体何だったんだ……んっ?」
 独り言を漏らした口元に、急に暖かくて柔らかい何かが触れた。
 そこから、気怠さが少しずつ抜けていく感覚がする。
 あまりにも心地よくて、目を閉じてその感覚をゆっくり味わった。


 気怠さが抜けきった頃、口元の柔らかい何かが離れていくのを追いかけようとして……僕は目を覚ました。



 起きて最初に見たのは、真っ赤な顔をしたフェリチだ。両手で口元を抑えていて、目には涙まで溜めている。
 リオさんに指摘してもらってから具合の悪いときは自己申告するようになったはずなのに、ここ最近どこかおかしい。
「フェリチ、やっぱり顔赤いよ。具合悪いんじゃ……」
 ここまで言ったところで、あの気怠さがすっかり消え失せていることに気づいた。
 体を起こしてフェリチに手を伸ばすと、フェリチは口元に手を当てたまま、首をぶんぶんと横に振った。
「だいじょうぶです、ディールさんこそ、お体の具合はいかがですか?」
 口が手で塞がれているからフェリチの声は籠もって聞こえる。
「僕はなんとも……あれ? そういえば僕、一回起きた?」
 幼い頃から躾だけはやたら厳しかったので、二度寝なんて許されなかった。
 いや、そんなことより。
「……セレは? 僕、セレのこと邪険に扱ったような……」
「あっ、セレさん、皆さんも呼んできますね」
 フェリチはとたとたと扉に向かい、閉まったままの扉の前で二、三度深呼吸するという奇行に出てから、扉を開けて出ていった。



「あー、そういうことか、なるほど」
 セレの謝罪と説明を聞いて、僕は全てが腑に落ちた。
 しかし、休息しすぎると体が怠くなんて、厄介な体質になったものだ。
「でも、どうしてフェリチに僕を治せたの?」
 この質問をすると、フェリチは顔を真赤にして下を向いてしまい、セレは申し訳無さそうにそっぽを向き、ルルムさんは何かに気づいたようにニヤニヤして、リオさんとナチさんはさっぱりわからないという顔をする。
「適度な魔力があるのはフェリちゃんだけだったし、適任者もフェリちゃんだけだったからね。これ以上は今言うのはちょっと……ま、いいじゃない、治ったんだから」
「うーん?」
 先日の、フェリチ襲撃未遂の件のときと同様、僕やフェリチに対して謝りっぱなしのセレが、この件に関してだけは断固としてすっとぼける。
 確かに治ったのだし、これ以上問い詰めるのも良くない気がしたので、もう尋ねるのはやめておいた。

「で、すみません、ナチさん。用件は何でしたか?」
 ナチさんは僕が三日間休暇を取ることを知っているはずだ。その上でここへやってきたのだから、国がらみの重めの用件があるのだろう。
「こちらこそ休暇中の、しかも大変なことになっていた時に申し訳ない。アブシット……同盟国から救援要請が入りまして」

 アブシットは、ここウィリディスから東にある別の大陸の大国だ。
 ウィリディスとアブシットは文化や産業が大きく異なり、それ故に同盟を結び、お互いの良いところを取り入れあう健全な関係を続けている。
 そんなアブシットに、ドラゴンが現れたというのだ。

「不勉強で申し訳ないのですが、アブシットについて詳しく知らなくて」
 スルカスに居たときからそうだったが、僕は他の国について殆ど勉強したことがない。
 最近はウィリディス国が仕事と報酬を与えてくれるのに甘えて、他国はおろか他の大陸のことを知ろうとも思わなかった。
「そうですね……大きな違いはないですよ。共通語は同じですし。向こうでも魔溶液を用いて魔物を退治し続けたので、魔物と冒険者が少なくなっています。ただ、大陸の広さがこちらの倍ほどあるので、人があまり入らない土地の魔物分布はまだよくわかっていないそうです。あと、食文化に少々クセがあるそうですが……そのあたりは百聞は一見に如かず、ですかね」
 僕はこの国で、仕事を断る自由も与えられている。
 でも、ドラゴンと聞いては黙っていられない。
 それに、未知の国に興味があったし、何より……フェリチが好奇心に満ちた目をキラキラさせている。

「アブシット、いつ行くのー?」
「明日にでも……って、セレ? もしかして、ついてくる気か?」
「うん」
 セレはいつもの白衣姿ではなく、つば広の帽子に肩を出した白いワンピース姿で、手には大きな旅行鞄を持っている。
 首からは奇妙な黒い物体を下げて――あとで写真機だと知った――何故かドヤ顔をしていた。
「僕はドラゴン倒しに行くんだけど……」
 ドラゴンとしか聞いていないが、僕のところに話が来たということは、凶悪な七匹のドラゴンとみて間違いないだろう。
「ちゃんと防具持ってくー」
「防具でどうにかなる相手じゃないだろ」
「あははー、防具とドラゴンのことはおいといてー。もともと私も行く予定だったんだよー。向こうの大陸に転移装置置けたらー、とっても便利じゃないー?」
 更に詳しく話を聞けば、何のことはない。そもそも同盟国同士で転移装置を置くという話になっていて、かといって船に積むのは色々と問題がある。そこで、セレ本人をアブシットに派遣して現地で転移装置を作り上げ、ついでに技術指導して向こうの技術者だけでも転移装置を作れるようにする、という計画が持ち上がっていた。
 そこへ、今回のドラゴン騒ぎが重なった結果、僕はセレの護衛を兼ねることになっていたのだ。
「つまりお互いに、ついでに一緒に行こうーってことー」
「なるほどね」
 合理的なこの国らしい話だ。

 結局、アブシットへ行くのは僕とフェリチとセレ。今回リオさんはルルムさんと一緒に留守番だ。
「折角調べてくださったのに……」
 リオさんに演劇の件を謝ると、リオさんは僕の肩をぽんと叩いた。
「気にするな。戻ってきたら観に行けばいい。それよりも、ディールのことだから心配は要らんだろうが、くれぐれも気を付けてな」
「ありがとうございます」
 ルルムさんからも「いってらっしゃいませ」をもらい、僕たちは片道約ひと月の旅に出た。


 ウィリディスの港まで馬車で三日、アブシットのある大陸まで船で二十日前後、港からアブシットの王都まで馬車でまた三日の旅程だ。
 フェリチは、揺れない馬車とセレが開発・製薬した酔い止めの薬のおかげで、今回全く乗り物酔いをしなかった。
「船に乗るのは初めてです。潮風ってベタベタしますね」
 フェリチが不満を漏らすなんて珍しい。
「海は嫌い?」
「嫌いというより、慣れませんね。ずっと陸暮らしでしたから。って、ディールさんもそうですよね。すみません、文句なんか言って」
「構わないよ。僕もまだ慣れないし」
 船では当然のように一等客室があてがわれた。僕たち三人が寝泊まりするには広すぎる部屋で、フェリチととりとめのない会話をして暇をつぶしていた。
「ところでセレは?」
「セレさんも船に乗るのは初めてだそうで、あちこち見学しに行くと仰ってました」
「へえ、楽しそう。僕も行こうかな。フェリチはどうする?」
「お供します」

 二人で客室を出てすぐ、セレに遭遇した。
「あれ、セレはもう見学終わり?」
「ううー……」
「セレさん、顔色が」
 何故かセレは船酔いしていた。
 普段馬車で酔わないから、船も大丈夫だろうと酔い止めを飲まなかったのだそうだ。
「セレが乗ってる馬車は揺れないやつばっかりだろ。そりゃ酔わないよ」
「も、盲点……」
 見学は一旦諦めて、セレの看病にあたった。
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