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 十日間、父上と母上に若干構われすぎた気がするも、たっぷり休暇を満喫できた。
 結局シャールから何も連絡がなかったということは、イゼー殿下には何も問題なかったのだろう。
 入学前の時のように、三日の余裕を持って家を出た。

 道中トラブルはなく、予定通り学院へ戻ってこれた。

 寮の自室で荷解きをし、一息ついたころに扉を叩く音がした。シャールだ。
 シャールも既に学院へ帰ってきていたのか。
 僕が頷くと、カンジュが扉を開けてくれた。
「やあシャール、久しぶ……」
「ローツェええー! 助けてって言ったじゃないかぁああ!」
「は!? ちょっ、やめっ」
 シャールは僕を見るなり涙目で僕の両肩をがしりと掴み、強めにゆさゆさ揺すってきた。
 あばばばば。
「落ち着け、何の連絡もこなかったはずだぞ。だよね、カンジュ?」
「はい。休暇中、どなたからも挨拶以外の連絡はございませんでした」
「俺の心の声が届く魔術掛けてくれよぉ」
「無いよそんなの!」
 少なくとも抜粋版魔術大全には載っていなかった。
「ていうか、そんなの掛けたらシャールが考えてること全部僕に筒抜けになるじゃないか」
「王位を迫られるより億倍マシなんだよぉ!」
「王位を迫られる!?」

 どうにか落ち着かせたシャールをソファーに座らせ、実家から持ってきた茶葉で紅茶を淹れて出すと、シャールはそれを飲み干してから事の次第を話しはじめた。

 第二王子であるイゼー殿は、実兄であるアウェル殿下の油断を誘うために道化を演じていたこと。
 アンナが生きていて、アウェル殿下がそれに関わっていたこと、
 アウェル殿下は牢の中にいること。
 そして、イゼー殿下はシャールが次の王に就くことを強く望んでいること。

「おお……」
 王位ってそんなぽんぽん譲るもんじゃないでしょ。王族の感覚よくわからない。
「シャールはどうしたいの?」
 一旦絶句した僕が気を取り直して問うと、シャールはテーブルを両手でばん、と叩いて立ち上がった。
「断ったよ! 本当に王になるだなんて、考えてもなかったよ! でもイゼーあにう……イゼー殿下がしつこくてさ! 何度ローツェに助けを求めたことか!」
「殿下のこと『兄上』って呼んでるの?」
「殿下に言われて……って、そこじゃない! 問題は!」
 いつも落ち着いてるシャールの言動に、倒置法が混ざりだした。本気で混乱している様子だ。
 カンジュがシャールに紅茶のおかわりを淹れて、お菓子をいくつか食べさせることで、シャールは再び落ち着きを取り戻した。
「話があったのはいつ?」
「三日前だ。その時は『まだ学院生だし十二歳にもなってないし絶対無理です』ってどうにか切り抜けた。だけど順調に外堀を埋められてるんだよ……」
 なんと公爵家には既に「王位継承権に順位変動があったため、シャールが王位になる可能性が高い。学院修了次第、王城にて王族教育を受けられたし」と通達があったそうな。
「学院修了までは待ってくれるんだ」
「そこでもないんだよぉぉ……」
「わかってるって。僕もちょっと、現実味が無くてさ」
「……だよな。いきなりこんな……混乱状態で入ってきて悪かった」
「気持ちはわかる、なんて軽々しいことは言えないが、僕にできることがあったら協力するよ」
「ああ、ローツェはそんなこと言ってられないぞ。俺だけの話じゃないんだ。話の順番が前後になったが、お前にも殿下から要請があるんだ」
「僕に?」
 ここまでの話を聞いておいて、僕は嫌な予感がしたし、的中した。

「俺が王位に就いたら、その補佐をしてほしい、とのことだ」
 国王陛下の補佐って……よくて側近、大臣。下手したら宰相じゃないか。
 記憶の根っこにあるブラック企業での業務が蘇る。

 新卒平社員だった前世の僕は、何故か課長や部長といった上司に目を付けられ、様々な仕事を押し付けられた。
 仕事について質問しても「自分で考えろ」「この程度も出来ないのか」と叱責され、どうしてもわからなくて仕事が遅れると「無能」と笑われた。
 毎日サービス残業で日付が変わるまで職場に残るのは当たり前。それでも給料は上がらず、ただただ消耗していく日々。
 限界はある日唐突に来た。その日の仕事が徹夜しても終わらないと気づいた時、僕は衝動的に、会社が入っていたビルの屋上へ向かったのだ。


 シャールが酷い上司国王になるとは考えられないが、僕は完全に、前世のトラウマを思い出してしまった。

「王位絶対回避しよう」
「ああ」
 僕とシャールはお互いに片手をがしっと握った。



 もうじき十二歳になるとはいえ、まだまだお子様な僕たちが、王位回避なんて器用な真似、できるわけがない。
 今のところ、シャールの意向を尊重してくれている公爵家が、イゼー殿下からの要請をやんわり断っているのを、心の底から応援するくらいが関の山だ。

 心中穏やかではなかったが、時間だけは過ぎていく。
 僕たちは三年生に進級し、毎日勉学に励んでいた。

「なあ、俺たち成績落としたら、イゼー殿下に見捨てられないかな」
 シャールが究極案を出してきた。
 一瞬「シャール、天才では?」と身を乗り出したが、僕の優秀な頭脳はすぐにNGを出した。
「今までずっと一位二位でやってきた僕らが突然不調になったら、余計心配されて学院卒業前に王城へ呼ばれてしまうんじゃ?」
「ぐぅ、有り得るな」
 シャールは教科書を破る素振りを見せていたが、手に込めた力をがくりと抜いた。
「でも、とにかく『どうしても嫌』っていう態度を示し続けるのは良い案だと思うよ。例えば、就きたい仕事があるとか、やりたいことがあるって宣言するとか」
「やりたいことか……しっかり考えるとするか。そのためにも勉強は必要だな、うん」
 納得したシャールは、次の授業の準備をはじめた。
「ところでローツェには、やりたいことあるのか?」
 唐突な問いに、僕は即答した。

「魔特兵をちゃんとやりたいと思ってるんだ」

 領地に魔物が出てから、僕は貴族から魔特兵への嫌悪や偏見を無くしたいと考えるようになっていた。
 魔物は、無差別に人を襲う。襲われる側の貴賤や身分なんて全く気にしない。
 本来なら、貴族が率先して魔物討伐に精を出すべきなのに、生き物の生死に関わることを嫌って、魔特兵なんて制度を推奨した。
 そのくせ自らは魔特兵を遠ざけようとするのだから、本末転倒だ。

 貴族学院で武術や魔術を教えるのは、護身のためだ。この世界は治安が悪いから、貴族は自分で自分の身を守る必要がある。
 その治安の悪さも元を辿れば魔物のせいだ。
 魔物に襲われて肉親や仕事を失い、誰の助けも得られない場合、人は他の人から生きる糧を奪う働く悪党に成り下がるしかない。
 貴族は戦う力を持つくせに、魔物だけは相手にしない。このあたりも捻れている。

「魔特兵か……。俺にもできるかな」
 シャールは教科書やノートを揃える手を止めて、ぽつりと呟いた。
 実技二位のシャールは、剣技も魔術も、そこらの大人じゃ相手にならないほど強い。
 今後も真面目に授業に取り組んで、大人になれば、魔物も倒せるだろう。
「できるできないで言えばできると思うよ。だけど、シャールがなりたいのは本当に魔特兵?」
「……。即答できないってことは、俺はそれじゃなさそうだ」
 シャールはやや残念そうな表情を見せた。



 学院生活も三年目となると、授業内容が難しくなってきたこと以外目新しいことはなく、日々はあっという間に過ぎていった。
 中期末試験が終わると、僕とシャールは王城へ呼び出された。
 いつもの、王位とその補佐へのお誘いならば、勉強が忙しいからと理由をつけて断るのだが、呼び出し係の使者に「此度は別件です」と言われてしまっては仕方がない。
 別件じゃなかったら即帰るけどいい? と何度も聞いて確認してから、僕たちは王城へ向かった。


「やあ、急な呼び出しに応じてくれて嬉しいよ。今回は王位の話は無しだ。アンナと兄上のことなんだよ」
 イゼー殿下は人払いをすると、僕たちに早速本題を切り出した。
 アンナは死んだと聞いていたが実は生きていて、イゼー殿下の兄上であるアウェル殿下が手酷く扱い、その後アンナには一度きりの更生の機会を与えられ、アウェル殿下は牢にいるはずだ。
「彼らがどうしたのですか」
 シャールが質問すると、イゼー殿下は僕たちに顔を寄せ、小声で囁いた。

「逃げた。アンナが魔力を取り戻して、兄上の脱獄を手伝ったようだ。二人共現在行方不明で目下捜索中だ」



 王族、しかも元王位継承権一位の第一王子殿下が投獄されているだけでも格好のスキャンダルなのに、切っ掛けを作った少女が脱獄を手引きし、みすみす逃したとあっては、王城の沽券に関わる。
 僕たち二人を呼んだのは、僕の魔力と、抜粋版魔術大全の知識をあてにしてのことだった。
「探す手伝いをする代わりに、もう私たちに王位や補佐のことは言わないと」
 殿下の前で畏まった話し方になるシャールにはもう慣れた。
 ただ、こんなに嬉しさを隠しきれない表情のシャールは初めて見た。
「君たちが大仕事と引き換えに望むとなれば、それしかないからな。この際致し方ない」
 王城の人間でも、第一王子が投獄されている事実を知っている人は少ない。それだけ精鋭だということだ。
 その精鋭ですら探しきれない相手を、僕に捕まえられるだろうか。
「ここに、アンナか兄上のものと思われる血痕がある。魔術大全に、体の一部を元に人探しができる魔術があったはずだ。当然、王城に仕える賢者達にも試してもらったのだが、血痕の量が少なすぎて、追いきれなかったのだ」
 イゼー殿下が机の上の小箱から取り出したのは、白い布の切れ端だ。
 確かに、すっかり乾ききった血痕がある。
 殿下の牢かアンナの生活圏にあったものなのだろう。
「何故アンナがアウェル殿下を逃したのでしょうか。それと、その血痕がどちらのものか不明というのは?」
 僕もシャールと同じ疑問を抱いた。
 アンナは王城の中で下働きをしていたはずだ。貴賓室なんて優雅なものは与えられず、アンナのためにわざわざ質素な小屋を城内に立てて一人暮らしをさせていたと聞いている。
 何より、アンナはアウェル殿下に虐待されていた。僕がアンナの立場だったら、アウェル殿下を助けようだなんて一ミリも考えない。
 血痕がどちらのものかわからないということは、二人が同じ場所にいたということになる。
「アンナに魔力制御の枷を着けなかったのが拙かった。彼女は確かに、魔力量が魔術を使えないほど減っていたからな。しかしアンナは魔術を使った。アンナが魔術を駆使して兄上を脱獄させたようで、血痕はその際にどちらかが傷ついたものと思われる。兄上を脱獄させ、二人で逃げ出した理由は皆目見当がつかない」

 なにしてるんだあのヤンデレ女は。
 僕が呆然としていると、シャールに肘でつつかれた。
 そして、視線を血痕付きの布へ誘導される。

「わかりました。やってみます」
 とはいえ、探知魔術って魔力量で限界突破できるものなのだろうか。王城の賢者さん達だって破格の魔力量を持っていると聞いている。
 まあ、イゼー殿下もダメ元で僕を呼んだのだろうし、やるだけやってみるか。

 僕は布に手をかざして、頭の中にあった探知魔術を詠唱した。

「痕跡よ、翼を持て、主の元へ飛び立て」

 探知魔術は無属性魔術の一種だ。無属性魔術は、貴族学院や聖学院では授業で触れることさえしない、秘された属性である。
 ある説では、火や水などの属性魔術は、それぞれの属性の精霊や妖精といった類の、目に見えない存在に魔力を捧げて発動しているのだとか。
 無属性魔術は基本が「無」であるから、他の属性魔術の法則が当てはまらない。
 だから魔力消費量が多く、扱うにも難しい、らしい。

 実際に使ったのは初めてだったが、上手くいった。

「ここから北東へ百キロメートルの地点に二人共います。転移魔術を使ったみたいです」
 アンナはこの世界の誰もが実現不可能だった、魔物を使役する魔術を使いこなしていた。
 他人を一緒に運べるくらいの転移魔術が使えてもおかしくない。
「北東へ百キロメートルって、魔王の谷じゃないか!」
 シャールが叫んだ。

 この世界に「魔王」は存在しないが、「魔王の谷」はある。ものすごく深い谷で、奥底へ行って戻ってきたものはおらず、しかし魔物が這い上がったり飛び上がって出てくるのは確認されているから、奥底に魔物の王がいるのではと噂されている危険地帯だ。

「なあ、シャール。アンナが魔力を取り戻したってことは……」
 嫌な予感しか無い。
 でも、どうしてアウェル殿下が一緒なのか。
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