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第二章

22 令嬢と元人間

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 サラミヤは僕に深々と頭を下げると、ギロに向かって手を伸ばした。
「えっと?」
「あ……」
 ギロが戸惑うと、サラミヤは手をゆっくり下ろしていく。
「ギロ、抱っこしてあげて」
 先程までのサラミヤは、とても落ち着いていた。ギロの腕の中が安心するのだろう。
 寝ていた女性を抱き上げて連れてくるなんてことをしたギロが、今度は本人から抱っこを要求されて困っている。
「抱き上げても宜しいですか?」
 ギロは判断をサラミヤに委ねた。
 サラミヤはこくりと頷いて、再び両手を伸ばした。ギロの両腕に抱きかかえられたサラミヤは、そのまますうすうと寝息を立て始めた。
「眠かったのですね。このままベッドへ……は、戻したくないですが」
「何があった?」
 少しの間のあと、ギロは惨状を口にした。
 確認と、これからどうするかを判断するため、僕も現場へ赴いた。

 広い寝室はおそらく貴族の夫婦が使うためのもので、そこには巨大なベッドがあり、女性が三人、仰向けに横になっていた。
 三人は生きている。他人の介護を必要とする人間が放置されたら、このような状態になるだろうか。
 サラミヤが「姉」と呼んでいたから、おそらく僕と同じくらいか少し上の年齢であろう女性たちは、骨と皮ばかりに痩せ、汚物にまみれていた。
 ナーイアスに頼んで回復魔法と浄化魔法を、ウンディーヌに頼んで洗浄魔法を掛けてもらうと、少しだけマシな状態になった。
 屋敷を漁ってなるべく清潔なシーツや布を集めて床に敷き、女性たちをその上に移した。
 これ以上は、この場と僕の手ではどうしようもない。
「城へ運ぼう。一度村の宿へ戻ってアイリに事情を説明してくるよ」
「はい。……あの」
 サラミヤはまだギロの腕の中で眠っている。一旦はソファーの上に寝かせようとしたのだが、サラミヤがギロの服を信じられないほど強く握りしめているため、離せないのだ。
「先に城へ帰ったほうがいいね。ギロはそのまま、城の人に事情説明してくれるか」
「わかりました。ですが、その」
 ここまで困り果てたギロを見るのは初めてだ。
「重い?」
「いえ、軽すぎるくらいです」
「じゃあ、そのままでいてあげて」
「わかりました」

 アイリに事情を説明し、しばらくひとりで宿に滞在するようお願いした。
「そうね、衰弱や心身摩耗には私の回復魔法じゃ役に立たないわ。ここで待ってる」
「ありがとう。なるべく早く戻ってくるよ」
 僕は更に転移魔法を使って例の三人を城へ運んだ。
 まだ日も昇らない時刻だというのに、ユジカル城では大勢の人が動いてくれた。
 例の三人は早速侍女さん達の手で改めて清められ、宮廷医師による診察と栄養補給等の治療が開始された。
 日が昇りきった頃、ユジカル国王がギロのいる客室に顔を出した。
「魔族に囲われていた女たちを救い出したそうだな。彼女もそのひとりか。……むう、そなた、名はなんという?」
 サラミヤは、起きても尚ギロから離れたがらなかった。
 食事の時は自分で椅子に座ったが、食べ終えるとギロに抱っこをせがむのだ。
 宮廷医師に診せたところ、「精神が退行している状態と見受けられます。安心できる場所で落ち着けば、元に戻るでしょう」とのこと。安心できる場所がギロの腕の中なら、ギロにはしばらく頑張ってもらうしかない。
 そういう訳でサラミヤは王様に名を訊かれたときもギロの腕の中だったのだが、王様が話しかけてくるなりサラミヤはギロの腕から飛び降り、貴族令嬢のようにカーテシーをした。
「サラミヤ・スフォルツァンドと申します」
 舌足らずな口調ではなかった。カーテシーもしっかりしている。
 家名があるということは、本当に貴族の令嬢だったのか。
「やはりスフォルツァンド家の者か! 宰相、他に三名いると言っていたな。身元は?」
「まだ調べはついておりません。サラミヤ嬢、あの方たちは貴女と血の繋がった姉ということでよろしいですか?」
「はい。間違いなく私の姉たちで……姉さま……」
 はきはきと受け答えをしていたのはそこまでで、サラミヤはふらりと倒れかけ、ギロが支えてそのまま抱き上げた。もう既に、抱き上げる姿が板についている。
「無理をさせてしまったな」
「でも、あんな様子のサラミヤは初めてです。王様とのやり取りで記憶が刺激されたのかもしれません」
「だといいがのう」
「あの、スフォルツァンド家というのは?」
 僕も一応貴族出身だが、他国の貴族については無勉強だ。
「伯爵家のひとつです。半年ほど前に伯爵と夫人が遺体で見つかり息女たちの行方はつかめず、捜索打ち切りになっておりました。彼女らが見つかった場所はおそらくスフォルツァンド家の別邸でしょう。そこも調べたはずなのですが、隠れていたのか、目眩ましされたか」
 答えてくれたのは宰相だ。王様は、気を失ったサラミヤがギロに抱きかかえられて部屋へ戻るのを、悲しそうに見つめていた。
「彼女らのことはこちらで面倒を見ると約束しよう。だが、サラミヤは……ギロ殿の傍がいいようだな」
「はい」



*****



 随分前に、両親が血溜まりの中へ倒れてからずっと、サラミヤは夢の中にいた。
 その夢の中で、両親の血を啜る魔物が、サラミヤと姉に話しかけた。
「私がお前たちの新しいご主人様だよ。家と服と食事は与えてあげよう」
 姉たちはいち早く現実を取り戻し、家から出ようとした。それを『ご主人様』に見つかり、お仕置きと称して何度も打たれた。
 姉たちが次々に心を病み倒れ、自分のこともできない状態に陥った。
 サラミヤだけは夢の中にいたので、家から逃げることも、助けを呼ぼうと考えることもしなかった。
 ただ、夢の中なのに眠ることが出来ないのが辛かった。

 その日も眠れない夜だった。屋敷を歩き回って疲れれば、明け方頃に少しだけ眠れるので、そうしていた。
 出会ったのは、黒髪に紫色の目をした、王子様のように凛々しい人だ。
 王子様が悪夢を終わらせてくれた時、サラミヤは王子様より背の高い、綺麗な顔をした人の腕の中にいた。
 綺麗な顔の人は「ギロ」と呼ばれていた。
 ギロはサラミヤを抱き上げる時、いつも少しだけ震えている。しかし一旦サラミヤの温度に馴染むと、大切なものを扱うように優しく抱き続けた。

 一方のギロは複雑な心境を抱えていた。
 魔族によって家族を奪われ、何もかもを壊された少女を、自分がこの腕に抱いても良いものかと何度も自問自答した。
 ラウトの命令であれば何でもする覚悟はあるが、これだけは正しいのかどうかわからない。
 腕の中のサラミヤは、魔族の自分に無防備な寝姿を晒し、一時も離れたくないとばかりに常に抱っこをせがむ。
 その度にラウトに視線をやるのだが、ラウトはわずかに微笑んで浅く頷くだけだ。微笑ましいとまで感じている節がある。

 サラミヤにユジカル国王が話しかけると、サラミヤは突然ギロの腕から飛び降りて、貴族令嬢のような振る舞いを見せた。
 正真正銘の貴族令嬢だから、王に対する振る舞いとしては正しい。これまでの甘えっぷりが嘘のような仕草に、ギロは心を打たれた。
 しかしそれも束の間、サラミヤはすぐに気を失ってしまった。
 ギロはラウトよりも先に、自然と体が動いた。
 既に手に馴染みつつあるサラミヤの軽さと温もり。
 そのまま隣室のベッドへ運んで寝かせると、ギロはすぐ傍の椅子に腰を下ろした。
「いつか、ちゃんと話をしたいですね」
 ギロのつぶやきは、誰も聞いていなかった。



*****



 サラミヤ達をギロと国に任せてから、ストリア村の宿へと戻った。
 アイリは起きて待っていた。
「寝てないの?」
「それはラウトもでしょう? 私だって平気よ」
「僕やギロには散々無理するなとか言うくせに」
 村から、あの魔族の気配はなくなっていた。
 つまりこれから、これまで遠ざけられていた魔物が村の近くへやってきてしまう。
「三日、いや二日でいいかな。強めの魔物だけ倒して回るから、仮眠取って」
「これからでも動けるのに……」
「睡眠不足が一番危ないでしょ。寝なさい。僕も寝るから」
「うーん……でも、眠くないわ。ねえ、そのサラミヤって人はどうなったの?」
「ああ、それがね」
 判明したサラミヤと姉たちの素性はともかく、サラミヤがギロに懐いて仕方ない、という話を聞かせると、アイリは何故か目を輝かせた。
「直接倒したラウトじゃなくて、ギロにね……見る目あるわ、その人」
 アイリは何度も頷いてひとりで納得していた。
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