3 / 8
3
しおりを挟む伴の者たちが去った日から、わたくしとおさと、語り部の3人で暮らすことになりました。
この家には3つの部屋がありました。一つの日当たりが悪い部屋を物置きとして使いました。そして2つあるうちの広い方を、わたくしとおさと、狭い方を語り部が使うことになりました。
本来、侍女が主のわたくしと部屋を伴にすることなどありえないことです。けれども彼女は、無礼を承知でとわたくしから離れようとはしませんでした。なぜかと問えば、語り部がわたくしに不埒な真似をしてはいけないから、と言うのです。
わたくしは、おさとの心がとても嬉しく、屋敷にいた頃よりも近しい存在として、枕を並べ、共に寝起きするようになりました。
労働などしたこともなかったわたくしですが、付き人がいなくなった故、自分の喉が乾けば庭先にある井戸へ、自分で水を汲みにいかなければなりません。箸より重いものなど持ったことがあっただろうかというこのわたくしが、井戸から水を汲むのがどれだけ大変かお分かりいただけますかしら。うんしょ、うんしょとあくせく水を汲んでいると、おさととクロ殿が笑ってわたくしを見守っていてくれます。
お掃除だって、自分でやります。
最初ははたきをかけるところから、おさとに教えてもらいました。箒の使い方などにもちょっとしたコツがあり、畳の編み目に沿って、ホコリを巻き上げないよう茶殻を絞ったものを振りかけて掃いて行くのです。なかなか楽しいものですね。汗をかくのは気持ちが良いものです。お料理の時間は、おさとが危ないからと、包丁を持たせてもらえません。ですから、わたくしはおさとの隣で洗い物をしたり、服の繕い物をしたりして過ごします。
クロ殿は———あ、この呼び方は、あの語り部の名前を知りません故、このようにお呼びすることにしたのです。いつも変わった黒い外套を頭からすっぽりと着ていらして、正体を隠されているように感じましたものですから、わたくしあの方には何も聞かず、そのようにお呼びすることにしたのです。それで、そのクロ殿はと言えば、ふらっとどこかに消えては戻ってきます。どこかに出かけて帰ってくると、わたくしたちの食材を持って帰って来てくれます。うちにいる時には、庭先にある畑の世話をしているようです。
夜は3人でひとつ部屋に集まりまして、わたくしが琴や唄を披露したり、クロ殿が楽しいお話を聞かせてくれたり、おさとが産んだ子どもたちの話を聞かせてくれたりして、楽しい時間を過ごしております。時には3人で庭先に出て、星空を眺めたり、月の満ち欠けを楽しんだりもいたします。
お屋敷にいる時は、何を見ても聞いても少しも心が喜ばなかったというのに、下々の人々が暮らすような生活になってからというもの、わたくしの胸の中に巣食っていた寂しさや切なさが薄らいでいくようでした。お屋敷ではひとりぼっちで眠っていましたから、隣で寝息を立てる母のようなおさとがいてくれるのも大きな安堵感に繋がっていたのかもしれません。
そんな暮らしを続けていたある日、クロ殿がわたくしに言ったのです。
「お嬢様。ここの生活にも慣れて来たようですし、少し、この村を歩いてはみませんか」
わたくしはクロ殿に尋ねました。
「この辺りの人々は、よそ者に冷たいと聞きます。外を出歩いて、大丈夫でしょうか?」
「お嬢様なら、きっと大丈夫ですよ。私がちゃんと、お嬢様をお守りしております故、安心して外を楽しまれますがよろしい」
クロ殿の言葉を聞いたわたくしは、嬉しくてワクワクした心持ちになりました。
「クロ殿。でしたらわたくし、村のみなさま一人一人に、ご挨拶申し上げたいですわ。引越しのご挨拶もせずに今まで来てしまいましたから」
そしてわたくし、閃きましたの。
家の裏には綺麗なお花がたくさん咲いているのです。それを、お一人お一人に渡しながら、引越しのご挨拶をしようと思いました。そのことをクロ殿にお伝えすると、クロ殿は口角をニヤリと上げられて、頷いてくださいました。
☆
村の人々は、よそ者に冷たいと聞いていましたが、そんなことはありませんでした。わたくしが渡したお花は、実は、この辺りにはどこにでも咲いているお花だったようなのです。ですので渡された花を見た村人たちは、おかしそうに笑いながらも、「ありがとうございます」と受け取ってくださるのです。わたくしが不思議に思いまして、クロ殿に理由を尋ねてみますと、クロ殿はこのようにお答えになりました。
「お嬢様があまりにも愛らしいので、みな、微笑むしかないのですよ」
クロ殿はそんな風に言うのですけれど、本当なのでしょうか? わたくしにはよくわかりませんわ。けれど、村人たちは清貧な方々だとわかりました。病気で伏せっている方も多かったので、わたくしはその方々の枕元までお見舞いし、病める方の手を取り、小さな声で唄を歌って差し上げました。すると、苦しそうにしていた方々は、みな表情を柔らかくなさって、幾分か呼吸も穏やかになっていくようなのです。私はそれが嬉しくて、クロ殿に、またここに来たいとお願いしてみました。クロ殿は、やっぱり大きな目を細めるようにして、ニヤリと頷いてくれるのです。
ですからわたくしは、クロ殿と度々、村人たちのもとへ遊びに行きました。その時に、野で摘んだ薬草を持って病気の人たちのお見舞いに行きましたの。わたくし、お屋敷では家庭教師がついておりまして、良家の子女に必要な学問を教わっていたのです。その時の先生が薬師の家の出だったことから、そのような知識も勉強の合間に、息抜きとして教えてくださっていたので、それが今、役に立っているのでした。
こうしてわたくしたちは、村人たちに受け入れていただき、幸せな時間を過ごしました。そのような暮らしの中で、私は見る見る元気になっていきました。一年が過ぎた頃、わたくしは両親が待つ家に帰ることに致しました。
「クロ殿。もしよろしければ、わたくしのお屋敷に一緒に来てはいただけませんか? とてもお世話になりましたので、是非、ご恩返しがしたいのです」
わたくしは、お屋敷に帰ることを決めた日に、クロ殿にそのようにお誘い申し上げました。けれど、クロ殿は首を横に振られました。
「お嬢様。私はここから離れることができぬ身でございます。お嬢様は、私が会いに行った一月後に、熱病に罹って命を落とす運命でございました。ですからなんとかお救い申し上げたいとあなた様に会いに行ったのです。そしてあれから一年が経ち、このようにお元気なお嬢様になられ、私は大変嬉しく思っております。どうぞお屋敷に戻られましても、あなた様がしたいことを、存分にさせてもらいなされ」
なぜでしょう。
クロ殿にそのように言われ、あの、忘れていた寂しさ、切なさが、一気に戻ったような心持ちになりました。けれど私は帰らなければなりません。父上も、母上も、家来たちも、みんなわたくしの帰りを待っているのです。元気になったわたくしの姿を見せて、孝行しなければ。
わたくしは深々と三つ指ついて、クロ殿にこれまでのお礼を申し上げました。その3日後、私は迎えにきた家来たちとおさととともに、この地を去って元の家へと帰ったのでございます。
10
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
吉原遊郭一の花魁は恋をした
佐武ろく
ライト文芸
飽くなき欲望により煌々と輝く吉原遊郭。その吉原において最高位とされる遊女である夕顔はある日、八助という男と出会った。吉原遊郭内にある料理屋『三好』で働く八助と吉原遊郭の最高位遊女の夕顔。決して交わる事の無い二人の運命はその出会いを機に徐々に変化していった。そしていつしか夕顔の胸の中で芽生えた恋心。だが大きく惹かれながらも遊女という立場に邪魔をされ思い通りにはいかない。二人の恋の行方はどうなってしまうのか。
※この物語はフィクションです。実在の団体や人物と一切関係はありません。また吉原遊郭の構造や制度等に独自のアイディアを織り交ぜていますので歴史に実在したものとは異なる部分があります。
夜食屋ふくろう
森園ことり
ライト文芸
森のはずれで喫茶店『梟(ふくろう)』を営む双子の紅と祭。祖父のお店を受け継いだものの、立地が悪くて潰れかけている。そこで二人は、深夜にお客の家に赴いて夜食を作る『夜食屋ふくろう』をはじめることにした。眠れずに夜食を注文したお客たちの身の上話に耳を傾けながら、おいしい夜食を作る双子たち。また、紅は一年前に姿を消した幼なじみの昴流の身を案じていた……。
(※この作品はエブリスタにも投稿しています)
魔法のいらないシンデレラ
葉月 まい
恋愛
『魔法のいらないシンデレラ』シリーズ Vol.1
ーお嬢様でも幸せとは限らないー
決められたレールではなく、
自分の足で人生を切り拓きたい
無能な自分に、いったい何が出来るのか
自分の力で幸せを掴めるのか
悩みながらも歩き続ける
これは、そんな一人の女の子の物語
嘘を吐く貴方にさよならを
桜桃-サクランボ-
ライト文芸
花鳥街に住む人達は皆、手から”個性の花”を出す事が出来る
花はその人自身を表すものとなるため、様々な種類が存在する。まったく同じ花を出す人も存在した。
だが、一つだけ。この世に一つだけの花が存在した。
それは、薔薇。
赤、白、黒。三色の薔薇だけは、この世に三人しかいない。そして、その薔薇には言い伝えがあった。
赤い薔薇を持つ蝶赤一華は、校舎の裏側にある花壇の整備をしていると、学校で一匹狼と呼ばれ、敬遠されている三年生、黒華優輝に告白される。
最初は断っていた一華だったが、優輝の素直な言葉や行動に徐々に惹かれていく。
共に学校生活を送っていると、白薔薇王子と呼ばれ、高根の花扱いされている一年生、白野曄途と出会った。
曄途の悩みを聞き、一華の友人である糸桐真理を含めた四人で解決しようとする。だが、途中で優輝が何の前触れもなく三人の前から姿を消してしまい――………
個性の花によって人生を狂わされた”彼”を助けるべく、優しい嘘をつき続ける”彼”とはさよならするため。
花鳥街全体を敵に回そうとも、自分の気持ちに従い、一華は薔薇の言い伝えで聞いたある場所へと走った。
※ノベマ・エブリスタでも公開中!
「桜の樹の下で、笑えたら」✨奨励賞受賞✨
悠里
ライト文芸
高校生になる前の春休み。自分の16歳の誕生日に、幼馴染の悠斗に告白しようと決めていた心春。
会う約束の前に、悠斗が事故で亡くなって、叶わなかった告白。
(霊など、ファンタジー要素を含みます)
安達 心春 悠斗の事が出会った時から好き
相沢 悠斗 心春の幼馴染
上宮 伊織 神社の息子
テーマは、「切ない別れ」からの「未来」です。
最後までお読み頂けたら、嬉しいです(*'ω'*)
お昼ごはんはすべての始まり
山いい奈
ライト文芸
大阪あびこに住まう紗奈は、新卒で天王寺のデザイン会社に就職する。
その職場には「お料理部」なるものがあり、交代でお昼ごはんを作っている。
そこに誘われる紗奈。だがお料理がほとんどできない紗奈は断る。だが先輩が教えてくれると言ってくれたので、甘えることにした。
このお話は、紗奈がお料理やお仕事、恋人の雪哉さんと関わり合うことで成長していく物語です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる