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 伴の者たちが去った日から、わたくしとおさと、語り部の3人で暮らすことになりました。
 この家には3つの部屋がありました。一つの日当たりが悪い部屋を物置きとして使いました。そして2つあるうちの広い方を、わたくしとおさと、狭い方を語り部が使うことになりました。

 本来、侍女が主のわたくしと部屋を伴にすることなどありえないことです。けれども彼女は、無礼を承知でとわたくしから離れようとはしませんでした。なぜかと問えば、語り部がわたくしに不埒な真似をしてはいけないから、と言うのです。

 わたくしは、おさとの心がとても嬉しく、屋敷にいた頃よりも近しい存在として、枕を並べ、共に寝起きするようになりました。

 労働などしたこともなかったわたくしですが、付き人がいなくなった故、自分の喉が乾けば庭先にある井戸へ、自分で水を汲みにいかなければなりません。箸より重いものなど持ったことがあっただろうかというこのわたくしが、井戸から水を汲むのがどれだけ大変かお分かりいただけますかしら。うんしょ、うんしょとあくせく水を汲んでいると、おさととクロ殿が笑ってわたくしを見守っていてくれます。

 お掃除だって、自分でやります。
 最初ははたきをかけるところから、おさとに教えてもらいました。箒の使い方などにもちょっとしたコツがあり、畳の編み目に沿って、ホコリを巻き上げないよう茶殻を絞ったものを振りかけて掃いて行くのです。なかなか楽しいものですね。汗をかくのは気持ちが良いものです。お料理の時間は、おさとが危ないからと、包丁を持たせてもらえません。ですから、わたくしはおさとの隣で洗い物をしたり、服の繕い物をしたりして過ごします。

 クロ殿は———あ、この呼び方は、あの語り部の名前を知りません故、このようにお呼びすることにしたのです。いつも変わった黒い外套を頭からすっぽりと着ていらして、正体を隠されているように感じましたものですから、わたくしあの方には何も聞かず、そのようにお呼びすることにしたのです。それで、そのクロ殿はと言えば、ふらっとどこかに消えては戻ってきます。どこかに出かけて帰ってくると、わたくしたちの食材を持って帰って来てくれます。うちにいる時には、庭先にある畑の世話をしているようです。

 夜は3人でひとつ部屋に集まりまして、わたくしが琴や唄を披露したり、クロ殿が楽しいお話を聞かせてくれたり、おさとが産んだ子どもたちの話を聞かせてくれたりして、楽しい時間を過ごしております。時には3人で庭先に出て、星空を眺めたり、月の満ち欠けを楽しんだりもいたします。

 お屋敷にいる時は、何を見ても聞いても少しも心が喜ばなかったというのに、下々の人々が暮らすような生活になってからというもの、わたくしの胸の中に巣食っていた寂しさや切なさが薄らいでいくようでした。お屋敷ではひとりぼっちで眠っていましたから、隣で寝息を立てる母のようなおさとがいてくれるのも大きな安堵感に繋がっていたのかもしれません。

 そんな暮らしを続けていたある日、クロ殿がわたくしに言ったのです。

「お嬢様。ここの生活にも慣れて来たようですし、少し、この村を歩いてはみませんか」

 わたくしはクロ殿に尋ねました。

「この辺りの人々は、よそ者に冷たいと聞きます。外を出歩いて、大丈夫でしょうか?」

「お嬢様なら、きっと大丈夫ですよ。私がちゃんと、お嬢様をお守りしております故、安心して外を楽しまれますがよろしい」

 クロ殿の言葉を聞いたわたくしは、嬉しくてワクワクした心持ちになりました。

「クロ殿。でしたらわたくし、村のみなさま一人一人に、ご挨拶申し上げたいですわ。引越しのご挨拶もせずに今まで来てしまいましたから」

 そしてわたくし、閃きましたの。 
 家の裏には綺麗なお花がたくさん咲いているのです。それを、お一人お一人に渡しながら、引越しのご挨拶をしようと思いました。そのことをクロ殿にお伝えすると、クロ殿は口角をニヤリと上げられて、頷いてくださいました。




 ☆



 村の人々は、よそ者に冷たいと聞いていましたが、そんなことはありませんでした。わたくしが渡したお花は、実は、この辺りにはどこにでも咲いているお花だったようなのです。ですので渡された花を見た村人たちは、おかしそうに笑いながらも、「ありがとうございます」と受け取ってくださるのです。わたくしが不思議に思いまして、クロ殿に理由を尋ねてみますと、クロ殿はこのようにお答えになりました。

「お嬢様があまりにも愛らしいので、みな、微笑むしかないのですよ」

 クロ殿はそんな風に言うのですけれど、本当なのでしょうか? わたくしにはよくわかりませんわ。けれど、村人たちは清貧な方々だとわかりました。病気で伏せっている方も多かったので、わたくしはその方々の枕元までお見舞いし、病める方の手を取り、小さな声で唄を歌って差し上げました。すると、苦しそうにしていた方々は、みな表情を柔らかくなさって、幾分か呼吸も穏やかになっていくようなのです。私はそれが嬉しくて、クロ殿に、またここに来たいとお願いしてみました。クロ殿は、やっぱり大きな目を細めるようにして、ニヤリと頷いてくれるのです。

 ですからわたくしは、クロ殿と度々、村人たちのもとへ遊びに行きました。その時に、野で摘んだ薬草を持って病気の人たちのお見舞いに行きましたの。わたくし、お屋敷では家庭教師がついておりまして、良家の子女に必要な学問を教わっていたのです。その時の先生が薬師の家の出だったことから、そのような知識も勉強の合間に、息抜きとして教えてくださっていたので、それが今、役に立っているのでした。

 こうしてわたくしたちは、村人たちに受け入れていただき、幸せな時間を過ごしました。そのような暮らしの中で、私は見る見る元気になっていきました。一年が過ぎた頃、わたくしは両親が待つ家に帰ることに致しました。

「クロ殿。もしよろしければ、わたくしのお屋敷に一緒に来てはいただけませんか? とてもお世話になりましたので、是非、ご恩返しがしたいのです」

 わたくしは、お屋敷に帰ることを決めた日に、クロ殿にそのようにお誘い申し上げました。けれど、クロ殿は首を横に振られました。

「お嬢様。私はここから離れることができぬ身でございます。お嬢様は、私が会いに行った一月後に、熱病に罹って命を落とす運命でございました。ですからなんとかお救い申し上げたいとあなた様に会いに行ったのです。そしてあれから一年が経ち、このようにお元気なお嬢様になられ、私は大変嬉しく思っております。どうぞお屋敷に戻られましても、あなた様がしたいことを、存分にさせてもらいなされ」

 なぜでしょう。
 クロ殿にそのように言われ、あの、忘れていた寂しさ、切なさが、一気に戻ったような心持ちになりました。けれど私は帰らなければなりません。父上も、母上も、家来たちも、みんなわたくしの帰りを待っているのです。元気になったわたくしの姿を見せて、孝行しなければ。

 わたくしは深々と三つ指ついて、クロ殿にこれまでのお礼を申し上げました。その3日後、私は迎えにきた家来たちとおさととともに、この地を去って元の家へと帰ったのでございます。





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