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希望を胸に〜シリル視点
しおりを挟む俺がユリと会ってから更に3日後、メイベル様が俺の下宿先までやって来たーー。
俺は登校しようと玄関から出ると、見慣れた馬車が目に入った。
侍女さんが先日のように馬車の前に立っている。静かに頭を下げてから話し出した。
「シリルさん、おはようございます。先日はお嬢様にご面会下さってありがとうございました。おかげ様でお嬢様は元気になりまして、本日からまた学園に通う運びとなりました」
メイベル様が?それともユリが?
俺は聞かなくてもその答えが分かってしまった。
ユリならきっと、こうして侍女を挟んだ対応はしない。自ら出てきて、嬉しそうに俺に挨拶するに違いないから。
「お嬢様は、高熱により、記憶が戻ってございます。ですから、少し前のようなお嬢様とは思わないで下さいませ」
やっぱり……。ユリは出て行ってしまったのだな……。
俺は途端に寂しい気持ちになった。
「それで、お嬢様がシリルさんとふたりだけで話がしたいそうで、馬車で待っておいでです。どうぞお入りになって下さい」
侍女さんは馬車の扉を開いた。
俺はおずおずと馬車に乗り込む。
「向かいにお座りになって、シリル、さん」
俺はどう挨拶していいかもわからず、無言で向かいに座る。
そして、目の前の人をまっすぐ見つめた。
姿形が全く同じだと言うのに、ユリではないと感じた。纏う雰囲気が違う。そして、俺を見る瞳の温度も。
……あらためて、ユリの眼差しの暖かかったことに思い至る。ユリに見つめられると、まるで陽だまりに包まれたような気分だった。
「まずは、シリル、さん。わたくし、あなたに謝りますわ。今までのこと。ただ平民で色が違うというだけで、私はあなたを見下していました。そして、アーサー様の前であなたに拒絶された事が悔しくて、嫌がらせばかりしてしまいましたけれど、それは私の逆恨みでしたわね。ごめんなさい。わたくしは、ユリのように、あなたと親友ではいられないですが、普通にクラスメイトとして付き合っていけたら、と思っていますわ」
メイベル様は、高飛車な雰囲気を出しつつも、俺に真摯に向き合おうとしているのが分かった。
「メイベル様、シリル、と前のように呼び捨てて下さってかまいませんよ。これからはクラスメイトとして、よろしくお願いしますね」
メイベル様はこほん、と小さく咳払いをして、話を続けた。
「では、シリル。わたくしはこれから、学園では記憶が戻ったという事にして、記憶喪失の間の記憶はぼんやりと残ってはいるけれど、ハッキリしない、という事にしようと思います。ユリとは性格が違いすぎますから、そのように話した方が自然に感じますわよね?」
「はい、それがいいでしょうね」
俺もその判断に同意した。
「わたくしの中に別人がいたなんて、信じるのはシリルくらいのものですからね。この話はわたくしたちだけの胸に、仕舞うことにいたしましょう?」
俺はクスリと笑って頷いた。
「分かりました」
「それから、あなたの援助の事だけど、ユリがあなたに匿名の援助をしていることは気付いていらしてよね?」
「……はい」
「ユリはバカだから、そんなことにも気づかないで、殿下から、無理難題を押し付けられたのよ。ミレーユ様のこと、協力しなければ、シリルに援助しているのがお前だとバラす、と脅迫されたのですわ」
「そうだったんですか…… 」
「それにね、このミッションが上手くいったら、シリルが将来作りたいと言っていた平民用の魔具の研究に、殿下がお金を出すと言ったものだから、ホイホイと話に乗ってしまったのよ。ほんとバカよね、ユリって。シリルに得があっても、自分には何の得もないのに張り切っちゃって」
そんな話になっていたなんて……。
知らなかったよ、ユリ……。
俺はいつでも、ユリの恩恵を受け、守られていたんだな。
ユリ……。
「そんなシリルバカなユリがね、わたくしから出て行く条件のひとつに、あなたに援助を続ける事を要求してきたの。だから、これからも卒業するまで条件を変えずに援助するから安心してちょうだいね」
「メイベル様は、それでよろしいのですか?」
俺はまた村長に負担をかけるのは忍びなかったが、そうなるだろうと覚悟していたのに。
「わたくしの、今までのお詫びだとでも思ってちょうだい。裕福なわたくしからすれば、微々たる金額ですからね。けれどユリのように甘くはありません。必ず研究を成功させて、平民用の安価な魔具を作ってアンダーソン家にも恩恵をもたらして頂戴」
「ありがとうございます、メイベル様。きっとそうします」
「それと、これからは、ユリのようにあなたのお弁当は持って来ないから、援助金を使って何か買うなり、作るなりしてちょうだいね。それから一緒に登下校もしないから」
「はい。もちろん分かっています」
「……他にもユリから、あなたの事はいろいろ頼まれているけれど、あなたに伝えておかなきゃならない事はそれくらいよ。何か質問は?」
「あなたは、ユリが表にいる間の事を全て共有されていたのですよね?
ユリが、最後に俺に言ったこと、あなたから出たら、どこへ行くのかわからない、と言っていましたが、やはりメイベル様にも分からないのでしょうか?」
「……分からないわ。けれど、多分あの世には行っていないと思う。あの生命力を持つものが、死人とは思えないもの」
「そうですよね」
きっとユリは俺の近くにいてくれる。俺はきっと見つけてみせる。
そうして俺はメイベル様の馬車を降り、ひとり学園に向かった。
ユリと共に通った楽しい道のりは、今日は長く遠かった。
◇◇◇
「メイベル ‼︎ やっと通学できるようになったのか?記憶が戻ったと聞いたが、身体は辛くはないか?」
アーサー様が嬉しそうにメイベル様の両手を握って様子を伺うように顔を近づけ覗き込む。
メイベル様は湯気がでそうなほど真っ赤になって「大丈夫ですわ」と呟いていた。
「俺をそんなに意識して……。なんて可愛らしいんだ、メイベル。もう、俺のものになれ、いいな?」
メイベル様はこくんと頷くと、アーサー様はひとめを憚らずメイベル様を抱きしめた。
彼女がユリだった時なら、俺は目を背けたくなるような場面だっただろうが、全く痛みを感じない。真っ白な、新品のシューズを履いたメイベル様は、本当に別人にしか見えなかったからだ。
(新しいシューズなんて必要ないわ。まだ履けるのに、勿体ないじゃない。落書きだって、柄付きシューズだって思えばどってことないわ)
かつてユリが笑いながら言った言葉が蘇る。
今思うと、ユリは本当に貴族令嬢らしからぬ女性だった。けれど、平民にもない凛とした品格が備わった人でもあった。
俺がメイベル様だったユリを思い返していると、ドロシー様が俺に遠慮がちに問うて来た。
「シリルさん、大丈夫ですか?記憶が戻ったメイベル様は別人のようになってしまわれて、お寂しいでしょ?」
「いいえ、あの姿がもともとのメイベル様だったじゃないですか。これで良かったと思いますよ」
「でも、メイベル様とシリルさんの身分差恋愛ストーリーが書けなくなってしまいますわね。あれはわたくし気に入っていましたのに」
「そうですね。でも、もしも続きを書くのでしたら、ヒロインの名前を変えて下さいませんか?そのままではアーサー様に叱られますからね」
「そうですわね、でも、ヒロインの名前、どうしましょう」
「俺のヒロインですから、俺に決めさせてくれませんか?そうですね、ユーリ、なんて良いと思うのですが」
「ユーリ?可愛らしいお名前ですわね。シリルさんのお知り合いにそのような名前の方が?」
「はい。俺の憧れの人の名なのです」
俺はそのままユリと誰かに伝えるのはもったいなくて、少しだけ変えて伝えたのだった。
「分かりましたわ!ユーリ様とシリルさんのお話、きっと最後まで書いてみせますから、出来たら読んで下さいませね?」
「はい、最後はハッピーエンドでお願いします」
こんなにも不可解な出会いをして、
お互い強く惹かれあった。
そんなユリは俺の運命の人だ。
だから、きっとまた会える。
俺は必ずあなたを見つけます。
俺は希望を胸に、学園生活を続けるのだった。
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