私、確かおばさんだったはずなんですが

花野はる

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その感情の正体〜シリル視点

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「おはようございます、シリルさん。調子はいかがですか?夜は休めましたか?」

目が覚めて、いつもはいない筈の男の声がする。

ああ、そうだった。昨夜泊まって俺の世話をしてくれたゼンさんだ。

「おはようございます。いただいた痛み止めのおかげで、夜はなんとか眠れました。今も動かなければ、あまり痛まないようです。ありがとうございます」

「それは良かった。お顔を清めますか?起きるのが辛ければ私が拭いて差し上げますが?」

ゼンさんは桶に水を張って、タオルと共に持って来てくれた。

「起きます。ゼンさんがいてくれて、昨夜は正直助かりました。ひとりだったら着替えもせずにくたばっていたでしょうから」

俺は冗談半分にお礼を言いながら布団の上に座る。力を入れるとあちこちが軋むように痛んだ。

「何、私どもも仕事柄、打ち身やら捻挫やら刀傷やら負うことがありますからね。シリルさんの痛みはよく分かります。しかし痛くとも、身綺麗にしておいて下さらないと、学校帰りのお嬢様が、また帰らないと駄々を捏ねては困りますからね」

ゼンさんの言葉に俺は苦笑いしてしまった。

俺は一週間ほど前から、時折暴力を受けていたのだが、この事を話したら、またメイベル様への嫌がらせをしてやるからなと言われていたので、ずっと黙っていたのだ。

けれどそれを知ったメイベル様が、あんなにも取り乱して我儘を言うなんて。対応に困ってしまったけれど、正直嬉しかった。

男に殴られている時も、躊躇わずに俺を守ろうとして覆いかぶさって来た。あの時、メイベル様が怪我をなさらなくて、本当に良かった。


俺が昨日の事を思い返しながら顔を清めていると、ゼンさんが言った。


「あのように強く思われて、羨ましいですね。……しかし、シリルさんもお辛い立場ですね」

ゼンさんは、暗に身分差の事を言っているのだろう。

流石に女性経験が浅い俺でも、メイベル様が俺に向ける感情が、ただの友情だとは思わない。

だが、本人はそれを親友としての情だと信じて疑っていない様子だし、その感情の正体を知ったところで、平民の俺が彼女にしてあげられる事は何もないのだ。

「俺たちは、親友、ですから」

それでいい。
俺の感情の名を、彼女に伝える事もなければ、彼女が自分の気持ちに気付く事もないだろう。

「ゼンさん、平民なんて、つまらない生き物ですよね」

俺はポソリと呟いた。

「……そう思うこともありますが、お貴族様のような難しいしきたりなどもないので、自由で良かったと思うこともありますよ」

「そうですかね……」

「そうですよ」

自由があったところで、一番欲しいものが手に入らないのなら、なんだか虚しい気がするが。

俺はゼンさんが用意してくれた食事を軽く取って、また横になる。
痛み止めのせいかすぐに意識がなくなった。



◇◇◇


そろそろ学校が終わる頃だな。

俺はいつもよりよく眠ったせいか、怪我の痛みはあるが気分は悪くなかった。

心の中で、メイベル様が来てくれるのを楽しみに待っている自分に溜息が出る。

「卒業までの……儚いうつつだな」


今日は彼女は、アーサー様と一緒にラブシーンを演じたのだろうか。
俺たちがしたのより、もっと濃厚な演技をすると言っていた……。

男前で性格も良いアーサー様。伯爵の地位もありメイベル様とは釣り合いが取れる。そして何より彼女を慕っておられる事は、一目瞭然だ。

これほどメイベル様に相応しいアーサー様と比べて、俺はどうだ。

さして男前でもなく凡庸な外見。
エルフの色を纏った髪と瞳。
尖った耳と、魔力の無さ。
何の地位も持たないただの平民……。

彼に太刀打ちできる要素などひとつもない。

「クソッ……!」

俺は思い切り枕を殴りつけ、その衝撃で身体に痛みが走り苦悶した。

俺が悶え苦しんでいるちょうどその時、ノックと同時にドアが開いた。

「シリル君……!寝ていなきゃ、駄目じゃない!」

メイベル様は真っ直ぐ俺のところへ走って来た。

「お嬢様!ノックの返事を待たずに部屋へお入りになるなんて、はしたのうございますよ!」

後ろから、侍女さんが付いて入室してくる。

台所にいたゼンさんが部屋に入って来て笑いながら挨拶する。

「相変わらずですね。お嬢様。お帰りなさいませ」

「ゼンさん!よくシリル君を見ていてくれなきゃ駄目じゃない!シリル君が苦しんでっ……!」

オロオロと、メイベル様が俺に触れようかどうしようか迷っている中、ゼンさんは笑顔で返事した。

「大丈夫ですよ、お嬢様。起き上がる際に力が入るので痛みが走るだけです。起き上がってしまえば収まりますから。ああ、まだ、シリルさんに触れてはいけませんよ。余計痛みますからね」

「ううっ……もどかしいわね。支えてあげたいのにっ」

メイベル様は難しい顔をして言う。

やっぱり今は、俺のメイベル様だ……。

「メイベル様、俺は大丈夫ですよ。学校お疲れ様でした。……今日は、ミレーユ様への演技は上手くいったのですか?」

つい、アーサー様とのことを聞いてしまった。

「いいえ、今はシリル君が気になって、演技どころじゃないから延期よ、延期。急いだところで、ミレーユ様が目覚めてくれるかなんて分からないんだし。今は、シリル君が良くなる事だけ考えていたいから」

「すみません、メイベル様……俺のせいで。悪役令嬢などから、早く降りてもらいたいのに」

俺はそんな事を言いながら、心ではホッとしていた。

俺がいない間に、アーサー様とラブシーンを演じるのはたまらない。

せめて俺がいる時にして欲しい。
メイベル様が、その後どんな表情でアーサー様を見るのか……。見たくないけど、見ないと不安だ……。

いろいろ煩悩を巡らす俺とは関係なく、メイベル様はいそいそと料理を始めた。

そして、嬉しそうに食事を食べさせようとしてくるので、自分で食べれるくせに俺は抗わず口を開けた。

「あっ、お口にご飯が付いてるよ」

メイベル様はそっと指先で食べ物を取り除くと、自分の口にぱくっと入れてしまった。

「……! 」

俺は思わず頬に熱が集まるのを感じた。

「まあっ!お嬢様!はしたのうございますよ、そのようなっ!」

侍女さんが目を釣り上げていたけれど、メイベル様はにこにこ微笑んで

「うん、まあまあの味ね」
などと言っている。

……メイベル様、そういう行為は、親友同士ではやらないと思いますよ?
……俺は嬉しくはあるのですけれど。

この異様な空気に耐えかねて、俺は話題を変えるべく発言した。

「この料理って、珍しいですよね?ごはんって、希少で高価なのでしょう?」

「ええ、でもお米って、病気の時や動けない時なんかには身体に優しいのよ。これはスープでふやかしたリゾットって言うのだけど、あっさりしていて食べやすいでしょ?」

「はい、とても美味しいです。ありがとうございます」

「おかわりまだあるよ?食べる?」

「はい。いただきます」

「食欲があって良かった。しっかり食べてね」

俺は、メイベル様に優しく介抱されながら、たまには怪我をするのも悪くないかも、などと不謹慎な事を考えていた。


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