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危篤

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私はあの日から、レンシーに会いたくて、軽食を持って毎日厩に訪れていた。
けれどレンシーは現れなかった。

ご飯は食べているだろうか、怪我はしていないだろうか、何か困っていないだろうか……。いつも頭のどこかにレンシーがいた。

「今夜も来ないかぁ」
5日目の夜、諦めて部屋に戻ろうとした時、厩の扉がカタンと開いた。

「アーシャ……?」
弱々しい声でレンシーが私を呼んだ。

「レンシー?来てくれたの?」

扉を開けたまま立ち止まっているレンシーを見ると、紫の両目から涙が溢れ落ちていた。

「レンシー⁈ どうしたの⁈ 」
駆け寄って、中に導く。扉を閉めて
藁の上に座らせる。

「か、母さん、が……危篤だって」

「えっ」
私は途切れ途切れに話すレンシーが
どうしてここにいるのか尋ねた。

「それなら、早くお母さんのところへ行ってあげなくちゃ?」

「ダメだよ。俺たちは急に仕事を休むことなんてできないんだ……」
悔しそうにレンシーが呟く。

「なんで⁈ 身内の人が危篤って時くらい、休ませてくれるでしょ⁈」

「下働きの責任者に頼んだんだけど、今更行ったところで助かるわけでもないし、間に合わないだろうって言われた」

「酷い!そういう問題じゃないよねっ!間に合っても間に合わなくても、助からなくてもお母さんのところへ行きたいよねっ」

レンシーはポロポロと涙を流し頷いた。
「たったひとりの家族なんだ、もう、他には誰もいないんだ」

「レンシーの家はどこなの?ここから遠いの?」

「今から走って行ったら、夜の内に帰ってこられる程の場所なんだけど」

そんなに近いんだ。なら、仕事を休ませなくても、少しだけ、抜けさせてあげればいいのに!

「レンシー、今から行こう‼︎ わたしもついて行ってあげるから 」

「ダメだよ、そんな事がばれたら、アーシャだって怒られるよ」

「わたしなら大丈夫!お尻叩かれるくらいなんでもないわ!行かなきゃ、後悔するんじゃないの?」

レンシーは迷っていたけれど、行く決意をしたようだ。

「アーシャ、こっちだ」

レンシーはわたしの手を取って、厩を出た。

屋敷の裏手に、塀が崩れた場所があった。植木のせいで隠されたようになっていて、知る人ぞ知るという場所らしかった。

私たちは、そこから外に出て、ひたすら走った。お嬢様育ちの私にはキツかったけれど、一生懸命走った。

しばらくして、あばら家のような貧しげな家に着いた。
「ここだよ」
レンシーはギィと軋むドアを開ける。

ふたりで手を繋いだまま中に入る。
レンシーの手は、震えていた。

「……母さん……?」

小さな声で、レンシーが呼びかける。床に直に茣蓙のようなものを敷いて、痩せ衰えた女性が横たわっていた。ほとんど屍のように見えたその女性は、僅かに瞼を動かした。

「レンシーなのかい……?」

「母さん!そうだよ、俺だよ‼︎」

レンシーが両手でお母さんの手を握る。

「まあ、レンシー。仕事場から帰してもらえたのかい?いいところで働けて良かったねぇ~」

お母さんは、涙をうっすらとうかべて微笑んだ。

「ああ、そうだよ。みんな、俺に良くしてくれるんだ。ほら、屋敷のお嬢様まで、一緒に来てくれたんだよ」

レンシーのお母さんは、私の方を見て、拝むように手を合わせた。
「お嬢様が、こんなところへ来てくださるとは。なんとありがたい……」

私もお母さんの空いている方の手を取って言った。
「レンシーのお母さん。レンシーはうちで、立派に働いています。何も心配することはないですよ」

そして、レンシーへ差し入れしようと持ってきていた果実水を寝呑みに入れ、少しだけ口に入れてあげた。

「ああ、美味しい。久しぶりに味がわかるよ、ありがとう」

そう言ってまた、手を合わせた。

そうして瞳を閉じ、手がパタンと落ちて、眠るように亡くなった。

「母さん……!」

私たちはずっと泣いていたかったけれど、時間は迫っていた。

レンシーは袖で涙を拭うと、
「アーシャ、ありがとう。母さんが安心して旅立つ事ができたよ」と言った。

私は辛かった。全然レンシーは良くしてもらってなんかいない。仕事場から帰らせてもらったんじゃない。

でも、お母さんがそんなこと知ったら、安らかに眠れない。

(今はこんなだけど、私が大人になったらレンシーをきっと守るから。必ず幸せにしてあげる。だからお母さん、安らかに眠って)

レンシーは、隣のおじさんに、お母さんの事を役所に頼んで欲しいとお願いして、私のところへ戻って来た。

「さあ、アーシャ。急いで帰ろう」

またふたりは手を繋いで、一生懸命走った。空はもうじき、明るくなりそうな気配が満ちていた。


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