撮り残した幸せ

海棠 楓

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「史郎さん、史郎さん」
 ジュンの声が遠く聞こえる。そんなはずはない、ジュンは今授賞式に……
「風邪引きますよ!」
 大きめの声でそう言われて、はっと我に返った。さんさんと陽が降り注いでいたはずの窓からは、夜の帳が覗いていた。
「あ、ああ……お帰り」
「え、あれっ、史郎さん、泣いてたんですか?」
「え?」
「目、真っ赤だし、ほっぺにも……」
 ジュンの指先が史郎の頬にそっと触れた。触れられた場所から全身へ、一斉に電流が走ったような感覚に襲われる。
「涙の跡、どうしたんですか?」
「なんでもないよ、悲しい夢でも見てたのかな」
「ただいまです」
「お帰り。授賞式見てたよ」
「え! 見てたんですか! やだな恥ずかしいなあもう」
 ジュンはひとしきり慌てふためいた後、授賞式に臨んだ心境や壇上での緊張、中継には映らなかった裏話などを、いつもの流れるような口調で史郎に話して聞かせた。まだ興奮冷めやらぬ様子で、大きな身振り手振りを加えて。そしてその勢いのまま、とんでもないことを言い出した。
「それでね史郎さん、僕オーストラリアに行こうと思って」
「オーストラリア?」
「審査員の方と話してるとき、ほぼ独学だって話したら、きちんと勉強した方がいいって言われて。あっちの学校とのやりとりとか手続きとか、住むところとか面倒見てくれるって言うから」
 そんな話怪しいだろ、と真っ先に思ったが、よく聞いてみると相手は史郎もよく知る社会的に信用のおける人物で、これまでにも多くの写真家を世に送り出した実績があることも知っている。

 巣立ちの時、か。
 思ったより早かったな。
 史郎が現実を受け入れようと懸命に自分に言い聞かせていると、
「だから、待っててくださいね」
 ジュンが満面の笑みで、史郎の手を取った。
「え?」
「半年間の留学ですよ、史郎さん今『今生の別れ』みたいな顔してるけど、違いますからね!」
「そう、なの……?」
 ぽかんと脱力しきった史郎の間抜け面に、ジュンが笑い出す。
「そうですよ! ちゃんと待ってて下さいね、僕の帰る場所は、ここです」
「……よかった……」
「僕が自分から史郎さんの元を離れるわけないじゃないですか」
「ジュンくん……ジュンくん……っ!」
 気づいたときには抱きしめ、抱きしめられていた。初めて重なった胸と胸は、互いの熱を、鼓動を確かめ合うように密着した。
「史郎さん」
「賞を獲ったから、とかじゃなくて」
「うん」
「僕はもう、ずっと前から、君に恋してるよ、もうずっと」
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