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本編

92:彷徨う霊魂

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 それからはとりあえず読書の続きに戻り、《魔物知識》が《魔物学》となった頃。

「戻った」
「ん、ああ」

 不意に頬に触れられる感触があって、今となっては大分聞き慣れた低い声が降ってくる。いつもフィールドから戻って来る時は倒したものの諸々で汚れているが、早速洗浄札を使っているのか、手入れ後のように綺麗な状態だ。

「外の違和感以外に変わったことは無かったか?」
「…………あー」
「あったのかよ……」
「まぁ……あった、な……」

 僕の様子から即座に何かを察したバラムの眉間の皺が深くなる。

「家で確認したい物もあるから、戻ったら一緒に説明する」
「……チッ、戻るのは賛成だ。行くぞ」
「ああ」

 僕は新たに借りられる本を見繕ってもらい、図書館を出る。次は鉱物関連の本だ。これで《鉱物知識》を成長させることが出来れば、現在習得している『◯◯知識』は全て『◯◯学』になる。

「……む、違和感がさらに強くなってる…………ん?」

 館を出ると、夕暮れ時で辺りがオレンジに染まり、森の影がより一層濃い黒になっている。そして、違和感は消えるどころかさらに強くなっていた。注意深く周囲を見回すと、視界の端に見慣れぬ物があるのに気づき、目を凝らす。
 そこには、欠け月の写しの傍らにぼんやりと滲んだ黒い影のようなものが佇んでいた。

「遠くて分からないな……近づくのは……」
「ダメだ」
「うぅん……じゃあフクロウになれば目が良くなるか」

 ということでフクロウに変化して、飛び上がってバラムの肩にとまる。

「ホー」

 じゃない。

『やはり、フクロウの視力はとんでもなく良いな』

 まぁ、バラムは素で視力の良い動物並みに見えているのかもしれないが。

 それはさておき、欠け月の写しの傍にいる影に目を……顔を向ける。フクロウは目が動かせないんだった。

『ふーむ、ウサギっぽい……影?』
「だな」

 やはりバラムもこの距離でもよく見えているらしい。

『ん? ……「ホッ!?」』
「っ!」

 瞬きの間に欠け月の写しにいたウサギのような影が消えたかと思うと、一瞬で僕達の目の前に移動してきていた。僕は驚き、バラムは背中の大剣に手をかけるが────。

『っ! バラム、待ってくれ!』
「あん?」

 なんとなく攻撃してはいけない気がしてバラムにストップをかける。

 というか、影が目の前に来た段階で自動《解析》が発動し、今は足環に仕舞われている指輪も攻撃してはいけないと訴えている……ような気がする。


[彷徨う霊魂]
行くべき場所も慰めも無く彷徨うことしか出来ない霊魂。とくに何かを害すことは無い。
形は生前の自分の性質を表すことが多い。
彷徨い続け負の念が積み重なると、狂った魔物となる。
分類:霊魂
生息地:-
属性:無
弱点:なし
素材:なし
状態:正常


『うぅん……とりあえずこれが《解析》結果だ』
「……げ」

 僕は《解析》結果を《編纂》でバラムの目の前へひらりと出す。しっかりキャッチしたバラムは内容を確認して顔を顰める。

 そう、この今は害が無いらしい彷徨う霊魂はおそらく放っておいたり攻撃したりすると“狂った魔物”となるようなのだ。これは……戻ってジェフに報告するのは当然として、今この影もどうにか出来るならしておいた方がいいだろう。

『とりあえず、鎮め札を試してみるか?』
「ああ」

 バラムが手持ちにあったらしい、鎮め札を取り出し目の前の影にペチンと触れさせた。いや、雑……。

 鎮め札は光って消えていったので、使用はされたと思うのだが────。

『……』

 ウサギ型の影……霊魂は少し揺らめいたが、消えるとかそういうことは無かった。

『いや……少し影が薄くなったか? 次は鎮め札・中で試してみよう』
「……」
『……またいつでも作るから』

 出し渋っている気配がしたので、この後また補充する約束をして中バージョンを試してもらう。

『……』
『お、目に見えて薄くなっ、た……?』
「あ゛?」

 今度は変化がハッキリと分かるくらい薄くなって、このまま消えていくのかと思ったらそのまま光の球体となり────僕の視界が光で覆われたかと思うと、バラムの周囲を一周して欠け月の写しへと飛んで行った。霊魂を《解析》してから住民を表すマーカーで示されていたのだが、欠け月の写しのところで消えたので、おそらくもうここにはいないものと思われる。

 一連の変化を解釈するならば、いくらかは良い状態にさせることが出来たということだろうか。

『……もういいか』

 しばらく待ってみても《勘破》にそれらしきマーカーが出て来なかったので、バラムの肩から飛び立って変化を解除する。

「ん? 違和感は相変わらずあるのか……んぅ?」

 一連の現象で違和感が解消されたわけでは無いのかと首を捻っていると、突然腰を強めに引き寄せられて、唇が塞がれる感触がする。

 啄んだり食んだりされる感覚やそこから伝わる温もりにやはり多少緊張していたのか、体の強張りが解けていく。

「ん……ふ…………ぅん」

 バラムの舌が僕の唇の合わせ目を叩く。口を開けという合図だが、ここでそこまで深いキスをするのはなんとなく……少し躊躇いがある。

「は、バラム……ここでは、んんっ」

 制止の訴えは途中でバラムの大きな口に呑み込まれてしまった。話す為に開いていた口に大きな舌が少し強引に入ってきて、僕の舌は逃げる間もなく絡めとられてしまう。

 ちゅ、ちゅく、じゅっ、ちゅっ……

 ほぼほぼ安全とはいえ、町の中でも無いフィールド扱いの場所でここまですることは今まで無かったので、戸惑いながらもなす術なくバラムのキスを受け続けることしか出来なかった。

 最後にちゅっと音を鳴らしてから解放される。

「……はぁっ……急にどうしたんだ?」
「…………」
「バラム?」
「あいつ……最後お前にキスしていきやがった」
「えっ」

 そうだったか? 確かに視界いっぱいに光は迫ったが……っていうかもうほぼ光の球体だったから口とかがあったのか、キスという概念があるのかすら定かじゃないんだが……。

「何の感触も無かったし、キスでは無いと思う」
「……チッ。じゃあ俺がお前にキスしたかっただけだ」
「……」

 そう開き直ったように言うバラムに、何だそれはと思いつつ、胸がまた少し苦しくなる。最近よく起こる現象だが何なのだろうか? この体は健康体なはずだが、治癒ポーションを飲んでみた方が良いのだろうか。

「とりあえずさっさと戻るぞ」
「あ、ああ。そうだな」

 すっかり日が落ちてしまうくらいには時間が過ぎていたので、足早に家へと戻った。

 家に戻ってからはジェフ宛てに『緊急』と表に書き添えてから、彷徨う霊魂の《解析》結果や発見から消失までの流れ、どのような見た目かを記した手紙をペリカンくんで転送する。

「オトドケモノ! オトドケモノ! ウケトッテ! ウケトッテ!」
「早いな」

 手紙を送ってからひとまずご飯を食べている間に、オウムが大音量で受け取りを告げる。

 送られてきたのは素材ではなく、先ほど送った手紙に対する返信のようだ。内容は報告の礼と、既にドゥトワ近郊の欠け月の写しで目撃情報が報告されていること、とりあえず攻撃するプレイヤーが多いが、それを止めることは出来ないので警戒を強める対応をすることが記されていた。

「まぁ……ゴースト系のエネミーっぽくもあるし、攻撃してしまうか」

 時間経過でも狂った魔物化してしまうようなので、止めるよりは狂った魔物対策をとった方が現実的だろう。

 まぁ、鎮め札・中もそれなりに納品しているし、プレイヤー全体も強くなっているだろうし、フィールドには常にプレイヤーが相当数いるから何とかなるだろう。

「そっちが終わったなら、図書館であったことを話せ」
「ああ、そうだったな」

 僕は図書館で見かけた肖像画やそこに描かれた女性の1人が『レディ・ブルイヤール』であるらしいこと、ちょっと妖し気な白い花と楽譜を1枚貰ったことを話した。

 話し終わると、バラムの目が据わっており、錆色の目がいつもより幾分暗くなっているように見えた。

「……どいつもこいつも……やはり一歩も外に出さねぇ方がいいのか……?」

 地を這うような低い声でボソッと呟かれた。今でさえほとんど敷地外へは出ていないのにもっと、か……まぁ、読書が出来るなら別にいいか?と思ったが、何故か口に出してはいけない気がしたので、バラムの調子が元に戻るまで鎮め札・中を生み出していたのだった。
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