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お前はお前を信じなさい。
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鈍い虹色の油膜がぎらりと混じり合う濃灰色の触媒含合ポリマーに湾内の海面が全て覆い尽くされてしまったのは、果たして何年前のことだっただろうか。
この触媒は曇天下のかなり微弱な太陽光であっても浴びれば一定以上の電気を産み出すことが可能というもので、その実験のために、一年を通して温暖かつ穏やかなこの海は完全に沈黙し、波打つソーラーパネルとしてのみ存在することになった。
生命の起源にして巨大な有機物でもある海が、今や人工の無機物によって支配され抑圧されている。のたり、のたりと押し寄せる波打ち際ですら白く泡立ったり、クラゲや海藻の切れ端の一つも運んできたりすることは無く。
今日も黙り込んだまま音も無く揺れている。
分厚い雲に覆われた低い空の下を冷たい風がヒョオと吹く。
遠く、鈍い色をした水平線に向かって雲の切れ目から金色の光が幾つも降り注ぎ、白っぽい光を貫いて海面を刺す。その光が水面に乱反射して、ぎらぎら光る帯になって続く。
暗く陰鬱な雲が冷たい風と金色の光に切り裂かれるように、頭の中でいつまでも渦巻くイヤな思い出を振り払ってゆくように、少しずつ薄れて消えてゆく。
海の見える小さな町で、遅い午後の黄色い時間に狭い路地を歩く。
晴れ間に誘われて、いい加減な服装で、人も車も大して通らなくて、静かな時間だけが光の中で頼まれもしないのに刻々と通り過ぎて。
次の曲がり角で戻ろうか、と思ったまま歩き続けていたら、砂浜に降りる堤防の切れ目のコンクリートの階段まで辿り着いて、少し迷ったけれど何食わぬ顔をして降りて行った。
ポリマーに覆われた海に空の青と本当の気持ちが反射して、海がいつかの青さを取り戻したような気分になる。こんなに青い海を見たのは、いつ以来だろう。
残った雲の欠片だと思って見上げたものは、雲のような形と大きさをしたクラゲだった。長い触手と帽子のように膨らんだアタマをひらひらと踊らせるようにして青空に浮かび続ける白いクラゲ。砂浜も堤防も国道も低く古い瓦屋根も代替わりせず閉鎖したままの旅館も十年一日の如く良くも悪くも代わり映えしない土産物店も、ふよふよと風に流され漂うように飛び越えてゆく。
二時間に一本しかない、半島の中心地に向かうバス停の隣に置かれた自販機で飲み物を買う。真っ黒い夜空に星が瞬き、時々しゅーっと流れ星が見える缶入り飲料には
「オルパンフェルフェルサミュニムングヘゼヘゼ」
と書かれていた。これが何処のなんて言語なのか皆目見当もつかないが、言っている意味は何故だかわかる。
「お前はお前を信じなさい」
という意味だ。
冷た~いの棚から出て来たオルパンフェルフェルがアルミニウムの缶を持つ手指の温度をじわじわ奪ってゆく。
青い青い空の果ては何処にある
青い青い海の果ては何処にある
誰にも会いたくないけれど
誰かにそばに居て欲しい
空も海もひとりぼっちじゃ
あまりにも、あまりにも広すぎる
流れ星を見送った缶の中の暗い宇宙に星が瞬いている。赫い月と銀色の環状惑星と超小型恒星が互いに惹かれ合い燃やし合い、お互いの重力でお互いを狂わせて崩してゆく。ちょっとゆるやかに。だいぶやわらかに。
かなり確実に変わってきている。僕も景色も月日の流れも。
重金属の冷たい油膜に覆われ鈍く光る巨大な流動体へと堕落した、かつての海を吹き抜ける風は鉄の粉の湿った匂いがする。潮風の代わりに吹く鋼鉄の風。
半島の向こう側でコッチを睨み続けている西政府が海面ポリマー作戦に対抗して打ち出した策は至って簡単だった。空を曇らせればイイのだ。ごく弱い人工降雨弾を断続的に打ち上げ続けることで、この海は単なる死体も同然と成り果てた。
波打つことも、潮騒を響かせることも、プランクトンひとつ育むこともなくなった、元・海だったこの鈍色の塊が静かに冷たく語りかける。
お前はお前を信じなさい。
この触媒は曇天下のかなり微弱な太陽光であっても浴びれば一定以上の電気を産み出すことが可能というもので、その実験のために、一年を通して温暖かつ穏やかなこの海は完全に沈黙し、波打つソーラーパネルとしてのみ存在することになった。
生命の起源にして巨大な有機物でもある海が、今や人工の無機物によって支配され抑圧されている。のたり、のたりと押し寄せる波打ち際ですら白く泡立ったり、クラゲや海藻の切れ端の一つも運んできたりすることは無く。
今日も黙り込んだまま音も無く揺れている。
分厚い雲に覆われた低い空の下を冷たい風がヒョオと吹く。
遠く、鈍い色をした水平線に向かって雲の切れ目から金色の光が幾つも降り注ぎ、白っぽい光を貫いて海面を刺す。その光が水面に乱反射して、ぎらぎら光る帯になって続く。
暗く陰鬱な雲が冷たい風と金色の光に切り裂かれるように、頭の中でいつまでも渦巻くイヤな思い出を振り払ってゆくように、少しずつ薄れて消えてゆく。
海の見える小さな町で、遅い午後の黄色い時間に狭い路地を歩く。
晴れ間に誘われて、いい加減な服装で、人も車も大して通らなくて、静かな時間だけが光の中で頼まれもしないのに刻々と通り過ぎて。
次の曲がり角で戻ろうか、と思ったまま歩き続けていたら、砂浜に降りる堤防の切れ目のコンクリートの階段まで辿り着いて、少し迷ったけれど何食わぬ顔をして降りて行った。
ポリマーに覆われた海に空の青と本当の気持ちが反射して、海がいつかの青さを取り戻したような気分になる。こんなに青い海を見たのは、いつ以来だろう。
残った雲の欠片だと思って見上げたものは、雲のような形と大きさをしたクラゲだった。長い触手と帽子のように膨らんだアタマをひらひらと踊らせるようにして青空に浮かび続ける白いクラゲ。砂浜も堤防も国道も低く古い瓦屋根も代替わりせず閉鎖したままの旅館も十年一日の如く良くも悪くも代わり映えしない土産物店も、ふよふよと風に流され漂うように飛び越えてゆく。
二時間に一本しかない、半島の中心地に向かうバス停の隣に置かれた自販機で飲み物を買う。真っ黒い夜空に星が瞬き、時々しゅーっと流れ星が見える缶入り飲料には
「オルパンフェルフェルサミュニムングヘゼヘゼ」
と書かれていた。これが何処のなんて言語なのか皆目見当もつかないが、言っている意味は何故だかわかる。
「お前はお前を信じなさい」
という意味だ。
冷た~いの棚から出て来たオルパンフェルフェルがアルミニウムの缶を持つ手指の温度をじわじわ奪ってゆく。
青い青い空の果ては何処にある
青い青い海の果ては何処にある
誰にも会いたくないけれど
誰かにそばに居て欲しい
空も海もひとりぼっちじゃ
あまりにも、あまりにも広すぎる
流れ星を見送った缶の中の暗い宇宙に星が瞬いている。赫い月と銀色の環状惑星と超小型恒星が互いに惹かれ合い燃やし合い、お互いの重力でお互いを狂わせて崩してゆく。ちょっとゆるやかに。だいぶやわらかに。
かなり確実に変わってきている。僕も景色も月日の流れも。
重金属の冷たい油膜に覆われ鈍く光る巨大な流動体へと堕落した、かつての海を吹き抜ける風は鉄の粉の湿った匂いがする。潮風の代わりに吹く鋼鉄の風。
半島の向こう側でコッチを睨み続けている西政府が海面ポリマー作戦に対抗して打ち出した策は至って簡単だった。空を曇らせればイイのだ。ごく弱い人工降雨弾を断続的に打ち上げ続けることで、この海は単なる死体も同然と成り果てた。
波打つことも、潮騒を響かせることも、プランクトンひとつ育むこともなくなった、元・海だったこの鈍色の塊が静かに冷たく語りかける。
お前はお前を信じなさい。
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