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Juglans.1
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丸っこい展望車(パノラマカー)を先頭に、鮮やかなスカーレットで彩られた私鉄特急が終着駅のホームに滑り込んだ。
「毎度ご乗車有難う御座いました。お忘れ物の御座いませんようご注意願います……」
と決まりのアナウンスが流れて来るのを背中で聞きながら展望車のドアから降りると、冬の始まりを告げるような低い空の下を冷たくなった海風がヒョオと鳴って頬のすぐそばを吹き抜けた。
僕の住む田舎町からずっと南にある終着駅の向こうに広がる、この海沿いの古い町へやって来るのには、まず朝から混み合う地下鉄で三十分程かけて大きなターミナル駅まで行き、そこから私鉄に乗り換えてさらに二時間ほどの道のりだ。
海の見える国道に沿って走る線路を辿って、移り変わる景色を窓に浮かべて、そのまま終点まで私鉄の特急に乗ることは出来るが、最後の支線を走る区間は直通運転ながら各駅停車で、およそ特急列車が停まるようなスケールに合わない簡素な無人駅が続く。
僕はこの町に時々、そうやってはるばる会いに行く女性(ひと)が居た。
その彼女(ひと)は以前、大須観音のそばのシーシャカフェに勤めていたひとで、近隣の歓楽街で別の仕事と掛け持ち勤務をしながら将来は自分のお店を開くべく修行していた。僕はSNSでその店と彼女のことを知って興味を持ち、おっかなびっくり尋ねてみた。
僕がシーシャを吸ったのはその日が初めてで、そんな僕に優しくしてくれたのが彼女だった。
一見野暮ったく見える黒縁眼鏡に肩まで伸びた黒いストレートヘアがよく馴染んでいて、白い素肌で目鼻たちのクッキリした美しい容貌を鎧のように包んでいた。ツンとした眼差しと真っすぐな鼻筋はいかにも意志が強く人当たりがキツそうに見えたが、ふっくらして口角のよく上がる唇が赤く柔らかで、その印象を幾らか緩和させている。
背丈はそこまで高くなく、どちらかと言えば細身な方だ。だけどいつも着ているゴス趣味のワンピースや、シャツとスカートの組み合わせを経て見え隠れするお尻のラインがまあるく豊かで、僕はそこにじわじわと視線を惹かれてしまうのだった。
店や彼女個人のSNSで日夜発信されているシフトや営業についての文言を見て日時を選んで、僕は何度となく大須に通った。目当ては自分の中では当時、物珍しかったシーシャであり、それを準備してくれる彼女だった。
そのうちに挨拶程度だったコンタクトが少しずつ会話をするようになり、話せば話すほど僕はどんどん彼女に惹かれていった。
彼女が僕の好きなタイプの女性だったこともあるが、それよりも、映画や小説の知識が豊富で、僕の知らない作品の話をしてくれたり、僕がそれを読んだ感想を話すと興味深そうに聞いてくれたこと、そして僕の好きな小説や画家のことを彼女も好きであったことなどなど、そういう理由が大きかった。
通販サイトに並ぶ欲しい品物をリストにしてまとめておくこともできるから、彼女の欲しがっている衣装や化粧品などを送ったこともある。
自分のために日々あれこれと無駄遣いをするくらいなら、彼女にネット通販で使えるギフト券や電子マネーの送金をしてシーシャでも強い酒でも好きに飲んでもらった方が、遥かに有意義で幸せなことだとすら思うようになった。
大須の店は酒や軽食も出してくれて、特にオーナー自ら作るキーマカレーは絶品で、必ず注文していた。だがそれよりも、僕が彼女の分もシーシャを注文して、僕の顔に吐息ごとあのサラサラした独特の煙を吹きかけてもらうのが、僕はもうたまらなかったんだ。
ただそれはあくまで彼女のものであるからで、他人の吐き出す紙タバコや電子タバコの煙なんか大嫌いだし、ウチの二軒隣の汚く太った中年オヤジが決まって明け方になると自宅の軒下に出て吸う如何にもオッサンが好きそうな、臭いがきつくて下品で重たい煙草の煙と臭いが僕の部屋の窓から這入り込んでくると、心底げんなりする。断じて許せない。ふざけている。思い出すだけで腹が立つ。
いつか突然怒鳴り込んで喧嘩してやろうと思っている。今でも。
だけど好きになった女の子に吹きかけてもらう水タバコの煙が、こんなにも心地よく華やかな……精神的にこれほど安らぐものだとは知らなかった。
そんな彼女がある日、店長としてお店を一つ任されることになったという。
オーナーのツテで、ここからずっと南にある海沿いの町にある小さなお店に空きが出たのでどうか、と打診があったのだそうで。
あたし、お店の近所に引っ越して一人暮らししながら頑張ってみるつもり──
耽美的でクールな印象を抱かせる彼女からは、思いがけないほど前向きで眩しいフレーズが飛び出した。赤々としたルージュから白い歯が覗いて、ほの暗い店の照明を鈍く反射して輝かせた。
「毎度ご乗車有難う御座いました。お忘れ物の御座いませんようご注意願います……」
と決まりのアナウンスが流れて来るのを背中で聞きながら展望車のドアから降りると、冬の始まりを告げるような低い空の下を冷たくなった海風がヒョオと鳴って頬のすぐそばを吹き抜けた。
僕の住む田舎町からずっと南にある終着駅の向こうに広がる、この海沿いの古い町へやって来るのには、まず朝から混み合う地下鉄で三十分程かけて大きなターミナル駅まで行き、そこから私鉄に乗り換えてさらに二時間ほどの道のりだ。
海の見える国道に沿って走る線路を辿って、移り変わる景色を窓に浮かべて、そのまま終点まで私鉄の特急に乗ることは出来るが、最後の支線を走る区間は直通運転ながら各駅停車で、およそ特急列車が停まるようなスケールに合わない簡素な無人駅が続く。
僕はこの町に時々、そうやってはるばる会いに行く女性(ひと)が居た。
その彼女(ひと)は以前、大須観音のそばのシーシャカフェに勤めていたひとで、近隣の歓楽街で別の仕事と掛け持ち勤務をしながら将来は自分のお店を開くべく修行していた。僕はSNSでその店と彼女のことを知って興味を持ち、おっかなびっくり尋ねてみた。
僕がシーシャを吸ったのはその日が初めてで、そんな僕に優しくしてくれたのが彼女だった。
一見野暮ったく見える黒縁眼鏡に肩まで伸びた黒いストレートヘアがよく馴染んでいて、白い素肌で目鼻たちのクッキリした美しい容貌を鎧のように包んでいた。ツンとした眼差しと真っすぐな鼻筋はいかにも意志が強く人当たりがキツそうに見えたが、ふっくらして口角のよく上がる唇が赤く柔らかで、その印象を幾らか緩和させている。
背丈はそこまで高くなく、どちらかと言えば細身な方だ。だけどいつも着ているゴス趣味のワンピースや、シャツとスカートの組み合わせを経て見え隠れするお尻のラインがまあるく豊かで、僕はそこにじわじわと視線を惹かれてしまうのだった。
店や彼女個人のSNSで日夜発信されているシフトや営業についての文言を見て日時を選んで、僕は何度となく大須に通った。目当ては自分の中では当時、物珍しかったシーシャであり、それを準備してくれる彼女だった。
そのうちに挨拶程度だったコンタクトが少しずつ会話をするようになり、話せば話すほど僕はどんどん彼女に惹かれていった。
彼女が僕の好きなタイプの女性だったこともあるが、それよりも、映画や小説の知識が豊富で、僕の知らない作品の話をしてくれたり、僕がそれを読んだ感想を話すと興味深そうに聞いてくれたこと、そして僕の好きな小説や画家のことを彼女も好きであったことなどなど、そういう理由が大きかった。
通販サイトに並ぶ欲しい品物をリストにしてまとめておくこともできるから、彼女の欲しがっている衣装や化粧品などを送ったこともある。
自分のために日々あれこれと無駄遣いをするくらいなら、彼女にネット通販で使えるギフト券や電子マネーの送金をしてシーシャでも強い酒でも好きに飲んでもらった方が、遥かに有意義で幸せなことだとすら思うようになった。
大須の店は酒や軽食も出してくれて、特にオーナー自ら作るキーマカレーは絶品で、必ず注文していた。だがそれよりも、僕が彼女の分もシーシャを注文して、僕の顔に吐息ごとあのサラサラした独特の煙を吹きかけてもらうのが、僕はもうたまらなかったんだ。
ただそれはあくまで彼女のものであるからで、他人の吐き出す紙タバコや電子タバコの煙なんか大嫌いだし、ウチの二軒隣の汚く太った中年オヤジが決まって明け方になると自宅の軒下に出て吸う如何にもオッサンが好きそうな、臭いがきつくて下品で重たい煙草の煙と臭いが僕の部屋の窓から這入り込んでくると、心底げんなりする。断じて許せない。ふざけている。思い出すだけで腹が立つ。
いつか突然怒鳴り込んで喧嘩してやろうと思っている。今でも。
だけど好きになった女の子に吹きかけてもらう水タバコの煙が、こんなにも心地よく華やかな……精神的にこれほど安らぐものだとは知らなかった。
そんな彼女がある日、店長としてお店を一つ任されることになったという。
オーナーのツテで、ここからずっと南にある海沿いの町にある小さなお店に空きが出たのでどうか、と打診があったのだそうで。
あたし、お店の近所に引っ越して一人暮らししながら頑張ってみるつもり──
耽美的でクールな印象を抱かせる彼女からは、思いがけないほど前向きで眩しいフレーズが飛び出した。赤々としたルージュから白い歯が覗いて、ほの暗い店の照明を鈍く反射して輝かせた。
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