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粘膜飛行1.

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 線路は緩やかで大きなカーブを描いて、西へ西へと伸びてゆく。海岸線の波打ち際から吹き付ける風に乗って飛沫が舞い上がり、月明かりに照らされて青白く光る。しずくの中に秘められたミネラルと砂粒が極小のプリズムになって一瞬の煌めきを放って霧消する。

 快晴の夜。空には丸く青い月。満天の星空を切り裂くように線路を走る寝台特急サンセット倫理。狭いベッドの小さな個室の車窓から、まるで空虚な虚空を見上げる夢を見ているような景色が延々と続くのを飽きもせず見上げていた。どれぐらい走っているのだろう。一向に、何処の駅にも辿り着かないまま。他の乗客の姿も、車掌さんが来る様子も、車内販売もアナウンスもない。あるのは気休めみたいな興奮と不安と、隣の部屋から聞こえてくる彼女の気配だけ。

「あ゛あ゛――っ……スーッ(歯の隙間から息を吸い込む音)ハオいわー……」
 また例のラリー映画を見ているらしい。彼女、いつ寝ているんだろう。もしかすると睡眠や休息と同じぐらいの効果が、あの映画にあるのかもしれない。僕は狭いながらも寝れば都ってことで幾らか眠ることが出来た。もっとも、寝て起きても景色が変わらないし夜明けも来ないので、かえって体内時計が狂ってしまったような気もするけれど。
(あぶくちゃん、あれで結構デリケートでナイーブだから、もしかするとこの寝台じゃ寝るに寝れないでずっと起きてるんじゃないかなあ)
 そんで、寝れなかったら寝れなかったで迷惑かけまいと無理しちゃう。あぶくちゃん、ってそういう子なんだ。誰よりも泥臭く、ひと一倍の努力をして自分で自分を克服して来た。無茶するのも無理するのも承知で、仕事も遊びもこなしている。それなのに、いつも認められるのは彼女の持つ美しさや可愛らしさ、上澄みの上澄みの、そのまたいちばん透明で薄いところばかり。あんな可愛い人が、こんな綺麗な人が、そんな色眼鏡でばかり見つめられ認められてきたって、果たしてあぶくちゃんは満たされているのだろうか。そんな訳がない、と決めつけている僕こそ、彼女を見る目に分厚い色眼鏡をハメ殺しにしているのではないだろうか……僕は、僕は、ただ……
「ミ゛ッ!!」
 どうやら映画は佳境に入ったようだ。何度目かの断末魔に微笑ましい気持ちと、寝不足の心配を混ぜ込んだ気分で窓の外を見上げる。心なしか暗い海原に浮かぶ月が、ほんの少し高度を失ってきているように見えた。

(!?)

 真っ暗な海、青白い月、瞬く星空を映し出す窓ガラスに、部屋の照明や時折通り過ぎる乳白色の線路灯が反射して、薄い膜を張ったように見える。その膜の明らか内側にいつの間にか、音もなく佇む老婆がひとり。つまり、この部屋の中だ。

 僕の爪先から2メートルも離れちゃいない。そんなところで、ホコリまみれの赤いローブを目深に被った老婆がひとり。右手に赤青黄色金銀虹色夢色罪色薬色の飴玉を、たんと乗せた籐のカゴをちょこんと下げて。左手で流木のような粗末な杖を握り締め。節くれて皺だらけの手が物悲しくて。

 チラと見えた顔はメタリックな扇風機。にぶくギラリと光る、風も無いのに回るプロペラが悲鳴のように軋む。それは突然ドアの前に佇んで、キイキィと鳴いて、そのまま音もなく消えて行った。
 何だったんだろう。窓ガラスの向こう側とコチラ側と交互に合わさる視線のピントが、現実と妄想の境目すらも曖昧にして見せた幻覚だったのか。それとも、僕の心の不安や焦燥、後悔を具現化させた生きるスポメニックだったのか。ピンボケの窓の外には巨大な手のひらや目玉を模した建造物の群れが月明かりを浴びて、青白い影になって立ち尽くしている。今日も昨日も、そのまた昨日もその前も、ずっとずっとそこに立って、過ぎゆく季節や列車や人の流れを見つめ続けていたのだろう。

「ミ゛ッ!!」
 あっ、あぶくちゃんラリーの映画また最初から見てたんだ。

つづく
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