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粘膜旅行1.

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「泣きたくなるくらい、ノスタルジックになりたくて」
「どうしたのあぶくちゃん。急にザ・イエローモンキーみたいなこと言い出して」

 だから、狭いベッドの列車で旅に出ることにした。いわゆる寝台特急だ。近年では少なくなったが、今でも幾つか残っている。
 ピーーーーン
 ポーーーーン
 間延びした音だけが真夜中のプラットホームに響いている。他に乗客の姿は無い。メルクリル駅の在来線3と4分の1番ホームで列車を待ってるのは僕と、黒いフリフリゴスロリワンピースに黒いボブヘアー、赤いカチューシャ、黒いタイツに黒い皮のブーツを履いたあぶくちゃんだけ。島式ホーム中ほどにある小さな売店はとっくに閉まっているし、駅員さんすら姿を見せない。

「はいコレ」
「あっ、ありがとう」
 真っ暗な夜空の下にポツンと立つ駅舎の外灯。その影からひょいっと伸びた陶器のように白く美しい手が、僕に熱い缶コーヒーを差し出した。このメーカーのブラックコーヒーが、僕は一番好きだ。
「覚えててくれたんだ」
「何言ってるの、あなたいつもそれしか飲まないじゃない」
 そりゃあそうだ。とこぼす代わりにプルタブをパキショっと引いて、苦い香りの湯気をふわりと吸い込んだ。

「電車来ないね」
「そうね」
「寒いね」
「そうね」
「あぶくちゃん、何飲んでるの?」
「ソーダ」
「寒くないの?」
「寒い。ってかさーーあり得ないよ、あの自販機! あたしさー、ちゃんと……ねえ聴いて!? ちゃんとカフェオレのボタン押したのよ? あったか~い、の。そしたらガコンって出てきたのがコレよ! ひっどくなーーい!?」
 まあこんなオンボロな片田舎駅の自販機では致し方あるまい……とも思うが、確かにこの寒空の下で飲むソーダはさぞかし冷たかろう。

「取り換えっこしようか」
「ブラックかー、うーーんでも……いいの?」
「ああ、ブラック飲める?」
「飲めるわい」
 あぶくちゃんは僕の持っている少し冷めかけたコーヒーと、自分の持っていたサイダーの缶を取り換え、両手で後生大事に握り締めた。
「あったか~い」
 僕は僕で、この夜よりも冷たい青く細長いソーダの缶をぎゅっと握り締めた。ゆっくりと口元へ運ぶ時に、缶の中でシュワシュワと踊る炭酸の音が、やけにクリアに聞こえていた。その入り口のプルタブが開かれたところに、唇を寄せる。あぶくちゃんの、少し飲んだ缶の飲み口に。
「うえーー苦い、よく飲めるねコレ」
「あぶくちゃん、苦いか冷たいかじゃキツいじゃん。どれにする?」
 僕は心なしか甘みの増したソーダを一気に流し込み、冷たさとアルミニウムの酸味でブルっと震えながら彼女に尋ねた。尋ねながら、僕の足は自販機に向かっていた。
「なんか暖かいものは……」
 そう言いながら目の前に立った自販機は、なんとも摩訶不思議で妙な代物だった。年代物のオンボロ自販機だったはずのそれは、いつの間にか黒ずくめのボディにフライパンほどの白い蛍光灯が二つ目玉のように並んで交互にパカパカ光り、丸っこいカマボコ型の赤い屋根がアーチを描く。小さなビニールの庇が色褪せて、そこに霞んだ文字で

い ら っ し ゃ い ま せ

 と書かれている。オマケに上下三段で横に五本ずつ並んでいるのは、見たことも聞いたこともない銘柄のラインナップ。
 真っ赤な缶はお馴染みの炭酸飲料かと思えば、地球上の何処にも無さそうな文字でペソルビーと書かれているし、真っ黒で細長い三角錐型の飲料のパッケージは絵や写真ではなく宇宙そのものが渦巻いている始末。時々、そのパッケージの中を流れ星がしゅーっと光って消えてゆく。脳に直接オルパンフェルフェルという名称が、ヒカリゴケのように右から左へ流れてゆく。見たことも聞いたこともない文字で。だけど何故か、僕はこれらの文字をスラスラと読むことが出来るんだ。

 どうしよう。文字は解読できても中身はサッパリじゃ、解読イコールお買い得ってことには、ならないよな。途方に暮れる僕を尻目に、あぶくちゃんが快哉を叫ぶ。
「あっ、ねえ来たよ!」
 振り向くと暗闇の彼方から、二つのまぶしいヘッドライトが届いてきた。緩やかにカーブする線路をくねくねと走る、見え隠れする灯りが懐かしく頼もしい。見上げた空に真っ赤な月。そして瞬く星たち。ヘッドライトは線路を走る流星、そして質量を持ったぬくもり。
 寝台特急サンセット倫理。それは、夕暮れを目指して真夜中を走る列車。

 無人だったプラットフォームは旅人や恋人、勤め人で一瞬にしてごった返し、列車の到着を待つ。人いきれが熱を帯び、その熱がまた熱を呼ぶ。うっすらと霞むプラットフォームの雑踏にまかれて、彼女を見失いそうになる。

「あぶくちゃん!」
 
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