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#少年とリング屋
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プロレスラーで、プロレスにまつわる話や旅日記など著作も多いTAJIRI選手が遂に小説
少年とリング屋
を上梓したので、さっそく予約をして拝見しました。
発売日からさほど日を置かずに届いていたのですが、ある部分でどうにもキツくて、そこまで読んで少し停滞していました。その間に、少年とリング屋が届く前から読んでいた本を上下巻とも読み終わり、
「まあ、まだペルディード・ストリート・ステーションが途中だから…」
という逃げ道を断ち切って、また向き合うことにしました。あのキッツイ描写から感じ取った自分の心持と。
以下はネタバレや内容に対する言及を含む感想です。
この本は一人の話がずっと続くのではなく、一つの文化にまつわる人々のお話でした。
それはプロレスという世界で、そこに入りたい人、入った人、外から見て人生が変わった人、人生を変えようとアテにして不用意に近寄って来た人、人生が壊れた人、そして第二の人生を送っている人たち。それぞれの人生に、それぞれの形でプロレスが関わり、ある人は通り過ぎて、ある人は死ぬまでと腹を括り、またある人は去ってゆく。
今まさに夢を見ている少年と、その夢を志半ばで断たれた異形のリング屋の一夜限りの冒険から、この本が始まった時は高揚感で一杯でした。きっとこの少年はプロレスラーになり、この冒険もレスラーらしい破天荒(トンパチ)なエピソードとして物語の世界で語り継がれるのだろう。と思いきや、人生はそう上手く行かない。
リング屋さんのトラックに潜り込み、出発するまでは首尾よくコトが進む。
夢に憑りつかれ、夢に酔っている向こう見ずな「少年」の、何処か抜けた様子。と、それを見てカッコよく対応してくれる「リング屋」を乗せたトラックが真夜中の高速道路を爆走する。プロレス深夜高速、である。生きていて良かったと言える、そんな夜を探してる日々に夢想するような瞬間が今まさにヘッドライトの光になって流れてゆく。
リング屋に諭され、励まされ、再び学校に向かうことを決意する少年。しかし、彼は呆気なく挫折した挙句SNSでの承認欲求に溺れて本来の人生にも背を向けてしまうことになる。
一方、次の場面ではその異形のリング屋こと権田大作の人生が明かされる。
時は昭和。自分の夢に挫折した父と、そんな父に愛想を尽かしながらも、まだ誰かの尻馬に乗って何者かになろうとしている母。父は男前だったが、その父が酔いつぶれた隙に既成事実を作ってチャッカリ彼の人生に便乗して来た母は……自分の面相のコンプレックスの源でもある母を恨み、世を拗ねていた大作を救ったのは、たまたま駅前にやって来た野外プロレスに出場する稀代の悪党レスラーだった。
プロレスだ。プロレスなら俺も、俺のこの顔も活かせるかもしれない!
そうして死ぬ物狂いで飛び込んだプロレスの世界では、この不味い顔も平然と受け入れられ、いよいよスタートを切った大作の人生を悲劇が襲う。
またしても、数奇なエピソードを持つレスラーは誕生せずに終わる。
突然の交通事故で足が動かなくなってしまい、大作はリング屋としてプロレス界に関わり続けることになったのだった。この時の経験を、第1話で「俺は一度死んでいる」と口にしていたのだというのがわかる。
ここまで第1話、2話と、あっという間に読み進めることが出来る。アツく、鬱屈とした男たちの決意と夢の物語にぐいぐいと引き込まれ、特に大作が遂に受験した入門テストでは自分とは対照的過ぎるほど正反対のハンサムな男とのスパーリングが死闘へと変貌し、それを乗り越えたあとでコーチから陰口ではなく褒められているところを聞いて涙する。血と汗と涙が混じり合う、美しい男の物語、男の世界。厳しくも温かく、努力でのし上がれる世界。これこそが彼の求めていた場所……これでレスラーにならなかったら嘘だろうと思うが、小説とはそもそも嘘なのである。
そして、良く出来た嘘は残酷であるほど人を楽しませてくれるものなのだとつくづく思う。
これで少年とリング屋それぞれ人生に対して説明が終わり、その後に興味津々となったところでカメラは急に全然違うところへパーンする。
第3話。
そこでは如何にも才気煥発な「かっこいい女」がインタビューに答えている。
複雑な時期にSNSにのめり込んでしまった息子のこと、頼りなくアテにならない旦那のこと、ネットの評価と自己満足……色んなことをざっくばらんに語っている。そしてプロレス好きの息子の部屋で見つけた一人の女子レスラー、ジュリアンナとの出会いが自分を変えた、と話す。自分は今まで息子や旦那に影響されて、何者でもないつまらない生活を送って来た。それではダメだ、ジュリアンナみたいに、誰かを変えてしまえるくらいの影響力。ネットのバズりじゃなく、実生活を変える力が欲しいと思った彼女はジュリアンナを目指し、お化粧やトレーニングを始める……実は、この時に通うジムが中盤から終盤にかけての物語を繋ぐターミナルのような役割を持っていた。この時点で、残りの物語の主要な登場人物は出揃っていて、チラチラとその姿を見せていたのだ。
息子とは言うまでもなく「少年」こと翔悟くん。
プライドばかり高く臆病で頼りにならない旦那。
人気プロレスラー、佐々原和彦。
そしてジュリアンナに憧れるかっこいい女こと琴絵に助けられたタツ子というもう一人の女性。
タツ子もまた、何者かになりたい人間で、あれこれと策を弄して目指す地位を手に入れようとしている。その中には、テレビ業界で働く男の影もチラついていた。
琴絵は女性専用のフィットネスジムを開業し、見事に軌道に乗せたことで起業家として地元で名の知れたタウン誌の取材を受けていたのだ。
そしてあからさまに不吉な前兆がこれでもか!と巻き起こり、次の章へ進む。
それこそが問題の第4話であった。
読むのがきついところがある、と思わず呟いたところ、TAJIRIさんから迷わずに
プロレスファンはきっといったん4章で止まる
とリプライを頂いた、まさにその通りで、もうどうにもキツくって、チャイナ・ミエヴィルの描くニュー・クロブゾンの世界に舞い戻ってしまったのであった。
何故そんなにキツいのか。何がそんなにキツいのか。
それは第4話の主人公、琴絵の旦那にして翔悟の父親、太一の振る舞いや言動、思考、その全てが。
あまりにもキツかった。
これはしかし、プロレスに興味が無かったり、元々が善良かつ温厚なファンならば別になんてことはない、単にトコトン嫌な奴、というだけの人物だ。そう、この太一、おそらくプロレスを題材にした小説や物語のなかでは抜群に嫌な奴だと思う。稀代のクズ、カス野郎。
その偏屈かつ了見の狭い性格は折り紙つきで、どこまでも自己中心的かつ賢いフリをしてその場を切り抜け、努力や忍耐というものをバカにし、何かに熱中する人を見て嘲笑し、よく言えば刹那的に、悪く言えばその場しのぎだけで生きて来た男。
賢いフリをしたい奴ほど物事を先ず否定するところから入る、というのはいろんな本で言われているけど、この太一も凄い。でも彼は、そんな自分の性格からは想像もつかないほど、琴絵と同様に女子プロレスにのめり込んでゆく。
プロレス好きの少年を軸に、夫婦がそれぞれのベクトルで同じジャンルの違う道へ進み始める展開は斬新かつ見事で、第3話でジュリアンナに惚れ込んで見事に人生を変えた琴絵とは対照的に、太一はズルズルと落ちてゆく。
自分が何より軽蔑しバカにしたプオタ、キモオタと呼ばれる連中からも糾弾される厄介なプロレスオタク、にすらなれない、単なる誇大妄想のストーカーになるまで。
この落ちっぷり、螺旋階段を転げ落ちるような描写が見事で……正直に言えば
「いつか自分も、何かの間違いでこうなっていてもおかしくなかった」
と思うからこそ、4話を読むのがきつかった。だけど、読み終わってみるとここがいちばん書きたいことが多かった。
例えばジュリアンナが大きな会場で数千人の観客を前に光り輝く姿を現すのに比べ、4話で太一が足を踏み入れたプロレス団体Beginningは実在の会場、新木場1stRINGが使用されているが、その印象は芳しいものでは無かった。
オタクの男が汗と口臭を撒き散らしながら独り言をつぶやき、カメラを用意する。
これと同じような光景を、私も何度も見て来たし、地元にプロレスが来た時の私の姿は、殆どこれと変わらなかった。学校での姿とあまりにかけ離れた、コートのポッケにフィルムを詰め込みカメラを構えてリング上や場外乱闘や試合が終わって引き上げてゆくまで選手を追いかけ続けている一部始終を、チケットを手配してくれた同級生にバッチリ目撃されていた。私も、太一の隣に座ったような彼の予備軍みたいなものだったのだ。
そう、私も太一も、彼らを見て「ああはなりたくない」と思うのだ。だがしかし、真摯に礼儀正しく熱心にBeginningを、エースの真萌瑠(まもる)を、何よりプロレスを応援しているのは、むしろ彼らの方だったのだ。
ファンが選手から直接、チケットの予約を行い、物販の列に並んでひと時の会話を楽しむ。そういう世界は牧歌的で微笑ましく、甲斐甲斐しく、健気で美しくすらある。もちろん私も、そうやってお目当ての選手にチケットをお願いして観戦に行き、物販に立ち寄って話をして、グッズやポートレートを買っている。そういう世界がプロレスにもあるのだ。
ポートレートにサインを入れてもらう僅かな間、私のことを覚えていてくれて、名前もちゃんと書いてくれる。コレは本当にうれしい。
今やポスターを見て興味の湧いた選手が居たら、その選手を検索してSNSやブログ、メールアドレスを見つけて、そこからコンタクトを取ることが可能なのだ。
これは長らくファンをやっていれば当たり前すぎるほど当たり前なのだが、免疫のない人には悪い意味で効果覿面なのだろう。当事者に、特に元やっかいなプオタさん、の誰かに取材したんじゃなかろうかというくらい、彼らの行動、独り言が忠実に再現されている。通常であれば控室か、そうでなくても売店にいるであろうTAJIRIさんが一体どうやってこれらを書き上げたのか。
実は、これこそが小説家の仕事だと思うのだ。
昔、評論家の故・目黒孝二さんが友人である椎名誠さんの私小説を読んで驚いていたことがあった。それは目黒さんや椎名さんの友人、関係者、家族が集まって手作りの運動会をやろう!と思い立ち、本当に準備に奔走し協力して運動会を行った、という内容で
「ぼくたちの大運動会」
というタイトルで文庫本にも収録されている。何事にもリーダーシップを発揮し、特にこういう真剣な遊びには人一倍熱中する椎名さんも一座に加わって談判し、やれムカデ競争がやりたい、大玉転がしだけは譲れない、パン食い競争を…などという人々をまとめてゆく場面がありありと描かれている。のだが、実は、これが目黒さんのいうところの「見て来たような嘘」であり、当時すでに多忙を極めた椎名さんはその場はおろか運動会の打ち合わせにすら参加できなかったというのだ。
4話には、そういった描写が多数出て来る。
プロレスラーであるはずのTAJIRIさんが今のプロレス会場の片隅を、まるで俯瞰で見つめているかのような描写の数々。新宿FACEに入ってドリンクを頼むところは絶品で、私が初めてあそこに足を踏み入れた時そのまんまみたいだった。
お客目線の動きを描いていることこそ小説家としてプロレス会場を描写していることにほかならない。日頃から、ご自身の団体での経験などでお客の動きを考えていらしたのかも知れない。どう歩いてきて、どう動くから、何処に物販や通路を作ろうか、といったような……。
3話の琴絵と4話の太一に、そのままジュリアンナと真萌瑠の対比が重なって来る。光り輝く舞台に躍り出るジュリアンナに憧れ自分を変えて事業まで立ち上げて順風満帆の琴絵と、うらぶれた雰囲気に飲まれ、その中でもまた自分勝手な物差しと軽蔑の色眼鏡で周囲を見下し、なおかつその中で「キモオタ」を出し抜こうと素直に魅力を認められもしないまま真萌瑠に近づいて自分のプライドを満たそうとする太一。
そもそもプロレスに触れた切っ掛けからして対照的なのだ。興味を持って触れた結果ジュリアンナに憧れを持ち、自ら努力出来た琴絵と、初めから琴絵のこともプロレスのこともバカにしてかかっていた太一。
ステップアップするべくして人生の階段を駆け上がった琴絵。
ファンにもなれず、オタクにもなれず、落ちるべくして落ちてゆく太一。
輝くステージ、蠢く界隈。
しかし、これだけなら単なるファン目線での勧善懲悪ストーリーでしかない。ままならぬ人生というのはトコトン容赦がない。太一は真萌瑠に一方的な独占欲と恋愛感情を抱き、妄想と現実の区別がどんどんつかなくなってゆく。既にファン、団体、そして真萌瑠にさえも悪評が広まり、ついに出入り禁止を言い渡される。
琴絵は輝き、キャリアを重ねてゆく。真萌瑠も、ファンも、ジュリアンナも、みんな自分を置いてゆく。
そして真萌瑠は後楽園ホールでジュリアンナとの一騎打ちに臨む。
その寸前に太一は出禁になるも、どうしてもその大一番を見届けたくコッソリと観戦にゆく。
今までのように真萌瑠から予約したチケットでデカい顔をして最前列に陣取り、周囲を睥睨するのではなく、最後列の隅っこで。
結果、真萌瑠は惨敗する。太一は、そんな真萌瑠を見て留飲を下げるのだ。そしてこのあと、さらなるサイテーぶりを発揮してくれる……ボロボロになって引き上げる真萌瑠を偶然、目撃した太一は、あろうことかそこで真萌瑠に「(そもそも結ばれてすらいない)復縁」を持ち掛け叫び寄るのだ。
この時の真萌瑠の凄まじい剣幕が、ありありと目に浮かぶように描かれている。そこに至る流れが、もうまさに止めることのできない激流となっている。
普通の感覚というか、いい子ちゃんになろうと思えば、ココで幾らでもイイことが言えるし、改心したり立ち直ったり出来る。だが太一は、ボロボロになった真萌瑠を見て
(今ならイケるかも知れない)
と打算するのだ。あれだけ弱っている相手になら、自分が優位に立ってしまえるだろうという救いの無さ。ここでようやく、私は「太一の呪縛」から完全に解き放たれていることに気が付く。ああ、ここまでは流石に無いわ、というカタルシス……しかし、それはつまり自分で太一と同じことを太一に対して思っていたのである。
TAJIRIさんの言う、必ずこの中にあなたがいる、という文言は、何も表の性格、行動だけではない。心の中に閉じ込めたどす黒い自分、大クソ野郎に成り果てかねない部分を際立たせる形に差した灰色の光。それが4話の主人公、太一だったのかも知れない。
結局、太一は完全に打ち砕かれた。ジュリアンナの応援のため同じ後楽園ホールを訪れていた琴絵にも現場を目撃された挙句、復讐の菩薩と化した琴絵に意味深な言葉を吐かれ……。しかし、その心に開いた大穴にすら、すぐにまた薄いプライドで膜を張っている。たくましいのやら懲りないのやら。
やるだけやった、俺は。彼は自分をそんな風に自己評価して、今日も変わらず会社に向かっている。
3話4話でプロレスに触れた一般人の話をして、5話で遂に現役レスラーが登場する。それも物語のなかに登場するメジャー団体、ニュー日本プロレスをけん引する佐々原和彦その人が。
しかし彼も不惑を越して悩んでいた。自分とは、一体なんなんだ。
なりたい自分に、俺はなった。入門テストで大作に不覚を取ったものの、彼が事故でリング屋に転身したことでの補欠合格からのスタートだった。
最強なのは俺なんだよ!
をキャッチフレーズに、観衆を沸かせている。傍から見れば栄光のレスラー人生も、彼の心の中にはいつしかどす黒いものがとぐろを巻くようになっていた。
それは自分が入門前から見下していた、しかしそんな自分を絞め落として一度はニュー日本プロレスに晴れて入団した大作の顔だった。
佐々原和彦は人知れず苦悩するが、それを払拭して会場に入る。すると、リングがまだ到着していない。もう開場時間は迫っている。リングで練習する時間など、あろうはずもない。
そこへ、リングを積んだ大作が到着し言い訳もせず土下座をしてリング作りを手伝って欲しいと懇願する。佐々原は、そんな大作を再び侮蔑しつつ全員でリングを作れと発破をかける。
大作を見た瞬間に心に浮かんだ言葉は「生きてやがった」だった。これに自分でも驚く佐々原。なぜ自分はそこまで彼を憎んでいるのだろうか……それが、あの入門テストでのスパーリングに繋がってゆく。
さらに後日、佐々原はゴールドジムで琴絵に出会い、翔悟と話すことで、あのリング未着事件の真相を知る。大作はこのことを誰にも言わず、ひたすら頭を下げ続けていたのだ。
自分なら、どうしていた……少年のためにした大作の行動は称賛されるべきだ。だが、自分だったら……?ここでも顔をもたげてくる大作の幻影と、自分に幻滅する自分の間で逡巡するうち、赤信号を渡ろうとして運転手に怒鳴られ我に返る。しかし次には、そこを小さな女の子が渡ろうとしているのを目撃する。佐々原の脳裏を駆け巡る思考。そして緑色の薄気味悪い卵から現れたのは権田大作の醜い顔。が、赤いランドセルに変わり、反射的にそれを抱きしめた佐々原を激痛が襲う。
暗転。
気が付くと佐々原は道場に居た。はじめ!の声と共に目の前には大作が立っていた。
佐々原は大作の顔を木端微塵に粉砕する。だが、大作の顔は新たに生え変わり、また襲い掛かろうと……このデヴィッド・リンチばりの怨念のこもった描写は圧巻で、この本を読んだ人間の数だけ、きっと緑色の薄気味悪い権田大作さんが誕生したことだろう。
そういえば昔、誰かの記事でTAJIRIさんの怪談は絶品で、移動中のクルマで聞かされて怖かったと書かれていたのを思い出した。
この件で佐々原は遂に発狂し、深夜の道場に大作を呼び出して対決を迫る。「お前は狂ってる!」と当然それを受けようとせず背を向けた大作に襲い掛かる佐々原。
蹂躙され血みどろになりつつも、大作は佐々原に声をかける。
「弱い奴は怖いものと戦おうとすらしない……!」
しかし、佐々原にそれを聞きとめるだけの理性は最早残されていなかった。
少女の命を救ったことで、本人の苦悩とは裏腹に佐々原の人気と注目度は急上昇。その事故の後の大会のメインイベントのあとで彼は思い悩むことは止め、死ぬまで自分の生きざまを背負ってゆくことを静かに決意した。
自分とは何なのか、強さ、影響力、生き方……何一つわからない、変わらないまま。
最終話。これまでの翔悟一家の物語がプロレスを軸に集約されてゆく。
琴絵のジムの目の前には大資本の運営するジムが進出し、よりによってその広告にはジュリアンナが起用される始末。琴絵はみるみる疲弊し、力尽きようとしていた。あのタウン誌のインタビューも、得意満面な受け答えも、今では被害妄想の源泉でしかなかった。
そんな琴絵を励ましていたのは、あのタツ子。そしてタツ子の言うテレビ関係の男とは、琴絵の夫であり翔悟の父、太一だった。テレビ関係の仕事どころか、太一の職場は電器店で、文字通り売るほどテレビのある職場で働いているだけだったことも露見する。
しかし、このタツ子との邂逅が翔悟の人生を思わぬ形で動かした。
「やるだけやってみて、ダメならやめればいい。何もしないより、ずっといい」
タツ子は、そう言っていた。
そして最終話にして、翔悟の隣に控えめなパートナーが現れた。ゆう子なる少女は「何処にも馴染めない子」だった。学校にも馴染めず、高校に進学せず、同じく進学しなかった翔悟と何となく時を過ごしていた。彼女というわけでもない。ただ一緒に居るだけ。
そんなゆう子が、スーパーのレジ打ちからパン屋さんで働くと言い出した時、翔悟の口からは反射的にプロレスへの愛着が飛び出した。ゆう子がパン屋に就職が決まったと聞いた時には、遂にプロレスのテストを受けると言ってしまった。
言うなれば置いてけぼりを怖がっての、見栄っ張りで軽薄な発言だった。でも、昔からの夢だった。
そうと決まれば行動しなくては……翔悟はバイト先の引っ越し屋に飛び込んで正社員にしてほしいこと、そしてプロレスに受かったらやめさせてほしいことなどを意気込んで伝え、次いで自宅に取って返してノートを開く。プロレス、なぜ、プロレスなのか。色々と書いたけど結局は
りくつぬきに好きだから
という言葉に落ち着いた。新人募集までの時間、トレーニングと仕事に精を出す翔悟に、否が応でも高校3年の自分を重ねてしまう。高校を出てメキシコに入学するまでのわずかな間に、バイトを掛け持ちして少しでも小遣いにしようと精を出した日々。その合間に自己流でトレーニングをして、ワケを知ったバイト先のコンビニの店長であり旧知の近江屋の奥さんに、お弁当やサンドイッチを分けてもらって食べていた。あのひたむきで、何も怖くなかった自分。
そんな自分を励まし、褒めてくれた人達。翔悟の周りにも、そんな人が居る。引っ越し屋さんの人達が口々に彼を労い、激励する。
家に帰る途中、パン屋さんではゆう子が明らかに大人になってゆく瞬間を目撃する。一生懸命に働いて、口紅をつけて。
自宅ではタツ子に見限られた太一が酒に酔っているが、引っ越し屋の宴会で飲まされた翔悟の様子を見て上機嫌になり、そんなタツ子のことをいつもの調子でくさしている。さらに、自らの挫折について口を開きかけたところで、今度は琴絵が姿を見せるが、荒い息をついたまま自室に消える。それで鼻白んだ太一も引き上げ、翔悟は太一とドラマみたいに打ち解けるチャンスを失うものの……ゆう子と琴絵に宿った強さを感じる。そのゆう子は結局、パン屋さんを辞めてしまっていた。そして、夢は自分を窮屈にする、とこぼす。
夢を追いかけて夢中になっていた翔悟には、それは恐ろしい言葉だった。
怒涛のように過ぎた日々はやがて、ニュー日本プロレスの入門テストの当日になった。
テスト当日。翔悟は自らの力不足を知りながらも受験する。試験官は佐々原。そして、その場には権田大作も居た。翔悟は大作を目で追うが、遂に彼に気が付くこともなく。大作自身が翔悟に手渡した赤いタオルにも気づくことはなく。それでも翔悟は、改めてテストを受けるため列に戻った。何者かにならなければ、会いたい人に会うことも出来ない。同じ場所に、居ることすら出来ないのだから。やる前から負けること考える奴がいるかよ、と呟いて。
赤いタオルで結びついた二人の男は、エピローグで共に働いている様子が描かれている。あれから16年もの歳月が流れた。太一と琴絵は離婚することなく暮らし、琴絵は今でも女性専門のパーソナルトレーナーとステンドグラス教室を開きながらプロレス観戦を続けている。太一は経理部長になった。そして権田大作は身寄りもなくリング屋の仕事を失ったものの、翔悟の紹介によって働き、私生活もケアしてもらっているようだ。二人は河原の土手で言葉少なに会話をする。
「何者かになろうとしたんだから、いいんじゃねえのか」
「プロレスがあって、よかったじゃねえか」
それが16年目の、権田の答えだった。そして二人はお揃いの作業着で、引っ越し屋の仕事に戻っていった。
これで完全に、この物語は終わる。
誰しも何者かになりたがり、また何者かになれるとは限らない。でも、なろうと思ってもなれるもんじゃない。その一方で、何者かになったはずの自分が自分を苦しめ、悩ませることもある。
抜粋して上手いことまとめた感想を書ける人も居ると思うけど、書き出さないと説明のつかないことが多くって。それは物語がまとまってないんじゃなく、私が読んだまま、まとまっていないだけなのだけれど。
一人の少年と、プロレスという文化を起点に伸びた道が、やがて中心点に辿り着き、そこからタコ足配線のようにほうぼうに繋がってゆく。交わる筈の無い人々が交わり、すれ違い、思わぬ人の知己を得て、お世話になって生きてゆく。そこに夢や目標、目的、はたまた打算や妄想があろうとなかろうと。
人間は一人では生きてゆけない。でも、独りぼっちになろうとすればトコトン自分を小さく、暗いところに押し込めてしまえる。夢があったから、彼らは行動出来た。それがどんなことであろうと、やるだけやってみた人たちだ。
そういうことは、誰にでも起こりうる。
TAJIRIさんのいう、この本の何処かに必ずあなたが居る、というのはそういうことではないだろうか。少なくとも僕は自分で自分をそう思います。
だってそうじゃなければ、何故、僕は画面の中かリングの上にしか存在しないはずの人と、今でも時々用もないのに連絡をしたり、話をしたり出来ているんだ?自分で飛び込んだ世界から、今の今までずっと僕のことを見限ったり侮ったりしない優しい人と出会えたからじゃないか。と……。この本の感想を書きながら、そんなことも思いました。
翔悟の家出も、太一の身勝手な恋慕と打算も、佐々原の苦悩も、琴絵の栄光と転落も、権田の挫折も……その結末自体は彼らの長い人生の中で起きた、ほんの一時期の出来事に過ぎない。その生き方がどういう答えを呼ぶのか。そこに夢はあるのか。自分は誰かになっているのか。
なったところで、自分は幸せなのか。
あの日の少年とリング屋は紆余曲折を経て、今は幸せだしプロレスがあって良かった、と言えるようになった。それは、やるだけやったからだ。
この本に文句なしのハッピーエンドは書かれていないけど、自分の幸せに向かって行くのは自分の足と意思でしかない、ということなのだと僕は思う。
僕は果たしてあと何年も経って、プロレスがあって良かった、と思えるだろうか。
この先どんな挫折や後悔があっても、また何か夢や生きる道を見つけてゆくことが出来るだろうか。
この本に生きる意味や幸せは書かれていないし、パワーが溢れているわけではない。
でも、それを全部、自分で考えて行動しなくちゃいけないという風に導くプログラムみたいのは含まれている気がする。それが、この本の役割なのかも知れない、と。
面白い!というよりは、凄い本だった…と思う一冊でした。
これがデビュー作だなんて。
プロレスラーが小説家として書いた小説をプロレスで例えることほど失礼な真似は無いと思って、頑なに、それだけは言わず使わずに書いた約一万数百文字ですが、一つだけ言わせて頂くならば。
小説家TAJIRIさんがデビュー作としてこれを上梓したことは、
武藤敬司さんがデビュー戦でムーンサルトプレスを繰り出したようなもの。
だと僕は思います。
素晴らしい小説でした。
でも、早くまたTAJIRIさんにプロレスの話もして欲しくて、
プロレスラーは観客に何を見せているのか
も、実は購入しておりました。小説とプロレス、どちらも楽しみです。
少年とリング屋
を上梓したので、さっそく予約をして拝見しました。
発売日からさほど日を置かずに届いていたのですが、ある部分でどうにもキツくて、そこまで読んで少し停滞していました。その間に、少年とリング屋が届く前から読んでいた本を上下巻とも読み終わり、
「まあ、まだペルディード・ストリート・ステーションが途中だから…」
という逃げ道を断ち切って、また向き合うことにしました。あのキッツイ描写から感じ取った自分の心持と。
以下はネタバレや内容に対する言及を含む感想です。
この本は一人の話がずっと続くのではなく、一つの文化にまつわる人々のお話でした。
それはプロレスという世界で、そこに入りたい人、入った人、外から見て人生が変わった人、人生を変えようとアテにして不用意に近寄って来た人、人生が壊れた人、そして第二の人生を送っている人たち。それぞれの人生に、それぞれの形でプロレスが関わり、ある人は通り過ぎて、ある人は死ぬまでと腹を括り、またある人は去ってゆく。
今まさに夢を見ている少年と、その夢を志半ばで断たれた異形のリング屋の一夜限りの冒険から、この本が始まった時は高揚感で一杯でした。きっとこの少年はプロレスラーになり、この冒険もレスラーらしい破天荒(トンパチ)なエピソードとして物語の世界で語り継がれるのだろう。と思いきや、人生はそう上手く行かない。
リング屋さんのトラックに潜り込み、出発するまでは首尾よくコトが進む。
夢に憑りつかれ、夢に酔っている向こう見ずな「少年」の、何処か抜けた様子。と、それを見てカッコよく対応してくれる「リング屋」を乗せたトラックが真夜中の高速道路を爆走する。プロレス深夜高速、である。生きていて良かったと言える、そんな夜を探してる日々に夢想するような瞬間が今まさにヘッドライトの光になって流れてゆく。
リング屋に諭され、励まされ、再び学校に向かうことを決意する少年。しかし、彼は呆気なく挫折した挙句SNSでの承認欲求に溺れて本来の人生にも背を向けてしまうことになる。
一方、次の場面ではその異形のリング屋こと権田大作の人生が明かされる。
時は昭和。自分の夢に挫折した父と、そんな父に愛想を尽かしながらも、まだ誰かの尻馬に乗って何者かになろうとしている母。父は男前だったが、その父が酔いつぶれた隙に既成事実を作ってチャッカリ彼の人生に便乗して来た母は……自分の面相のコンプレックスの源でもある母を恨み、世を拗ねていた大作を救ったのは、たまたま駅前にやって来た野外プロレスに出場する稀代の悪党レスラーだった。
プロレスだ。プロレスなら俺も、俺のこの顔も活かせるかもしれない!
そうして死ぬ物狂いで飛び込んだプロレスの世界では、この不味い顔も平然と受け入れられ、いよいよスタートを切った大作の人生を悲劇が襲う。
またしても、数奇なエピソードを持つレスラーは誕生せずに終わる。
突然の交通事故で足が動かなくなってしまい、大作はリング屋としてプロレス界に関わり続けることになったのだった。この時の経験を、第1話で「俺は一度死んでいる」と口にしていたのだというのがわかる。
ここまで第1話、2話と、あっという間に読み進めることが出来る。アツく、鬱屈とした男たちの決意と夢の物語にぐいぐいと引き込まれ、特に大作が遂に受験した入門テストでは自分とは対照的過ぎるほど正反対のハンサムな男とのスパーリングが死闘へと変貌し、それを乗り越えたあとでコーチから陰口ではなく褒められているところを聞いて涙する。血と汗と涙が混じり合う、美しい男の物語、男の世界。厳しくも温かく、努力でのし上がれる世界。これこそが彼の求めていた場所……これでレスラーにならなかったら嘘だろうと思うが、小説とはそもそも嘘なのである。
そして、良く出来た嘘は残酷であるほど人を楽しませてくれるものなのだとつくづく思う。
これで少年とリング屋それぞれ人生に対して説明が終わり、その後に興味津々となったところでカメラは急に全然違うところへパーンする。
第3話。
そこでは如何にも才気煥発な「かっこいい女」がインタビューに答えている。
複雑な時期にSNSにのめり込んでしまった息子のこと、頼りなくアテにならない旦那のこと、ネットの評価と自己満足……色んなことをざっくばらんに語っている。そしてプロレス好きの息子の部屋で見つけた一人の女子レスラー、ジュリアンナとの出会いが自分を変えた、と話す。自分は今まで息子や旦那に影響されて、何者でもないつまらない生活を送って来た。それではダメだ、ジュリアンナみたいに、誰かを変えてしまえるくらいの影響力。ネットのバズりじゃなく、実生活を変える力が欲しいと思った彼女はジュリアンナを目指し、お化粧やトレーニングを始める……実は、この時に通うジムが中盤から終盤にかけての物語を繋ぐターミナルのような役割を持っていた。この時点で、残りの物語の主要な登場人物は出揃っていて、チラチラとその姿を見せていたのだ。
息子とは言うまでもなく「少年」こと翔悟くん。
プライドばかり高く臆病で頼りにならない旦那。
人気プロレスラー、佐々原和彦。
そしてジュリアンナに憧れるかっこいい女こと琴絵に助けられたタツ子というもう一人の女性。
タツ子もまた、何者かになりたい人間で、あれこれと策を弄して目指す地位を手に入れようとしている。その中には、テレビ業界で働く男の影もチラついていた。
琴絵は女性専用のフィットネスジムを開業し、見事に軌道に乗せたことで起業家として地元で名の知れたタウン誌の取材を受けていたのだ。
そしてあからさまに不吉な前兆がこれでもか!と巻き起こり、次の章へ進む。
それこそが問題の第4話であった。
読むのがきついところがある、と思わず呟いたところ、TAJIRIさんから迷わずに
プロレスファンはきっといったん4章で止まる
とリプライを頂いた、まさにその通りで、もうどうにもキツくって、チャイナ・ミエヴィルの描くニュー・クロブゾンの世界に舞い戻ってしまったのであった。
何故そんなにキツいのか。何がそんなにキツいのか。
それは第4話の主人公、琴絵の旦那にして翔悟の父親、太一の振る舞いや言動、思考、その全てが。
あまりにもキツかった。
これはしかし、プロレスに興味が無かったり、元々が善良かつ温厚なファンならば別になんてことはない、単にトコトン嫌な奴、というだけの人物だ。そう、この太一、おそらくプロレスを題材にした小説や物語のなかでは抜群に嫌な奴だと思う。稀代のクズ、カス野郎。
その偏屈かつ了見の狭い性格は折り紙つきで、どこまでも自己中心的かつ賢いフリをしてその場を切り抜け、努力や忍耐というものをバカにし、何かに熱中する人を見て嘲笑し、よく言えば刹那的に、悪く言えばその場しのぎだけで生きて来た男。
賢いフリをしたい奴ほど物事を先ず否定するところから入る、というのはいろんな本で言われているけど、この太一も凄い。でも彼は、そんな自分の性格からは想像もつかないほど、琴絵と同様に女子プロレスにのめり込んでゆく。
プロレス好きの少年を軸に、夫婦がそれぞれのベクトルで同じジャンルの違う道へ進み始める展開は斬新かつ見事で、第3話でジュリアンナに惚れ込んで見事に人生を変えた琴絵とは対照的に、太一はズルズルと落ちてゆく。
自分が何より軽蔑しバカにしたプオタ、キモオタと呼ばれる連中からも糾弾される厄介なプロレスオタク、にすらなれない、単なる誇大妄想のストーカーになるまで。
この落ちっぷり、螺旋階段を転げ落ちるような描写が見事で……正直に言えば
「いつか自分も、何かの間違いでこうなっていてもおかしくなかった」
と思うからこそ、4話を読むのがきつかった。だけど、読み終わってみるとここがいちばん書きたいことが多かった。
例えばジュリアンナが大きな会場で数千人の観客を前に光り輝く姿を現すのに比べ、4話で太一が足を踏み入れたプロレス団体Beginningは実在の会場、新木場1stRINGが使用されているが、その印象は芳しいものでは無かった。
オタクの男が汗と口臭を撒き散らしながら独り言をつぶやき、カメラを用意する。
これと同じような光景を、私も何度も見て来たし、地元にプロレスが来た時の私の姿は、殆どこれと変わらなかった。学校での姿とあまりにかけ離れた、コートのポッケにフィルムを詰め込みカメラを構えてリング上や場外乱闘や試合が終わって引き上げてゆくまで選手を追いかけ続けている一部始終を、チケットを手配してくれた同級生にバッチリ目撃されていた。私も、太一の隣に座ったような彼の予備軍みたいなものだったのだ。
そう、私も太一も、彼らを見て「ああはなりたくない」と思うのだ。だがしかし、真摯に礼儀正しく熱心にBeginningを、エースの真萌瑠(まもる)を、何よりプロレスを応援しているのは、むしろ彼らの方だったのだ。
ファンが選手から直接、チケットの予約を行い、物販の列に並んでひと時の会話を楽しむ。そういう世界は牧歌的で微笑ましく、甲斐甲斐しく、健気で美しくすらある。もちろん私も、そうやってお目当ての選手にチケットをお願いして観戦に行き、物販に立ち寄って話をして、グッズやポートレートを買っている。そういう世界がプロレスにもあるのだ。
ポートレートにサインを入れてもらう僅かな間、私のことを覚えていてくれて、名前もちゃんと書いてくれる。コレは本当にうれしい。
今やポスターを見て興味の湧いた選手が居たら、その選手を検索してSNSやブログ、メールアドレスを見つけて、そこからコンタクトを取ることが可能なのだ。
これは長らくファンをやっていれば当たり前すぎるほど当たり前なのだが、免疫のない人には悪い意味で効果覿面なのだろう。当事者に、特に元やっかいなプオタさん、の誰かに取材したんじゃなかろうかというくらい、彼らの行動、独り言が忠実に再現されている。通常であれば控室か、そうでなくても売店にいるであろうTAJIRIさんが一体どうやってこれらを書き上げたのか。
実は、これこそが小説家の仕事だと思うのだ。
昔、評論家の故・目黒孝二さんが友人である椎名誠さんの私小説を読んで驚いていたことがあった。それは目黒さんや椎名さんの友人、関係者、家族が集まって手作りの運動会をやろう!と思い立ち、本当に準備に奔走し協力して運動会を行った、という内容で
「ぼくたちの大運動会」
というタイトルで文庫本にも収録されている。何事にもリーダーシップを発揮し、特にこういう真剣な遊びには人一倍熱中する椎名さんも一座に加わって談判し、やれムカデ競争がやりたい、大玉転がしだけは譲れない、パン食い競争を…などという人々をまとめてゆく場面がありありと描かれている。のだが、実は、これが目黒さんのいうところの「見て来たような嘘」であり、当時すでに多忙を極めた椎名さんはその場はおろか運動会の打ち合わせにすら参加できなかったというのだ。
4話には、そういった描写が多数出て来る。
プロレスラーであるはずのTAJIRIさんが今のプロレス会場の片隅を、まるで俯瞰で見つめているかのような描写の数々。新宿FACEに入ってドリンクを頼むところは絶品で、私が初めてあそこに足を踏み入れた時そのまんまみたいだった。
お客目線の動きを描いていることこそ小説家としてプロレス会場を描写していることにほかならない。日頃から、ご自身の団体での経験などでお客の動きを考えていらしたのかも知れない。どう歩いてきて、どう動くから、何処に物販や通路を作ろうか、といったような……。
3話の琴絵と4話の太一に、そのままジュリアンナと真萌瑠の対比が重なって来る。光り輝く舞台に躍り出るジュリアンナに憧れ自分を変えて事業まで立ち上げて順風満帆の琴絵と、うらぶれた雰囲気に飲まれ、その中でもまた自分勝手な物差しと軽蔑の色眼鏡で周囲を見下し、なおかつその中で「キモオタ」を出し抜こうと素直に魅力を認められもしないまま真萌瑠に近づいて自分のプライドを満たそうとする太一。
そもそもプロレスに触れた切っ掛けからして対照的なのだ。興味を持って触れた結果ジュリアンナに憧れを持ち、自ら努力出来た琴絵と、初めから琴絵のこともプロレスのこともバカにしてかかっていた太一。
ステップアップするべくして人生の階段を駆け上がった琴絵。
ファンにもなれず、オタクにもなれず、落ちるべくして落ちてゆく太一。
輝くステージ、蠢く界隈。
しかし、これだけなら単なるファン目線での勧善懲悪ストーリーでしかない。ままならぬ人生というのはトコトン容赦がない。太一は真萌瑠に一方的な独占欲と恋愛感情を抱き、妄想と現実の区別がどんどんつかなくなってゆく。既にファン、団体、そして真萌瑠にさえも悪評が広まり、ついに出入り禁止を言い渡される。
琴絵は輝き、キャリアを重ねてゆく。真萌瑠も、ファンも、ジュリアンナも、みんな自分を置いてゆく。
そして真萌瑠は後楽園ホールでジュリアンナとの一騎打ちに臨む。
その寸前に太一は出禁になるも、どうしてもその大一番を見届けたくコッソリと観戦にゆく。
今までのように真萌瑠から予約したチケットでデカい顔をして最前列に陣取り、周囲を睥睨するのではなく、最後列の隅っこで。
結果、真萌瑠は惨敗する。太一は、そんな真萌瑠を見て留飲を下げるのだ。そしてこのあと、さらなるサイテーぶりを発揮してくれる……ボロボロになって引き上げる真萌瑠を偶然、目撃した太一は、あろうことかそこで真萌瑠に「(そもそも結ばれてすらいない)復縁」を持ち掛け叫び寄るのだ。
この時の真萌瑠の凄まじい剣幕が、ありありと目に浮かぶように描かれている。そこに至る流れが、もうまさに止めることのできない激流となっている。
普通の感覚というか、いい子ちゃんになろうと思えば、ココで幾らでもイイことが言えるし、改心したり立ち直ったり出来る。だが太一は、ボロボロになった真萌瑠を見て
(今ならイケるかも知れない)
と打算するのだ。あれだけ弱っている相手になら、自分が優位に立ってしまえるだろうという救いの無さ。ここでようやく、私は「太一の呪縛」から完全に解き放たれていることに気が付く。ああ、ここまでは流石に無いわ、というカタルシス……しかし、それはつまり自分で太一と同じことを太一に対して思っていたのである。
TAJIRIさんの言う、必ずこの中にあなたがいる、という文言は、何も表の性格、行動だけではない。心の中に閉じ込めたどす黒い自分、大クソ野郎に成り果てかねない部分を際立たせる形に差した灰色の光。それが4話の主人公、太一だったのかも知れない。
結局、太一は完全に打ち砕かれた。ジュリアンナの応援のため同じ後楽園ホールを訪れていた琴絵にも現場を目撃された挙句、復讐の菩薩と化した琴絵に意味深な言葉を吐かれ……。しかし、その心に開いた大穴にすら、すぐにまた薄いプライドで膜を張っている。たくましいのやら懲りないのやら。
やるだけやった、俺は。彼は自分をそんな風に自己評価して、今日も変わらず会社に向かっている。
3話4話でプロレスに触れた一般人の話をして、5話で遂に現役レスラーが登場する。それも物語のなかに登場するメジャー団体、ニュー日本プロレスをけん引する佐々原和彦その人が。
しかし彼も不惑を越して悩んでいた。自分とは、一体なんなんだ。
なりたい自分に、俺はなった。入門テストで大作に不覚を取ったものの、彼が事故でリング屋に転身したことでの補欠合格からのスタートだった。
最強なのは俺なんだよ!
をキャッチフレーズに、観衆を沸かせている。傍から見れば栄光のレスラー人生も、彼の心の中にはいつしかどす黒いものがとぐろを巻くようになっていた。
それは自分が入門前から見下していた、しかしそんな自分を絞め落として一度はニュー日本プロレスに晴れて入団した大作の顔だった。
佐々原和彦は人知れず苦悩するが、それを払拭して会場に入る。すると、リングがまだ到着していない。もう開場時間は迫っている。リングで練習する時間など、あろうはずもない。
そこへ、リングを積んだ大作が到着し言い訳もせず土下座をしてリング作りを手伝って欲しいと懇願する。佐々原は、そんな大作を再び侮蔑しつつ全員でリングを作れと発破をかける。
大作を見た瞬間に心に浮かんだ言葉は「生きてやがった」だった。これに自分でも驚く佐々原。なぜ自分はそこまで彼を憎んでいるのだろうか……それが、あの入門テストでのスパーリングに繋がってゆく。
さらに後日、佐々原はゴールドジムで琴絵に出会い、翔悟と話すことで、あのリング未着事件の真相を知る。大作はこのことを誰にも言わず、ひたすら頭を下げ続けていたのだ。
自分なら、どうしていた……少年のためにした大作の行動は称賛されるべきだ。だが、自分だったら……?ここでも顔をもたげてくる大作の幻影と、自分に幻滅する自分の間で逡巡するうち、赤信号を渡ろうとして運転手に怒鳴られ我に返る。しかし次には、そこを小さな女の子が渡ろうとしているのを目撃する。佐々原の脳裏を駆け巡る思考。そして緑色の薄気味悪い卵から現れたのは権田大作の醜い顔。が、赤いランドセルに変わり、反射的にそれを抱きしめた佐々原を激痛が襲う。
暗転。
気が付くと佐々原は道場に居た。はじめ!の声と共に目の前には大作が立っていた。
佐々原は大作の顔を木端微塵に粉砕する。だが、大作の顔は新たに生え変わり、また襲い掛かろうと……このデヴィッド・リンチばりの怨念のこもった描写は圧巻で、この本を読んだ人間の数だけ、きっと緑色の薄気味悪い権田大作さんが誕生したことだろう。
そういえば昔、誰かの記事でTAJIRIさんの怪談は絶品で、移動中のクルマで聞かされて怖かったと書かれていたのを思い出した。
この件で佐々原は遂に発狂し、深夜の道場に大作を呼び出して対決を迫る。「お前は狂ってる!」と当然それを受けようとせず背を向けた大作に襲い掛かる佐々原。
蹂躙され血みどろになりつつも、大作は佐々原に声をかける。
「弱い奴は怖いものと戦おうとすらしない……!」
しかし、佐々原にそれを聞きとめるだけの理性は最早残されていなかった。
少女の命を救ったことで、本人の苦悩とは裏腹に佐々原の人気と注目度は急上昇。その事故の後の大会のメインイベントのあとで彼は思い悩むことは止め、死ぬまで自分の生きざまを背負ってゆくことを静かに決意した。
自分とは何なのか、強さ、影響力、生き方……何一つわからない、変わらないまま。
最終話。これまでの翔悟一家の物語がプロレスを軸に集約されてゆく。
琴絵のジムの目の前には大資本の運営するジムが進出し、よりによってその広告にはジュリアンナが起用される始末。琴絵はみるみる疲弊し、力尽きようとしていた。あのタウン誌のインタビューも、得意満面な受け答えも、今では被害妄想の源泉でしかなかった。
そんな琴絵を励ましていたのは、あのタツ子。そしてタツ子の言うテレビ関係の男とは、琴絵の夫であり翔悟の父、太一だった。テレビ関係の仕事どころか、太一の職場は電器店で、文字通り売るほどテレビのある職場で働いているだけだったことも露見する。
しかし、このタツ子との邂逅が翔悟の人生を思わぬ形で動かした。
「やるだけやってみて、ダメならやめればいい。何もしないより、ずっといい」
タツ子は、そう言っていた。
そして最終話にして、翔悟の隣に控えめなパートナーが現れた。ゆう子なる少女は「何処にも馴染めない子」だった。学校にも馴染めず、高校に進学せず、同じく進学しなかった翔悟と何となく時を過ごしていた。彼女というわけでもない。ただ一緒に居るだけ。
そんなゆう子が、スーパーのレジ打ちからパン屋さんで働くと言い出した時、翔悟の口からは反射的にプロレスへの愛着が飛び出した。ゆう子がパン屋に就職が決まったと聞いた時には、遂にプロレスのテストを受けると言ってしまった。
言うなれば置いてけぼりを怖がっての、見栄っ張りで軽薄な発言だった。でも、昔からの夢だった。
そうと決まれば行動しなくては……翔悟はバイト先の引っ越し屋に飛び込んで正社員にしてほしいこと、そしてプロレスに受かったらやめさせてほしいことなどを意気込んで伝え、次いで自宅に取って返してノートを開く。プロレス、なぜ、プロレスなのか。色々と書いたけど結局は
りくつぬきに好きだから
という言葉に落ち着いた。新人募集までの時間、トレーニングと仕事に精を出す翔悟に、否が応でも高校3年の自分を重ねてしまう。高校を出てメキシコに入学するまでのわずかな間に、バイトを掛け持ちして少しでも小遣いにしようと精を出した日々。その合間に自己流でトレーニングをして、ワケを知ったバイト先のコンビニの店長であり旧知の近江屋の奥さんに、お弁当やサンドイッチを分けてもらって食べていた。あのひたむきで、何も怖くなかった自分。
そんな自分を励まし、褒めてくれた人達。翔悟の周りにも、そんな人が居る。引っ越し屋さんの人達が口々に彼を労い、激励する。
家に帰る途中、パン屋さんではゆう子が明らかに大人になってゆく瞬間を目撃する。一生懸命に働いて、口紅をつけて。
自宅ではタツ子に見限られた太一が酒に酔っているが、引っ越し屋の宴会で飲まされた翔悟の様子を見て上機嫌になり、そんなタツ子のことをいつもの調子でくさしている。さらに、自らの挫折について口を開きかけたところで、今度は琴絵が姿を見せるが、荒い息をついたまま自室に消える。それで鼻白んだ太一も引き上げ、翔悟は太一とドラマみたいに打ち解けるチャンスを失うものの……ゆう子と琴絵に宿った強さを感じる。そのゆう子は結局、パン屋さんを辞めてしまっていた。そして、夢は自分を窮屈にする、とこぼす。
夢を追いかけて夢中になっていた翔悟には、それは恐ろしい言葉だった。
怒涛のように過ぎた日々はやがて、ニュー日本プロレスの入門テストの当日になった。
テスト当日。翔悟は自らの力不足を知りながらも受験する。試験官は佐々原。そして、その場には権田大作も居た。翔悟は大作を目で追うが、遂に彼に気が付くこともなく。大作自身が翔悟に手渡した赤いタオルにも気づくことはなく。それでも翔悟は、改めてテストを受けるため列に戻った。何者かにならなければ、会いたい人に会うことも出来ない。同じ場所に、居ることすら出来ないのだから。やる前から負けること考える奴がいるかよ、と呟いて。
赤いタオルで結びついた二人の男は、エピローグで共に働いている様子が描かれている。あれから16年もの歳月が流れた。太一と琴絵は離婚することなく暮らし、琴絵は今でも女性専門のパーソナルトレーナーとステンドグラス教室を開きながらプロレス観戦を続けている。太一は経理部長になった。そして権田大作は身寄りもなくリング屋の仕事を失ったものの、翔悟の紹介によって働き、私生活もケアしてもらっているようだ。二人は河原の土手で言葉少なに会話をする。
「何者かになろうとしたんだから、いいんじゃねえのか」
「プロレスがあって、よかったじゃねえか」
それが16年目の、権田の答えだった。そして二人はお揃いの作業着で、引っ越し屋の仕事に戻っていった。
これで完全に、この物語は終わる。
誰しも何者かになりたがり、また何者かになれるとは限らない。でも、なろうと思ってもなれるもんじゃない。その一方で、何者かになったはずの自分が自分を苦しめ、悩ませることもある。
抜粋して上手いことまとめた感想を書ける人も居ると思うけど、書き出さないと説明のつかないことが多くって。それは物語がまとまってないんじゃなく、私が読んだまま、まとまっていないだけなのだけれど。
一人の少年と、プロレスという文化を起点に伸びた道が、やがて中心点に辿り着き、そこからタコ足配線のようにほうぼうに繋がってゆく。交わる筈の無い人々が交わり、すれ違い、思わぬ人の知己を得て、お世話になって生きてゆく。そこに夢や目標、目的、はたまた打算や妄想があろうとなかろうと。
人間は一人では生きてゆけない。でも、独りぼっちになろうとすればトコトン自分を小さく、暗いところに押し込めてしまえる。夢があったから、彼らは行動出来た。それがどんなことであろうと、やるだけやってみた人たちだ。
そういうことは、誰にでも起こりうる。
TAJIRIさんのいう、この本の何処かに必ずあなたが居る、というのはそういうことではないだろうか。少なくとも僕は自分で自分をそう思います。
だってそうじゃなければ、何故、僕は画面の中かリングの上にしか存在しないはずの人と、今でも時々用もないのに連絡をしたり、話をしたり出来ているんだ?自分で飛び込んだ世界から、今の今までずっと僕のことを見限ったり侮ったりしない優しい人と出会えたからじゃないか。と……。この本の感想を書きながら、そんなことも思いました。
翔悟の家出も、太一の身勝手な恋慕と打算も、佐々原の苦悩も、琴絵の栄光と転落も、権田の挫折も……その結末自体は彼らの長い人生の中で起きた、ほんの一時期の出来事に過ぎない。その生き方がどういう答えを呼ぶのか。そこに夢はあるのか。自分は誰かになっているのか。
なったところで、自分は幸せなのか。
あの日の少年とリング屋は紆余曲折を経て、今は幸せだしプロレスがあって良かった、と言えるようになった。それは、やるだけやったからだ。
この本に文句なしのハッピーエンドは書かれていないけど、自分の幸せに向かって行くのは自分の足と意思でしかない、ということなのだと僕は思う。
僕は果たしてあと何年も経って、プロレスがあって良かった、と思えるだろうか。
この先どんな挫折や後悔があっても、また何か夢や生きる道を見つけてゆくことが出来るだろうか。
この本に生きる意味や幸せは書かれていないし、パワーが溢れているわけではない。
でも、それを全部、自分で考えて行動しなくちゃいけないという風に導くプログラムみたいのは含まれている気がする。それが、この本の役割なのかも知れない、と。
面白い!というよりは、凄い本だった…と思う一冊でした。
これがデビュー作だなんて。
プロレスラーが小説家として書いた小説をプロレスで例えることほど失礼な真似は無いと思って、頑なに、それだけは言わず使わずに書いた約一万数百文字ですが、一つだけ言わせて頂くならば。
小説家TAJIRIさんがデビュー作としてこれを上梓したことは、
武藤敬司さんがデビュー戦でムーンサルトプレスを繰り出したようなもの。
だと僕は思います。
素晴らしい小説でした。
でも、早くまたTAJIRIさんにプロレスの話もして欲しくて、
プロレスラーは観客に何を見せているのか
も、実は購入しておりました。小説とプロレス、どちらも楽しみです。
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