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プロレス深夜特急
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「戦争とプロレス」がとても面白かったので、読み終わって早速注文して読み始めました。
一日かけてじっくり読みました。
旅とプロレス、プロレスと思考、生き様、TAJIRIさんは考え続け、歩き続ける。
その「ある時点からある時点まで」を、まるで隣に立っているみたいに描き続けた一冊の本。
欧州、アメリカ、東南アジアの各地を回り、プロレスリングという文化を伝導してゆくTAJIRIさん。
プロレスという新しい文化に魅せられた新しい団体に、意気揚々とした若者と、そんな彼らを育て導く先駆者が居る。
さながら現地の指導者は教会の神父。TAJIRIさんは大祭司のようなもので、しかしどこかズッコケたり飲んだくれたりしているのであまり崇高で光を放ち過ぎない。
そんなところが、きっとこの本の旅路と主人公・タジリサーンを親しみやすくしてくれているのかも知れない。
先駆者といえば、TAJIRIさんがひょんなことから訪れたマルタ共和国で最初にプロレスをした日本人はウルティモ・ドラゴン校長と大原はじめさんだったそうな。
……あの人は世界中の少年の心を奪い、人生を変えてしまっている。そしてそれは、私もそうだった。だけど私はきっと、それが怖くなってしまったのかもしれない。
本の中でTAJIRIさんが言うように、プロレスとは道であり、生き方である。漫然とやろうとするだけでは絶対に生きられない場所。
確かに私はプロレスラーになりたかった。なりたい!と思って筋トレをし、バイトを掛け持ちしてお金を貯め、当時江東区南砂の地下鉄の駅近くにあった闘龍門の事務所で面接を受けた。待合室のテレビでニコラス・ケイジの映画をやっていた。
私にはそこまでが精一杯だった。プロレスという文化に染まり、飲み込まれて初めて、プロレスラーとしての自我を芽生えさせるための、いわば植木鉢のようなものを授かることが出来る。
それがしんどくて、そして怖かったのかな、と。
ウルティモ・ドラゴン校長によって名付けられ、プロレスラーとしての自我を芽生えさせた松山勘十郎さんは、今も「松山勘十郎」のままだ。もう私が知っていた以上に、あの人は
プロレスラー松山勘十郎
を全うし、そのまま生きている。
帰ってきたウルトラマンと地球人・郷秀樹が融合し、最終回で完全に一体化してウルトラマンとして生きることを選んだように、松山勘十郎さんは完全に「松山勘十郎」である。
そんな特撮ドラマみたいなことが本当に起こっているのがプロレスという文化世界であり、そこで生きることは並大抵ではない。
閑話休題。各地でいよいよ「TAJIRI先生のプロレス教室」が始まる。
詳しい内容は本書をご覧いただくとして、TAJIRIさんの教えのなかに、数少ない私自身の経験で思い当たるものがあった。
「受け身を取る場所」
である。闘龍門に入ってしばらくすると、いよいよ受け身の練習が始まった。確か堀口ひろみさん(お元気ですか、練習の初日にぶっ倒れてバスタオルをお借りした佐野です)と、当時メキシコにいらしたMAZADAさんがコーチだった。
来る日も来る日も、何度も練習していると受け身を取ってもあまり痛くない場所と、次の日に肘が曲がらないぐらい痛くなった場所があることに気付いた。
立川談志さんの本(自伝「狂気ありて」)の中でグラン浜田さんとの会話が出てきて、浜田さんが
落ちながら(受け身を取る場所を)探すんです。
と話したとある。
本書・プロレス深夜特急のなかでTAJIRIさんの教えにある「米の字の線」と、浜田さんが言う「落ちながら探す場所」は、きっと同じなんじゃないか。そしてその線から外れたところで下手な受け身をバンバンしてたから、私は肘を傷めたんじゃないかな…?
そういえばアレナ・メヒコでも受け身を取ったことがあった。
入門してすぐ、闘龍門の自主興行があった。その試合開始前の準備で走り回っていたとき、1階のリングサイド席の通路に敷いてあった白いスノコがモップ掛けか何かしたばかりで濡れてて、思いっきり足が滑ったのだ。
ずっぱーーーん!
とすごい音がして、仰臥したまま見上げたアレナ・メヒコの天井がゆっくりと回って見えた。
旅の途中で明かされる、TAJIRIさんにもあった苦悩の日々と選択。
迷いがあったから、そしてそれを振り切ったから、ご自身の使命に気付き、生かされていると思えた。そして続編の戦争とプロレスでは、それは「生き延びた」に変わる。
旅を続け、ふと周りを見渡した時の感慨。そこには喜びや楽しさだけじゃなく、寂寥感や後悔、疑問、改めて思えばなんだったのだろうと思うようなこともいっぱいある。
終着点となる筈だったオランダで、TAJIRIさんが目にした光景。
そしてこの本が出た当時まだTAJIRIさんは日本に居て、海の見える地方の町を探して居た。
アメリカ。秋山準さんと異色タッグで旅をする。そこへ我らが校長が「颯爽と」登場。これは確かにそうで、校長はいつも颯爽と登場して、颯爽と帰ってゆく
時々、今日は道場どころかメキシコにすら居ない(急に「おう、いまイタリアに居るんだけど…」と電話が来たりする)と思ってたら颯爽と登場し、掃除をサボってたのがバレて怒られたりもする。
「俺のワインを作ってる」というのでみんなでワイン農園に向かう場面。プロレスラーがプロレスを離れ、リラックスした時間を過ごす。そんなところでも、プロレスラーとしての自我と、その奥の性格や生き方がにじみ出ている。
しかし、俺の好きなワインを作ってる、じゃなく、ウルティモ・ドラゴンオリジナルラベルのワインを作ってる、という辺りが校長らしい。
そんなゴージャスで爽やかな校長と、TAJIRIさんの良くも悪くもしんどくて泥臭い草の根的な旅路との対比が、結果的に主人公であり書き手であり自身もスーパースターのTAJIRIさんのことが身近に浮き上がっているように見える。そういう構成というか、きっとそうやって色分けをしているんじゃないかなと思う。
行く先々で恩恵を受ける自身の名声、知名度と裏腹に蔓延する、
WWEスタイル、およびプロレスの真似事
に頭を悩ませ心を痛めているTAJIRIさん。
マレーシア、シンガポール、香港……アジアの各地に産み落とされたプロレスという新しい文化を育て、守るためには、指導者や技術も本物でなくてはならない。
どうすればいいのでしょうか、と熱心にアドバイスを求める新進気鋭の若者に、TAJIRIさんはかつて自分にも送られた言葉を返す。
数をこなすしかない(Lucha,Lucha,Lucha!)、と。
同時に、どこかで線を引くことも必要なのだろう。良いものは取り入れるが、そこにはしんどいけど大事なものがちゃんと備わってなくちゃならない。
今や日本中に存在するローカルインディー団体とアマチュアプロレス、学生プロレスとの差と、世界各国で芽生えている未成熟なWWEスタイルの団体たちとの差とは、一体なんなのだろう。
自分自身の挫折と愛着を差し引いて考えなくちゃならないけど、例えば風変わりで前例のないことをするなら、当たり前の基礎と万が一の責任が大前提であるわけで。
それが出来ていないまま前に進んでもろくなことはないし不幸を生む。折角のプロレスという文化が、その場所では途絶えてしまう可能性すらあるのだ。
フィリピン、シンガポールなど南国の夜にTAJIRIさんの哲学とプロレス道が紐解かれる。プロレスとは、キャラクターを見せるもの。技とは、その紹介と裏付けのために選ぶもの。
そこにキャラクターと技術があるから、プロレスは成り立っている。
ここで腑に落ちたのが以前、私が見て腹がたった試合のこと。あれはキャラクターと技術の出来上がった試合を、未熟者がぶち壊したから、だった。
大仁田厚さんが試合に乱入し、ぶち壊しても腹が立たない、もしくは、それが成り立つのは「大仁田厚」として完成されているからだ。その模倣にすら及ばない奴に、その荷は背負えない。それを出る側も出す側もわかっていなかったか、あれすら身内ネタだったか。どちらにしてもろくでもなかったし、こういうこともまた世界各地で起こっているのだろう。
単に有名選手と同じ技と動きをする、宙返りや寝技の攻防が出来てると思っているのが
プロレスをしている
に値しない理由はここで、私がアマチュアや学生のやるのを見て
彼らはちゃんとプロレスが出来てる
という奴の言葉を見聞きして内心ハラワタを煮やしているのもコレだ。
もちろん自己嫌悪や後悔も多分に含んでいるが、
場所と時間を決めて椅子を並べたうえで怒鳴ったり蹴飛ばしたり取っ組み合ったり、単にやりゃあいい、ってもんじゃないのだ。
やりたくでも出来ない奴等の諦めで塗り固めた壁をぶち抜いた者だけが上がれるのがリングで、出来るのがプロレスで、それを指してプロレスラーと呼ぶのだ。
TAJIRIさんとは、そう言う人なのだ。
国も団体も街も越え、何処までも自分のプロレスが貫ける人。そういう人が、古今東西のプロレスラーの中ですら他に何人いるだろうか。
巻末の対談のなかにあるTAJIRIさんと朱里さんの行ったファミレスは、道場から少し歩いたVIPSだろうか……。
あそこはコーヒー頼むとマジの牛乳のテトラパックを幾らでも出してくれるしコーヒーのお代わりも自由(さすがメキシコ)だった。
カップが空になると、マス・カフェ?(コーヒーおかわりは?)とオバチャンが来ておかわりをくれる。エプロンのお腹のポケットに牛乳のテトラパックがわんさか入っていて、ドラえもんみたいに幾つでも出してくれた。
そこで松山勘十郎さんと、延々プロレスの話をしてた。
どんなレスラーになりたい?
どこへ行きたい?
誰と戦いたい…?
あとプロレスラーしりとり。
己の生き様について考えなくなったら、生物学的に生きられはしても、生命に風が吹かなくなる。自分で自分にフタは出来ない、それでは人前で裸になれない。自分を曝け出せないということなのだろう。
どう生きたいか
何処へ行きたいか
ずっと考えて、心を動かし呼吸させる手段が、みんなそれぞれにあって。
TAJIRIさんの場合は、旅とプロレス。プロレスラーで在ること、なのかも。
そういう手段を持ち、発信できて、いつも誰かに見られているというのは怖いようで憧れる。それを実践する人達が、とても眩しく思う。
戦争とプロレスではTAJIRIさんの書き記した「旅(物理的移動+思考)」を追いかけてゆくように読んでいたけれど、今回はより「プロレスとは」というものについても書かれていて(というより本書がこうだったから続編では旅成分が増していたのか)、それを見て自分なりに考えることも楽しい一冊でした。
「文系モドキプオタ」としては、書きたいこと、思い出したこと、常々思ってたけどあまり言わない方がいいんだろうなーってこと、が溢れてきて、なんだか随分長話をしてしまいました。
少年とリング屋も予約しました!
リング解体のお手伝いは地方インディープロレス観戦における、試合後のお楽しみ、でした。
そんなことをまた思い出しながら、楽しみにお待ちしております。
一日かけてじっくり読みました。
旅とプロレス、プロレスと思考、生き様、TAJIRIさんは考え続け、歩き続ける。
その「ある時点からある時点まで」を、まるで隣に立っているみたいに描き続けた一冊の本。
欧州、アメリカ、東南アジアの各地を回り、プロレスリングという文化を伝導してゆくTAJIRIさん。
プロレスという新しい文化に魅せられた新しい団体に、意気揚々とした若者と、そんな彼らを育て導く先駆者が居る。
さながら現地の指導者は教会の神父。TAJIRIさんは大祭司のようなもので、しかしどこかズッコケたり飲んだくれたりしているのであまり崇高で光を放ち過ぎない。
そんなところが、きっとこの本の旅路と主人公・タジリサーンを親しみやすくしてくれているのかも知れない。
先駆者といえば、TAJIRIさんがひょんなことから訪れたマルタ共和国で最初にプロレスをした日本人はウルティモ・ドラゴン校長と大原はじめさんだったそうな。
……あの人は世界中の少年の心を奪い、人生を変えてしまっている。そしてそれは、私もそうだった。だけど私はきっと、それが怖くなってしまったのかもしれない。
本の中でTAJIRIさんが言うように、プロレスとは道であり、生き方である。漫然とやろうとするだけでは絶対に生きられない場所。
確かに私はプロレスラーになりたかった。なりたい!と思って筋トレをし、バイトを掛け持ちしてお金を貯め、当時江東区南砂の地下鉄の駅近くにあった闘龍門の事務所で面接を受けた。待合室のテレビでニコラス・ケイジの映画をやっていた。
私にはそこまでが精一杯だった。プロレスという文化に染まり、飲み込まれて初めて、プロレスラーとしての自我を芽生えさせるための、いわば植木鉢のようなものを授かることが出来る。
それがしんどくて、そして怖かったのかな、と。
ウルティモ・ドラゴン校長によって名付けられ、プロレスラーとしての自我を芽生えさせた松山勘十郎さんは、今も「松山勘十郎」のままだ。もう私が知っていた以上に、あの人は
プロレスラー松山勘十郎
を全うし、そのまま生きている。
帰ってきたウルトラマンと地球人・郷秀樹が融合し、最終回で完全に一体化してウルトラマンとして生きることを選んだように、松山勘十郎さんは完全に「松山勘十郎」である。
そんな特撮ドラマみたいなことが本当に起こっているのがプロレスという文化世界であり、そこで生きることは並大抵ではない。
閑話休題。各地でいよいよ「TAJIRI先生のプロレス教室」が始まる。
詳しい内容は本書をご覧いただくとして、TAJIRIさんの教えのなかに、数少ない私自身の経験で思い当たるものがあった。
「受け身を取る場所」
である。闘龍門に入ってしばらくすると、いよいよ受け身の練習が始まった。確か堀口ひろみさん(お元気ですか、練習の初日にぶっ倒れてバスタオルをお借りした佐野です)と、当時メキシコにいらしたMAZADAさんがコーチだった。
来る日も来る日も、何度も練習していると受け身を取ってもあまり痛くない場所と、次の日に肘が曲がらないぐらい痛くなった場所があることに気付いた。
立川談志さんの本(自伝「狂気ありて」)の中でグラン浜田さんとの会話が出てきて、浜田さんが
落ちながら(受け身を取る場所を)探すんです。
と話したとある。
本書・プロレス深夜特急のなかでTAJIRIさんの教えにある「米の字の線」と、浜田さんが言う「落ちながら探す場所」は、きっと同じなんじゃないか。そしてその線から外れたところで下手な受け身をバンバンしてたから、私は肘を傷めたんじゃないかな…?
そういえばアレナ・メヒコでも受け身を取ったことがあった。
入門してすぐ、闘龍門の自主興行があった。その試合開始前の準備で走り回っていたとき、1階のリングサイド席の通路に敷いてあった白いスノコがモップ掛けか何かしたばかりで濡れてて、思いっきり足が滑ったのだ。
ずっぱーーーん!
とすごい音がして、仰臥したまま見上げたアレナ・メヒコの天井がゆっくりと回って見えた。
旅の途中で明かされる、TAJIRIさんにもあった苦悩の日々と選択。
迷いがあったから、そしてそれを振り切ったから、ご自身の使命に気付き、生かされていると思えた。そして続編の戦争とプロレスでは、それは「生き延びた」に変わる。
旅を続け、ふと周りを見渡した時の感慨。そこには喜びや楽しさだけじゃなく、寂寥感や後悔、疑問、改めて思えばなんだったのだろうと思うようなこともいっぱいある。
終着点となる筈だったオランダで、TAJIRIさんが目にした光景。
そしてこの本が出た当時まだTAJIRIさんは日本に居て、海の見える地方の町を探して居た。
アメリカ。秋山準さんと異色タッグで旅をする。そこへ我らが校長が「颯爽と」登場。これは確かにそうで、校長はいつも颯爽と登場して、颯爽と帰ってゆく
時々、今日は道場どころかメキシコにすら居ない(急に「おう、いまイタリアに居るんだけど…」と電話が来たりする)と思ってたら颯爽と登場し、掃除をサボってたのがバレて怒られたりもする。
「俺のワインを作ってる」というのでみんなでワイン農園に向かう場面。プロレスラーがプロレスを離れ、リラックスした時間を過ごす。そんなところでも、プロレスラーとしての自我と、その奥の性格や生き方がにじみ出ている。
しかし、俺の好きなワインを作ってる、じゃなく、ウルティモ・ドラゴンオリジナルラベルのワインを作ってる、という辺りが校長らしい。
そんなゴージャスで爽やかな校長と、TAJIRIさんの良くも悪くもしんどくて泥臭い草の根的な旅路との対比が、結果的に主人公であり書き手であり自身もスーパースターのTAJIRIさんのことが身近に浮き上がっているように見える。そういう構成というか、きっとそうやって色分けをしているんじゃないかなと思う。
行く先々で恩恵を受ける自身の名声、知名度と裏腹に蔓延する、
WWEスタイル、およびプロレスの真似事
に頭を悩ませ心を痛めているTAJIRIさん。
マレーシア、シンガポール、香港……アジアの各地に産み落とされたプロレスという新しい文化を育て、守るためには、指導者や技術も本物でなくてはならない。
どうすればいいのでしょうか、と熱心にアドバイスを求める新進気鋭の若者に、TAJIRIさんはかつて自分にも送られた言葉を返す。
数をこなすしかない(Lucha,Lucha,Lucha!)、と。
同時に、どこかで線を引くことも必要なのだろう。良いものは取り入れるが、そこにはしんどいけど大事なものがちゃんと備わってなくちゃならない。
今や日本中に存在するローカルインディー団体とアマチュアプロレス、学生プロレスとの差と、世界各国で芽生えている未成熟なWWEスタイルの団体たちとの差とは、一体なんなのだろう。
自分自身の挫折と愛着を差し引いて考えなくちゃならないけど、例えば風変わりで前例のないことをするなら、当たり前の基礎と万が一の責任が大前提であるわけで。
それが出来ていないまま前に進んでもろくなことはないし不幸を生む。折角のプロレスという文化が、その場所では途絶えてしまう可能性すらあるのだ。
フィリピン、シンガポールなど南国の夜にTAJIRIさんの哲学とプロレス道が紐解かれる。プロレスとは、キャラクターを見せるもの。技とは、その紹介と裏付けのために選ぶもの。
そこにキャラクターと技術があるから、プロレスは成り立っている。
ここで腑に落ちたのが以前、私が見て腹がたった試合のこと。あれはキャラクターと技術の出来上がった試合を、未熟者がぶち壊したから、だった。
大仁田厚さんが試合に乱入し、ぶち壊しても腹が立たない、もしくは、それが成り立つのは「大仁田厚」として完成されているからだ。その模倣にすら及ばない奴に、その荷は背負えない。それを出る側も出す側もわかっていなかったか、あれすら身内ネタだったか。どちらにしてもろくでもなかったし、こういうこともまた世界各地で起こっているのだろう。
単に有名選手と同じ技と動きをする、宙返りや寝技の攻防が出来てると思っているのが
プロレスをしている
に値しない理由はここで、私がアマチュアや学生のやるのを見て
彼らはちゃんとプロレスが出来てる
という奴の言葉を見聞きして内心ハラワタを煮やしているのもコレだ。
もちろん自己嫌悪や後悔も多分に含んでいるが、
場所と時間を決めて椅子を並べたうえで怒鳴ったり蹴飛ばしたり取っ組み合ったり、単にやりゃあいい、ってもんじゃないのだ。
やりたくでも出来ない奴等の諦めで塗り固めた壁をぶち抜いた者だけが上がれるのがリングで、出来るのがプロレスで、それを指してプロレスラーと呼ぶのだ。
TAJIRIさんとは、そう言う人なのだ。
国も団体も街も越え、何処までも自分のプロレスが貫ける人。そういう人が、古今東西のプロレスラーの中ですら他に何人いるだろうか。
巻末の対談のなかにあるTAJIRIさんと朱里さんの行ったファミレスは、道場から少し歩いたVIPSだろうか……。
あそこはコーヒー頼むとマジの牛乳のテトラパックを幾らでも出してくれるしコーヒーのお代わりも自由(さすがメキシコ)だった。
カップが空になると、マス・カフェ?(コーヒーおかわりは?)とオバチャンが来ておかわりをくれる。エプロンのお腹のポケットに牛乳のテトラパックがわんさか入っていて、ドラえもんみたいに幾つでも出してくれた。
そこで松山勘十郎さんと、延々プロレスの話をしてた。
どんなレスラーになりたい?
どこへ行きたい?
誰と戦いたい…?
あとプロレスラーしりとり。
己の生き様について考えなくなったら、生物学的に生きられはしても、生命に風が吹かなくなる。自分で自分にフタは出来ない、それでは人前で裸になれない。自分を曝け出せないということなのだろう。
どう生きたいか
何処へ行きたいか
ずっと考えて、心を動かし呼吸させる手段が、みんなそれぞれにあって。
TAJIRIさんの場合は、旅とプロレス。プロレスラーで在ること、なのかも。
そういう手段を持ち、発信できて、いつも誰かに見られているというのは怖いようで憧れる。それを実践する人達が、とても眩しく思う。
戦争とプロレスではTAJIRIさんの書き記した「旅(物理的移動+思考)」を追いかけてゆくように読んでいたけれど、今回はより「プロレスとは」というものについても書かれていて(というより本書がこうだったから続編では旅成分が増していたのか)、それを見て自分なりに考えることも楽しい一冊でした。
「文系モドキプオタ」としては、書きたいこと、思い出したこと、常々思ってたけどあまり言わない方がいいんだろうなーってこと、が溢れてきて、なんだか随分長話をしてしまいました。
少年とリング屋も予約しました!
リング解体のお手伝いは地方インディープロレス観戦における、試合後のお楽しみ、でした。
そんなことをまた思い出しながら、楽しみにお待ちしております。
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