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大仁田コールは鳴り止まない

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元々、興味を持っていたプロレスにハマったきっかけは幾つもあった。
結局その時々それぞれのタイミングが良かったんだと思う。
そして数ある「タイミング」の中でも際立ってデカい出来事が、ある日の夜、いつものようにワールドプロレスリングを見ている時に起こった。

確か冬のことだった。シリーズの最中、何処かの地方大会で突然リングに乱入して来た黒いニットキャップに革ジャンの男。なんとそれは邪道・大仁田厚。

大仁田厚さんという人をご存じない方のためにザックリ申し上げると
・元々はジャイアント馬場さんが旗揚げした全日本プロレスに入門、馬場さんの弟子として1974年にプロレスラーとしてデビュー。
・当時のプロレスの本場、アメリカはテキサス州にて世界ジュニアヘビー級チャンピオンにも輝き、日本に凱旋帰国
・しかし膝を故障し、それが元で85年に「最初の」引退。壊れてしまった膝は90度以上曲がらないと言われている
・しかし88年に突如、プロレス復帰。翌89年には自らのプロレス団体FMW(エフエムダブリュー、フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング)を旗揚げする。元手となった資金が、たった5万円だった事も有名。
・FMWでは通常よく知られるプロレス以外にメキシコ直輸入のルチャ・リブレや女子プロレスの試合も盛り込んだ。大仁田さん曰く「おもちゃ箱をひっくり返したようなプロレス」を標榜したとのこと。
・またキックボクシングや柔道などとの異種格闘技戦や、有刺鉄線、地雷、金網などを用いた過激なデスマッチを次々と実行。1990年には世界初のノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチをも敢行した。
・それらの戦いが支持を集め、通称「涙のカリスマ」(試合後のマイクアピールでよく感極まって号泣していたため)として日本のインディープロレス団体の開祖となる。
・流血、爆破、何でもありのデスマッチは賛否両論を巻き起こし、既存団体のファンや選手関係者からは 邪道 だと言われるが、本人はそれをも自らのキャッチフレーズとし、邪道を邁進する。
・FMWの知名度向上のため、大仁田厚さんはタレントとしても活躍。全国区の人気者となる。
・しかし1994年、天龍源一郎さんとの金網有刺鉄線電流爆破デスマッチに敗れたのち引退を表明。
・95年、FMW川崎球場で2度目の引退試合を行う。
・96年、3度目の復帰。この辺りから誰も大仁田厚さんは「本当に」引退するつもりなんかないのでは…と思い始める(実際、このあと引退と復帰を数度繰り返すことになる。けど、それはまた別の話……)。
・98年、自ら旗揚げしたFMWを離脱するも、新日本プロレスに乗り込んで長州力さんに挑戦を表明。電流爆破デスマッチでの対戦を要求する

と、ココまでの流れはこんな感じ。大仁田厚さんは、そういう経緯で私が欠かさず見ていたワールドプロレスリング(新日本プロレスのテレビ中継番組)に登場したのであります。

大仁田さんはリングに滑り込むとマイクを引っ掴み、うなりを上げて飛んでくる大ブーイングにも構わず、オイ!オイ!オイ!オイ!のアジテーションのあとで
「オイ長州、長州、出てこい!!」
と、当時引退していた長州力さんを執拗に挑発したのであった。あろうことか
「オレと電流爆破デスマッチで戦え!」
とも言い放った。相手は引退しているうえに、あの長州力だ。

今でこそタレントとして柔和な表情を見せたり、天然ボケを炸裂させてみんなを楽しませてくれる長州さん。
だがこの当時は引退したばかりで、現役時代さながらの気難しさ、頑固さを見せていたし、アマチュアレスリングの元オリンピック選手でもあったうえ新日本プロレスと全日本プロレスをまたにかけて大活躍。正統派でありながら素早く、パワフルな攻撃を主体とした
ハイスパートレスリング
で日本マット界に世代も団体も越えた一大革命を起こしてしまった、あの長州力そのままだった。
デスマッチやインディープロレスに対しては厳しい持論を持ち、実際にUWFや他のインディー団体との対抗戦を行ったこともある。
ただし実力のある選手、自らが可能性を認めたうえに努力を惜しまない選手はインディーだろうとリングに上げる度量も持ち合わせていた。大仁田さんが旗揚げしたFMWで育ったハヤブサ選手は新日本プロレスのビッグマッチに出場、大活躍を見せたこともあるほどだ。
んが、それとこれとはハナシが完全に別。
ハッキリ言えばハヤブサさんは正統派であり、新日本プロレスはおろか晩年のジャイアント馬場さんにも認められ全日本プロレスにも出場するほどの実力と可能性、そしてスター性を秘めていた。
大仁田さんに無い物をハヤブサさんが全部持っていたと思えばわかりやすい。
だからこそ大仁田さんは邪道を邁進し血まみれになることも厭わなかったが、そんな大仁田厚というプロレスラーを、当時の長州力さんが認める筈がない。
誰もが当時そう思って疑わなかったのだ。

要するに何もかもが無茶苦茶で、絶対に実現することは無いと思っていた。プロレスを見ていれば、何か大きなことを言ってブチ上げたプランや団体がその通りに実行されずに、いつの間にかシレーっと終わって跡形もなくなってることなんかザラにあった。何が起こるかわからない。でも、何も起こらなくても不思議ではない。それがプロレス界の摩訶不思議なところ(物凄い丁寧で綺麗な言い方)である。

プロレスファンからしても当時の見方は、概ね
・まぁた大仁田が何か言い出したぞ
・長州が出てくるわけないだろ
・大仁田なら何かやってくれるかもな、とりあえず様子見か…
・ふざけるな! 大仁田を新日本のリングになんか上げるな!
・そうだそうだ長州出てこい! 大仁田さんと勝負しろ!
と、こんな感じだったと思う。
世間というのは冷たいようで、ひとたびコトが起こると一応その結末は見届けようと思ってくれるのが人情でもあり。熱烈な新日本・長州シンパと熱狂的インディー、大仁田シンパを除いては、やっぱりみんな興味津々でコトの成り行きを追っているようであった。

しかして一度や二度の大ブーイングや門前払いで諦める大仁田さんではなく、長州さんに向けた挑発は週を追うごとにエスカレートしていった。
何処の会場にも忽然と現れ、新日本プロレスファンの憎悪を一身に浴びながら言いたいことを怒鳴ったらサーっと去ってゆく。そしてその舞台裏でも、大仁田さんはワールドプロレスリングの実況を担当していたテレビ朝日の真鍋アナウンサーを捕まえて問答を始める。
長州力と大仁田厚の試合が見たいか!?
長州力が電流爆破のリングに上がるところを見たいか!!
このやり取りがそのまま放送され、やがて人気を博していく。そして気が付くと私はその虜になってしまったのだ。それもよりによって、大仁田さんの方に。

長州さんが戻って来るとか来ないとか以前に、大仁田さんの辻説法じみたマイクアピールやカメラに向かって吠える姿を目の当たりにして、完全にアテられてしまったのである。
中学1年のプロレス好きの肥満児の座右の銘は邪道となり、近隣のレンタルビデオ店すべての「プロレス・格闘技」や「スポーツ」といった棚の、数少ないレパートリーを何度も見た。川崎球場での数々のデスマッチや、濃厚過ぎてコクしかない異種格闘技戦(上田勝次さんとかベリチェフ、好きだったな)、男子以上に壮絶な女子プロレスなどなど。
そうしてインディープロレスに開眼する一方で、1999年当時の大仁田さんが長州さんを追い掛けるストーリーにも夢中になっていった。

結果、大仁田厚は不可能を可能にした男になった。
絶対に実現しないと思われていた
長州力VS大仁田厚の、ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ
が、新日本プロレス横浜アリーナ大会で行われることになったのである。
すっかりウェルダンで火の通った大仁田シンパとなっていた私からすれば、いつものように地雷とか時限爆弾とか有刺鉄線バリケードが出てこない(どんな団体だ)代わりに「対戦相手が長州力」という超ド級のデスマッチであった。

当然と言うべきかなんというか、試合は長州さんの圧勝だった。
電流爆破も含めコテンパンにされた。一度は関節技を仕掛けられるも、自ら有刺鉄線を掴んで爆破してエスケープするという離れ業も見せたが……最後はレフェリーストップによって試合が止められた。しかし、それを見届けた真鍋アナウンサーは絶叫した。
「大仁田はギブアップしていない! 大仁田はギブアップしませんでした!」
勿論、邪道シンパの私がこれしきのことでガッカリすることも無く。
大仁田、よくぞやった!
大仁田、ありがとう!!
とテレビの前で感涙し、涙声で叫ぶ真鍋アナウンサーの実況も相まって大変にココロを打たれてしまっていた。

そんなすっかり大仁田シンパになった頃に見つけた一冊の本が、
今も手元にある。
真っ赤な表紙に殴り書きしたようなフレーズで
ふざけんな!オレは本気だ!
とだけ書いてある、1991年に出版された大仁田厚さんの自伝だった。
中学1年の私は1999年になってコレを読んで、ますます「大仁田厚の世界」にのめり込んでゆく。

長崎県に産まれて、両親の離婚を経て、感受性が強く言い出したら聞かない性格の少年は日本地図を見ているうちに
オレは世界を見る前に、日本を全然知らないな
と思って、そのまま高校を退学して徒歩で日本一周の旅に出る。
野宿したり、お寺に泊めてもらったり、優しい人に出会ったりする。そして雨宿りした木立の影から、雨雲の切れ目から陽光が差し込むシーン(確か山陰地方の話だった気がする)なんかは、とても美しかった。

日本一周を断念し、次に待っていたのが全日本プロレス入団だった。
冒頭で説明した通り大仁田さんは馬場さんの下(もと)で修業を積み、やがて世界チャンピオンにもなるが膝の故障により引退。
その後はタレントになるも事業を興して成功するもバブル崩壊で没落。その時に女子プロレス団体が新たに旗揚げされることになり、そのコーチとして招かれたのが端緒となった。

私が子供の頃、大仁田厚さんは既に何でもありの過激プロレス団体FMWの象徴として時代の寵児となっていて、積極的にタレント活動も行っている時期だった。
テレビでたけし軍団の人を突き飛ばしたり怒鳴ったりしている、あのロン毛で絆創膏の怖い人が実はプロレスラーだった、ということを知るのは、自分がプロレスに関心を持つようになってからだった。

何しろ幼稚園とか小学校低学年の頃なんか、アントニオ猪木さんもジャイアント馬場さんも、テレビで見る人はみんな芸能人としてひとくくりだったし、歌手も俳優もプロレスラーもあったもんじゃなかった。

中学に入り、すっかりプロレスマニアのタマゴとして孵化しようとしていた私は情報に飢えていた。そこで出会ったこの本も、貪るように読み耽った。
テレビの中の大仁田さんと、過去の大仁田さんとが徐々に繋がって行くのが楽しくて、でも何度も引退をしていることとか、2度目の感動的な引退も覆して今こうして活躍しているとか、色んなこともわかってきて。

結論としては、もうこれは「大仁田厚という現象」を追っているのだ、と思うことにした。これは今でも実際そう思ってて、もう誰も止めたり辞めさせたりすることなど出来ない、いわば気温の変化や気象の移り変わりと同じ。
大仁田さんは、生きてそこにいる限り常に何かしら発信を続け、支持を得ている。賛否両論を巻き起こしつつも目が離せなくなる。そういう人なのだ。

今こうして書いているこの文章だって、大多数は椎名誠さんの影響なんだけど、もう一つは、この時に読んだ大仁田さんの自伝みたいな文章。
ぶっきらぼうに区切って、言葉を短く、リズムよく並べた、こんな感じの文章。
その影響がとても強いんだ。
↑この部分、大仁田さんの本やインタビュー記事が手近にある人は読み比べてみるとイイよ、ホントにまんまな部分があるから……。

この本は子供の頃の私にとって、とても大事な一冊になった。
大仁田さんに対する印象は、その後も色々と変わっていった。あきれ果ててしまったこともあったし、批判的なことをミクシィかアメーバブログに書いたこともあった。もうどっちも消しちゃったけど、そういう時期もあった。
でもそれはアンチというより、
何べんも何べんも出たり入ったりしやがって、もう面倒見切れねえよ!
と愛想を尽かしてしまったこともあったってことだ。

高校生日記や大仁田興行と呼ばれるプロレスの試合のビデオなど、他にももっと沢山の本や資料を買い集めたけど、売ってしまったり貸したまんまだったりして、この真っ赤な本しか残ってない。

今では引退も復帰も大仁田さんが生きてる以上は自然と巻き起こる現象の一つだと思って納得するようになって久しい。
そして最近ふとこの本を読み返した時に、ある一説が目に入った。

それは大仁田さんがFMWを旗揚げし、再びプロレスラーとして生きることを選んだことについて
「オレの純粋な心の一部であるプロレスを、オレはもう二度と捨てたくない」
という部分だった。

1991年にこの本が出てから、2021年の今年でちょうど30年。私の手元に来たのは1999年頃だったと思う。
30年たった今でも大仁田さんはプロレスを捨てていなかったんだ……!
2度目の引退からの復帰で世紀の大ウソつきと呼ばれ、散々ブーイングを浴び、しかしこれまでの生涯でその何倍もの大仁田コールを浴びて来たカリスマは、実はまわりまわって、壮大な有言実行を成し遂げているんじゃないか。と気が付いた。

大仁田厚さんの本気を、35歳になって今また思い知った。そんな読書録と青春の思い出です。
ここまでご覧くださった皆様にとっても、大仁田厚というプロレスラーに対しては色んな考えがあると思います。是非ここへぶつけてください。

私は、いい意味で言えば悟りました。そうでなければ、諦めました(笑)
この人がプロレスを捨てることが無いように、プロレスもまた大仁田厚さんを捨てることは決して無いでしょう。そしてそれは私のような観念を持つに至ったファンも同じです。涙のカリスマが最後の最後の戦いを遂げるまで。
それを見つめてゆくことが、これからの楽しみの一つでもあります。

自分が一度好きになったら、それを堂々と追い掛ければいい
あの日テレビの中で吠えていたあの人が、結局いまでも大好きなんじゃ!!
ボンッ!(マイクをリングに叩きつける音)
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