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川田コールは鳴りやまない。
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もうこの手のタイトルはコレで通すのもアリっちゃアリだな…
先日、小橋建太さんの話(「小橋コールは鳴りやまない))を書いてTwitterやFacebookで宣伝したところ沢山の方がご覧くださいました。ありがとうございます。そしてなんと小橋建太さんご本人がツイートをご覧くださり、いいねとリツイートまでしてくださいました…!
さらに今日(2021年8月17日)見たら、私のアカウントをフォローしてくださってました。ビックリして二度見しました。この場を借りて、重ねてお礼申し上げます。ありがとうございます。
その次は三沢光晴さんのお話でした。三沢さんは早くに亡くなられてしまったため、今でも色んな事を想像しては寂しく思ったり、返す返すも残念だなと思ったりで、つい湿っぽくなっちゃうのですが……こちらも多くの方々にご覧いただけて嬉しいです。ありがとうございます。
そして、こうして四天王プロレスの話をしていると、誰の話から始めても、絶対最後はこの人の話になるのが、デンジャラスKこと川田利明さん。もちろん田上さんも強いし凄いんだけど、その田上さんと組んで三沢・小橋組を散々追い詰め、シングルでも頂点を競い合う熾烈な戦いを繰り広げていた川田さんを抜きに平成の全日本プロレスは語れない。
私が初めてテレビで全日本プロレスを見たのは、99年1月の大阪府立体育会館における三沢さんとの三冠戦。
あの伝説的超危険技、三冠パワーボムの試合だった。
あんな酷い技は、後にも先にもコレだけだ。
物心ついて30年以上プロレスを見ているけど、今でもアレより酷い技は出ていないし、何より川田さんご自身があの技を出したのはたったの二度。
三沢さんと、もう一人の相手は武藤敬司さんだった。
「川田利明が現役中、三沢光晴と武藤敬司にしか繰り出さなかった超危険技」
これで三冠パワーボムが如何なる技であるか、知らない人でも何となく想像してもらえると思う。見たらビックリするよ。YouTubeのGAORA公式チャンネルに川田さんと武藤さんの試合があるから見てみるといいよ。
そんなわけで初めての全日本プロレス、初めての三冠ヘビー級選手権……もとい、
私が見た「初めての川田利明」はインパクト抜群だった。
鍛え上げた褐色の肉体、鋭いキック、バックドロップもパワーボムも威力抜群。
武骨で無口で質実剛健、派手さよりも実力で勝負の、兎に角プロレスに真っすぐな人。そんな印象だった。
スポーツライクなプロレス。一時期そんな言葉が専門誌やスポーツ新聞に見受けられた。
いわゆる遺恨、嫉妬、裏切りなどの絡まない、凶器やデスマッチなどの仕掛けも使わない。言いたいこともやりたいことも全部リング上でのみ表現し、ひたすら己の力と技でぶつかりあう極限のスポーツ。それがスポーツライクなプロレスの行きついた先であり、四天王プロレスだったと思う。
その四天王プロレスの一角にあって川田さんは最も寡黙で、最も過激な攻撃を繰り出していた。
相手の顔面を狙って飛び上がり真正面から蹴飛ばすデンジャラスキックは衝撃的だったし、自ら走り込んで、ロープに振って、走って来る相手にカウンターで、コーナーポストに釘付けにして、そしてコーナー最上段から飛んできた相手の顔面を下から狙いすました対空キックまで。いろんな場面で、いろんなバリエーションのキックが飛び出すのが川田さんの魅力であり、怖さだった。
テレビからちょっと目を離すその一瞬で、さっきまで攻めてた対戦相手が顔を押さえて蹲っている、なんてことが何度あったか。
入場曲のHoly Warもカッコいいんだよな。
ただあれ、昔ゴングメイト(週刊ゴングの読者コーナー)の常連投稿者だった人が漫画にしててさ
川田利明さんが「自分のテーマ曲に歌詞を付けてみました。かわだーとしーあきー♪かわだーとしーあきー♪」って歌うってネタが載ってて。それ以来、ずっと
かわだーとしーあきー♪
かわだーとしーあきー♪
って、頭の中で歌っちゃうんだよな…。あの常連の人は、とにかく川田さんのファンだったらしくて、何があっても、全日本プロレスがノアと分裂してもずっと川田さんの漫画を描いて投稿していた。
それが、三沢さんの事故の後、パタっと止まった。
投稿コーナーどころかゴングごとなくなってしまって暫くして、あの人どうしてるかなとネットで調べたら、その人のブログだか、ホームページを見つけたことがあった。
何処をどう辿ったのか、検索した言葉も忘れてしまったし、もう投稿者さんの名前も覚えていない。
ただ、その人は、やっぱり三沢さんと川田さんのことが大好きで……だから、あれ以来書かなくなってしまっていたと書いてあった。ような覚えがある。
もうそれ自体も何年も前で、何から何までボンヤリしてて申し訳ないのだけれど
もし、いま私が一連の、あの四天王プロレスの時代、みんなで握り拳を作って2.99の一瞬に酔いしれた頃の話をしているのを、ハッシュタグでも、誰かのリツイートでも、私がしつこく告知してるのでも見かけたら……もしよろしければ、ご一報ください。
私は同じ時期にゴングメイトに投稿していたHN地団駄ボムというものです。
私の事は覚えていらっしゃることは無いと思いますが、私はあなたの描いた全日漫画が大好きだったのです。お元気でしたら何よりです。
閑話休題。
全日本プロレス四天王の中でも三沢さんや小橋さんは華やかでさわやかなイメージがあって、田上さんは巨体とは裏腹に気の優しいところが知られているように、川田さんの寡黙で不愛想に見えるけど真面目にプロレスに取り組んでいるところや、三沢さんとのライバル関係は、当時からプロレスファンに愛され(そしてたまには投稿コーナーでネタにされ)ていたのだ。
私が全日本プロレスを初めてテレビで見て、追いかけ始めて、すぐのことだった。
ジャイアント馬場さんが亡くなり、新体制で動き始めた全日本プロレスは間もなく未曾有の危機に陥ることになった。
三沢光晴さんが新団体、プロレスリング・ノアを旗揚げ。全日本プロレス所属選手の殆どが移籍していったのだ。
プロレスリング・ノアは大所帯で華やかな船出を迎えることになり、三沢さんと小橋さんはGHCヘビー級王座を巡ってここでも死闘を繰り広げることになる。
一方で斜陽を迎えた全日本プロレスは新日本プロレスとまさかの対抗戦勃発。その矢面に立ったのが川田さんだった。全日本の看板を背負った川田さんと佐々木健介さんの試合は燃えたねえ。
お互いに武骨で、特に当時の佐々木健介さんは本当に不器用で飾り気のない、叩き潰すプロレスが信条だった。が、それがゆえに川田さんは対処しやすかったんじゃないだろうか。
私の大好きな全日本の最強外人レスラーの一人でもあるスティーブ・ウィリアムスがまさにそんな感じで、とにかく強いし潰しに来る。
そのウィリアムスを破って三冠王座を奪取したこともある川田さんにしてみれば、アウェイであっても自分の土俵だったんじゃないかな。
何にせよ、あのゴツゴツバチバチの果し合いみたいな夢の対決は、なんというか人間サイズの怪獣が戦ってるみたいな迫力があって、リアルタイムで見れたのが本当に幸せだったと思う。
その試合が行われる前、新日本プロレス真夏の恒例行事ことG1クライマックスに渕正信さんが全日本の使者として宣戦布告に登場した時、私は両国国技館の砂被り席に居た。
これは大変なことになった!と、その時からワクワクしていたのを思い出す。
当日のパンフレットにもしっかり川田さんが登場、デカデカと記事が載っていた。実物の写真があるのでTwitterで見て頂戴よ。
そして歴史的開戦は歴史的一戦をも生み出すことになった。それが武藤敬司さんとの三冠ヘビー級選手権の実現、例の三冠パワーボムを最後に放った激闘であった。同じ新日本プロレスで育った選手でも佐々木健介さんとは何もかも好対照で、武藤さんは体も動作もデカくて派手で、試合ではあらゆる手段を駆使してネチネチネチネチ足を責めて来る。
武藤さんのプロレスはフロリダやアトランタ仕込み、つまりNWAの本流たるアメリカンプロレスが根底にあり、川田さんも米マット界と緊密な関係にあった頃の全日本プロレスで育ったゆえに自分のスタイルとは別の基礎の部分で似たところがあったのではないかなと思う。
この時期の川田さんは小川直也さんとか橋本真也さんとも試合をしていて、相手を選ばず名勝負を繰り広げた。
川田さんは武骨で頑固で不器用に見えると書いたが、見れば見るほど実際はその逆だった。不世出の天才レスラーとして君臨した三沢さんが居て、猛烈なパワーの持ち主である小橋さんが居て、川田さんに輪をかけて器用なうえ並外れた巨体を持つ田上さんが居たことで、川田さんは自分で自分をプロデュースして、あの武骨で無口で頑固なイメージを身にまといながら戦っていた。そしてそれは全日本プロレス分裂後にどんどんわかって来た。
川田さんの自伝「俺だけの王道」を読むと、その辺の事がよくわかる。
わざと黙っていて、試合で爆発させていた…と読んで理解するのは簡単だけど、実際に川田さんが行ってきた数々の死闘を振り返ると、それが並大抵の精神力ではないこともわかる。
だってあんな激しい試合して、ボロボロになってたら、私ならTwitterに張り付いて、
あーでもないこーでもない書くし、ブログでもエッセイでも立ち上げてあそこが痛いのココが折れたの、散々ぱら書きまくるに決まってるもん。
この本は全日本プロレスを離脱する前に書かれたもので、その中には
全日本プロレス一筋
と書かれていた。が、現役晩年では様々な団体に登場し、名勝負を繰り広げた。
しまいにはハッスルに登場、我らがエガちゃんこと江頭2:50さんに一歩も引けを取らない芸人っぷりを発揮するに至った。
全日本プロレス時代のイメージは完全に崩壊したが、本来はお喋りでお笑いも好きな人なんだとか。
ノア分裂後まもなく全日本プロレスが豊橋に来て、そこで故・保坂秀樹さんと天龍源一郎さんのシングルマッチが組まれていたことや、ノアではなく全日本プロレスを選んだスティーブ・ウィリアムスが参戦したことは以前にも書いた。
そしてこの日のメインイベントには、もちろん川田さんが登場した。
会場は期待でいっぱいだ。何しろ四天王で唯一全日本プロレスに残留し、変わらぬファイトを見せてくれる川田さんだから、みんな楽しみにしていた。
私は当時たぶん中学生ぐらいで、既にマニアの沼に片足突っ込むどころか頭から飛び込んでバタフライで泳ぐマセガキだった。
会場に行くといつも見に来るマニア仲間みたいな人たちがいて、何がきっかけだったか私もその輪に入れてもらって可愛がってもらっていた。
メインイベントで川田さんと組む6人タッグの中には、当時全日本プロレスを主戦場にしていた長井満也選手と奥村茂雄選手も入っていて、反対側には後に新日本プロレスに参戦する本間朋晃さんや当時の常連外国人ジョージ・ハインズ、そして大量離脱後の全日本プロレスを支えた太陽ケア選手が居た。
試合は白熱、6人タッグはプロレスの華。田舎のプロレスはコレに限る。テレビや雑誌でお馴染みの選手がお馴染みの入場曲で登場し、それぞれが存分に持ち味を発揮、そのせめぎ合い、ワーっとやって最後はエースがビシッと決める。
この日で言えば川田さんだった。
得意のデンジャラスキックをバリエーション豊かに繰り出し、串刺し式を見舞った時は会場がどよめく威力だった。
豊橋近郊から集まった王道ファンが送る万雷の川田コールに堪えるようにノリノリでキックを見舞う川田さんの雄姿を、私はフィルムを惜しまず写真に収めた。
……当時まだデジカメなんて持ってなくて、24枚撮りとか27枚撮りのフィルムカメラを持ってって大事に大事に撮ってたんだよ。まーたコレが試合中はいい写真が撮れたと思っても、現像してみるとピンボケだったり、知らないオッサンの頭で何にも見えなかったりガッカリする事もあってさ。懐かしいね。
その後も活躍の場を広げ戦い続けていた川田さんだったけど、三沢さんの事故をきっかけに徐々に現役選手としては鳴りを潜め、ご自身のお店
麺ジャラスK
をオープンしてそちらに専念し、今では経営に関する著書を発売するなどプロレス界でも指折りの名物店長となっている。。
プロレスラーとしては長期休業中としながらも事実上引退状態にある川田さん。現役復帰、そして明確な引退試合やセレモニーなどは今後行われるのかも定かではない。
なんか、やらずに全うする方が川田さんらしい気もするし、しなくちゃならないとも思わない。
盛大に送り出されるべき偉大な選手だけれど、だからこそ、休んだままの状態から変に戻って無理を重ねることもないんじゃないかな……と。
プロレスファンを2年か3年もやれば引退という二文字が風呂場のヘチマぐらいにしかならなくなる。逆にちゃんと?復帰せず第二の人生、余生を送った人を見て
ああ、この人は復帰してない、復帰せずに済んでるんだな
と感心することすらある有様だ。
単純な良し悪しじゃ言えないけど、そんな風潮やファンの優しさ、安易なノリと期待に甘えることを良しとしない、そういうところがやっぱり好きだ。
松永光弘さんも書いてたけど、華やかに引退していった選手がアッサリ復帰して喜ぶのはその場にいる人だけで、その何倍もの人たちが飽きれたり失望したり悲しんでいるという。正直言えば私もそう。
復帰した後で引退前よりブレイクする人や、引退したことが霞んじゃうような活躍が出来る人も中には居る。みんながみんな復帰するわけでも、復帰することが必ずしも悪手ではないものの。
私は川田さんの復帰に関しては反対だし、してくれなくていいと思っている。
あんなボロボロになっても戦い続けてたのを見ているし、今更またやれだなんてどの口が言えるのか。もう十分すぎるほどデンジャラスKを堪能させてもらったし、次に私が川田さんを見に行くのは麵ジャラスKでラーメンを食べに行く時がいい。
身体も動きも輝きも、戻らないよ。
川田さんだけじゃなく、最近で言えば小橋建太さんや獣神サンダーライガーさんもそうだ。みんなケジメを付けて、自分の考えで自分の道を決めたのだから。
その道を行く背中をいつまでも追い続け、どんな困難であっても応援する方がファンとしては健全ではないか。
川田さんほどの選手であっても現役生活に明確な区切りが付いていないからこそ、今後のプロレス界における引退という一つの区切りに対するそれぞれの考え方も浮き彫りになるんじゃないかなあ。
此処までご覧くださった皆さんはどう思われますか?
川田さんは復帰してほしい、しないで欲しい、色んなご意見があると思います。
是非コチラやTwitter、Facebookなど、お気軽にお寄せください。
私は普段、ちょっと不思議な小説を書いて発表している者ですが
不思議な小説に出てくるフレーズを考えている時と同じぐらい、プロレスの事を考えている時間がとても幸せです。
みんなで好きなプロレス、時代、選手、色んなお話が出来ればいいなと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございます。
先日、小橋建太さんの話(「小橋コールは鳴りやまない))を書いてTwitterやFacebookで宣伝したところ沢山の方がご覧くださいました。ありがとうございます。そしてなんと小橋建太さんご本人がツイートをご覧くださり、いいねとリツイートまでしてくださいました…!
さらに今日(2021年8月17日)見たら、私のアカウントをフォローしてくださってました。ビックリして二度見しました。この場を借りて、重ねてお礼申し上げます。ありがとうございます。
その次は三沢光晴さんのお話でした。三沢さんは早くに亡くなられてしまったため、今でも色んな事を想像しては寂しく思ったり、返す返すも残念だなと思ったりで、つい湿っぽくなっちゃうのですが……こちらも多くの方々にご覧いただけて嬉しいです。ありがとうございます。
そして、こうして四天王プロレスの話をしていると、誰の話から始めても、絶対最後はこの人の話になるのが、デンジャラスKこと川田利明さん。もちろん田上さんも強いし凄いんだけど、その田上さんと組んで三沢・小橋組を散々追い詰め、シングルでも頂点を競い合う熾烈な戦いを繰り広げていた川田さんを抜きに平成の全日本プロレスは語れない。
私が初めてテレビで全日本プロレスを見たのは、99年1月の大阪府立体育会館における三沢さんとの三冠戦。
あの伝説的超危険技、三冠パワーボムの試合だった。
あんな酷い技は、後にも先にもコレだけだ。
物心ついて30年以上プロレスを見ているけど、今でもアレより酷い技は出ていないし、何より川田さんご自身があの技を出したのはたったの二度。
三沢さんと、もう一人の相手は武藤敬司さんだった。
「川田利明が現役中、三沢光晴と武藤敬司にしか繰り出さなかった超危険技」
これで三冠パワーボムが如何なる技であるか、知らない人でも何となく想像してもらえると思う。見たらビックリするよ。YouTubeのGAORA公式チャンネルに川田さんと武藤さんの試合があるから見てみるといいよ。
そんなわけで初めての全日本プロレス、初めての三冠ヘビー級選手権……もとい、
私が見た「初めての川田利明」はインパクト抜群だった。
鍛え上げた褐色の肉体、鋭いキック、バックドロップもパワーボムも威力抜群。
武骨で無口で質実剛健、派手さよりも実力で勝負の、兎に角プロレスに真っすぐな人。そんな印象だった。
スポーツライクなプロレス。一時期そんな言葉が専門誌やスポーツ新聞に見受けられた。
いわゆる遺恨、嫉妬、裏切りなどの絡まない、凶器やデスマッチなどの仕掛けも使わない。言いたいこともやりたいことも全部リング上でのみ表現し、ひたすら己の力と技でぶつかりあう極限のスポーツ。それがスポーツライクなプロレスの行きついた先であり、四天王プロレスだったと思う。
その四天王プロレスの一角にあって川田さんは最も寡黙で、最も過激な攻撃を繰り出していた。
相手の顔面を狙って飛び上がり真正面から蹴飛ばすデンジャラスキックは衝撃的だったし、自ら走り込んで、ロープに振って、走って来る相手にカウンターで、コーナーポストに釘付けにして、そしてコーナー最上段から飛んできた相手の顔面を下から狙いすました対空キックまで。いろんな場面で、いろんなバリエーションのキックが飛び出すのが川田さんの魅力であり、怖さだった。
テレビからちょっと目を離すその一瞬で、さっきまで攻めてた対戦相手が顔を押さえて蹲っている、なんてことが何度あったか。
入場曲のHoly Warもカッコいいんだよな。
ただあれ、昔ゴングメイト(週刊ゴングの読者コーナー)の常連投稿者だった人が漫画にしててさ
川田利明さんが「自分のテーマ曲に歌詞を付けてみました。かわだーとしーあきー♪かわだーとしーあきー♪」って歌うってネタが載ってて。それ以来、ずっと
かわだーとしーあきー♪
かわだーとしーあきー♪
って、頭の中で歌っちゃうんだよな…。あの常連の人は、とにかく川田さんのファンだったらしくて、何があっても、全日本プロレスがノアと分裂してもずっと川田さんの漫画を描いて投稿していた。
それが、三沢さんの事故の後、パタっと止まった。
投稿コーナーどころかゴングごとなくなってしまって暫くして、あの人どうしてるかなとネットで調べたら、その人のブログだか、ホームページを見つけたことがあった。
何処をどう辿ったのか、検索した言葉も忘れてしまったし、もう投稿者さんの名前も覚えていない。
ただ、その人は、やっぱり三沢さんと川田さんのことが大好きで……だから、あれ以来書かなくなってしまっていたと書いてあった。ような覚えがある。
もうそれ自体も何年も前で、何から何までボンヤリしてて申し訳ないのだけれど
もし、いま私が一連の、あの四天王プロレスの時代、みんなで握り拳を作って2.99の一瞬に酔いしれた頃の話をしているのを、ハッシュタグでも、誰かのリツイートでも、私がしつこく告知してるのでも見かけたら……もしよろしければ、ご一報ください。
私は同じ時期にゴングメイトに投稿していたHN地団駄ボムというものです。
私の事は覚えていらっしゃることは無いと思いますが、私はあなたの描いた全日漫画が大好きだったのです。お元気でしたら何よりです。
閑話休題。
全日本プロレス四天王の中でも三沢さんや小橋さんは華やかでさわやかなイメージがあって、田上さんは巨体とは裏腹に気の優しいところが知られているように、川田さんの寡黙で不愛想に見えるけど真面目にプロレスに取り組んでいるところや、三沢さんとのライバル関係は、当時からプロレスファンに愛され(そしてたまには投稿コーナーでネタにされ)ていたのだ。
私が全日本プロレスを初めてテレビで見て、追いかけ始めて、すぐのことだった。
ジャイアント馬場さんが亡くなり、新体制で動き始めた全日本プロレスは間もなく未曾有の危機に陥ることになった。
三沢光晴さんが新団体、プロレスリング・ノアを旗揚げ。全日本プロレス所属選手の殆どが移籍していったのだ。
プロレスリング・ノアは大所帯で華やかな船出を迎えることになり、三沢さんと小橋さんはGHCヘビー級王座を巡ってここでも死闘を繰り広げることになる。
一方で斜陽を迎えた全日本プロレスは新日本プロレスとまさかの対抗戦勃発。その矢面に立ったのが川田さんだった。全日本の看板を背負った川田さんと佐々木健介さんの試合は燃えたねえ。
お互いに武骨で、特に当時の佐々木健介さんは本当に不器用で飾り気のない、叩き潰すプロレスが信条だった。が、それがゆえに川田さんは対処しやすかったんじゃないだろうか。
私の大好きな全日本の最強外人レスラーの一人でもあるスティーブ・ウィリアムスがまさにそんな感じで、とにかく強いし潰しに来る。
そのウィリアムスを破って三冠王座を奪取したこともある川田さんにしてみれば、アウェイであっても自分の土俵だったんじゃないかな。
何にせよ、あのゴツゴツバチバチの果し合いみたいな夢の対決は、なんというか人間サイズの怪獣が戦ってるみたいな迫力があって、リアルタイムで見れたのが本当に幸せだったと思う。
その試合が行われる前、新日本プロレス真夏の恒例行事ことG1クライマックスに渕正信さんが全日本の使者として宣戦布告に登場した時、私は両国国技館の砂被り席に居た。
これは大変なことになった!と、その時からワクワクしていたのを思い出す。
当日のパンフレットにもしっかり川田さんが登場、デカデカと記事が載っていた。実物の写真があるのでTwitterで見て頂戴よ。
そして歴史的開戦は歴史的一戦をも生み出すことになった。それが武藤敬司さんとの三冠ヘビー級選手権の実現、例の三冠パワーボムを最後に放った激闘であった。同じ新日本プロレスで育った選手でも佐々木健介さんとは何もかも好対照で、武藤さんは体も動作もデカくて派手で、試合ではあらゆる手段を駆使してネチネチネチネチ足を責めて来る。
武藤さんのプロレスはフロリダやアトランタ仕込み、つまりNWAの本流たるアメリカンプロレスが根底にあり、川田さんも米マット界と緊密な関係にあった頃の全日本プロレスで育ったゆえに自分のスタイルとは別の基礎の部分で似たところがあったのではないかなと思う。
この時期の川田さんは小川直也さんとか橋本真也さんとも試合をしていて、相手を選ばず名勝負を繰り広げた。
川田さんは武骨で頑固で不器用に見えると書いたが、見れば見るほど実際はその逆だった。不世出の天才レスラーとして君臨した三沢さんが居て、猛烈なパワーの持ち主である小橋さんが居て、川田さんに輪をかけて器用なうえ並外れた巨体を持つ田上さんが居たことで、川田さんは自分で自分をプロデュースして、あの武骨で無口で頑固なイメージを身にまといながら戦っていた。そしてそれは全日本プロレス分裂後にどんどんわかって来た。
川田さんの自伝「俺だけの王道」を読むと、その辺の事がよくわかる。
わざと黙っていて、試合で爆発させていた…と読んで理解するのは簡単だけど、実際に川田さんが行ってきた数々の死闘を振り返ると、それが並大抵の精神力ではないこともわかる。
だってあんな激しい試合して、ボロボロになってたら、私ならTwitterに張り付いて、
あーでもないこーでもない書くし、ブログでもエッセイでも立ち上げてあそこが痛いのココが折れたの、散々ぱら書きまくるに決まってるもん。
この本は全日本プロレスを離脱する前に書かれたもので、その中には
全日本プロレス一筋
と書かれていた。が、現役晩年では様々な団体に登場し、名勝負を繰り広げた。
しまいにはハッスルに登場、我らがエガちゃんこと江頭2:50さんに一歩も引けを取らない芸人っぷりを発揮するに至った。
全日本プロレス時代のイメージは完全に崩壊したが、本来はお喋りでお笑いも好きな人なんだとか。
ノア分裂後まもなく全日本プロレスが豊橋に来て、そこで故・保坂秀樹さんと天龍源一郎さんのシングルマッチが組まれていたことや、ノアではなく全日本プロレスを選んだスティーブ・ウィリアムスが参戦したことは以前にも書いた。
そしてこの日のメインイベントには、もちろん川田さんが登場した。
会場は期待でいっぱいだ。何しろ四天王で唯一全日本プロレスに残留し、変わらぬファイトを見せてくれる川田さんだから、みんな楽しみにしていた。
私は当時たぶん中学生ぐらいで、既にマニアの沼に片足突っ込むどころか頭から飛び込んでバタフライで泳ぐマセガキだった。
会場に行くといつも見に来るマニア仲間みたいな人たちがいて、何がきっかけだったか私もその輪に入れてもらって可愛がってもらっていた。
メインイベントで川田さんと組む6人タッグの中には、当時全日本プロレスを主戦場にしていた長井満也選手と奥村茂雄選手も入っていて、反対側には後に新日本プロレスに参戦する本間朋晃さんや当時の常連外国人ジョージ・ハインズ、そして大量離脱後の全日本プロレスを支えた太陽ケア選手が居た。
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この日で言えば川田さんだった。
得意のデンジャラスキックをバリエーション豊かに繰り出し、串刺し式を見舞った時は会場がどよめく威力だった。
豊橋近郊から集まった王道ファンが送る万雷の川田コールに堪えるようにノリノリでキックを見舞う川田さんの雄姿を、私はフィルムを惜しまず写真に収めた。
……当時まだデジカメなんて持ってなくて、24枚撮りとか27枚撮りのフィルムカメラを持ってって大事に大事に撮ってたんだよ。まーたコレが試合中はいい写真が撮れたと思っても、現像してみるとピンボケだったり、知らないオッサンの頭で何にも見えなかったりガッカリする事もあってさ。懐かしいね。
その後も活躍の場を広げ戦い続けていた川田さんだったけど、三沢さんの事故をきっかけに徐々に現役選手としては鳴りを潜め、ご自身のお店
麺ジャラスK
をオープンしてそちらに専念し、今では経営に関する著書を発売するなどプロレス界でも指折りの名物店長となっている。。
プロレスラーとしては長期休業中としながらも事実上引退状態にある川田さん。現役復帰、そして明確な引退試合やセレモニーなどは今後行われるのかも定かではない。
なんか、やらずに全うする方が川田さんらしい気もするし、しなくちゃならないとも思わない。
盛大に送り出されるべき偉大な選手だけれど、だからこそ、休んだままの状態から変に戻って無理を重ねることもないんじゃないかな……と。
プロレスファンを2年か3年もやれば引退という二文字が風呂場のヘチマぐらいにしかならなくなる。逆にちゃんと?復帰せず第二の人生、余生を送った人を見て
ああ、この人は復帰してない、復帰せずに済んでるんだな
と感心することすらある有様だ。
単純な良し悪しじゃ言えないけど、そんな風潮やファンの優しさ、安易なノリと期待に甘えることを良しとしない、そういうところがやっぱり好きだ。
松永光弘さんも書いてたけど、華やかに引退していった選手がアッサリ復帰して喜ぶのはその場にいる人だけで、その何倍もの人たちが飽きれたり失望したり悲しんでいるという。正直言えば私もそう。
復帰した後で引退前よりブレイクする人や、引退したことが霞んじゃうような活躍が出来る人も中には居る。みんながみんな復帰するわけでも、復帰することが必ずしも悪手ではないものの。
私は川田さんの復帰に関しては反対だし、してくれなくていいと思っている。
あんなボロボロになっても戦い続けてたのを見ているし、今更またやれだなんてどの口が言えるのか。もう十分すぎるほどデンジャラスKを堪能させてもらったし、次に私が川田さんを見に行くのは麵ジャラスKでラーメンを食べに行く時がいい。
身体も動きも輝きも、戻らないよ。
川田さんだけじゃなく、最近で言えば小橋建太さんや獣神サンダーライガーさんもそうだ。みんなケジメを付けて、自分の考えで自分の道を決めたのだから。
その道を行く背中をいつまでも追い続け、どんな困難であっても応援する方がファンとしては健全ではないか。
川田さんほどの選手であっても現役生活に明確な区切りが付いていないからこそ、今後のプロレス界における引退という一つの区切りに対するそれぞれの考え方も浮き彫りになるんじゃないかなあ。
此処までご覧くださった皆さんはどう思われますか?
川田さんは復帰してほしい、しないで欲しい、色んなご意見があると思います。
是非コチラやTwitter、Facebookなど、お気軽にお寄せください。
私は普段、ちょっと不思議な小説を書いて発表している者ですが
不思議な小説に出てくるフレーズを考えている時と同じぐらい、プロレスの事を考えている時間がとても幸せです。
みんなで好きなプロレス、時代、選手、色んなお話が出来ればいいなと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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